僕には年の4つ離れた妹がいる。
あまりにも顔が似すぎているらしく、僕の妹だということは誰にでも簡単に判別できるらしい。
妹は、弘前市内の某大学を卒業後、あっさりと上京した。いろんな思いが交錯した結果として上京を決めたようだが、今までその理由を積極的に聞こうと思ったことはない。ただ、確か亡父が市議1期目に、ゴタゴタに巻き込まれて失職したことが、一つの契機になったと記憶している。
折しも妹が上京を決めたのは、僕が新婚にもかかわらず八戸市へ単身赴任していた1年目。しかも僕の妻は結婚して直後に、積極的に我が家の両親そして妹と同居を始めていたこともあり(このおかげで親戚や知人の間では、妻の評価が急上昇した)、妹は、独り取り残されることとなる妻と、うちの両親との関係を少しだけ気にしたらしい。まあ、結果的にそれは杞憂に過ぎなかったわけだけれど。
更に僕はちょうどその頃、どうしようもないぐらい心身のバランスを崩していていて、とても妹の上京にああだこうだと口を挟める状態ではなかった。
そんなわけで、妹がどこに行き、何をするのかもよくわからないまま、僕が2年間の単身赴任を終えて弘前に戻ってきた頃には、当然ながら妹の部屋はもぬけの殻となっていた。
やがて母にとって妹のところを年数回訪問するのが数少ない楽しみとなり、父も上京するたびに都合を付けて妹と会っていたようだ。もちろん僕も出張で上京した際には、友人や知人に会うよりも妹と会うことを最優先させていた。
今思えば、我々はそれだけ妹のことが気になっていたし、妹も弘前に住む我々のことを気にしていたということなのだろう。
その間、妹は卒業直後から勤めていた会社を辞めて転職したが、転職先は必ずしも居心地の良い職場とは言えなかったようだ。
そして3年前の父の死、東日本大震災、更には原発事故と、取り巻く環境がどんどん変わっていき、妹の心境も徐々に変化したようだ。
いつかは帰ってきたい、という思いはあったようだが、そのきっかけを見出せぬまま過ごしてきた十数年間。
いろんな葛藤もあっただろうし、東京を離れるという寂しさもあるだろうが、ようやく意を決し、その生活に別れを告げ、妹が今日帰郷する。
一番の要因は、弘前市内在住の、とある男性との出会いだったといっても過言ではないだろう。妹の男運には興味がなかったが、僕と父と対等に会話するうちにどんどんオッサン化していく妹を見ていると、「果たしてこいつは嫁に行くことができるんだろうか?」と思ったこともしばしば。
ここでは言えないが、実家に戻ってくると、ここぞとばかりに女性らしさを欠くような言動を繰り返す妹に、こいつを嫁に貰ってくれる男性なんぞ現れないんだろうな、と、正直僕は諦めていた。実は妻も同じように思っていたらしいが。
それが、とある男性とひょんなきっかけで交際を始めた妹、ついには婚約にまでこぎ着けてしまったのだから、運命というのはどう展開するのか本当にわからないものだ。
妹は、しばらくの間実家で同居することになるようだが、やがて家を出て、新しい生活を始めるようだ。
いうまでもなく一番喜んでいるのは母であり、そして亡父だと思う。
…いや、もっと喜んでいるのは、相手の男性かな(笑)。
まあ、「たられば」を言い始めればキリがないのでやめておくとして、母にとっては「年数回の上京」という楽しみの一つが減ってしまうわけだが、身内が一人近くにいるというだけでも、気分的にはかなり楽になるのではないかと思っている。
あとは、何とか順調に事が進んて、妹の名字が無事に変わることを願うだけだ。