月別アーカイブ: 2014年11月

聴講録 「分権時代の首長、議会の役割」(青森中央学院大学 地方自治特別フォーラム)

たまたま職場で回覧されてきたチラシに、目を奪われた。「~青森から政治と行政の質を変える~」というサブタイトルに興味を持った。何の予定も入っていなかったので、迷うことなく行ってみることにした。

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東北オフサイトミーティング三沢勉強会で車を運転してもらったお礼、今日は僕がドライバー。ただしその時と違うのは、同乗者が平川市役所のSさんだけだということ。同業者の繋がり、とりわけ他の行政機関との方々との繋がりというのはなかなか構築できないけれど、そのきっかけを与えてくれたのは紛れもなくこのSさん。職場は違うけど同学年で入庁も同期、新採用研修で一緒だったという、大事な親友であり信頼を置ける「信友」でもあり、心を許せる「心友」だ。

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さて、そのSさんと訪れた青森中央学院大学学術交流会館2階の921講義室は、相当数が受講することができる大きな部屋。そこに集まった恐らく県内外の地方議員であり、行政職員であり、そして一般市民の方が、開演を待っていた。

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今回のフォーラムは三部制。
第一部は早稲田大学マニフェスト研究所所長である北川正恭氏による基調講演。
第二部は先進事例報告として、岩手県久慈市議会議長の八重櫻友夫氏と滝沢市議会議長の黒沢明夫氏による発表。コメンテーターは北川氏。
そして第三部は弘前市の葛西憲之市長、むつ市の宮下宗一郎氏に北川氏をパネリストに迎えてのパネルディスカッション。第二部と第三部のコーディネーターは青森中央学院大学専任講師の佐藤淳氏。

鉄は熱いうちに打て、ということで、以下聴講メモを起こします。

基調講演「分権時代の首長、議会の役割」

・タイトルにもう一つ、「市民の皆さんのあり方」もプラスしたい。
・地方、つまり都道府県や市町村、それに議会は大転換期を経た。
・軍事大国から経済大国へのシフト、吉田茂首相の頃、政治主導で大転換を行った結果、世界最高の長寿国家となり、近代民主国家が確立した。
・しかし、転機となったのが1991年のバブル崩壊。政治がサイクルで続くようになる(与野党逆転のこと)。
・かつては25人に1人で老人を支えていた時代。2000年を過ぎた頃から3人で1人を支える時代に突入。更に30年後は1.2人に1人が老人を支える時代が到来する。
・時代に合った社会の転換、政治の選択が求められるようになった。
・1994年に政治資金規正法と公職選挙法が改正され、中選挙区制が廃止され、小選挙区制へと変わった。
・1995年頃には、政治に対する国民の大不信が渦巻き(官僚が羽振りの良かった時代)、政治改革が進むこととなった。中央集権から地方分権へと移行。中央官僚が反省をし、今度は地方行政へのバッシングが始まった。
・でも、日本中(の行政)は、それ(裏金づくり、官官接待など)が正しいと思っていた。
・こうやって地方行政の執行部も変わったが、結局地方議会だけが変わらず残ることとなった。
・地方議会は一行政区による大選挙区制。これを中選挙区、いや小選挙区に換えるぐらいの改革をしなければならなくなる。
・根本的な変化の理由(1)情報化社会の構築。ネット社会の浸透により、年功序列が逆になった。家庭教育も逆。タブレットやスマートフォンの使い方は、親から子ではなく、子から親、孫から祖父母に教える時代。ネット社会は全てを明らかにする。ウソや隠し事はできない。
・根本的な変化の理由(2)役所の査定が変わった。(景気が?)右肩上がりだった頃は、団体の代表が役所に補助金をもらいに行く時代。民主主義の反対。つまり、「富を民に分配」していた時代。これがバブル崩壊により変わった。今は、政治が負担分配を民にお願いする時代。消費税増税や、年金の引き下げ。
・金が出せる政治行政が強かったのに、変わった。つまり、主権者が政治行政より強くなった。(負の分配から負担の分配への変化)
・政治が時季時季でお願いする時代から、約束する時代に変わった(平川市が悪例、とも)。
・津軽選挙の風土を変えない限り、何も変わらない。(道義的な責任)
・地方が説明責任を果たせなければならない。もはや国に責任転嫁はできない。
・集権から分権へとシフトした今、青森が自立しなければならない。自己決定、責任を負わなければならない。国へ依存からの脱却がされない限り、中央には勝てない。
・国が80%を握っていた機関委任事務から、法定受託事務・自治事務への転換。自己決定、自己自立が求められることとなった。
・昔の総合計画が縦割りだったことの弊害。国(各省庁)からもらった補助金のバラマキ。同じような道路が数百メートルの間隔で並行する無駄。
・こういった縦割り行政を追認する議会。執行権者たる行政の単なる追認機関としての議会。
・一方で、議員立法で条例立案をするケース。議会事務局のフォローもあった。
・首長は民を統括する責任がある。議会はその民を代表し、行政(首長)に意見を述べる合議制機関である。

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先進事例報告「今こそ問われる地方議会のあり方~議会改革度ランキング全国最下位を脱出するために~」

ちなみに青森県は、早大マニフェスト研究所の調査によると、都道府県別議会改革度ランキングが4年連続最下位となっているそうだ。なお、正直申し上げて第二部の内容は、個人的にはあまり参考にならなかった。ただ、ふと思ったことは、きっと県内の議会や市町村が、こぞって住民とのワークショップをやりたがるだろうな、ということだった。

【久慈市議会】(議員数24名)
・議員と市民との話し合いの場(かだって会議)の開催
・議会全体での報告会と、市民とのワークショップ。

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(北川氏コメント)
・女性の参加が多いワークショップ。
・一方で女性議員の進出が少ない。女性の方が多い議会は大磯町議会。葉山町議会が男女同数。
・「久慈市議会じぇじぇじぇ基本条例」の策定。議会全体で事務局、議運と一体的に取り組んだ改革。

【滝沢市議会】(議員数20名)
・日本一人口を抱えていた5万5千人の村が、平成26年1月1日に市制施行。
・通年議会を実施。予算決算委員会も特別委員会から常任委員会へ。広報広聴も常任委員会。
・議長選出は立候補制。所信表明を行う。(久慈市議会も同様)
・議会改革は目的達成の手段。
・市民にわかりやすく、市民が参加したくなる議会を目指す。議会モニター、議会サポーター、議会アドバイザーなど。

(北川氏コメント)
・滝沢村の時代、村長が本気で「日本一の住民自治」を目指した。その成果として、議会も日本一を目指している。
・地方議会は定例で4回と臨時で1回が通例となっているが、議会の回数は自分たちで決めればよい。しかし、議会の招集権は首長。それも議会が認めている。
・最近通年議会が増えている。
・かつては質問も答弁も執行部が作成。議会が学芸会以下といわれたこともあった。
・議会が良くなれば、必ず執行部も良くなる。

パネルディスカッション「最小の費用で最大の効果をあげる自治体組織のあり方~首長のリーダーシップと人材マネジメント~」

(1)イントロダクション
弘前市長
・管理型から経営型の行政へ
・行政と市民の化学反応が始まっている。

北川氏
・ヒトとお金にモノがついて、経営資源となる。

むつ市長
・リーダーシップは「Performance」「Negotiation」「Relationships」。

北川氏
・市政だよりは、行政は「やっている」けど市民は「読んでいない」。
・条例も「作りました」けど「誰も知らない」
・職員が自由自在に動き回れるような役所にして下さい。(風通しの良い役所)

(2)市長に求められるリーダーシップ
むつ市長
・市民の代表であり、市役所の代表であり、下北地域の代表

弘前市長
・時には立ち止まり振り返ることも必要。
・利益の分配だけでなく、不利益の分配もできるだろうか。

北川氏
・分権時代の首長のミッションは、縦割り行政の弊害により方向がバラバラになったのを、全体最適の方向に導くこと。
・これができないと中央集権には勝てない。(限りある中での資源配分、ということのようです。)
・「見える化」により説明責任を果たす。
・各部長は予算を取りたがるが、それが部長の仕事ではない。市長は、不利益の配分を行うことで、効率化を図る。

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(3)市民の力を最大化する
弘前市長
・広報広聴を広聴広報に改めた。まずは聴く。
・市民によるNPOや団体を巻き込みながら化学反応が始まっている。
・目下の悩みは「スクラップ」をどうするか。

むつ市長
・4つの視点。市民目線、市長目線、現場主義、日々における仕事のカイゼン
・弘前市に比べるとまだ取組は初歩的。色んな場所に顔を出し、参加して市民とコミュニケーションを取る。自分の人となりを知ってもらう。

北川氏
・スクラップ・アンド・ビルドをビルド・アンド・スクラップに改めた。
・下北のジオパークは是非ともやって欲しい取組。
・牧之原市は町内会でワークショップ。やがて市、県、国を巻き込んだ。
・若い人が中心となったワークショップ。市長や副市長も同席するが、発言させて貰えない。
・大人の会、子どもの会ができあがった。
・ファシリテーターの役割が凄かった。役所の人間がその力を付ける必要がある。

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(4)最後に
弘前市長
・20年後を見据えて何をするか。
・市民の抱く思いが時代とともに変わる。
・説明することで信用を得る、それが尊敬に変わる。(裏を返すと説明できなければ…ということ)

むつ市長
・財政的に厳しい事情。アセットマネジメント、ファシリティマネジメントやらないとならない。
・リーダーシップに求められるのは決断力。それをいかにやりきるか。

北川氏
・善政競争が行政間で行われればいいと思う。
・おらが街はおらが作る、という住民自治に繋がる。

(17時30分終了)

「出るからには本気で走ってよね。」と妻が言った。

今年7月に沖縄を訪れたとき、たまたまホテルに備え付けてあった地元紙を見ていたときに、NAHAマラソンの開催案内の記事が目にとまった。
今年も12月に開催すること、更に今年が記念すべき第30回大会であること。そして、今回は3万人の参加者を予定しており、既に3万人を超える参加申込みがありそうなため、初の抽選となること。

12月の沖縄は未知の世界。なによりも30回の記念すべき大会。これは走ってみたいと思った。

沖縄から青森に戻った後、迷うことなくインターネットで開催案内の資料を請求した。
案内が届くとすぐ、何の躊躇もなく、そして妻に相談することなく、参加申込みをした。
そして、当落はともかくNAHAマラソンのことを色々調べていくうちに、幾つかわかってきたことがあった。

沿道の応援や私設エイドが途切れず、ホスピタリティに富む大会であること。
ワンウェイのコースは決して平坦ではなく、中間地点付近まで上り、後半が下り、30キロ過ぎからはダラダラと平坦が続くハードなコースであること。
そして、他の大会と比較しても完走率が低いこと。

本来であれば12月はマラソンシーズンの本番。しかし青森県内は雪が舞い始める季節となり、実質上のオフシーズン。
練習の量も格段に減り、ほとんど冬眠モードに突入、のはずなのだが、僕は敢えてその大会に申し込んでみた。

8月。仮申込みとなっていたNAHAマラソン当選の通知がメール送信されてきた。
妻には事前に「実は12月のNAHAマラソンに申し込んだ。」とだけ伝えたところ、「12月の沖縄って行ったことないね。」とまんざらでもない反応。いざ当選したとき、どうやってそのことを伝えるかを考えていたが、杞憂だった。
これで晴れて12月の沖縄行きが決まったわけだけど、そこからが大変だった。
大会は12月7日なので、前日の6日に沖縄入りし、大会エントリーをするという算段だった。
ところが、羽田から沖縄に向かう便は空いているのに、肝心の青森から羽田に向かう便が、1便の8:00発、2便の9:35発ともに、発売日前でありながら既にキャンセル待ちの状態になっていたのだ。
しばらく待ってみたものの一向に空きが出る気配がなかったので、これはきっと修学旅行か何かなのだろうと判断し、5日(金)の最終便で羽田に移動、羽田空港内のカプセルホテルに宿泊、翌朝沖縄に向かう1便で移動することにした。

実はこれは、前日早めに沖縄入りし、レンタカーでコースの下見をしたらいい、という妻の提案もあってのことだった。
普段全く僕のマラソンのことには興味を示さず、むしろ嫌悪感すら露骨にすることもあるのに、12月に沖縄に行けるというだけで、こんなことを考えてくれていたのが僕としてはちょっと嬉しかった。…いや、単に早く行って遊び惚けたいだけなのかも知れないが。

さてさてその後の僕はといえば、既にしつこいぐらいこのブログで自分が出場したマラソンの話を投稿していたので割愛するとして、結局10月のアップルマラソンを最後に、大会から足が遠のいた。
つまりNAHAマラソンでは、レース感覚をほとんど失った状態で出場する、ということになってしまう。

さらにアップルマラソン以降は、普段の練習もあまり身が入らず、キロ4分台で走る感覚さえも失いつつあるように思えてならない。ましてNAHAマラソンは、生やさしいコースでないということをしつこいほど聞かされているし、PBを狙えるような大会ではないということも色んな人から聞いた。
なので、今回は今年の締めくくりということで自分自身へのご褒美みたいな感じで、ファンランに興じようと考え始めるようになっていた。

そんな中、沖縄に移動してからの計画を妻といろいろ話していたときに、突然妻がポツリと言った。

「あのさ、出るからには本気で走ってよね。」

…本気で走れ!?

まさか、妻からこんなことを言われるとは思いもよらなかった。

去年フルマラソンを初めて完走したときのことを思い返した。

「世の中には、経験したくてもなかなか経験できないことがたくさんある。でもその中には、ちょっと頑張れば経験できることも、たくさんある。」

そう、今の僕なら、42.195キロは頑張れば走れる距離。でも頑張りが足りないと、単に苦しいだけの距離にもなる。

正直、9月の田沢湖マラソンで足を痙攣しながらもPBを更新したということに、満足しきっていた。
練習で苦しくなれば、「今年は田沢湖マラソンでサブ3.5達成したし…」と言い訳し、ずっとそのことに甘えていた。

しかし、その2週間後のアップルマラソンでは、他のメンバーが軒並みサブ3.5を達成し、僕の出した記録を軽々と抜いていった。ペースメーカーを務めたことに後悔など微塵もないが、正直、何となく「置いて行かれた」気分になった。

11月だけで見ると、月間走行距離は150キロと、全然練習量が足りていない。なおかつ、全くといっていいほど身の入らない練習内容で、29キロ走の時にはハンガーノックも初めて経験した。こんな調子で果たして12月の42.195キロを完走できるか、ちょっと不安なところもある。(完走率が低いという事前の情報が、僕の不安を煽っていることも事実だ。)

でも、大会まであと10日を切った状況の中、妻からの一言で何となく自分の何かに火がついたような、そんな感覚だ。
もしかしたら火がつくのが遅すぎたかも知れない。もっとモチベーションを高めた状態を維持すべきだったかも知れない。でも、今さら「ああしたら…こうすれば…」を口にしたところで、劇的に何かが変わるわけではないだろう。だから、普段の生活や練習、総合的な自己管理も含めてマラソンなんだな、と思った。

来年以降、僕自身NAHAマラソンを走れるかどうかはわからないワケだし、大体にしていつまでマラソンを続けられるのかだってわからない。そう考えると、出場する大会一つ一つを大事にしなければならない。
プラトー状態に陥っているとは思わないが、今一度マラソンという競技に足を突っ込んだときの原点を見つめ直す時期に差し掛かっているのかも知れない。

昨年、初めてフルマラソンを完走し終えた後に感じたことをもう一度振り返って見る。

・マラソンは、自分と対話を楽しむプチ旅行である。
・マラソンは、独りで走り続けなければならないが、決して孤独ではない。
・マラソンは、贅沢な自由時間である。
・マラソンを完走するために必要な要素は、塩分、水分、糖分、時間配分。
・速すぎると疲れる。遅すぎても、疲れる。
・失敗レースは引きずらず、成功レースはいつまでも記憶にとどめる。

気負うことなく、まずは楽しまなきゃ。大好きな沖縄の地で、4時間近くも贅沢な自由時間を得られることに感謝。でも、できることならばその自由時間は3時間30分ぐらいにとどめたい。
向き合うのは過去の自分じゃなく、これからの自分。まだまだ進化途中であると信じたい、自分自身を探す旅。

陸連登録の恩恵で、集合場所はかなり前の方になった。焦らず怒らず落ち着いて。いつも心穏やかに、やれば絶対できるという暗示。

でも、ハカメガねんで、ウヌウヌどハッケる。(はしゃぎ過ぎない程度に、がむしゃらに走る。)

皆さんからの応援を力にして、皆さんからの励ましをバネにして、今年最後の恩返し、ちょっと頑張ってみようと思います。

NAHA引換券 NAHA集合場所

別にこんなこと投稿しなくてもいいのでしょうけれど、僕自身を鼓舞する、気分を高めていくためにも、今の僕にとってとても必要なのです。

やってやるって!

越中

…長文駄文、大変失礼しました。

「トレソンさっパス」事業化に向けて大鰐町へ。

弘前市国際広域観光課より、ランと温泉と電車で戻る企画(「トレソンさっパス」は、仮称?)の協力依頼がありました。
具体的には、弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅に集合し、そこで荷物を預け、荷物は電車で大鰐駅へ向かい、人間は自らの足で大鰐町を目指し、ランを終えた後は大鰐駅斜め向かいにある「鰐come」で温泉に浸り、帰りは弘南鉄道大鰐線で戻ってくる、というものです。
弘前公園ランニングクラブのメンバーが、この企画に協力することとなりました。

11月24日7時30分。中央弘前駅に集まったのは総勢2628名!天気はほぼ晴れていましたが、朝7時の時点での気温が1.4度でしたので、かなり冷え込みの厳しい朝となりました。

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ここから3コースに分かれ、大鰐温泉を目指すわけですが、問題はコースをどのように振り分けるかでした。
というのも、今回のコースは次の3つ。

1 弘南電鉄沿線コース16.2km
(土淵川沿い、多少のアップダウン、義塾高校の前を通る)
2 羽州街道(旧国道7号)コース13.1km
(土手町、取上、門外など昔の田舎風景、路肩狭い)
3 国道7号線バイパスコース14.2km
(歩道が広く走りやすい、冬は雪が積もっている)

何せ「走り屋」揃いですので、皆さんが最も長い1番のコースを走りたがっている雰囲気がプンプン漂っていました。とはいえ、今日はあくまで企画への協力(試走)であって、いつもの練習とは趣がちょっと異なります。

ということで、勝手とは思いましたが26名の意向を尊重しつつも、3つのグループに分けて試走を始めることとしました。
僕は最初から一番人気薄だと思っていた3番のコースを走ると腹を括っていました。

さて、結局男性のみ8名で構成された1番チーム、中央弘前駅で他のチームと7時45分に分かれ、一路南へ。

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出発してまだ間もない地点で信号待ち。

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今回一緒に走った皆さんです。

弘前市内を抜けるまでは信号も多く、どうしても足止めを余儀なくされますが、これはやむを得ないとして…。
旧国道7号を南下、松森町から県道109号(弘前平賀線)に左折してから国道7号までの約2キロ、コンビニは松森町角の1か所と途中にもう1か所のみ。
そして国道7号に右折した後は、コンビニどころか、遮るものが何もなくなります。

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岩木山が綺麗です。でも、風が冷たいんだわ、ホントに…。

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気温4度。遮るものがないので、僕はこの時点で鼻水ダラダラです。

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出発から6.3キロ、平川市へ。

ようやくスタートから10キロ地点で「道の駅ひろさき」が現れ、ここでトイレ休憩。この手前500メートルにもコンビニはあるのですが、この区間は結構根性試しだな、と思いました。

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道の駅ひろさきに到着。

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大鰐町に入りました。

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国道7号から大鰐町内に入る旧道を駆け抜け、9時30分頃にゴール地点である「鰐come」に到着!

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この後大鰐町内を軽く流し、温泉に入り、軽食を頂き(ビール!の方もかなりいましたが…)、ランナー目線からアンケート用紙に記入し、11時30分大鰐発の電車に乗り、11時58分に中央弘前駅に到着し、今日のミッション終了。

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この駅に来たのは、約30年ぶりです。

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ああ、そうそう。JR奥羽線と共同の跨線橋なんだけど、弘南鉄道の橋は幅が狭いんです。昔と変わってないなあ!

 

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乗り込んだのはラッピングされた電車。

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元東急を走っていた電車です。

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ほとんど遠足みたいです。楽しかったなあ。

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あ、これが色んなもののパスになります。荷物受け取り、入浴、電車への乗車もこれ一枚でOK。

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ええと、以下個人的に気になった点です。

・中央弘前駅から大鰐町まで約14キロ、スタートしてすぐとゴール直前に歩道が切れる区間がある以外は、歩道が整備されていて、比較的走りやすい。
・ただし、国道7号は進行方向に向かって左側(東側)の歩道を走るべき。堀越交差点で、大鰐方面から来る西側の歩道がなくなる区間あり。
・コンビニや休憩地点は10キロまでなく、国道7号に入ってからは景色もほとんど変わらないため、精神を試される。
・スタート地点、ゴール地点での荷物の受け取りは問題なし。ただし、他の人も話していたけど荷物を入れるビニール袋はもう少し大きく、強度ももう少し強いものの方が良い。
・今日は時間がなかったのでバタバタしたけれど、時間があればもう少しゆっくり楽しめそう。また、大鰐町内をもう少し走ってからゴールするのもアリかも。
・一つどうしても気になったのは、中央弘前駅まで皆さんがどうやっていくか。車で来た方もいたようだけど、駐車料金を払ってまでとなると、うーん…。
・ネーミングの「トレソン」は、トレイン×マラソンだそうです。マラソンではないので、トレジョグとか、ジョグインとか、他にも色々ありそうな気が。
・さて、料金設定も気になるところだけれど、息抜きラン、ガッツリラン、その気になれば色々応用ができそうだと思うんですけどね。
・ただ、リピーターを作るのはなかなか至難の業かも。
・まあ、商品開発の基本なんだろうけれど、ターゲットを誰にするのか、弘前市周辺でランを楽しむ人たちなのか、それとも、県外からのお客さんも含むのか。
・予約制にするのであれば、予約方法もバリエーションを考えないとならないですね。PCやスマホ、携帯で簡単に予約できる方法は非常に大事だと思います。
・あとは、商品の付加価値をどうするか。夏場や冬場をどうするか。いろいろ気になるところはありますな。

とにかくランニングで向かう以上、例えば途中で具合が悪くなった場合とか、色々検討しなければならない課題もありそうです。

JogNoteの記録投稿を復活させました。

久しぶりにJogNoteを動かしてみました。
実はかれこれ5年以上前にJogNoteのアカウントを取得し、その頃はiPodとシューズの中に忍ばせたセンサーを経由したNike+からの連携処理を行い、記録を反映させておりました(当時、GPSデータはありませんでした)。
現在は色んなランニングアプリがありますが、何を隠そうこのJogNoteは、僕が徐々にランニングを始めた頃に、Nike+と同じぐらいにアカウントを取得していた最古参なのであります。

しかしその頃はまだ本格的に「走る」ことに目覚めていなかったので、例えば「月間50キロ走る」という目標を立てたのに、たった27キロしか走れなかった(月間で)とか、その程度のものでした。走るに当たっては色んなきっかけがあると思いますが、僕の場合、人間ドックで成人病予備軍を指摘されたこと、そして、その後に手に入れた「Apple Lucky Bag」(Appleが年始に発売する福袋。一時期、数量限定ではあるけどネットでの予約注文が可能だった)の中身が、ランニングをしろと言わんばかりの中身だったことが要因だった、といっても過言ではありません。

出場する大会も年1回(ほとんどアップルマラソン、1回だけAOMORマラソン)、それも10キロばかり。まあ、その頃はフルマラソンどころかハーフマラソンを走る人も「変人」だと思っていましたから…。

もう一つJogNoteを使っていた理由は、ブログパーツが充実していたから。かつてNike+でもブログパーツを用意していたのですが、更新に更新を重ねていく過程で、ブログパーツがサイトから消えてしまいました。その後、何か手頃なものはないかと探していたところ、JogNoteにブログパーツを発見、このブログの右サイドに置いているようにブログパーツを設置し、その月はどれぐらい走ったかを視覚的に表し、自分のモチベーション維持に役立てようと思っていました。(ちなみにこのブログ、実はかれこれ10年以上運営しているのです。)

とはいえ当時は本当に自分の中で「走る」という習慣がなかった(どうせ三日坊主で終わるんだろうと思っていた)こともあり、月に3~4日、記録が登録されるかどうか、といった有様でした。
更に、前述のNike+側の更新(仕様の変更)により、Nike+とJogNoteの連携が全く行えない状況となってしまい、結局JogNoteには、たまに出場する大会の記録のみが反映される程度といった有様でした。

結果、ブログパーツにも何も表示されることがなくなり、毎月真っ白なカレンダーが…。
その後数年間、練習量は増えているにも関わらず、JogNoteには何も反映されることなく、過去の日記の記事だけがそのまま残る、という不本意(?)な状態が続いていたのですが…。

気がついたら私も昨年から「変人」の仲間入りを果たし、間もなく今年4度目のフルマラソン。しかし10月のアップルマラソンを機に、モチベーションがすっかり下がってしまい、週末だけ続けている練習にもまるで身が入らないという状況の中、先日、たまたま「JogNote」の話題になったのです。
聞くと、知らないうちにスマートフォンのアプリもできていたらしく。

JogNoteが自分の中であまり役に立っていないと感じるようになってからは、ランニングはNike+、ウォーキングはRuntasticで使い分けていましたが、JogNoteだとこれを一体的に管理できるという利点があります。(更にスイミングやバイクも登録できますが、こちらはまあ、ほとんどやらないので…。)
いわば理想とするラン・アンド・ウォークのポータルサイト。
今まで気づかなかった僕がアホでした。これではアカウントも宝の持ち腐れ。活用せずにどうする?ということで早速アプリを導入し、手始めに11月の練習の記録だけNike+から転記(手入力)しました。そして今朝は、アプリの性能を試すべく、通勤がてらのウォーキングを約30分行い、JogNoteで登録してみました。

うん。いい感じです。かなりいい感じです。登録を終えたら、ブログパーツにも自動的にアイコンが現れました。(ランとウォークではアイコンの形が微妙に異なります。)
一気にブログパーツが華やかになりました。

ということで、これまで散歩の時にお世話になったRuntasticには一度さよならを告げ、今日からウォーキング(週末の巡回パトロールと称した散歩も含む)とランは、JogNoteで管理してみようと思います。(個人的には、視覚的にテンションが上がりそうです。)
あ、ランはNike+と併用になるんですけどね。

今月の走行距離はまだ80キロ足らず。それでも、月間で27キロしか走れなかった頃に比べると、格段に距離が伸びました(当たり前か)。
これから12月7日の本番に向け、どれだけ距離を伸ばし、走りに磨きを掛け、そして、モチベーションを高めることができるか。

眠りから覚めた古豪の再登板は、僕にとって今年最後となるフルマラソンを後押ししてくれることになりそうです。

※なお、こちらに関しては極めて限定的な繋がりとさせて頂きますので、あらかじめご了承ください。

「やねだん」リーダー豊重哲郎さんの講演に涙しました。

「やねだん」という言葉を聞いたことがあるだろうか。いや、言葉ではなく、正しくは地名の通称である。
鹿児島県鹿屋市にある、日本全国どこにでもありそうな、高齢化の進む一集落。
この何にもない集落で始まったのは、行政に頼らない「むら」おこし。
鹿屋市串良町の柳谷地区(通称:やねだん)での取組みは、各地区のモデルケースとして大いに役立つところがあるようで、今も県外からの視察が途絶えないという。

そんなやねだんのリーダーでもある豊重哲郎氏の基調講演が行われた。
11月12日、「青森県地域づくりネットワーク推進協議会20周年記念フォーラム」。
場所は青森市のアップルパレス青森。

会場にやってきた方々の顔ぶれを見ると、県や市町村の行政関係者が半数を超えている。その他、NPO関係者や任意団体の方々もちらほらと。
先日の東北OM三沢勉強会やパワフルAOMORI!!創造塾のメンバーの顔も見受けられた。

豊重氏の話では、青森県での講演は、47都道府県で最後となるという。

…そういえば、映画「ふるさとがえり」の上映会も青森県が最後だって言われたっけ。
そういう類の招聘が下手くそなのか、それともそういう類に興味を示したがらないお国柄なのか、あるいはそういう類の行動がまるで必要のない地域なのか…。

それはともかく、まずは汚い字で殴り書きされた基調講演の聴講メモ。(補足あり)

・立ち位置を相手に置き換えると、見えてくるものがある。
・地域再生のテーマは「文化向上」→やねだんでは、地区内の空き家を改装し、7人(6人?)の若手芸術家に県外から移住してもらった(豊重氏による面談も行われた)。自らの芸術活動の他、学校教育(課外授業?)にも関与してもらう。今のところ、誰もやねだんを離れる人はいない。
・地域の外の人たちを、地域と連携させる。コマが外にいるので、連携がずっと続く。
ex.)やねだん地区で栽培された芋から作った「やねだん焼酎」を3本、地域の人たちに無料で配付。1本は自宅に、残り2本は地域外の方達に送る。送られた地域外の人たちは、「やねだん焼酎」のことを勝手に自慢・宣伝してくれる。→やねだんと地域外の人たちとの連携。
・「感動」と「感謝」。地域づくりは「感動」。感動から、「感謝」が生まれる。
ex.)父の日母の日敬老の日に、地域の外で暮らす子どもから、やねだんで暮らす親に充てたメッセージを地域の高校生が代読。毎戸に設置された有線放送で流している。そのメッセージに親は「感動」し、代読した高校生に「感謝」を伝える。(豊重さんの活動に反目していた長老が、15年間音信不通だった息子さんからのメッセージを聞き、「俺を泣かせたのはお前だけだ。お前には負けた。」と言って泣きながら抱擁、それまでの冷えた関係が氷解した。)
・出口から出ないとアイディアは出てこない。入り口ではなく出口を考える。
・ちなみに、やねだん焼酎の出口は、「通販」。(実際、現在HPで「やねだん焼酎」の通販が行われている。買いたいと思ったのは、僕だけではないはずだ。共同購入しますか。笑)
・地域づくりは、100万円以下のお金では何もできない。
・半径100メートルの人に認められる(納得させる)。そのためには、名前、顔、その人の心を知る。
・地域参加のプロセスは3~5セット。どこか一つでもいいので、参加できるようなポイント(コマ)を作る。
ex.)畑作りに始まり、芋の植え付けから草取り、収穫まで、どこかで、何らかの形で、地域の人を関与させる。(口ではなく行動で)
・地域づくりは1人でするな。100人でしろ。
・地域の人から天狗と思われるような行動は、するな。
・地域づくりの約束事。「急がない、焦らない、近道しない。」→絶対成功する。
・不満に思うことのアンケートを取ってみる。
・黒子に徹するのは最高である。
・韓国との繋がり。たまたま福岡に来ていた韓国のホテルオーナーがテレビを見て感動し、その足で「やねだん」までやってきた。これが民間の行動力。
・「やねだん」の取組に感動し、自ら経営する韓国のホテル内に居酒屋「やねだん」を開業。以後、ホテル以外の場所にも開業。現在韓国のテグやソウルで5店舗を展開。
・関係構築を強固にしていく中で、韓国のとうがらしを栽培するプロジェクトがスタート。「やねだん」の気候と土はとうがらしの栽培に適している。
・収穫したとうがらしは韓国にも輸出。→文字どおり「外貨」の獲得。
・とうがらしは、鳥獣害に遭わない作物。同様の作物を3つ見つければ、行政として大したもの。(ちなみにやねだんでは2品目に取り組んでいるらしい。何かは明かさなかった。)

・反目している人ではなく、無視している人を、どう動かすかが大切。
・リーダーには、度胸と勇気が必要。
・人をその気にさせる方法は、段取りが8割。
・地域づくりは「自己満足」ではなく「他己満足」である。
・地域の年齢分布図を作る。これ、かなり重要。

もっと話を聞きたいと思ったが、かなり端折ってのお話しとなってしまったのがすごく残念だった。(そういう意味では、講演の前半で流したVTR、確かに「やねだん」の活動を知る手っ取り早い方法ではあったが、もっと短くても良かった。)

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僕は別に何か積極的に「地域づくり」に取り組んでいるわけでもないし、何かそういう活動を行おうと考えているわけでもない。
でも、「何かやれそうな気がする」「何かしなければ」とこちらを奮い立たせるような豊重氏の言葉のマジックに、かなり心を揺さぶられた。
壇上にとどまることなく会場内を歩き、時折言葉を詰まらせ、声をうわずらせ、涙声になりながら語りかける豊重氏の熱いメッセージに、胸を打たれ、危うくこちらが落涙しそうになった。

最近あちらこちらで耳にする「地域づくり」「まちづくり」。
でも本当は、「地域づくり」や「まちづくり」に名を借りて、鍵で閉ざされたような閉塞的な社会からの開放というか、かつて見られたような社会、「ひと」と「ヒト」との繋がりの再構築をすることが根底にあるんじゃないかな、と思った。
やれ「地域づくり」だ「まちづくり」だって一人で声高に叫んだところで、何かが生まれるはずがない。
そこに共感する人が現れ、そこから繋がりが生まれ、その繋がりが…1人が2人、2人が4人、4人が8人、みたいな…。「やねだん」も然り。みんなが(全くではないにせよ)同じ方向を向き始めたことで、まるで強固なベクトルが作用したように大きなうねりを生み出したわけだし。

…あれ?そういえばついこの間、これに似たような話(点と線、線と面)を記事にしていましたね。

基調講演のあとは、あおもりコミュニティビジネスサポートセンターの山田さとみさんによる県内の事例発表。

青森県内で行われた地域づくりの3事例が紹介された。
佐井村、新郷村、黒石市。
地域も文化もまるで異なるこれらの地域で、それぞれ自分たちの地域を良くしたい、何とかしたいと思い始めた人たちが動き出し、それがそれぞれの形となって地域づくりに貢献している、という実例。
ただ、こちらも時間が足りず、結構内容が端折られた感じだった。ちょっと残念。まあ、山田さんとはまた別の機会に違うところで、落花生をつまみながらゆっくりお話しをすることにしよう。

さて、これはFacebookでも述べたことだけど、昨今の地域づくりのツールとして取り上げられているのが、「まちあるき」。
以下、このフォーラムに参加した直後、Facebookに投稿した内容を抜粋してそのまま転載。
賛否両論あるかも知れないけど、僕が感じていることはこれ以上でも、以下でもないので。


「どうもあちこちで「まちあるき」を基調とした地域おこしに取り組んでいるようですが、まちあるきもここまで拡がると、付加価値というか、よほど何か変化球を用意しないと、手掛けた地元の人の「自己満足」に終わってしまうような気がします(少なくとも北海道新幹線が開業する頃には、よほどのネタがないと「まちあるき」も下火になっているような気がするのです)。
「他己満足」に繋げるための次の一手をどうするか。
入口ではなく出口を考えて取り組むことが必要みたいです。

これが今日、僕なりに学んだことです。僕も色んな意味で黒子に徹したいと思いました。」

ここでの投稿の意図は、「まちあるき」に関する複数のネタがあるところであれば、色んなバリエーションでまちあるきを行うことができるけれど、一つしかないと、すぐに飽きられるのではないか、という懸念であり、「まちあるき」そのものを否定しているワケではないので念のため。
「まちあるき」も「地域づくり」も、それを始めることでどうなる、いや、どうなりたいかという出口のビジョンを描かないとうまくいかない、ということだろうか。

自戒を込めて言わせていただくと、これって行政が作る「ハコモノ」にも通じるところがあるんだよね。もしも「地域おこし」や「まちづくり」のシンボルのような形で整備されたハコモノであれば、なおさら恐い。
だって、ランニングコストばかり気にして、中身を入れ替えることに頭が回らないから。

一度見たらおなか一杯という展示物(…という言い方はあくまで誇張です。ホントは端から観る気も失せるようなつまらない展示物だったりします)しか置いてなくて、結局数年後(早ければ数ヶ月後)には閑古鳥が鳴いている状態で、中の展示物に興味を示しているのは、クモの巣を張ったクモだけ、といった有様になるのがオチ。

もっとも、最近の「地域づくり」はハードの整備よりソフトの整備に重点が置かれているし、行政主導よりも地域住民や民間の組織・団体主導にシフトしているので、そんな不安を抱く必要がないのかも知れないけど。

「地域づくり」に話を戻すと、僕の場合、町内会がもっとも身近なコミュニティということになる。
ちなみにうちの町内では、市の中心部に近い場所に位置しながら、高齢化そして過疎化、更には建物の空洞化が急速に進んでいる。

でも、実のところ町内会の集まりには一度も顔を出したことがないし、町内会費が何に使われているかなんて気にしたこともなかった。まあ、回覧板についていた町内会の決算報告で、敬老の日にバス遠足みたいな経費が出ていたのは見たことがあるけど。
豊重さんのお話を伺いながら、偏ったお年寄り(自称「地元の有識者」)しか参加しないようなコミュニティではなく、もっと幅広い年代が参加できるようなコミュニティになるよう、一石を投じてみるのもいいかな、と思ったのも事実。

豊重氏の講演、そして山田さんの発表は、まずは半歩、いや一歩を踏み出す勇気を頂いたような気がした。