日別アーカイブ: 2008-09-26

肩の荷が下りたこと、一つ

ここ連日、コメントしづらい投稿ばかりで申し訳ないな、と思いつつ、どうしても一つ一つ気持ちの整理をしていかなければならないため、何とかご容赦願いたい。

大学時代からの畏友で、今も同じ職業に就いているH氏(むつ市在住)も、夕方わざわざ僕の所を訪ねてくれたのだが、僕の顔を見るなり「何と声を掛けていいか浮かんでこない」とのこと。いや、あまり気を遣わないで下さい(笑)。

という訳で今夜も引き続き気持ちの整理。
母と思い出話をしていて意見が一致したことが一つあった。
それは、もう選挙のたびにやきもきしなくてもいい、そして今後、政治に一切関わらなくてもいいということだった。

昨日腰掛けてみた議場での父の椅子は、何かむず痒さを覚えるような、実に座り心地の悪いものだった。敢えて言わせて頂くが、今の弘前市議会から市政を巡る建設的な話は一つでも出ているのだろうか?

僕としても立場上、父がローカル議員であること、政治に携わる人間であることを公言することはどうしても憚らざるを得なかった訳だが、父がいなくなった以上、もはやそれを隠し通す必要もなくなった。
僕の職場でも、父が政治に携わる人間であることをを知っていたのはごく一部の人たちだったのだが、あれだけローカル紙で大々的に取り上げられてしまっては、こちらとしても隠し続けることは無理だった。

確か今まで、父が市議会議員を務めていたことをこのブログで話したことは、ほとんどなかったと記憶しているが、それ以外にも、県議選に出馬して落選したことや、実は市議3期のうち任期を全うしたことが一度もないなど、父を巡る選挙や政治にまつわるエピソードは事欠かない。

出る杭は打たれるというが、父は決して出る杭ではなかった、と思う。
しかし、猪突猛進の性格ゆえ、正義漢を振りかざすと悪者扱いされ、泥仕合に巻き込まれ、足を引っ張られ、叩かれ続けた父の議員生活は、端で見ていて正直、うんざりだった。

という訳で、そういったしがらみから解き放たれただけでも、僕たちにとって大きな肩の荷が一つ下りたといってもいいだろう。

ただ、周囲が何だかんだ言っても、父は政治に携わることにこだわり続け、そして命を賭けていたのだと思う。

ろくに任期も全うできなかった父は、議員としては失格だったかも知れないが、少なくとも僕は、父が最後の最後まで「政治屋」ではなく、「政治家」であることを貫き通したと思っている。

藤田隆司議員は昨日の追悼演説で、「議員がそれぞれ市政発展のために尽力することを誓う。」といった類の言葉を口にしていた。その言葉を信じたい反面、今の状況で本当にそれができるのか、今度はこちらが監視する番だと思っている。