日別アーカイブ: 2009-10-29

小学校の思い出

もう1週間も前のことになるが、小学校1・2年の時に担任だったケイコ先生が亡くなったことを新聞のお悔やみで知った。享年77歳。僕が小学校に入学した頃は、45歳ぐらいだったという計算になる。
しかしこのケイコ先生にはよく怒られた。通信簿にも、「悪いことをする子たちと一緒になって遊んでいる。あなたはそれを注意すべき立場なのですよ。」などと、結構厳しいことを書かれていたことは、今でも「良き思い出」として記憶に残っている。3学年に進級し、友達と廊下を走り回って遊んでいた時に、バッタリ先生と鉢合わせになった時、他の友達は誰も怒られないのに、なぜか僕だけが怒られた、ということがあった。
今思えば、それもケイコ先生からの期待の表れだったのかも知れない、と勝手に自惚れている。

しかし僕にとって、小学校から中学校にかけての思い出というのは、正直言ってあまり良いものではなかった。むしろ今すぐにでも消し去ってしまいたい思い出や記憶の方が多いかも知れない。

特に小学校高学年になるにつれ、中途半端な背伸びを始めた同級生連中は、先生の言うことも聞かずに暴走(迷走)を始めた。陰湿ないじめの横行、言葉の暴力、非行事実。怒られない日は一日もなかったような気がする。やがて怒りは呆れに変わり、最後は完全に匙を投げられたような格好だった。
当時、学級会長だった僕は、どちらかといえばその暴走を止める立場にあったが、とてもではないが僕一人の手に負えるものではなかったし、当時の学校関係者をはじめ、いろんな方々を手こずらせた学年だったことは、否定しようのない事実。大体、学級会長がいじめられっ子だった時点で、そのクラスは終わっちゃってるという話だ(苦笑)。

後で小耳に挟んだ噂ではあったが、その当時担任だった先生にとって僕たちは、「長年の教師生活の中で最も扱いにくかったクラス」だったようで、僕らの卒業以降、低学年の担任を希望したという。
その先生も、僕が大学に在籍していた時に、亡くなった。

つまり、僕の小学校時代を知る先生は、お礼、お詫び、その他諸々を直接伝えることができぬまま、みんな他界してしまった。

今回、残念ながら仕事の都合がつかず、ケイコ先生のお葬式に参列することはできなかった。

そして、訃報に接した数日後。小学校高学年の時の同級生が警察沙汰になったことを新聞記事に見つけた。40歳間近になって、未だに迷走を続けている同級生がいるということに、呆れながらも言葉を失った。

明後日は、いつもの畏友との飲み会がある。ロクでもないヤツが多かった同窓生にあって、彼らとの縁は未だに切れることなく、むしろ強固になっている。今回は、その中の一人、ザワ先生に3人目の男児誕生を祝うに託けた、飲み会だ。今のところ総勢7名。
彼らとの共通点は、「中学校の同期」ということだけで、同じクラスになったことが一度もない輩もいれば、ケイコ先生の担任クラスで同級生だった輩もいる。

いわば僕にとっては気のおけない、大事な大事な仲間たち。数少ない「良き思い出」を共有できる仲間たち。彼らと会う時は、見た目は40歳目前のオヤジでも、気分だけはすっかり中高生の頃に戻っている。小学生ではなく、あくまで中高生の頃に戻るのだ。

しかし、今回の話のネタは当然、逮捕沙汰になった某のことで持ちきりになるのだろうか…。