日別アーカイブ: 2013-11-15

市街地の中の「限界集落」

隣に住む一人暮らしの男性が、亡くなった。80歳と聞いて驚いた。とても80歳には見えないぐらいピンとしていて、若々しさがあるオジさんだった。

今年の夏頃にガンが見つかり、抗がん剤投与を始めたと聞いていた。「酒もタバコもとっくの昔にやめたのに。」と嘆いていたという。外に出ては庭いじりや色んなことをしていたオジさん。昔はいかにも頑固親父といった感じで、口を利くのも憚られるぐらい、他人を寄せ付けないオーラを発していた。まるで社交性がなく、見かけてもほとんど挨拶すら交わすこともなかったそのオジさんが僕に声を掛けてくるようになったのは、僕の父が亡くなってしばらくしてからのことだった。

冬になると、自宅前の広い駐車場の敷地(車4台を駐車することができるため、お隣の蕎麦屋に貸していた)を一人で雪かきしていたオジさん。

「いやあ、今日も随分積もったなあ!」

寝坊した僕が外に出て雪かきを始めると、必ず声を掛けてくれたオジさん。
時には、うちの敷地の一部まで雪かきしてくれていたこともあり、平日の早朝に除雪車が去った後、家の前に残された雪をどける際に、せめてものお礼とばかりに、オジさんの敷地の前に置かれた雪をちょっとだけ寄せていた。

今年の春、まだ雪が残っていた頃のこと。

「ちょっと、入ってお茶でも飲んでイガネガ。さあさあ…」

道路端の駐車スペースの雪を片付けていた僕に、オジさんが突然声を掛けてきた。
これまで、幾度となく母が「隣のオジさんに声掛けられて、お茶を何杯も飲んできた…。」と苦笑いしていたことがあったが、まさか僕が声を掛けられるとは思わなかった。

独り暮らしの寂しさということもあったのだろう、招かれるがままにオジさんの家に上がり込み、湯飲みから溢れんばかりに注がれたお茶と大胆にカットされた羊羹、そして自宅裏で採れたブドウで作ったというジュースをごちそうになった。もっとも、ジュースは既にかなり熟成が進んでいて、ワインになりかけていたんだけど…。

ご自身の話、遠方に住む息子さんの話、そしてお孫さんの話…オジさんの話は尽きなかった。多分、僕が「そろそろ…」と言わなければ、オジさんはずっと語り続けていただろう。それだけ人恋しく、誰かと会話をしたかっただけなのかも知れないが、なぜ僕を招き入れたのかは、結局聞くことができなかった。

季節は過ぎ、秋頃から、夜になってもオジさんの家の明かりが消えたままの日が多くなった。
母がオジさんから直接聞いたところでは「数日間検査入院していた」「抗がん剤の治療をしていた」と、体調が思わしくなかったようだ。

あれほど庭いじりが好きだったオジさんの姿をあまり見かけなくなり、たまにこちらから「こんにちは」と声を掛けても、後ろを向いたまま「ああ、どうも…。」と、こちらを避けるようになったオジさん。

先週金曜日(8日)のあたりから、またオジさんの家の明かりが消えた。
そしてその明かりは、二度とつくことはなかった。

…遠方に住む息子さんとともに、無言の帰宅をするまでは。

オジさんは、自宅でひっそりと息を引き取っていた。
いわゆる、孤独死だった。

「抗がん剤の治療に来るはずの患者さんが姿を見せない」という一報が病院から関係機関に寄せられ、オジさんの家には救急や警察の車両などが駆けつけたそうだ。

僕がオジさんの自宅に明かりが灯っていないと気づいた金曜日から5日後、水曜日昼前の出来事だった。

うちでは「また電気ついてないね。入院したのかな。」という話になったが、何となくイヤな予感がしていた。
あの几帳面なオジさんの家の風除室に、無造作に長靴が置かれていたことが、妙に気になったのだ。ついでに言えば、何となく誰かがいるような、気配のようなものを感じていたのだ。

なので、水曜日の昼過ぎに、母から訃報を聞いたとき僕は、思わず「やっぱり!」と口走ってしまった。そしてあの時、次の行動を起こせなかった自分を責めた。オジさんが、自宅で亡くなっていたなんて…。
鈍器で頭を殴られた後に鳩尾に打撃を食らったような、そんな激しい心の痛み。

気になったあの時、呼び鈴を押していたら、家の中へ声を掛けていたら、ひょっとしたらオジさんの異変にいち早く気づけたかも知れないのに。 そうしたらオジさんは助かったかも知れないのに…。

…しかしこれまでも、こちらからの好意をやんわりと拒絶し、そして社交的な付き合いを拒み続けてきたオジさんにとって、僕らがオジさんの聖域(自宅)にずけずけと乗り込むことは、オジさんのプライドが絶対に許さなかったことだろう。今更「たられば」の話をしても、キリがないのだ。

実は先週金曜日の頃から、僕はひどく落ち着かなかった。心も体調も万全ではなく、文字通り心身ともにスッキリしない日が続いた。しかし、オジさんが自宅で見つかり、無言の帰宅をした後は、不思議とまた落ち着きを取り戻しつつある。

今思えば、あれはオジさんからのサインだったのかも知れない。

オジさんは今日、息子さん一家の手によって、ひっそりと荼毘に付されたという。
最後までオジさんらしさを貫き通した旅立ちだと思った。

合掌

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…また、町内から一人いなくなった。

ふと、町内を見渡してみる。
お年寄りだけではない。若い人たちもどんどんいなくなっている。
向こう三軒両隣と言われていたのは過去の話、近所同士のコミュニケーションも薄くなり、すっかり町内が高齢化しかけていることに気がつく。少なくともうちの両隣の家は、まさに今、もぬけの殻になろうとしている(実際、うちから信号までの間にある2軒の家は、今、誰も住んでいない)。

ここ10年の間に、我が家を含む近所のほぼ毎戸で誰かが亡くなった。しかし、誰かが引っ越してきた、帰ってきた、という話を聞いたことがない。
幼かった頃に一緒に遊んだ近所の子どもたちは皆いなくなり、そして今後も、恐らくこの町内に戻ってくることはないだろう。つまり、僕が馬齢を重ねていくにつれ、この町内からは確実に人が減っていくのだ。
かつて溜まり場だった駄菓子屋、小売店、文具店、遊び場にあった遊具も、今は昔。
…店は消え、遊ぶところもなくなった。

高齢者ばかりが生活する町。
一時期、地方、とりわけ中山間部に存在する「限界集落」がクローズアップされたことがあったが、それと同じような状況が、今まさに市街地でもひっそりと始まっているのだ。「限界集落」のみならず、急加速する「限界市街地」の拡がり。

高齢者同士が手を取り合い、見回り隊を結成し、お互いの生存を確認し合うという時代。

やがて町内には、主(あるじ)を失い廃墟となった家が増え、荒廃した土地が拡がり、目も向けたくないような光景が広がるかも知れない。恐らく、久しぶりに自分の生まれ故郷(町内)を見た人たちは皆、きっとビックリするはずだ。
…既に始まっている地方でのドーナッツ化現象が、ごくごく身近な範囲で起こり始めていることに気づいたら、何か背筋がゾッとするような思いがした。