#HOTEI Live In Japan 2019 GUITARHYTHM VI TOUR (7/27 弘前)


5月末に発売された「GUITARHYTHM Ⅵ」に合わせ、布袋さんのツアーが全国各地で行われている。

怒られそうだけど、もしこれが青森市や八戸市での公演だったら、あまり食指も動かなかったかも知れない。それが今回のツアー、何と家から約1kmのところにある弘前市民会館での公演が決まった。

こんな機会も滅多にあることじゃないし(11年ぶりだったそうだ)、これは行くしかないだろう!といち早くチケットを入手した。
弘前市の広報にも市民優先枠のチケットを販売することが発表され、1,400席にも満たない座席は早々に埋まり、かなり早い段階で完売御礼となったらしい。

今回のアルバムは意外なゲストが多く参加していて、その事が逆にこれまでのGUITARHYTHM シリーズとは一線を画しているといった印象があり、正直、最初の頃はあまり耳に馴染んで来なかった。

しかし今回のライブの主だったラインアップとなるのがそのアルバムからの楽曲であることを考えると、それなりに頭に叩き込んでおく必要があると思い、通勤の電車内でずっとループさせていた。

そして、時々これにデビューアルバムの「GUITARHYTHM」(個人的にシリーズの中で最高傑作)を挟むといったローテーションがメインになっていった。…結果的にそれが大正解だった、ということだけ触れておこう。

ということで、新しいアルバムはもちろん、GUITARHYTHM シリーズを改めて聞き直しながら、その日が来るのを楽しみに待ち続けた。

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富山に行って知ったこと


先日、急遽富山市へ1泊2日の行程で出張した。
富山市を訪問したのは2度目。前回は確か約20年前だったと記憶しているが、もはや何の出張だったのかも思い出せない。その時はまだ北陸新幹線が開業しておらず、羽田経由の航空機利用で富山に向かったこと、その際、まるで川の中に着陸するみたいで怖かったこと(実際、富山空港は河川敷に滑走路がある)、そして、何を間違えたのか予約したホテルが市内中心部ではなく、とんでもない郊外にあったこと。

あの時は富岩運河も訪れたが、それ以外の記憶が全くない。
誰と、何のために出張し、そして何を食べたか。

ということで人生二度目となる富山市出張、今回も超バタバタで実質の滞在時間は睡眠時間を含めて15時間程度。天気にも恵まれず、大した食にもありつけず、またしても苦々しい出張となってしまった。
合格できなかった第一志望の大学は北陸地方にあったし、石川県を訪れた時もいい思い出が一つとして浮かばない。どうも北陸地方は、僕自身にとって鬼門になっているらしい。

それはさておき今回の出張、移動に当たっては航空機ではなく東北・北陸新幹線を乗り継いだ。
新幹線での移動ならば…とモバイルSuicaで切符を購入したが、これが文字通り大誤算だった。

(1)新幹線の料金のこと
新青森駅から大宮駅までが14,710円、大宮駅から富山駅までが10,410円。北陸新幹線は、スーパーモバトクなる割引となっていた。計25,120円。

窓口で紙の切符を購入すると、新青森駅から富山駅までの乗車券が12,960円、東北新幹線の特急券が6,670円、北陸新幹線が6,240円。計25,870円となり、モバイルSuicaで購入した方がちょっとだけ安価となる。

帰路は何時の新幹線に乗車できるかわからなかったため、当日購入となった。結果、スーパーモバトクの適用がなかったため、北陸新幹線が11,580円、東北新幹線が14,710円で、計26,290円。紙での発券より高価となってしまった。

出張なので損得云々は別として、窓口で購入するよりモバイルSuicaの購入が高価になるのは計算外だった。

系統の異なる新幹線を乗り継ぐ場合は、モバトクの設定があるかどうかよりも、トータルで料金がどうなるのかをしっかり確認した方がいいことを学んだ。

(2)新幹線の編成について
気にする人はほとんどいないと思うが、今回乗車した新幹線はすべて車両の仕様が異なっていた。
往路の新青森から大宮までがH5系、大宮から富山までがE7系、復路の富山から大宮までがW7系、そして大宮から新青森までがE5系。
何かの暗号みたいだが、HがJR北海道、EがJR東日本、WがJR西日本所有の車両となる。東北新幹線、北海道新幹線の違いは、車体に描かれているラインの色が異なるので一目瞭然。
このうちH5系の編成はまだ車内Wi-Fiが整備途中で、実際僕が乗車したのも車内Wi-Fiの整備がされていない編成だった。

北陸新幹線のE7系とW7系、こちらもロゴマークの色に差異があるようだが、乗車した編成の会社が違うということに気づいたのは、提供している車内Wi-Fiサービスが、往路はJR-EAST、復路がJR-WESTと異なっていたから。ちなみに、東日本と西日本のエリアをまたいでも接続はされます(ただし、トンネル内など不感地帯多数あり)。
余談だが、乗車した「かがやき(東京~金沢)」の停車駅は上野、大宮、長野、富山のみで、JR東日本とJR西日本の乗務員の交代が長野駅で行われていたのもちょっと意外だった。越後湯沢で乗り換えて金沢を目指したあの日が懐かしい。(もう忘れたけど。) “富山に行って知ったこと” の続きを読む


令和最初の鏡ヶ丘同窓会の担当幹事を平成最初の卒業生が務めた、という話


※最近は極力2,000字前後、原稿用紙5枚程度に投稿を収めていますが、今回は溢れ出る思いを止めることができませんでした。原稿用紙10枚分。敬称略と長文駄文御免でござる。

平成元年3月に僕が青森県立弘前高等学校を卒業した時、同期生が約360人いた。しかし、卒業後は点でバラバラとなった仲間たちがどこでどんな生活を送っているのかは、知る由もなかった。

平成3年の時、ふと思い立ってクラス会を開催した。成人式を迎えて20歳を過ぎたということで、担任の先生を呼んで酒を飲み交わす。やってみたいと思っていたことの一つだった。しかし、酒が進むうちにトラブルが起きた。そしてそのトラブルの中にいた一人が、のちに一平会会長となるMだった。

結果的にこの飲み会が、一平会への布石となった。

父から、卒業生は高校の同窓会で当番が必ず回ってくることを聞かされた。折しも、父の学年が当番を務めて直後のことだった。

これは、何か手を打っておいた方が良さそうだな。
そう思った僕は、同じクラスの畏友数名を巻き込み、同期会を開催する計画を立てた。

開催に漕ぎ着けたのは、26歳か27歳の時だっただろうか。3年時の担任8名にも声を掛けた結果、7名の担任が出席、50人ほどの同期生が一堂に会した。しかしこの時、残念ながら既に鬼籍に入られた仲間も数名いた。

初の同期会で、会の名称を「一平会」とすることが決まった。その他にも平一会、平元会などの候補があったが、どれになってもおかしくないぐらいの僅差だった。そして、事前に就任の内諾を得ていたMを会長に据え、僕は事務局という立場で会の運営に回ることとなった。

なぜ会長がMだったのか、ということをたまに聞かれるが、答えは簡単だ。
社会的な立場を鑑みるに、彼が適任者だったからだ。そして今となっては、彼が会長であることに異論を挟む者はいないはずだ。

正直言うとこの時は、当番幹事の同窓会で同期100人を集めることなんて充分可能だろうと高を括っていた。

その後も数年に一度という不定期で会を開催していったが、徐々に顔触れが固定化されていくようになった。

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