たまたま職場で回覧されてきたチラシに、目を奪われた。「~青森から政治と行政の質を変える~」というサブタイトルに興味を持った。何の予定も入っていなかったので、迷うことなく行ってみることにした。
東北オフサイトミーティング三沢勉強会で車を運転してもらったお礼、今日は僕がドライバー。ただしその時と違うのは、同乗者が平川市役所のSさんだけだということ。同業者の繋がり、とりわけ他の行政機関との方々との繋がりというのはなかなか構築できないけれど、そのきっかけを与えてくれたのは紛れもなくこのSさん。職場は違うけど同学年で入庁も同期、新採用研修で一緒だったという、大事な親友であり信頼を置ける「信友」でもあり、心を許せる「心友」だ。
さて、そのSさんと訪れた青森中央学院大学学術交流会館2階の921講義室は、相当数が受講することができる大きな部屋。そこに集まった恐らく県内外の地方議員であり、行政職員であり、そして一般市民の方が、開演を待っていた。
今回のフォーラムは三部制。
第一部は早稲田大学マニフェスト研究所所長である北川正恭氏による基調講演。
第二部は先進事例報告として、岩手県久慈市議会議長の八重櫻友夫氏と滝沢市議会議長の黒沢明夫氏による発表。コメンテーターは北川氏。
そして第三部は弘前市の葛西憲之市長、むつ市の宮下宗一郎氏に北川氏をパネリストに迎えてのパネルディスカッション。第二部と第三部のコーディネーターは青森中央学院大学専任講師の佐藤淳氏。
鉄は熱いうちに打て、ということで、以下聴講メモを起こします。
基調講演「分権時代の首長、議会の役割」
・タイトルにもう一つ、「市民の皆さんのあり方」もプラスしたい。
・地方、つまり都道府県や市町村、それに議会は大転換期を経た。
・軍事大国から経済大国へのシフト、吉田茂首相の頃、政治主導で大転換を行った結果、世界最高の長寿国家となり、近代民主国家が確立した。
・しかし、転機となったのが1991年のバブル崩壊。政治がサイクルで続くようになる(与野党逆転のこと)。
・かつては25人に1人で老人を支えていた時代。2000年を過ぎた頃から3人で1人を支える時代に突入。更に30年後は1.2人に1人が老人を支える時代が到来する。
・時代に合った社会の転換、政治の選択が求められるようになった。
・1994年に政治資金規正法と公職選挙法が改正され、中選挙区制が廃止され、小選挙区制へと変わった。
・1995年頃には、政治に対する国民の大不信が渦巻き(官僚が羽振りの良かった時代)、政治改革が進むこととなった。中央集権から地方分権へと移行。中央官僚が反省をし、今度は地方行政へのバッシングが始まった。
・でも、日本中(の行政)は、それ(裏金づくり、官官接待など)が正しいと思っていた。
・こうやって地方行政の執行部も変わったが、結局地方議会だけが変わらず残ることとなった。
・地方議会は一行政区による大選挙区制。これを中選挙区、いや小選挙区に換えるぐらいの改革をしなければならなくなる。
・根本的な変化の理由(1)情報化社会の構築。ネット社会の浸透により、年功序列が逆になった。家庭教育も逆。タブレットやスマートフォンの使い方は、親から子ではなく、子から親、孫から祖父母に教える時代。ネット社会は全てを明らかにする。ウソや隠し事はできない。
・根本的な変化の理由(2)役所の査定が変わった。(景気が?)右肩上がりだった頃は、団体の代表が役所に補助金をもらいに行く時代。民主主義の反対。つまり、「富を民に分配」していた時代。これがバブル崩壊により変わった。今は、政治が負担分配を民にお願いする時代。消費税増税や、年金の引き下げ。
・金が出せる政治行政が強かったのに、変わった。つまり、主権者が政治行政より強くなった。(負の分配から負担の分配への変化)
・政治が時季時季でお願いする時代から、約束する時代に変わった(平川市が悪例、とも)。
・津軽選挙の風土を変えない限り、何も変わらない。(道義的な責任)
・地方が説明責任を果たせなければならない。もはや国に責任転嫁はできない。
・集権から分権へとシフトした今、青森が自立しなければならない。自己決定、責任を負わなければならない。国へ依存からの脱却がされない限り、中央には勝てない。
・国が80%を握っていた機関委任事務から、法定受託事務・自治事務への転換。自己決定、自己自立が求められることとなった。
・昔の総合計画が縦割りだったことの弊害。国(各省庁)からもらった補助金のバラマキ。同じような道路が数百メートルの間隔で並行する無駄。
・こういった縦割り行政を追認する議会。執行権者たる行政の単なる追認機関としての議会。
・一方で、議員立法で条例立案をするケース。議会事務局のフォローもあった。
・首長は民を統括する責任がある。議会はその民を代表し、行政(首長)に意見を述べる合議制機関である。
先進事例報告「今こそ問われる地方議会のあり方~議会改革度ランキング全国最下位を脱出するために~」
ちなみに青森県は、早大マニフェスト研究所の調査によると、都道府県別議会改革度ランキングが4年連続最下位となっているそうだ。なお、正直申し上げて第二部の内容は、個人的にはあまり参考にならなかった。ただ、ふと思ったことは、きっと県内の議会や市町村が、こぞって住民とのワークショップをやりたがるだろうな、ということだった。
【久慈市議会】(議員数24名)
・議員と市民との話し合いの場(かだって会議)の開催
・議会全体での報告会と、市民とのワークショップ。
(北川氏コメント)
・女性の参加が多いワークショップ。
・一方で女性議員の進出が少ない。女性の方が多い議会は大磯町議会。葉山町議会が男女同数。
・「久慈市議会じぇじぇじぇ基本条例」の策定。議会全体で事務局、議運と一体的に取り組んだ改革。
【滝沢市議会】(議員数20名)
・日本一人口を抱えていた5万5千人の村が、平成26年1月1日に市制施行。
・通年議会を実施。予算決算委員会も特別委員会から常任委員会へ。広報広聴も常任委員会。
・議長選出は立候補制。所信表明を行う。(久慈市議会も同様)
・議会改革は目的達成の手段。
・市民にわかりやすく、市民が参加したくなる議会を目指す。議会モニター、議会サポーター、議会アドバイザーなど。
(北川氏コメント)
・滝沢村の時代、村長が本気で「日本一の住民自治」を目指した。その成果として、議会も日本一を目指している。
・地方議会は定例で4回と臨時で1回が通例となっているが、議会の回数は自分たちで決めればよい。しかし、議会の招集権は首長。それも議会が認めている。
・最近通年議会が増えている。
・かつては質問も答弁も執行部が作成。議会が学芸会以下といわれたこともあった。
・議会が良くなれば、必ず執行部も良くなる。
パネルディスカッション「最小の費用で最大の効果をあげる自治体組織のあり方~首長のリーダーシップと人材マネジメント~」
(1)イントロダクション
弘前市長
・管理型から経営型の行政へ
・行政と市民の化学反応が始まっている。
北川氏
・ヒトとお金にモノがついて、経営資源となる。
むつ市長
・リーダーシップは「Performance」「Negotiation」「Relationships」。
北川氏
・市政だよりは、行政は「やっている」けど市民は「読んでいない」。
・条例も「作りました」けど「誰も知らない」
・職員が自由自在に動き回れるような役所にして下さい。(風通しの良い役所)
(2)市長に求められるリーダーシップ
むつ市長
・市民の代表であり、市役所の代表であり、下北地域の代表
弘前市長
・時には立ち止まり振り返ることも必要。
・利益の分配だけでなく、不利益の分配もできるだろうか。
北川氏
・分権時代の首長のミッションは、縦割り行政の弊害により方向がバラバラになったのを、全体最適の方向に導くこと。
・これができないと中央集権には勝てない。(限りある中での資源配分、ということのようです。)
・「見える化」により説明責任を果たす。
・各部長は予算を取りたがるが、それが部長の仕事ではない。市長は、不利益の配分を行うことで、効率化を図る。
(3)市民の力を最大化する
弘前市長
・広報広聴を広聴広報に改めた。まずは聴く。
・市民によるNPOや団体を巻き込みながら化学反応が始まっている。
・目下の悩みは「スクラップ」をどうするか。
むつ市長
・4つの視点。市民目線、市長目線、現場主義、日々における仕事のカイゼン
・弘前市に比べるとまだ取組は初歩的。色んな場所に顔を出し、参加して市民とコミュニケーションを取る。自分の人となりを知ってもらう。
北川氏
・スクラップ・アンド・ビルドをビルド・アンド・スクラップに改めた。
・下北のジオパークは是非ともやって欲しい取組。
・牧之原市は町内会でワークショップ。やがて市、県、国を巻き込んだ。
・若い人が中心となったワークショップ。市長や副市長も同席するが、発言させて貰えない。
・大人の会、子どもの会ができあがった。
・ファシリテーターの役割が凄かった。役所の人間がその力を付ける必要がある。
(4)最後に
弘前市長
・20年後を見据えて何をするか。
・市民の抱く思いが時代とともに変わる。
・説明することで信用を得る、それが尊敬に変わる。(裏を返すと説明できなければ…ということ)
むつ市長
・財政的に厳しい事情。アセットマネジメント、ファシリティマネジメントやらないとならない。
・リーダーシップに求められるのは決断力。それをいかにやりきるか。
北川氏
・善政競争が行政間で行われればいいと思う。
・おらが街はおらが作る、という住民自治に繋がる。
(17時30分終了)