Monthly Archives: 9月 2009

豊盃 純米吟醸(生酒・グリーンラベル)

今から5年ほど前、「ポスト十四代」と紹介された「豊盃」。日本酒通の間では知られまくっている銘酒である。

この豊盃の酒蔵である「三浦酒造」は、うちから約15分のところにある。
「豊盃」がここまで全国的に名の知れた酒になるなんて、正直言って20年前には想像できないことだった。
ご家族が力を合わせて経営されていること(今は二人の息子さんが杜氏として切り盛り)、決められたところとしか取引しないことや、製品管理を徹底していることも、「ポスト十四代」と呼ばれる所以かも知れない。何よりも、そのコストパフォーマンスには本当に目を見張るものがある。

じゃん子が、銀座線の京橋駅近くにある居酒屋を上司と訪れたところ、日本酒の品揃えが凄いことに感銘を受けたそうだ。ふと見ると、「三浦酒造」と書かれた半被を着た店員さん。後ろを振り返ると、そこには「豊盃」の文字。すっかり感動し、思わず「私、豊盃の酒蔵のある弘前市の出身です!」と女将に猛アピールしたらしい。すると女将はじゃん子も知らない弘前の良さを次から次へと紹介し始め、その後すっかり意気投合、思いがけず東京の真ん中で弘前の話に花を咲かせた、というエピソードがあって、そのことをどうしても三浦酒造の人たちに一言伝えたいということで、何としても訪れなければ、と意気込んでいた。

三浦酒造を訪れたのは、26日(土)午後のことだ。

三浦酒造は、妻の仕事の取引先ということもあって、妻は三浦酒造の皆さんとすっかり顔見知りである。余談ではあるが妻がどれぐらいのお付き合いで三浦酒造の方々にお世話になっているかというと、名字で○○さん、ではなく下の名前で○○ちゃん、と呼ばれていることで、大体お察し頂けるだろうか。
GW以来の訪問となった三浦酒造、我々のお相手をしてくださった若奥さんとも会話が弾む中、特にじゃん子がどうしても伝えておきたかった話には、四代目となる社長自ら登場して耳を貸してくださり、更に盛り上がりを見せる(じゃん子のネタは、妻が事前に前振りをしていたらしい)。

折角なので、じゃん子が世話になっているという上司へのお土産を購入しに行ったつもりが、気づいたらあれやこれやと店頭には並んでいない品を奥から引っ張り出してきた。

三浦酒造には、酒蔵でしか販売していない限定酒がある。奥さんが手にしていたのは、その「生酒」バージョンで、この時期の酒蔵には並んでいないものだった(確か、ある時期には期間限定で並んでいた記憶が蘇ってきた)。
その他、7月に発表されたばかりのパティスリー酒(アイスクリームに垂らすと、ブランデーのような味わいが楽しめるそうだ!)、更に、社長の懇意で、大吟醸の酒粕まで出していただいた!

豊盃の酒粕・大吟醸

気分はすっかり「超お得意様」である。

品代を払い、車に積んだら、酒粕の甘い香りがプーンと漂う。

「今検問で止められたら、間違いなく誤解されるね。」
笑いながら帰路につく。

手に入れた「期間限定酒」は、一体どんな味がするのだろうと、期待に胸を躍らせながら帰宅。

早速夕食時に、冷蔵庫で冷やした「緑の生酒」の栓を開けてみた。

豊盃・グリーンラベル 豊盃・グリーンラベル

お猪口に注ぎ、口を近づけると、一部では「ラムネのよう」と称されるような爽やかな香りが鼻腔の奥まで漂ってくる。
寝かせていた分、まろやかになったのだろうか、喉元をスゥッと、何事もなかったかのように転がっていった後、口の中にフルーティで芳醇な香りがフワッと残る。

う、うまい…。

キンキンに冷やされた酒の温度が徐々に常温に近づくにつれて、まろやかさが薄れ、今度はエッジの効いた酒に変わってくる。
程よい辛みが、お猪口に口を近づける頻度を更に増していく。

まるで魔法の酒だ。決して普段は好んで嗜むことのない日本酒は、あっという間に空瓶になってしまった。

三浦酒造の皆さん、いろいろとお騒がせしました。ありがとうございました。本当に美味しかった!

こういう日は、心地よい酔いに包まれたまま眠りにつくに限る。

どうやらいろんな夢にうなされていたようだが(苦笑)、翌朝の目覚めは実に爽快だった。二日酔いは勿論のこと、前日の酒が残っている感覚は、皆無。

その昔、地元の酒造会社のCMで「いい朝は酒が知っている」というキャッチコピーがあったが、あの言葉は本当に嘘ではないと、最近つくづく思うようになった。

ちなみに、あのCMで流れていた「It’s so nice!」という歌は、ブレイク前の織田哲郎が作詞作曲し、歌っていたそうだ(出典:Wikipedia)。といっても、もう20年以上も前の話だが。
あ、全然関係ない話で終わってしまった…icon:F9C7

一週間ぶりのご無沙汰

というわけで、この五連休に何があったか、壮大なスペクタクルでお届けする気満々だったのですが、なんと9割書き終えた時点で消去するという大チョンボを犯してしまいました。
嗚呼、やっちまった。これは凹む!マジで凹む…。

端折って書き綴るならば、19日は盛岡に行って結婚式に出席して、散々日本酒を飲まされて帰宅してアルコール検知器でどれだけ酒が残っているか調べたら、なんとゼロ表示。わずか4時間で分解するわけがねぇ、ということで市販のアルコール検知器はアテにならないことを証明したこと、20日は思い立ったが吉日で十和田市の現代美術館に足を伸ばそうと張り切って行ったら大混雑過ぎて入る気になれず、結局八戸市の八食センターまでさらに足を伸ばすことになり、僕はすっかり足長になってしまったこと…じゃなくて母がご満悦だったこと、21日は母と妹が祖母の見舞いに出かけそのまま宿泊決定、我々は弘前市石川にある創業70年を超えるという某食堂で中華そばに舌鼓を打ち、帰りに道の駅「ひろさき」で餅粉を購入、生まれて初めてお彼岸に彼岸団子を作ることを決意したこと、22日は母と妹が思いがけず早く帰宅したので、今期3度目となる「嶽きみソフト」を食べ、妹が「コーンスープのソフトみたいだ」とコメント、これが言い得て妙だったこと、23日は予定通り4人で彼岸団子を作りながら、父が亡くなった日の朝にも、母と妻と僕の3人の共同作業で父のためにおにぎりを作ったことを思い出したこと等々、よく見ると何だか飲んで食ってのネタだらけではありますが、この5日間は充実していたけど、結構休み疲れしちゃったなー的なお話だった訳で。

さすがに今日は疲れがドッと出てます。ちなみに明日は終日出張。
ある意味息抜き。

「トミハン」が消えた…

弘前大出身者なら多分名前を知っているだろうし、界隈の高校生にも根強い支持を受けていた富田飯店。学生の財布にとても優しいお店だった、その富田飯店(通称「トミハン」)が、9月13日をもって閉店したとの話を耳にした。
眉毛の細さでは向かうところ敵なしだった奥さんが、不慮の事故で他界して約1年半。その後は何とかオヤジさんが切り盛りしていたが、ついに気力体力ともに限界が来たらしい。

トミハンといえば、お世辞にも飛び抜けて美味しいというわけではなかった。ただ、とにかく低価格の中華料理が魅力的だったし、セット料理も充実していた。いわば庶民の味方だったわけだ。
満腹セットなる商品は、普通の中華そばとライスに、餃子や麻婆豆腐がセットになって600円などという、このご時世ではとても考えられないような価格設定だった。

弘前市内を見ているとここ数年、「名店」とまではいかないにせよ、市民に愛されていた店がどんどん閉店している。特に、学生時代お世話になった西弘前界隈の飲食店を始め、年をとっても何となく小躍りしてしまうような、そんな店がなくなっている。スカット、ナッシュビル、天龍、香月、元気屋…。

トミハンの思い出はそれほど深いわけではないのだが、未だに妻の語りぐさになっているのが「豚汁定食事件」だ。

学生の頃まで話は遡る。店に入りメニューとにらめっこしながら、どうやら新顔らしい店員さんに、「広東麺」を注文した。ところがしばらくして、なぜか出てきたのは「豚汁定食」。

注文を聞いていたのは、中国からの留学生だったらしく、何をどう聞き間違えたのか「トン」しか合っていない。差し出された豚汁定食を見て、妻は爆笑。注文し直すのも面倒くさくなり、やけくそで一口食べたら意外とイケる。そのまま食べ続けようとしたら、妻が慌てふためいて僕の箸を遮る。異変に気づいた店主が「どうしました?」と一言。
妻「いや、広東麺を頼んだのに豚汁定食が…。何で食べたのよ!」と笑いながら言うと、中国人アルバイトはむくれ面で「ちゃんと確認したのに…。」とぼやいたのが聞こえた。

そう、確かにあの時「ごチュモン、繰り返します。」と言っていたのだ。ただ、何となく「トン」が先に聞こえたような気がしたが、スポーツ新聞を見ながら、確認もせずに、うんうんと頷いた僕が一番悪いのだ。
店主は何事もなかったかのように「いいですよ!作り直しますよ!」と笑顔で一言。「いや、別にこのままでもいいんですけど…」と言いかけたところにやって来たアルバイト女性は、ムッとしながら僕の前にあった豚汁定食を下げてしまった。何だか一人気まずい思いをしながら、その後出された広東麺にありついたのだが、何ともいえぬ申し訳なさで、そのバイトの女性に顔向けできなくなってしまった。

あの一件以来だったかな、かなり不定期に訪れていたのに、「毎度様!」と声掛けされるようになったのは。最後に訪れたのも、いつのことだったか忘れてしまったぐらいに足が遠のいていたところにやって来たこの知らせは、文字通り寝耳に水だったし、かなりショックだった。

あの愛嬌ある髭の濃い店主の顔が、もう見られなくなってしまうのかと思うと、無性に寂しくなる。
あの豪快な「満腹セット」も、食べられなくなるなんて…。

33年間、お疲れ様でした。

BoseからMarantzへ

通勤時、iPod nano(所有しているiPod touch、しかも前世代型は未だデビューできず)に接続して聞いていたイヤフォンがいよいよ大変な状態になってきた。ちなみに今使っているのは、Boseのin-ear headphones。Appleのオンライン福袋に同梱されていたものだ。

初めて使うBoseのイヤフォンは、決して相性の良いものとは言い難かった。とはいっても音質は素晴らしいし、結構好きだったんだけどなぁ。
使い始めて1年間で失くしたイヤーチップの数、3個。Boseに送ってもらったイヤーチップの数も、3個。平日はほぼ毎日1時間~2時間の使用。雨風雪、高温にさらされながらも耐え続けた結果、使用後1年が経った頃、噂に聞いていたケーブルのほころびが出てきた。ケーブルの強度が弱い、というのは総じて見られたレビューだった。

まず最初の状態は、左側のケーブルが折れ曲がり、中の軸線がちょっとだけ顔をのぞかせ始めた。そして今月に入って、ワイヤーストッパーを引っ張った時、それと一緒にあら不思議、ケーブルの被膜まで一緒にスルスルと…。嗚呼、軸線が剥き出しに(泣)。
取りあえず今も騙し騙し使ってはいるものの、傍目にも非常にみすぼらしい姿になってしまった。辛うじてBoseのロゴがあるのでそれとわかるが、ここまで来ると本当に恰好悪い。

たかがイヤフォン、されどイヤフォン。1年半持ちこたえただけでも良しとしなければならないかも知れないが、元は12,000円を超える高額商品である。それ相応の耐久性は欲しかった。
何よりイヤーチップを紛失した、あのムキーッと来る気分、あの時のストレスを思うと、今まで使っていた中で1~2位を争う音質とはいえ、また同じ商品を購入する気にはなれなかった。

同等でなくてもいいので、何かめぼしいイヤフォンがないかと探していた時に見つけたのが、MarantzのHP101だ。
いろいろレビューを見ても評価は頗る良く、購入を決意。アルミ削り出しというおしゃれで高級感あふれるデザイン、付属品も延長ケーブルや航空機用変換プラグ等と、バラエティに富んでいる。1万円以下でこの品質は、「買い」かも。

ちなみに低音部が弱いというレビューが多く見受けられたが、さほど弱いとは思わなかった。
まぁ、これからしばらくいわゆる「エージング」でもやってみますか。といっても、正直あまり変化に気づくことができないんですけどねー。

Michael Jackson’s This Is It

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10月28日から2週間限定で公開されるMichael Jackson最後の記録映画「This Is It」の予告プロモーションが始まった。
MTVビデオ・ミュージック・アワードでのマドンナの発言。懺悔にも似た彼女の言葉に、何か、自分の一番触れてはならないところをもみくちゃにされたような、複雑な気持ちと激しい悲しみの感情が入り混じった気持ちになった。

【9月14日 AFP】MTVビデオ・ミュージック・アワード(MTV Video Music Awards)が13日、ニューヨーク(New York)のレディオ・シティ・ミュージック・ホール(Radio City Music Hall)で開催され、6月に急死した故マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)さんに多くのアーティストから称賛の声が贈られた。

式のオープニングを飾ったマドンナ(Madonna)は、マイケルさんを「史上最も偉大な才能を持った人物の1人」とたたえると、マイケルさんはわたしたちに踊りたいと思わせてくれただけでなく、空を飛べるかもしれないとも信じさせてくれたと語った。

しかし、称賛が終わると声のトーンが変わり、マイケルさんが健康問題、歌手業、そして児童に対する性的虐待容疑に苦しみ始めた頃に手を差しのべない人が多かったと語った。

「わたしは彼を見放した。わたしたちは彼を見放した。世界を照らしてくれたこの素晴らしい人物が見過ごされていくのを許してしまった。彼に背を向けた人がほとんどだった」

こう語ったマドンナは「キング万歳!」と叫び、ステージを後にした。

誰も決して触れようとしなかった事実。そう、我々はマイケルを卑下し、そして見放していたのだ。彼が亡くなるまで。
彼が亡くなった途端、「大事な人を失った」と嘆き悲しみ、そして称賛する。ついこの間まで、「マイケル?もう彼の時代じゃないでしょ。」なんて罵倒していた人たちも含めて。
しかし、いくら嘆いたところで彼は戻ってこない。気付くのが、遅過ぎたのだ。

マイケルは死んだ。マイケル・ジャクソンはもうこの世にいないのだ。
マドンナのコメントは、そのことを痛感させられる、悲しくもあり、向き合わなければならない冷たい真実を突き付けられる内容だと思った。

10月28日。人々は一体どんな感情を持って、このフィルムの公開を目の当たりにするのだろう。