弘前市議会から、議会最終日に父に対する追悼演説を行うという申し出があり、母と二人で弘前市役所に出かけた。
思えば、父の在職中も含め、議場(傍聴席)に足を踏み入れた記憶がない。今更だが、父の一般質問を一度でもいいから聞いておけば良かったと思った。
父が座っていた20番の席には、綺麗な花が手向けられていた。そこに父の遺影を飾り、父、母、そして僕の3人でカメラに収まった。
しかし、父は額縁の向こうで微笑んでいるだけだった。
その後、父が腰掛けていた20番の椅子に座らせて貰った。母はやはりまだ父の死を現実として受け入れることができないらしく、椅子に腰掛けたまま泣いていた。
一旦控え室に戻り、事務局の方からいろいろ思い出話を聞かせて貰った。議場では熱く弁をふるっていたこと、真摯に議会の運営に取り組んでいたこと、そして決して信念を曲げなかったこと、その思い出話の一つ一つは、僕の知らない父の姿だった。
その後、議会運営協議会を終えたばかりの議長がわざわざ来て下さった。議長と父とは、古くからの知り合いで、今回の件についても議長は「残念でならないし、未だ信じられない。」とおっしゃっていた。やはり母は涙をこぼしていた。
「頑張って下さい。」とがっちりと握手し、議長が部屋をあとにした。
午前9時50分。議場の傍聴席に向かう。傍聴席には既に10名ほどの人が座っていたが、我々の知る顔は二人だけで、あとは委員会報告を傍聴しにやってきた人たちと見受けられた。理事者(役所の幹部職員)のほとんどは席に着いていた。最前列中央に席を用意して頂き、お礼の意味も込めて深々と頭を下げると、理事者側に座る人たちも全員こちらに向かってお辞儀して下さった。
次々と入ってくる議員の多くも、父の遺影を見て感慨深げな表情を浮かべる。中には、こちらの存在に気づき、お辞儀をしてくる議員もいた。
10時過ぎ。開会の鐘が打ち鳴らされ、議長から「去る9月7日に逝去した蒔苗宏議員に対する追悼の演説の申し出がありましたので、議長からこれを許可します。29番藤田隆司議員。」
藤田議員の登壇とともに、我々二人もその場に起立する。
藤田議員による、これまでの父の功績を称える演説に、母は涙し、僕も涙が溢れそうになった。
僅か5分程の演説ではあったが、実にありがたい言葉だった。
空席となった20番の席については、任期満了に伴う2010年の市長選と同時に市議の補欠選が行われるそうだ。
誰が座っても、市の発展のために尽力して頂きたいという想いと、議員としての父への慰労、そして現職議員の方々の益々の活躍を祈念して、深く一礼し、議場を後にした。