11歳のポメラニアン、モモ。元々他の家で飼われていたのが、飼い主を亡くしたことで我が家に貰われてきた犬だ。
そのモモが、突然体調を崩した。
6月14日、ちょうど仕事がキリよく終わったので18時12分発弘前行きの普通電車に乗車し、帰路に就いていたところ、母から一本のメールが届いた。「モモが元気ないんだわ(涙)。気管細いから一日むせて体力消耗したかしら?」
母からこんなメールが来るぐらいなので、相当モモの調子が悪いことを悟った。
早速メールを返信。
「まっすぐ帰る。帰ったら病院に連れて行こうか?」
それに対する母の反応。
「今日置いていったご飯残ったまま、今横になっているから一晩様子みてもいいんじゃないかな。後で柔らかいもの食べさせる。」
朝とは全然違うモモの姿を見て狼狽し、どう対処したらよいのか、半分パニックになっていると感じた。
すぐさま帰宅すると、普段玄関を開けただけで吠えるモモの声が全く聞こえて来ない。
恐る恐る家に上がると、全身を震わせ、今にも倒れそうな表情のモモ、それは今まで見たことのない姿のモモが横たわっていた。母は、どうすることもできず立ち尽くしていた。
「あ。ダメだダメだ。俺、病院連れて行くわ。」
すぐさまチョコを病院に運んでいたときのキャリーバッグを用意し、モモを入れようとした。足はふらつき、小さな悲鳴を上げるモモ。とにかく、今朝見たときのモモとは別人、いや、別犬の姿になっていた。
あ…電話。
咄嗟に動物病院に連絡。既に19時10分を過ぎていたが、20時まで診察をしている病院だ。症状を伝えると、今からでも間に合うので直ぐに連れてこい、とのこと。焦る気持ちを抑え、病院へと急いだ。
車に乗っている間、モモは終始具合の悪そうな表情を浮かべている。時々立ち上がろうとするのだが、よろけているのもわかる。
赤信号一つが恨めしくて仕方がない。一刻も早く!早く…!
ようやく病院に到着すると、病院特有の雰囲気を察したようで、モモの表情が一層強ばるのがわかった。受付を済ませ、呼ばれるのを待つ。
程なく、名前が呼ばれた。
「チョコはどうしていましたか?」
この獣医は以前、チョコの診察もしてくれた先生なのだ。チョコの状況を聞きながら、モモの診察を始める。
「うーん…何でこうなる前に連れてこれなかった?」
「いや、帰ってきたらこういう状態だったものですから。」
こちらの非を責めるつもりではないのだろうけれど、事実、帰宅したらこういう状態だったのだから、仕方がない。
「心臓かなぁ。レントゲン撮りますね、ちょっと待合室で待っていてください。」
獣医に抱きかかえられたモモ。知らない人に抱えられ、知らないところに連れて行かれる。助けてよ!そんな切ない目で僕を見つめている。
後ろ髪を引かれる思いで待合室へ。
とてもではないが、椅子に腰掛けていられる状態ではなかった。こういう時、飼い主が不安になると、きっとその精神状態が犬にも伝わるに違いない。落ち着け、とにかく落ち着け…。
10分以上が過ぎたが、一向に名前が呼ばれる気配がない。既に診察室には、僕一人しかいない。そして、空になったキャリーバッグ…。ううむ。どうなっているんだ。
ようやく名前が呼ばれて診察室に行くと、獣医3人がモモを取り囲んでいた。僕の姿を見るなり、モモは僕の腕にしがみついたまま、離れようとしない。その姿に、思わず泣きそうになる。
獣医の説明を受ける。
「レントゲンを見ると…。」
モモを横から撮影したレントゲン写真が張り出されている。
「これが気管。で、気管が太いところ、細いところがあるんですよね。それからこれが全部脂肪。痩せた方がいいねぇ。うん。あと、心臓の形が、卵形しているんですけどね、左側に大きく膨らんでいるのがわかりますか?」
…やっぱりそうか。
「で、今日たまたま東京から心臓の治療を行っている先生が来てましてね、エコー検査も行ったんですよ。じゃ、先生から説明して貰えますか?」
東京から先生?心臓の治療?これは不幸中の幸い、といえばいいのだろうか?
必死に腕にしがみつくモモを抱きかかえ、東京の獣医の所見に耳を傾ける。
「犬の心臓も4つの室に別れていましてね…。」
画面にはモモの心臓のエコー画像。ドクン、ドクンと脈打っている。
「で、これが血液の流れなんですよ。」
脈打つたびに、片方は赤色で示され、もう片方は青や黄色が混じった色が示されている。
「右側は正常なのですが、左側が異常を示しています。恐らく左側の部屋が肥大して、弁が上手く機能していないのでしょう。弁膜症を発症している可能性が高い、と。」
ふむふむ…。
「で、今の治療法は投薬治療が主流です。最近弁の手術を行う方法も出てきましたが、ごく僅かです。ここは投薬治療で経過観察することをお勧めしますが…。」
11歳のモモ、しかもこんなに弱り果てた姿で手術に耐えられるはずもない。僕は、獣医の言葉に大きく頷いた。
所見を伺い、注射を打ってもらう。
「はい、いいですよ。」
「あ。何か気をつけたことがいいこと、ありますか?」
獣医の助言を頭の中に叩き込む。
待合室に行くと、モモは先程よりも幾分落ち着いたようだ。
薬の説明を受け、治療代を払い、自宅へ。母が待ちくたびれたように待っていた。
少しだけ落ち着いたモモの姿に安堵の表情を浮かべる母。
チョコの時ほど深刻ではないが、まだ予断を許す状況ではないこと、痩せさせること、過度の運動はさせないこと、これからの暑さに気をつけること…獣医から伝えられた注意事項を、なぞるように母に説明する。
結局その日モモはグッタリしたまま、ほとんど食事を受け付けなかった。水もほとんど飲まなかった。
翌日になってもあまり状況は変わらず、小刻みな震えが出ている。昼に母から食事一切を口にしていないことを聞くと、いよいよ仕事が手に付かなくなり、ついには15時過ぎから休みを貰い、早退することを決意。
16時過ぎに帰宅すると、モモはどうやら寝ていたようだが、もう一匹のハナが心配なのか興味本位なのか、そばで寝ていた。
その姿は昨晩見たのとあまり変わらず、意識朦朧とはこういうことを言うのか、と思ってしまった。
「もう一度病院に行くか?」
乾いた鼻頭に水を付けると、ペロッと長い舌を伸ばす。
それでも、徐々に目が覚めてきたようで、それなりに普通の表情を浮かべるようになった。
母が帰宅すると、ワンワン!といつもの…とまでは行かないものの声を上げる。しかし、どうやら苦しいようで、母が頭を撫でようとすると、キャン!と小さな悲鳴を上げた。
夜には薬をすり鉢で砕いたものをエサに混ぜ、鼻頭に付けると、少しずつではあるがエサを口に運ぶようになった。いつもより時間を掛け、一口ずつ僕の指の先についたエサを食べるモモ。
ようやく食べ終え、しばらくすると、どうやら空腹が満たされたこともあってだろうか、幾分元気を取り戻した。
妻が帰宅。今度はワンワン!と母が帰宅したときよりも元気な声を上げる。
それでもまだ本調子とは行かず、普段であれば食事の所に駆け寄って来るはずが、全く近づく気配すら見せなかった。
木曜日、モモは起きがけに水を飲みに行った。エサの入った入れ物の中を覗き込む。あ、幾分調子が良くなったかな?そんな状況を見届けて出勤。しかし、帰宅してみると妻から、結局その日一日ほとんど何も口にせず、薬も飲まなかったことを聞かされた。
今日のモモは、相変わらず小刻みに揺れている。
発症した時ほど酷い状況ではないにせよ、一進一退の状況が続いている、といったところだろうか。良くなっているようには見えないが、悪くなっているようにも見えない。一番辛いのはモモ。だが、どうすることもできず薬を与えて見守ることしかできない僕たちも辛い。試練の時期がまたやってきた、ということだろうか。
これからちょっとエサを口に運んでみようと思う。さて、どうなることやら。