月別アーカイブ: 2024年12月

2024年の振り返り

《七転八倒》今年は最初から最後までドタバタの一年間だった。清水寺で揮毫された今年の漢字は「金」。金とはなかなか御縁のない個人的な今年の漢字は「乱」。
そんな波乱万丈な今年1年を、ざっと振り返ってみようと思う。これ、自分自身の回顧録であり、備忘録です。すいません。

【1月・一意専心】元旦に発生した能登半島地震を受け、被災地支援業務のため富山県射水市へ。3度目の富山県、立山連峰は一度も拝むことができなかったが、これまで知らなかった富山県を色々知ることができた。任務を終えて帰青した直後の29日に53歳の誕生日を迎えたが、所詮は毎年当たり前に繰り返される+1の足し算。

【2月・二六時中】母の生まれ故郷・(旧)合川町(北秋田市)での開催された林弘樹監督作品「惑う」の上映会に出向く。会場に母を連れて行かなかったことを悔いたが、久し振りの再会もあり、心の洗濯に。

1月2月。富山県射水市にて能登半島地震の支援業務を行い、北秋田市にて懐かしい面々と再会。

【3月・三寒四温】恐らく人生最後となる新型コロナウイルス感染症のワクチン接種。振り返ると、コロナに振り回された数年間。失ったものが多過ぎて、得たものは何もなかった。でも、あの数年間は自分の糧にするしかない。中旬には定例異動の内示。所属は変わるが、4月からも同じフロアで9年目を迎えることに。ただ、2年間で大した成果や実績を挙げたという気分には程遠く、モヤモヤを残したまま異動となった。

【4月・四面楚歌】昨年5月に引き続き、The Street Slidersのライブを日比谷野音で鑑賞。色々気になるところはあったが、ライブ自体はとても良い内容だった。23日、高校生の頃から尊敬そして敬愛する弘前の音楽番長がパーソナリティを務める、地元コミュニティFMの番組にゲスト参加、プリンスを1時間にわたって紹介。選曲まで任され、ホントに楽しかった。
そして4月最終日、3月まで一緒だった元同僚の突然の訃報に接し、激しく動揺そして狼狽。

3月4月。弘前市で名画を放映し続けてきた映画館が閉館。日比谷野音を初めて訪れたあとは、プリンスをテーマにラジオで放談。楽しかったなあ。

【5月・五里霧中】別れがあれば出会いもある。お初にお目に掛かります、お久し振りです!が多かったこの月。19日は八戸市で開催された「うみねこマラソン(ハーフ)」に、約10年振りに参加。が、自己ワーストのタイムで走り終えた後、明らかに熱中症と思われる症状に見舞われ、フラフラになりながら電車を乗り継いで帰宅。その3日後、初めて警察官から一時停止違反の反則切符を切られた。35年にわたり維持してきた無事故無違反が遂に途絶えた。

【6月・六根清浄】4月から相次ぐショックも癒えぬまま、仕事に追われる。肉体的というよりも、精神的な疲労や苦痛が絶えない。4月以降、3か月連続で下北半島の自治体を訪問。結局8月を除いて11月まで訪問することとなった。

5月6月。久し振りのうみねこマラソンは、まだ元気だった頃。こんなに輝く宝石みたいなサクランボは初めて見た。26年、青森県で国スポ障スポ開催です。

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20241208 吉川晃司 40th Anniversary Live at あきた芸術劇場ミルハス

2023年1月に仙台サンプラザホールで、約29年ぶりに、吉川晃司のソロコンサートを観た。2011年に東日本大震災の復興支援として開催されたCOMPLEXの「日本一心」は2日続けて観たのに、なぜか吉川晃司本人のライブにはなかなか足を運ぶことができなかった。僕自身も50代半ばに差し掛かり、いつどうなるかわからない。なので、観たいと思った時がタイミング。秋田で彼のコンサートが開催されることを知り、再び足を運ぶことにした。

ツアー用のトレーラの前では、多くのファンが記念撮影

2023年の仙台公演は、色んな意味で忘れることのできないものとなった。今回は何事もなければいいのだけれど…と思いながら迎えたライブ当日。雪が積もったので、秋田に向かう奥羽線の運行状況を確認して愕然とした。なんと、青森と秋田の県境付近で架線に支障物がある(恐らく雪の積もった枝か何かが倒れ掛かったのだろう)とのことで、始発から運転見合わせ。運行再開予定が9時になるという。しかし、全くこの予定はアテにならない。下手をすれば午後までずれこむのではないか。となると、この日の行動計画がすべて水の泡となり、ライブの開催に間に合うかさえも怪しい。ううむ。こうなったら少し早めに秋田に向かうことにするか。

しかし、9時30分過ぎに弘前を出発する特急が運休になったことを知る。ええっ?何で?
嫌な予感は的中し、9時の運行再開予定が12時へと変更になっていた。やっぱり…。
かといって車で向かう選択肢は考えられず、新幹線を乗り継いで向かうべきか。いや、ひとまず予定通り11時30分過ぎに弘前を出発する電車に乗り、あとは運行再開を待つことにしよう。
どうもケチがつくなあ、と思いながら11時過ぎに弘前駅へ。秋田方面に向かう電車はしばらく運転を見合わせる、とアナウンスされている。

ところが、神様はまだ見放していなかった。青森から電車が到着するタイミングで、事態が好転。なんと、電車は時間どおりに運行するという。おお…運が残っていたぁ。

秋田駅の改札口前に鎮座するなまはげのモニュメントがお出迎え

結局秋田駅には10分ほど遅れて到着。終演後に駅ビルの3階で一献興じることを決めていたので、会場までの距離感を掴もうと、徒歩で会場を目指す。

会場近くにて。時折雪が降り、寒いことには変わりなし。

10分ちょっとで会場に到着すると、ちょうどグッズの先行販売が行われていたようで、思わず列に並び、グッズ数点を購入した。

各会場限定のバッジのほか、Buffとのコラボとなるネックウェアも購入。

開演15分前に会場に入る。前から14列目の左端という座席。ステージがバッチリ見える。前回の仙台公演での重複発券が頭をよぎるが、今回は大丈夫だったようだ。同年代かそれ以上、そして男女満遍なく会場を埋め尽くしている。僕みたいな「おひとり様」での参加も結構いるようだ。

会場にはポスターの掲出もなく、これだけが貼りだされていた。

17時過ぎ、いよいよ客電が落ち、ライブが始まった。

【以下、多少ネタバレがあります。】
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2024年の走り納め #第38回NAHAマラソン(後編)

前編から続く)

10㎞過ぎまでは努めて冷静に、リラックスしながら走っていたのだが、そう簡単に事が運ぶはずもなかった。

【走り方を忘れた?】
15kmを通過した辺りから、足裏に少し違和感を覚え始めた。いつも準備していたワセリンを今回持参していないことに、大会当日の朝になって気付いたという失態。恐らく、終わる頃には足裏に水ぶくれができていることだろう。

前半はずっと上り基調のコース。最高地点は20㎞の手前となる。相変わらず老若男女問わず、たくさんの方々が沿道から声援を送り続けている。17㎞付近でコース最南端に到達し、右折すると上りに入る。この辺りから、少し余裕がなくなってきた。追い越すよりも追い抜いていくランナーの方が多くなってきた。ただ、それすらも別にどうでもいいと思い始めるようになってきた。とにかくゴールさえできれば、今日はそれでいいのだ。ただ、上半身と下半身が連動していない違和感がある。走り方を忘れてしまったのかも知れない。
20km手前の上り、いよいよ息が切れる。集中力が散漫になってきた。ヤバい、と思ったところで沿道から声が掛かる。

「最後の上りです!あとは下るだけ!」

走るペースを落とし、一度歩きながら息を整える。足が止まったわけではない。大丈夫、まだ行ける。

【何とか中間地点通過】
20km通過は1時間50分。ここからしばらく惰性で下り坂を走り続ける。
中間地点の平和祈念公園に差し掛かると、せっかくの日曜日なのに、沿道の小中高生はどこの誰なのかも分からないランナーのために、なりふり構わず声援を送ってくれる。それが何だか嬉しくて、グッと胸が熱くなる。
しかし、22kmを過ぎた辺りでいよいよ足が動かなくなってきた。左の足裏はかなり火照っている。思わず沿道の方からコールドスプレーを借りて両脚に噴射する。
これで少し和らいだのか、再び足が動き始めたが、その効果も短時間だった。

【遂に発見!そして、悪魔の囁き】
25km手前、ひめゆりの塔付近に到達。見つけた大きな私設エイドで思わず足が止まった。
念願の「沖縄そば」だ!3度目にして、ようやくこのエイドを見つけた喜びで、自分の中の悪魔が囁いた。

のんべ
のんべ
ここまでご苦労さん。暑いし、無理するな。

この後はファンランに切り替えようよ、と早くも妥協。

有名なエイドをようやく発見!念願の沖縄そばにありついた25km付近。

28km過ぎ、左手に広がる海に再び足が止まる。スマートフォンのカメラを向けていると、「撮りましょうか?」と声を掛けられる。嗚呼、私は何をしているんでしょう。

28km過ぎ。コースから海を眺めることのできる数少ないポイント。

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2024年の走り納め #第38回NAHAマラソン(前編)

昨年12月、「NAHAマラソン」に出場した。コロナ禍を経て、久し振りのフルマラソンに心が躍った。
結果はともあれ、走り終えた後、実年齢にもう少し抗いたい、声援に最後まで応えたい、そして来年は今年の自分に打ち勝つ、という想いを抱いた。

【“中高年の修学旅行”を口実に】
そんなわけで今年も「中高年(後期高齢者の母77歳を含む)の修学旅行」という大義名分で、2泊3日というショートとなってしまったが、沖縄を訪れる「ついでに」NAHAマラソンに出場することにした。

NAHAマラソンは、沖縄全県を挙げた年に一度の「お祭り」みたいなもので、その雰囲気を一度味わうと、他の大会に物足りなさを感じるぐらいホスピタリティの充実した大会だ。
大会の前日そして翌日の地元ラジオのネタはNAHAマラソンの話題で持ちきり、さらに大会当日、地元の放送局(琉球放送・TBS系)ではスタート前からテレビで生中継(11時30分まで)、ラジオではなんと7時間半にわたって生放送が行われるのだ。
それぐらい熱量のある大会だし、スタートからゴールまで途切れなく続く沿道の応援を「日本一」というランナーがいるのも頷ける。

【しかし、完走できるのか?】
2024年の月平均走行距離は98.6km。11月は127.5km。11時間40分しか走っていない。
これでも昨年同時期と比べたら月平均で10km以上長く走っている。
走る時間を生み出すのが難しくなっている(というより走る時間を生み出す努力を怠っている)中、計画も何も練らぬまま、ただ漫然と練習に取り組んでいたようでは、結果が出るはずもない。

付け刃ではどうにもならないのがマラソンだ。それは自分が一番よくわかっているつもり。結局、練習不足にも程があるということで、今回は練習を兼ねたレース参加、という位置付けにした。とにかく力まず、リラックスしながら走ることに比重を置いて。
何せ10月の弘前・白神アップルマラソンは直前のケガで出場できず。まあ、今になって思えば出場しても完走すら怪しかったわけで、ようやくケガが落ち着いて練習を再開した頃には、既にNAHAマラソンの開催まで約1か月と迫っていた。
独りで練習することによって甘えも出るだろうし、そんな状況で大会に出るなんて!と思う人だっているかも知れない。でも、それを受け入れてくれるのがNAHAマラソンだ。
直前に抗っても無駄だとは知りつつ、水曜日から酒抜き、木曜日からカフェイン抜き。

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