月別アーカイブ: 2014年11月

聴講録 「分権時代の首長、議会の役割」(青森中央学院大学 地方自治特別フォーラム)


たまたま職場で回覧されてきたチラシに、目を奪われた。「~青森から政治と行政の質を変える~」というサブタイトルに興味を持った。何の予定も入っていなかったので、迷うことなく行ってみることにした。

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東北オフサイトミーティング三沢勉強会で車を運転してもらったお礼、今日は僕がドライバー。ただしその時と違うのは、同乗者が平川市役所のSさんだけだということ。同業者の繋がり、とりわけ他の行政機関との方々との繋がりというのはなかなか構築できないけれど、そのきっかけを与えてくれたのは紛れもなくこのSさん。職場は違うけど同学年で入庁も同期、新採用研修で一緒だったという、大事な親友であり信頼を置ける「信友」でもあり、心を許せる「心友」だ。

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さて、そのSさんと訪れた青森中央学院大学学術交流会館2階の921講義室は、相当数が受講することができる大きな部屋。そこに集まった恐らく県内外の地方議員であり、行政職員であり、そして一般市民の方が、開演を待っていた。

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今回のフォーラムは三部制。
第一部は早稲田大学マニフェスト研究所所長である北川正恭氏による基調講演。
第二部は先進事例報告として、岩手県久慈市議会議長の八重櫻友夫氏と滝沢市議会議長の黒沢明夫氏による発表。コメンテーターは北川氏。
そして第三部は弘前市の葛西憲之市長、むつ市の宮下宗一郎氏に北川氏をパネリストに迎えてのパネルディスカッション。第二部と第三部のコーディネーターは青森中央学院大学専任講師の佐藤淳氏。

鉄は熱いうちに打て、ということで、以下聴講メモを起こします。

基調講演「分権時代の首長、議会の役割」

・タイトルにもう一つ、「市民の皆さんのあり方」もプラスしたい。
・地方、つまり都道府県や市町村、それに議会は大転換期を経た。
・軍事大国から経済大国へのシフト、吉田茂首相の頃、政治主導で大転換を行った結果、世界最高の長寿国家となり、近代民主国家が確立した。
・しかし、転機となったのが1991年のバブル崩壊。政治がサイクルで続くようになる(与野党逆転のこと)。
・かつては25人に1人で老人を支えていた時代。2000年を過ぎた頃から3人で1人を支える時代に突入。更に30年後は1.2人に1人が老人を支える時代が到来する。
・時代に合った社会の転換、政治の選択が求められるようになった。
・1994年に政治資金規正法と公職選挙法が改正され、中選挙区制が廃止され、小選挙区制へと変わった。
・1995年頃には、政治に対する国民の大不信が渦巻き(官僚が羽振りの良かった時代)、政治改革が進むこととなった。中央集権から地方分権へと移行。中央官僚が反省をし、今度は地方行政へのバッシングが始まった。
・でも、日本中(の行政)は、それ(裏金づくり、官官接待など)が正しいと思っていた。
・こうやって地方行政の執行部も変わったが、結局地方議会だけが変わらず残ることとなった。
・地方議会は一行政区による大選挙区制。これを中選挙区、いや小選挙区に換えるぐらいの改革をしなければならなくなる。
・根本的な変化の理由(1)情報化社会の構築。ネット社会の浸透により、年功序列が逆になった。家庭教育も逆。タブレットやスマートフォンの使い方は、親から子ではなく、子から親、孫から祖父母に教える時代。ネット社会は全てを明らかにする。ウソや隠し事はできない。
・根本的な変化の理由(2)役所の査定が変わった。(景気が?)右肩上がりだった頃は、団体の代表が役所に補助金をもらいに行く時代。民主主義の反対。つまり、「富を民に分配」していた時代。これがバブル崩壊により変わった。今は、政治が負担分配を民にお願いする時代。消費税増税や、年金の引き下げ。
・金が出せる政治行政が強かったのに、変わった。つまり、主権者が政治行政より強くなった。(負の分配から負担の分配への変化)
・政治が時季時季でお願いする時代から、約束する時代に変わった(平川市が悪例、とも)。
・津軽選挙の風土を変えない限り、何も変わらない。(道義的な責任)
・地方が説明責任を果たせなければならない。もはや国に責任転嫁はできない。
・集権から分権へとシフトした今、青森が自立しなければならない。自己決定、責任を負わなければならない。国へ依存からの脱却がされない限り、中央には勝てない。
・国が80%を握っていた機関委任事務から、法定受託事務・自治事務への転換。自己決定、自己自立が求められることとなった。
・昔の総合計画が縦割りだったことの弊害。国(各省庁)からもらった補助金のバラマキ。同じような道路が数百メートルの間隔で並行する無駄。
・こういった縦割り行政を追認する議会。執行権者たる行政の単なる追認機関としての議会。
・一方で、議員立法で条例立案をするケース。議会事務局のフォローもあった。
・首長は民を統括する責任がある。議会はその民を代表し、行政(首長)に意見を述べる合議制機関である。

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先進事例報告「今こそ問われる地方議会のあり方~議会改革度ランキング全国最下位を脱出するために~」

ちなみに青森県は、早大マニフェスト研究所の調査によると、都道府県別議会改革度ランキングが4年連続最下位となっているそうだ。なお、正直申し上げて第二部の内容は、個人的にはあまり参考にならなかった。ただ、ふと思ったことは、きっと県内の議会や市町村が、こぞって住民とのワークショップをやりたがるだろうな、ということだった。

【久慈市議会】(議員数24名)
・議員と市民との話し合いの場(かだって会議)の開催
・議会全体での報告会と、市民とのワークショップ。

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(北川氏コメント)
・女性の参加が多いワークショップ。
・一方で女性議員の進出が少ない。女性の方が多い議会は大磯町議会。葉山町議会が男女同数。
・「久慈市議会じぇじぇじぇ基本条例」の策定。議会全体で事務局、議運と一体的に取り組んだ改革。

【滝沢市議会】(議員数20名)
・日本一人口を抱えていた5万5千人の村が、平成26年1月1日に市制施行。
・通年議会を実施。予算決算委員会も特別委員会から常任委員会へ。広報広聴も常任委員会。
・議長選出は立候補制。所信表明を行う。(久慈市議会も同様)
・議会改革は目的達成の手段。
・市民にわかりやすく、市民が参加したくなる議会を目指す。議会モニター、議会サポーター、議会アドバイザーなど。

(北川氏コメント)
・滝沢村の時代、村長が本気で「日本一の住民自治」を目指した。その成果として、議会も日本一を目指している。
・地方議会は定例で4回と臨時で1回が通例となっているが、議会の回数は自分たちで決めればよい。しかし、議会の招集権は首長。それも議会が認めている。
・最近通年議会が増えている。
・かつては質問も答弁も執行部が作成。議会が学芸会以下といわれたこともあった。
・議会が良くなれば、必ず執行部も良くなる。

パネルディスカッション「最小の費用で最大の効果をあげる自治体組織のあり方~首長のリーダーシップと人材マネジメント~」

(1)イントロダクション
弘前市長
・管理型から経営型の行政へ
・行政と市民の化学反応が始まっている。

北川氏
・ヒトとお金にモノがついて、経営資源となる。

むつ市長
・リーダーシップは「Performance」「Negotiation」「Relationships」。

北川氏
・市政だよりは、行政は「やっている」けど市民は「読んでいない」。
・条例も「作りました」けど「誰も知らない」
・職員が自由自在に動き回れるような役所にして下さい。(風通しの良い役所)

(2)市長に求められるリーダーシップ
むつ市長
・市民の代表であり、市役所の代表であり、下北地域の代表

弘前市長
・時には立ち止まり振り返ることも必要。
・利益の分配だけでなく、不利益の分配もできるだろうか。

北川氏
・分権時代の首長のミッションは、縦割り行政の弊害により方向がバラバラになったのを、全体最適の方向に導くこと。
・これができないと中央集権には勝てない。(限りある中での資源配分、ということのようです。)
・「見える化」により説明責任を果たす。
・各部長は予算を取りたがるが、それが部長の仕事ではない。市長は、不利益の配分を行うことで、効率化を図る。

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(3)市民の力を最大化する
弘前市長
・広報広聴を広聴広報に改めた。まずは聴く。
・市民によるNPOや団体を巻き込みながら化学反応が始まっている。
・目下の悩みは「スクラップ」をどうするか。

むつ市長
・4つの視点。市民目線、市長目線、現場主義、日々における仕事のカイゼン
・弘前市に比べるとまだ取組は初歩的。色んな場所に顔を出し、参加して市民とコミュニケーションを取る。自分の人となりを知ってもらう。

北川氏
・スクラップ・アンド・ビルドをビルド・アンド・スクラップに改めた。
・下北のジオパークは是非ともやって欲しい取組。
・牧之原市は町内会でワークショップ。やがて市、県、国を巻き込んだ。
・若い人が中心となったワークショップ。市長や副市長も同席するが、発言させて貰えない。
・大人の会、子どもの会ができあがった。
・ファシリテーターの役割が凄かった。役所の人間がその力を付ける必要がある。

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(4)最後に
弘前市長
・20年後を見据えて何をするか。
・市民の抱く思いが時代とともに変わる。
・説明することで信用を得る、それが尊敬に変わる。(裏を返すと説明できなければ…ということ)

むつ市長
・財政的に厳しい事情。アセットマネジメント、ファシリティマネジメントやらないとならない。
・リーダーシップに求められるのは決断力。それをいかにやりきるか。

北川氏
・善政競争が行政間で行われればいいと思う。
・おらが街はおらが作る、という住民自治に繋がる。

(17時30分終了)


「出るからには本気で走ってよね。」と妻が言った。


今年7月に沖縄を訪れたとき、たまたまホテルに備え付けてあった地元紙を見ていたときに、NAHAマラソンの開催案内の記事が目にとまった。
今年も12月に開催すること、更に今年が記念すべき第30回大会であること。そして、今回は3万人の参加者を予定しており、既に3万人を超える参加申込みがありそうなため、初の抽選となること。

12月の沖縄は未知の世界。なによりも30回の記念すべき大会。これは走ってみたいと思った。

沖縄から青森に戻った後、迷うことなくインターネットで開催案内の資料を請求した。
案内が届くとすぐ、何の躊躇もなく、そして妻に相談することなく、参加申込みをした。
そして、当落はともかくNAHAマラソンのことを色々調べていくうちに、幾つかわかってきたことがあった。

沿道の応援や私設エイドが途切れず、ホスピタリティに富む大会であること。
ワンウェイのコースは決して平坦ではなく、中間地点付近まで上り、後半が下り、30キロ過ぎからはダラダラと平坦が続くハードなコースであること。
そして、他の大会と比較しても完走率が低いこと。

本来であれば12月はマラソンシーズンの本番。しかし青森県内は雪が舞い始める季節となり、実質上のオフシーズン。
練習の量も格段に減り、ほとんど冬眠モードに突入、のはずなのだが、僕は敢えてその大会に申し込んでみた。

8月。仮申込みとなっていたNAHAマラソン当選の通知がメール送信されてきた。
妻には事前に「実は12月のNAHAマラソンに申し込んだ。」とだけ伝えたところ、「12月の沖縄って行ったことないね。」とまんざらでもない反応。いざ当選したとき、どうやってそのことを伝えるかを考えていたが、杞憂だった。
これで晴れて12月の沖縄行きが決まったわけだけど、そこからが大変だった。
大会は12月7日なので、前日の6日に沖縄入りし、大会エントリーをするという算段だった。
ところが、羽田から沖縄に向かう便は空いているのに、肝心の青森から羽田に向かう便が、1便の8:00発、2便の9:35発ともに、発売日前でありながら既にキャンセル待ちの状態になっていたのだ。
しばらく待ってみたものの一向に空きが出る気配がなかったので、これはきっと修学旅行か何かなのだろうと判断し、5日(金)の最終便で羽田に移動、羽田空港内のカプセルホテルに宿泊、翌朝沖縄に向かう1便で移動することにした。

実はこれは、前日早めに沖縄入りし、レンタカーでコースの下見をしたらいい、という妻の提案もあってのことだった。
普段全く僕のマラソンのことには興味を示さず、むしろ嫌悪感すら露骨にすることもあるのに、12月に沖縄に行けるというだけで、こんなことを考えてくれていたのが僕としてはちょっと嬉しかった。…いや、単に早く行って遊び惚けたいだけなのかも知れないが。

さてさてその後の僕はといえば、既にしつこいぐらいこのブログで自分が出場したマラソンの話を投稿していたので割愛するとして、結局10月のアップルマラソンを最後に、大会から足が遠のいた。
つまりNAHAマラソンでは、レース感覚をほとんど失った状態で出場する、ということになってしまう。

さらにアップルマラソン以降は、普段の練習もあまり身が入らず、キロ4分台で走る感覚さえも失いつつあるように思えてならない。ましてNAHAマラソンは、生やさしいコースでないということをしつこいほど聞かされているし、PBを狙えるような大会ではないということも色んな人から聞いた。
なので、今回は今年の締めくくりということで自分自身へのご褒美みたいな感じで、ファンランに興じようと考え始めるようになっていた。

そんな中、沖縄に移動してからの計画を妻といろいろ話していたときに、突然妻がポツリと言った。

「あのさ、出るからには本気で走ってよね。」

…本気で走れ!?

まさか、妻からこんなことを言われるとは思いもよらなかった。

去年フルマラソンを初めて完走したときのことを思い返した。

「世の中には、経験したくてもなかなか経験できないことがたくさんある。でもその中には、ちょっと頑張れば経験できることも、たくさんある。」

そう、今の僕なら、42.195キロは頑張れば走れる距離。でも頑張りが足りないと、単に苦しいだけの距離にもなる。

正直、9月の田沢湖マラソンで足を痙攣しながらもPBを更新したということに、満足しきっていた。
練習で苦しくなれば、「今年は田沢湖マラソンでサブ3.5達成したし…」と言い訳し、ずっとそのことに甘えていた。

しかし、その2週間後のアップルマラソンでは、他のメンバーが軒並みサブ3.5を達成し、僕の出した記録を軽々と抜いていった。ペースメーカーを務めたことに後悔など微塵もないが、正直、何となく「置いて行かれた」気分になった。

11月だけで見ると、月間走行距離は150キロと、全然練習量が足りていない。なおかつ、全くといっていいほど身の入らない練習内容で、29キロ走の時にはハンガーノックも初めて経験した。こんな調子で果たして12月の42.195キロを完走できるか、ちょっと不安なところもある。(完走率が低いという事前の情報が、僕の不安を煽っていることも事実だ。)

でも、大会まであと10日を切った状況の中、妻からの一言で何となく自分の何かに火がついたような、そんな感覚だ。
もしかしたら火がつくのが遅すぎたかも知れない。もっとモチベーションを高めた状態を維持すべきだったかも知れない。でも、今さら「ああしたら…こうすれば…」を口にしたところで、劇的に何かが変わるわけではないだろう。だから、普段の生活や練習、総合的な自己管理も含めてマラソンなんだな、と思った。

来年以降、僕自身NAHAマラソンを走れるかどうかはわからないワケだし、大体にしていつまでマラソンを続けられるのかだってわからない。そう考えると、出場する大会一つ一つを大事にしなければならない。
プラトー状態に陥っているとは思わないが、今一度マラソンという競技に足を突っ込んだときの原点を見つめ直す時期に差し掛かっているのかも知れない。

昨年、初めてフルマラソンを完走し終えた後に感じたことをもう一度振り返って見る。

・マラソンは、自分と対話を楽しむプチ旅行である。
・マラソンは、独りで走り続けなければならないが、決して孤独ではない。
・マラソンは、贅沢な自由時間である。
・マラソンを完走するために必要な要素は、塩分、水分、糖分、時間配分。
・速すぎると疲れる。遅すぎても、疲れる。
・失敗レースは引きずらず、成功レースはいつまでも記憶にとどめる。

気負うことなく、まずは楽しまなきゃ。大好きな沖縄の地で、4時間近くも贅沢な自由時間を得られることに感謝。でも、できることならばその自由時間は3時間30分ぐらいにとどめたい。
向き合うのは過去の自分じゃなく、これからの自分。まだまだ進化途中であると信じたい、自分自身を探す旅。

陸連登録の恩恵で、集合場所はかなり前の方になった。焦らず怒らず落ち着いて。いつも心穏やかに、やれば絶対できるという暗示。

でも、ハカメガねんで、ウヌウヌどハッケる。(はしゃぎ過ぎない程度に、がむしゃらに走る。)

皆さんからの応援を力にして、皆さんからの励ましをバネにして、今年最後の恩返し、ちょっと頑張ってみようと思います。

NAHA引換券 NAHA集合場所

別にこんなこと投稿しなくてもいいのでしょうけれど、僕自身を鼓舞する、気分を高めていくためにも、今の僕にとってとても必要なのです。

やってやるって!

越中

…長文駄文、大変失礼しました。


「トレソンさっパス」事業化に向けて大鰐町へ。


弘前市国際広域観光課より、ランと温泉と電車で戻る企画(「トレソンさっパス」は、仮称?)の協力依頼がありました。
具体的には、弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅に集合し、そこで荷物を預け、荷物は電車で大鰐駅へ向かい、人間は自らの足で大鰐町を目指し、ランを終えた後は大鰐駅斜め向かいにある「鰐come」で温泉に浸り、帰りは弘南鉄道大鰐線で戻ってくる、というものです。
弘前公園ランニングクラブのメンバーが、この企画に協力することとなりました。

11月24日7時30分。中央弘前駅に集まったのは総勢2628名!天気はほぼ晴れていましたが、朝7時の時点での気温が1.4度でしたので、かなり冷え込みの厳しい朝となりました。

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ここから3コースに分かれ、大鰐温泉を目指すわけですが、問題はコースをどのように振り分けるかでした。
というのも、今回のコースは次の3つ。

1 弘南電鉄沿線コース16.2km
(土淵川沿い、多少のアップダウン、義塾高校の前を通る)
2 羽州街道(旧国道7号)コース13.1km
(土手町、取上、門外など昔の田舎風景、路肩狭い)
3 国道7号線バイパスコース14.2km
(歩道が広く走りやすい、冬は雪が積もっている)

何せ「走り屋」揃いですので、皆さんが最も長い1番のコースを走りたがっている雰囲気がプンプン漂っていました。とはいえ、今日はあくまで企画への協力(試走)であって、いつもの練習とは趣がちょっと異なります。

ということで、勝手とは思いましたが26名の意向を尊重しつつも、3つのグループに分けて試走を始めることとしました。
僕は最初から一番人気薄だと思っていた3番のコースを走ると腹を括っていました。

さて、結局男性のみ8名で構成された1番チーム、中央弘前駅で他のチームと7時45分に分かれ、一路南へ。

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出発してまだ間もない地点で信号待ち。

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今回一緒に走った皆さんです。

弘前市内を抜けるまでは信号も多く、どうしても足止めを余儀なくされますが、これはやむを得ないとして…。
旧国道7号を南下、松森町から県道109号(弘前平賀線)に左折してから国道7号までの約2キロ、コンビニは松森町角の1か所と途中にもう1か所のみ。
そして国道7号に右折した後は、コンビニどころか、遮るものが何もなくなります。

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岩木山が綺麗です。でも、風が冷たいんだわ、ホントに…。

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気温4度。遮るものがないので、僕はこの時点で鼻水ダラダラです。

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出発から6.3キロ、平川市へ。

ようやくスタートから10キロ地点で「道の駅ひろさき」が現れ、ここでトイレ休憩。この手前500メートルにもコンビニはあるのですが、この区間は結構根性試しだな、と思いました。

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道の駅ひろさきに到着。

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大鰐町に入りました。

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国道7号から大鰐町内に入る旧道を駆け抜け、9時30分頃にゴール地点である「鰐come」に到着!

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この後大鰐町内を軽く流し、温泉に入り、軽食を頂き(ビール!の方もかなりいましたが…)、ランナー目線からアンケート用紙に記入し、11時30分大鰐発の電車に乗り、11時58分に中央弘前駅に到着し、今日のミッション終了。

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この駅に来たのは、約30年ぶりです。

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ああ、そうそう。JR奥羽線と共同の跨線橋なんだけど、弘南鉄道の橋は幅が狭いんです。昔と変わってないなあ!

 

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乗り込んだのはラッピングされた電車。

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元東急を走っていた電車です。

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ほとんど遠足みたいです。楽しかったなあ。

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あ、これが色んなもののパスになります。荷物受け取り、入浴、電車への乗車もこれ一枚でOK。

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ええと、以下個人的に気になった点です。

・中央弘前駅から大鰐町まで約14キロ、スタートしてすぐとゴール直前に歩道が切れる区間がある以外は、歩道が整備されていて、比較的走りやすい。
・ただし、国道7号は進行方向に向かって左側(東側)の歩道を走るべき。堀越交差点で、大鰐方面から来る西側の歩道がなくなる区間あり。
・コンビニや休憩地点は10キロまでなく、国道7号に入ってからは景色もほとんど変わらないため、精神を試される。
・スタート地点、ゴール地点での荷物の受け取りは問題なし。ただし、他の人も話していたけど荷物を入れるビニール袋はもう少し大きく、強度ももう少し強いものの方が良い。
・今日は時間がなかったのでバタバタしたけれど、時間があればもう少しゆっくり楽しめそう。また、大鰐町内をもう少し走ってからゴールするのもアリかも。
・一つどうしても気になったのは、中央弘前駅まで皆さんがどうやっていくか。車で来た方もいたようだけど、駐車料金を払ってまでとなると、うーん…。
・ネーミングの「トレソン」は、トレイン×マラソンだそうです。マラソンではないので、トレジョグとか、ジョグインとか、他にも色々ありそうな気が。
・さて、料金設定も気になるところだけれど、息抜きラン、ガッツリラン、その気になれば色々応用ができそうだと思うんですけどね。
・ただ、リピーターを作るのはなかなか至難の業かも。
・まあ、商品開発の基本なんだろうけれど、ターゲットを誰にするのか、弘前市周辺でランを楽しむ人たちなのか、それとも、県外からのお客さんも含むのか。
・予約制にするのであれば、予約方法もバリエーションを考えないとならないですね。PCやスマホ、携帯で簡単に予約できる方法は非常に大事だと思います。
・あとは、商品の付加価値をどうするか。夏場や冬場をどうするか。いろいろ気になるところはありますな。

とにかくランニングで向かう以上、例えば途中で具合が悪くなった場合とか、色々検討しなければならない課題もありそうです。