2026年、今年もよろしく

2026年1月1日午前6時30分。弘前八幡宮へ初詣。

今日は1月12日(月)成人の日。

成人してから35年が経ったが、自分がまともな大人になっているのかどうかは自分だとわからない。漫然と齢を重ね、あと3週間もしないうちに55歳の誕生日を迎える。

50代を迎える頃から、年齢なんてただの数字だと嘯いているが、この5年間で心身の変調は色々あったし、頭髪が一気に白くなったことで、見た目がすっかり年寄りっぽくなってしまったのはどうにもならない。寄る年波に抵抗し続けようと思っていたが、そろそろ歩調を合わせなければならない時期に差し掛かっているのだろう。

2026年が始まって既に10日が過ぎている。

昨年を振り返ると、師走の8日に発生した青森県東方沖地震への対応に追われる中、クリスマスの時期に予期せぬインフルエンザ感染が待ち受けていた。結果、2日早く仕事を納めることとなり、12月25日から年末年始の休暇に入る羽目となった。

罹患直後は今までで一番キツい状態に陥ったため、寝込んだまま年を越すのかと焦ったが、何とか快復し、何事もなかったかのように年末年始を迎えた。

しかし、気分的には全く年を越した感覚がなかった。
結果、今年最初のやらかしは、届いた年賀状への返礼を出す際に、誤って「2025年1月」と記したこと。

さて、昨年掲げたいくつかの目標のうち、果たせなかった目標が幾つかあった。

・今まで行ったことのない土地を訪れる
・今まで知らないことを知る
・自分の健康を気遣い、体力作りに励む

この3つは達成したとは言い切れず、今年に「繰越」することとなった目標。いわゆる積み残しだ。

上の2つについては、早い段階で処理が完了しそうな気配。どうやら今月末までには達成されそうだ。

人生二度目の四国訪問となる、香川県への旅程計画。
どんな出会いがあり、そしてどんな学び、気付きが得られるだろうか。今から楽しみだ。

積み残しとなっている3つ目の目標は、恐らくこれからの永遠の目標になるのだろう。

あれほど走ることに熱中していたはずなのに、仕事に追われ機会を逸した途端、一気に走らなくなった。結果、尾崎豊の歌ではないが、俺の身体はブクブク太り始めた。

痩身で色黒だった約10年前と比較すると、すっかり別人のようになった。
いや、10年前が別人だったのかも知れないけれど。

今年は改まって何か目標を立てるというよりも、自然体で臨む、これに尽きるのかな。

ただ、年内で減らさなければならないものはたくさんありそうだ。50代も半ばを迎え、そろそろ身辺整理を始めた方がいいかな。今年こそちゃんと断捨離に励もう。

最低2年は着ていない服、読み終えた本、聞いていないCD、ストレス、体重、酒量。

その他にも断捨離したいものが色々浮かんでいるが、断捨離しちゃダメなものもある。
絶対に持ち続けなければならない矜持、みたいなもの。

誰かのためになりたい、役に立ちたいという想いは、ちょうど多感な時期(小学校高学年~高校入学直後)に経験したボーイスカウトでの経験で刷り込まれた。いわゆる「奉仕」の気持ち、これは今の仕事にも通じるところがある。

55年の紆余曲折の人生を振り返ったときに、自分は本当に強運に恵まれているな、と思うところがあるし、こんなどん底を経験する人なんてそんなにいないぞ、と思うところもある。

この先のどこかで人生を振り返った時に、ああ、色々あったけれど面白かったな。そう思えるのが本望かな。

今年はどんなことが待っているだろう。平坦な道を歩くことはないだろうし、もしかしたら棘だらけの道なのかも知れないけれど、それもまた楽しそうじゃないですか。

皆さん、私の2026年はようやく幕を開けました。明けましておめでとうございます。

2025年を振り返る

気がついたら今年を振り返る間もなく2025年が幕を下ろそうとしていた。
スケジュールは紙と電子のハイブリッドで管理しているが、11月を半ばを過ぎた頃から、紙のスケジュールがほとんど白紙になっていた。記録していたスケジュールそのものが白紙になった、という意味も含まれている。

毎年恒例、というわけではないが、一応備忘録的なことも含め、慌てふためいて1年を振り返ってみる。

【1月】
2023年、消防大学校での研修で一緒になった有志数名と都内で「同窓会」を開催。待ち合わせ直前には東京駅で生まれて初めてドクターイエローと遭遇するなど、何だかとても有意義な旅となった。これで今年はいい一年になる、と思ったのだが…。

ドクターイエローの東京駅18番ホームへの入線シーン。思わず拍手しそうになった。

【2月】
1月に続いての上京。
5年ぶりのサザンオールスターズのライブは、さいたまスーパーアリーナで開催された1日目を観ることができた。入手したチケットはいわゆる「注釈付き」の指定席だったが、会場を訪れてみるとなんとステージ真横の前から2列目!確かに見辛い場面もあったけれど、こんなこともあるんだな、強運は続いているな、と薄ら笑いを浮かべていたのだこの時は。

さいたま新都心駅からはさいたまスーパーアリーナをぐるりと半周して最奥部にあるNゲート。この時点で期待薄だったが…。

【3月】
別れの季節。定年延長に伴い、退職の概念がよくわからなくなってきた。役職定年、任期満了、普通退職、早期退職…。何人かの新たな門出を拍手で祝した。そして、自分も僅か1年で異動が決まった。異動先は、3年前まで在籍していた職場。1年で異動することも、出戻りになることも、今回が初めてだった。

【4月】
出戻りとはいえ、立場が変わっての異動となったため、4月は怒濤の如く時間が流れた。勝手事情を知っているはずの職場だったが、業務の内容が大きく変わっていた。いや、やること目指すところは変わらないはずだけど、更に多岐に及んでいるということを改めて痛感することとなった。

【5月】
一生のうちに一度観ておきたいと思っていたアーティスト、竹内まりやのコンサートを観るため仙台へ。内容は素晴らしいものだったし、感動した。夫の山下達郎との共演もしかと見届けることができた。でも、終演後の空虚な想いが何だったのか、その答えは未だに見いだせずにいる。
そして中盤、今年最初で最後となったマラソン大会出場のために八戸市へ。なんとそこでは、これまで30年以上会っていなかった従弟と偶然再会。考えてみると、今年はこんな○年ぶり、数十年ぶりの再会、が非常に多い年だった。

竹内まりや仙台公演の開演時刻まであと20分ほどのセキスイハイムスーパーアリーナ

【6月】
年の前半は結構ライブやコンサートに足を運んでいた。盛岡市で開催された角松敏生のライブ。彼のライブも数年ぶりだ。全国ツアー千秋楽の前の公演は、かなり素晴らしいステージだった。収容人数約1500人程度の小ぢんまりとしたホールながら、縦に長いということもあって、2階席からもその姿をはっきりと拝むことができた。何よりも、開演前に盛岡駅の駅ビルで飲んだビールがとても美味しかった。

味も風味も全く異なる3種類。

【7月】
4日、仙台への出張に会わせ、午後から休暇を頂いて十数年ぶりとなる山形市訪問。
お久しぶりの方、初めましての方と一献を設け談笑したあと、未明にホテルへ戻った直後、青森県内に土砂災害警戒情報発表の知らせ。深夜ということもあり山形市から駆けつける手段がなく悶々としながら翌朝、仙台から新青森に向かう始発の新幹線に間に合わせるべく山形をあとにした。結局、新幹線乗車直後に土砂災害警戒情報は解除となり、事なきを得た形となったが、どうやらこれが風雲急を告げるきっかけとなったようだ。月末にはカムチャツカ半島地震に伴う津波警報に泣かされることに。

【8月】
この月は色んなことがあった。まずは、週末になると不思議と発表される土砂災害警戒情報のたびに出勤を余儀なくされ、週末の休みだけではなく気力も体力も精神力も削がれていった。そんな中、以前からずーっとやりたいと温めていた職員研修を8日に開催。前日からの大雨への警戒で徹夜明けとなり、しかも依然として警報が発表されている中となったが、関係者も含め20名前後が参加して映画「ふるさとがえり」の試写会を開催。これが何かの契機になれば、と淡い期待を寄せての開催した結果、その後2つの上映会開催が決定したことは、とても喜ばしいことだった。
そしてこの月末、満を持して「夏の沖縄」に数年ぶりに足を運んだ。

【9月】
直近2年間は「冬の沖縄」12月の訪問だった。理由はNAHAマラソン出場。これに合わせて、母を初めて沖縄に連れていった。今回は12月に予定が入っていたので(のちにそれが1週ずれていたことを知るが、結果オーライ)、今回は自分の夏季休暇に合わせて訪問することとした。それほど暑くなく、概ね天気にも恵まれ、いい夏季休暇、息抜きとなった。

9月1日朝9時


【10月】
この頃から業務が慌ただしくなり、徐々に余裕がなくなっていった。初めて取り組む業務に戸惑いながら、なんとか体裁を保っていった、といった感じ。合間を縫って、三陸沿岸を訪問する岩手県へのプチ旅を急遽挙行。約12年ぶりの宮古市、ちゃんと下り立つのは初となる釜石市、陸前高田市などを巡る旅。雨に降られたものの、自分自身の思いや気持ちを昇華させる旅となった。

【11月】
3日、弘前市民会館で開催されたウルフルズの全国ツアーに初めて足を運ぶ。オリジナルメンバーが全員揃っていなかったのは残念だったけれど、それを抜きにしても楽しいライブだった。
そしてこの前後、とある方との再会を機に、僕はある決心をしている。年明け1月、四国に行くよ。初めましての皆さんどうぞよろしくね。
この月はもう一つ、業務の関係で石巻市を訪れる機会を得た。震災から間もなく15年というこのタイミングで東日本大震災で被災した各地を訪問できたのは、本当に良かった。と思っていたのだが…。

復興祈念公園内にある追悼の広場。言葉を失うんだよね、なんか。

【12月】
ある意味今年は12月が重過ぎた。1日に観た佐野元春のデビュー45周年、The Coyote Band結成20周年のライブ。ああ、いいライブだった。今年もいい年末を迎えられそうだ、と思っていた矢先の地震。
震度6以上を観測する地震は、僕の記憶が正しければ1994年12月の三陸はるか沖地震以来。異なる時期に津波警報が年に2度発表された記憶もない。
嬉しいことも。新採用として勤め始めた平成5年当時の係員が一堂に会したのは約30年ぶり。今年は引き寄せが強い。そして最後にサンタクロースが24日に届けてくれたプレゼントは、数年ぶりのインフルエンザAだった。不本意ながら2日早い御用納め。「休め」のサイン、というのは都合の良い解釈。これで迷惑を被った人もいるかもしれないので、ただただ申し訳ない。

【2025年は波乱万丈】
ジェットコースターの如く目まぐるしく入れ替わる喜怒哀楽。50代に入ってから、一番色んなことがあった一年だったかも知れない。

神棚の下に飾る「袴紙」。不器用ながら手製。

【#佐野元春45周年アニバーサリーツアー 】 #青森公演

デビュー45周年、そして間もなく古希を迎える佐野元春が、結成20年目を迎えたTHE COYOTE BANDとともに青森県でのライブを12月1日に行った。
青森県青森市で17年ぶりとなるホール公演の会場は、青森市民ホール(リンクモア平安閣市民ホール)。このブログにも2008年、The Hobo King Bandを従えた同じ会場でのライブの鑑賞記録が残っていた。あの時は前から3列目の真正面という、とんでもない位置からステージを観ていた。
一方、THE COYOTE BANDとのライブはこれまで、青森市内のライブハウスでしか行われていないが、45周年記念となる今回の公演、またたく間にチケットは完売したらしい。

月曜日。仕事を切り上げて18時30分過ぎに会場へ向かうと、それ相応の年代の方々が、吸い込まれるように会場へ入っていく。

会場の隅に飾られていたこの前で、多くの観客が一緒に撮影していた。

キャパは900人近く。2階席もあるこぢんまりとしたホールだ。何よりもここの会場の良いところは、どの席からもステージがよく見えること。
今回は1階の比較的後方の位置だったが、ステージの全景を眺めることが出来るし、演者の指さばきや所作もはっきり見える。期待に胸踊らせながら開演の時間を待つ。
19時過ぎ、ホールの照明が落とされ、いよいよライブがスタート…

青森公演をもって、一連の地方公演が大団円を迎える(ただし、京都と香川の振替公演が年明けに予定されている)のだが、まだツアーが終わっていないということで、ここからはあくまでも個人的な感想。感じ方は人それぞれということで、異論反論はご勘弁を。

端的に言えば、この日の公演を本当に楽しみにしていたはずだったのに、ステージに接している時の自分の中に芽生えた違和感、そして公演が終わった後に感じた消化不良の正体は一体何だったのか。以下、心のぼやき。

続・東日本大震災の被災地を巡る

10月11日から2日間、岩手県の沿岸部を巡った。八戸市から太平洋沿岸部を南下、最終的に陸前高田市にある高田松原津波復興祈念公園を訪れるのが目的で、完全に業務と切り離したプライベートでの訪問だった。

あれからちょうど1か月後、今度は業務の関連で宮城県の被災地を訪問する機会を得た。
仙台市で開催される会議の後の視察で、石巻市にある石巻南浜津波復興祈念公園などを訪れる、という内容が含まれていたのだ。

11月11日は、震災から14年8か月目の月命日。前日の会議に出席したメンバーが宮城県庁に集合、一路石巻市に向かった。

奇しくも陸前高田市訪問からちょうど1か月が経っていた。
三陸沿岸道路を北上、東松島市にある矢本ICを通過し一般道へ。航空自衛隊松島基地からは、航空機が1機飛び立つのが見えた。(逆光が強くて機体は確認できなかったが)

一般道を北上しながら気がついたのだが、石巻市へと続く幹線道路は、かなり長い距離にわたって周囲から数メートルかさ上げされている。おそらく防潮堤の役割を担っているのだろう。あとで聞いたところ、東日本大震災では仙台東部道路が防潮堤の役割を果たし、被害の軽減に繋がったことを受け、こうした津波対策が各所で講じられているとのことだった。
道路の東側には工場や倉庫が、西側には家屋が立ち並んでいるが、同じ頃に建てられたと思われる家屋が多く、まだ比較的新しい住宅街が続く。

やがて住宅街が途絶え、一面には野原が広がる。いわゆる「災害危険区域」として住宅の建築が制限されているエリアで、陸前高田市で見た光景とかなり似ている。
その界隈が「石巻南浜津波復興祈念公園」として整備されている地域で、かつては多くの住宅が立ち並ぶエリアであったが、地域一帯が津波などでほぼ破壊されてしまったそうだ。
公園内には、たびたび報道にも登場した「がんばろう!石巻」の看板が設置されており、その奥の右手に「みやぎ東日本大震災津波伝承館」が見えている。

「みやぎ東日本大震災津波伝承館」正面

伝承館の中では、震災当時の状況やその後の復興状況等についてガイドさんから説明を受けた。
石巻市は津波被害もさることながら、2つの川を津波が遡上したことで被害が広がった(後述の「大川小学校」然り)結果、市町村別の死者数が最大となった。この辺りを襲った津波の高さは6.9m。伝承館の北側の屋根の高さと同じとのこと。

「伝承館」のパネルは語る。言葉の数々に圧倒される。

この屋根の高さぐらいまで津波が来たのだそう。

復興祈念公園内にある追悼の広場。言葉を失うんだよね、なんか。

こうしたことも含め、未だに知らないことの方が多過ぎて、もっとちゃんと知らなきゃいけない、学ばなきゃならないと痛感した。

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#ウルフルズ ライブツアー2025-2026 #弘前公演 (2025/11/3)鑑賞記

ウルフルズライブツアー 2025-2026 ツーツーウラウラツー シーズン2

こんなツアータイトルを引っ提げ、ウルフルズが久し振りに青森県内で公演を行うことを知ったのは9月のこと。

ウルフルズのライブ、興味本位だけで一度は観てみたいと思っていたが、なかなかきっかけがない中、弘前市で初めて公演を行うことを知り、迷わずチケットを入手した次第。

オリジナルメンバーが入れ替わりでバンド活動を休止する中、しばらく3名体制での活動が続いている。ボーカルのトータス松本もソロ活動や俳優業に精を出す中、バンドとしてどんな姿を見せてくれるのか。自分の気持ちが穏やかでなかったこともあり、期待と不安が3対7ぐらいの割合で交錯したまま、当日を迎えた。

会場となった弘前市民会館の収容人員は約1,400人。直前までチケット販売のCMがテレビ放映されていたので、残念ながら完売にはならなかったようだ。(事実、当日券の販売もされていた。)

確かにここ数年は大きなヒット曲があるわけでもなく、そして大きな話題になるようなこともなく、ウルフルズ自体は静かに地道に活動を続けていたといった印象を持つ。

17時からの開演ということで、15分ほど前に会場近くまでやってくると、観客と思しき人たちが数人、会場へ向かっていた。果たして客の入りは大丈夫なのだろうか。

しかしそんな心配は杞憂だった。会場の中へ入った途端に雰囲気が一変、熱量が一気に上がる。物販ブースには多くの人だかりができあがり、トイレ周辺も混雑している。

更に大ホールの中に足を踏み入れると、確かに空席はあるものの、9割程度が既に埋まっていた。3連休最終日ということもあってなのか、皆さん集まるのが早いぞ!

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