gremz 絶滅動物
昨日、母と2人で祖母の様子を見てきた。
昨年11月末に腹痛を訴え緊急入院し、手術しなければならないという話を聞かされ、一時は覚悟をしたものの、その後奇跡的に回復し手術も回避、退院後の現在は老健施設への滞在と自宅滞在を交互に繰り返している。
今年の1月で、祖母は92歳になった。
さすがに90歳を超えるとあちこち支障が生じても仕方がないと思ってはいるが、いざ手術だ何だという話を聞かされた時は、正直言って肝を冷やした。
僕自身、ここ数年は祖母宅に頻繁に足を運んでいるわけでもないので、祖母が果たして僕のことを覚えているのか、というのが毎回訪問のたびにドキドキする一つとなる。
といっても約半年前には祖母と会っている。今回はさすがに大丈夫だろうと思っていたが、祖母宅を訪れると、従姉から「あんたの顔、覚えていないかもよ」とニヤリとされた。
家の中に入ると、祖母は車いすにちょこんと座っていた。約半年前より、幾分また小さくなった感がある。僕の顔を見るなり、「あれ、しばらくだのぉ。」
よかった。どうやら僕のことを覚えていてくれたらしい。
その後、祖母といろいろ話をしてみたのだが、耳は聞こえるし目も見えている。92歳にしては(恐らく)意思表示もしっかりしているし、こちらからの呼びかけにもすぐに反応する。
ただ、どうやら一部回線がショートしているようで、食事をしたことをすぐに忘れ、とにかく何でも食べたがるらしい。実際、我々がいる間もずっと「今日は何も食べてないんだよ…。」と譫言のように呟き、「一口何かあればなぁ…。」とほざいている。祖母と同居している伯父や従姉の話では「ちゃんとご飯は食べた。」という。
その姿を見て母は、「もうお腹いっぱい、これ以上いらないって言うまで何か食べさせてやりたいね…。」と嘆いていた。
一度祖母を寝室まで運び、寝かせたのだが、程なく声が聞こえ始めた。
「おにいちゃん(祖母は僕のことを「おにいちゃん」と呼ぶ)!おにいちゃん!頼むから手を貸してちょうだい!」
何事かと思い祖母のいる部屋に行き、「どうしたの?」と尋ねると、「みんなのいる部屋に行く」という。
そりゃそうだ、一人ポツンといるよりは、人のいるところにいたいのだろう。手を差し出すと、祖母は僕の手をギュッと、力強く握りしめた。
ところが、その後どうしたらいいものか、僕は途方に暮れてしまった。車椅子まで運びたいのだが、どうやって運んだらいいのかわからないのだ。「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
騒動に気づいた従姉が駆け込んできた。
「ばあちゃんは腰を上げてやらないと起きられないの。ヨイショ!」
その小さな身体のどこにそんなパワーを秘めているんだ?というぐらいの力が有り余っているのか、それとも単なるコツなのか、従姉は祖母の腰のあたりを掴むと、祖母を車椅子に乗せた。僕はその間、ただ祖母の手を握っていただけだった。ただ、祖母は自らの意志で足を上げ下げすることもできることがわかったし、まだ手を握りしめる力も十分あることを知った。長時間横になっているせいで、腰が弱くなってしまっているのだろう。腰のパワーが回復すれば、また自らの意志で歩くこともできるかもしれない(まぁ、それは期待できないことではあるけれど)。
その後、母の兄(つまり伯父)夫婦も到着し、その日の本題について話が交わされた。その間僕は別室から、飼い犬と戯れていた。
ここの家の裏には第三セクターのローカル線が走っていて、僕はこのお陰で一時期本当に鉄道が大好きになったことがある(といっても結構長い期間だったが)。踏切の音が聞こえると、こんな感じで、1両ないし2両編成の列車が横切る。
結局祖母は、近々隣村にある特別老人養護ホームへの入居が決まりそうだ。それは、祖母の残り僅かな最後の人生を、ホームで過ごすということを意味する。
祖母宅に向かう途中、この話を聞いたが、既に母の腹は固まっていたようだ。
少なくとも、祖母と別居している私たちが口出しできる問題ではなく、同居している伯父と従姉に任せる、というのが母の思いであった。
「牢屋に入れられる訳じゃないし、施設の了解さえ得られれば、外泊許可を取って短期間またここに戻ってくることだってできるんだから。」
自分自身を諭すように、母に話した。
「そうだよね、うん。」
母も、自分自身を納得させるかのように強く頷いた。
しかし、いざ特養ホームに行くことになるということが決まった途端、一抹の寂しさもこみ上げていたようだ。
母が問いかける。「婆ちゃん、弘前に一緒に行くか!?」
以前の祖母であれば、我々が問いかける前に「足腰が良くなったら弘前に行くから。」と言っていたのに、しばらくの沈黙の後「….いや、いいわ。」と答えた。
一瞬、母の表情が曇った。
祖母の言葉を打ち消すように僕が続けた。
「また調子がよくなったら来ればいいよ。」
「うん。」
どうやら来る気はまだあるようだ。
「それじゃ婆ちゃん、また来るからね。元気でね。」
「そうか、帰るか。あなた達も道中気をつけて。」
92歳の祖母には、我々を気遣うだけの余力が残っている。
「じゃ、バイバイ。」
訪れた時と同じように、車椅子に座る祖母に小さく手を振る。
「はい、バイバイ。」
祖母も、僕に手を振った。その手は力強く、しっかりと振られていた。