gremz エコバッグ
その人は、僕の青春時代に大きな影響を与えた人であり、僕が洋楽にどんどん興味を示すようになった中学から高校時代にかけて、いろんな情報を提供してくれた人だった。
その人を初めて見たのは約25年前。
弘前市内にあった「ハイローザ」というファッションビルで行われたラジオの公開録音が最初だった。
その人は地元放送局の、ラジオのDJだったのだ。
金曜の夜は、その人のラジオを聴くのが楽しみで仕方がなかった。夜な夜な勉強(?)の片手間に、ついには葉書職人よろしく何度もラジオ番組に投稿を重ね、採用された時には、レコードやCDから食料品雑貨に至るいろんなものを頂いた。そのコーナーだけををカセットテープに録音し、何本も編集したこともあった。
極めつけは、このラジオ番組から自宅に電話がかかってきたことだった。裏を返せば、それだけ一生懸命投稿していたということなのだろう。
12月末だというのに「あけましておめでとうございます!」から始まったその電話は、公開録音の収録中の一コーナーだった。「紅白歌合戦は、どちらが勝ちましたか?」などという無謀な質問、あれよあれよの間に始まったクイズは、こんな問題だった。
「餅米以外で餅を作っている米は、何というでしょう?」
わけもわからぬまま「う、うるち米?」と答えると、
「正解~!!それじゃ、何か送りま~す。さようなら~!!(ガチャン)」
「…..。」
何が送られてきたのかは忘れてしまったが、その日の電話でのやりとりは、正月の特番でOAされた(母親が電話口で戸惑っていると爆笑が沸き起こったり…)。
遅ればせながら届いた友人からの年賀状には「ラジオ聞いたぞ!」のメッセージや、冬休みが終わり学校に出てみると、たまたま聞いていた同級生から「あれ、お前だろ?」と突っ込まれたこともあり、恥ずかしくも何だか誇らしい思い出となった。
そんな僕の青春の一ページに大きな装飾を施してくれた、そして青森県内に「どんだんず~」ブームを巻き起こしたその人は、今では社内でもかなりの要職に就いていることだけ知っていた。
その方と、何と仕事でご一緒することになったのが、昨日のことだった。
とある審査委員を代理で仰せつかった僕は、八戸方面での企業訪問を終えた後、まっすぐその足で会場のある岩手県境に隣接する町へと向かった。
会場に到着し、控え室に案内され、審査要項やら原稿やらに目を通しながら、ふと審査委員長の名前を見て、思わず小躍りしてしまった。
H氏って、あのH氏?審査委員長!?え?ホントに!?動揺と緊張と興奮を抑えるのに必死だった。
程なく、H氏が到着。
「審査委員長がお見えになりました」
以前よりスマートになった分、白髪の増えたH氏は、25年前の雰囲気をそのまま醸し出していた。
平静を装いつつ、名刺交換。
席についたH氏、いきなり「坂本サトル君の実家はこのあたりですよね?ご存じないですか?」と尋ねるが、少なくとも僕の周りにいる審査委員と担当の方々(いずれも50代~60代)は、坂本サトルが何者なのかも知らぬ、といった表情を浮かべている。少なくとも反応をしていたのは、僕と地元の人だけだった(笑)。
その後約1時間20分、会場で発表を聞く。H氏は発表を聞きながら時折肩を震わせ、時折クスリと笑っている。隣に座る僕も、注意深く発表に耳を傾けていた。
すべての発表を聞き終え、控え室に戻り、審査を終えた後、ついに僕は我慢ができなくなり、H氏が一服している隣に座った。
「お疲れ様でした。」
「あ、どうもお疲れ様でした。」
「あ、あの…実は私ですね…」
中学高校時代とH氏がDJを務めていたラジオ番組(セイ!ミュージックフェロー!)のヘヴィリスナーで、何度も投稿をしたことがあること、直接自宅に電話を頂いたことがあること、その週の最優秀賞を頂いたことも一度だけあることなどを話すと、笑いながらもビックリしていた。
「で、読まれたネタってどんなネタだったんですか?」
「ええとですね…」
以下、賞をいただいたネタの概要を説明すると、
「あ、それ知ってる!あれ?確かCDに収録してますよ、それ。」
「マジすか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
何と、僕の投稿したネタはCDに収録されていたらしい。
図々しくもやんわりと、CDを入手できる方法がないか聞いてみたが、諸事情により会社には一切余剰在庫がなく、H氏も個人用のCDを1枚ずつ持っているだけだそうな。
ちなみに今月発売予定のCDは、シリーズ通算7枚目だそうだ。
今週のどんだんず LIVE DANZ! DANZ! DANZ!
価格 2,100円 発売元 青森放送㈱
青森県内のローソンで7/25(土)販売
その後約10分程度ではあったが、ラジオが置かれている現状、県内の動向、旬な人物のことや新幹線開業の話などを興味深く伺うことができた。
こちらからも、景気が悪くなると我々が忙しくなるんだということを話すと、なるほど、という表情で耳を傾けてくれた。
「いやぁ、会場で聞いた今日の話はネタにしたいなぁ…」
「是非、ネタにしてくださいよ!会場の皆さんも喜びますよ!」
「でも、僕がネタにすると、どうしても腐しちゃうんですよねぇ。」と、ニヤニヤしながら話すH氏。
そこには、審査委員としてではなく、まるで25年前のような童心に返り、一リスナーとして話に耳を傾ける僕がいた。
成績発表、講評などを終え、我々の役目は終了。
「今日、これから青森市内であおもり映画祭の司会なんですよ。すいません、今日はありがとうございました。私も勉強になりました。」
苦笑いしながら身支度を始め、颯爽と会場を後にするH氏。
それでは僕も、と会場を後にすると、まだH氏がそこにいた(というか、僕の隣に車を停めていたのだ)。
「お疲れ様でした。お気をつけて。」
「お互い気をつけて。あ、今後とも何かあったらよろしくお願いしますね。」
「は、ハイ。ありがとうございます!」
何があるのかわからないし、単なる社交辞令に過ぎない挨拶かも知れないが、何だか無性に嬉しくなり、喜びをかみ殺しながら、弘前までの帰路を急いだ。
橋本さん、いろいろとありがとうございました。いい思い出になりました。