月別アーカイブ: 2018年1月

また一段、階段を上る。-47歳になりました。

お陰様で本日をもって47歳になりました。
昔は年上に見られることがイヤでイヤで仕方がなかったのですが、さすがにこの年齢になるとあまり気にならなくなってきました。むしろ、振る舞いや言動はずっと年上に見られるような落ち着きや配慮を持ちたいものです。

僕の周りにいる1月生まれの方は皆さん達観されているというか本当に素晴らしい方が多く、目上の方はもちろん、同年代や僕より若い方でも、一つ一つの言動が模範となるような人ばかり。おい自分、もっとしっかりしろよ、と気後れするほどなのです。肩を並べるのは無理でも、少しでもそんな人間像に近づけたらいいものだ、と思っています。

さて先日、自動車運転免許の更新に出向いてきました。講習が終わり、新しい免許証を受け取ったあと、5年前に更新した免許証と今回の免許証を見比べながら、当時の自分と今の自分にどんな変化があったかを思案していました。
42歳の自分、何考えていたのかな…って。


(口と眉毛の真一文字は変わりなく…)

ふと気になってアーカイブを探ったら、ちょうど5年前に投稿したブログの記事がありました。こうやって昔の自分と対峙できるのが、ブログの良いところであり、恥ずかしいところでもあります。

さようなら、41歳。こんにちは、42歳。

改めて読み返してみると、自分にとって一つの転機を迎える直前だったんだなあ、ということが垣間見えて、何だかちょっと感慨深いものがあります。さすがに5年も経つと白髪も増えるし皺やシミが増えたことも実感しているところではありますが、この5年で心境そのものに大きな変化があったことを感じさせる内容でした。

一つは、根拠も何もない妙な自信を持てるようになるとともに、少しずつ自我に目覚め始めていったということ。
そしてもう一つは、あまり過去のことに対するこだわりがなくなったということ。

初めてフルマラソンを完走したのが、まさに5年前、42歳の時。

あの経験が自分の心持ちというか何かと向き合う自分を変えた、というのは大いにあると思います。空回りしているだけかも知れませんが、自信がついたというのは紛れもない事実。初めてフルマラソンを完走した直後、ある方からゴールで「新しい世界へようこそ!」と声を掛けられました。その時はピンと来なかったのですが、今改めて振り返ってみると、なるほど確かに色んなモノに対する見方が変わったし、ちょっとだけ周りの世界が変わった、かな。

しかし、いよいよ50代の足音が間近に迫っているという実感のない感覚と、まだ全然年相応に成長していないという確固たる実感が、複雑に交錯する今日この頃。

どこか斜に構えていた頃のメッキを剥がし、自分に素直になることを覚えた30代後半、オヤジとの離別という一大事を経て、自分の心にウソをつきながら無理に虚勢を張るのではなく、自分に正直に、今の自分の気持ちを大事にしようと心に決めてから間もなく10年。いつまでもオヤジの背中を追いかけている場合ではないな、大きなオヤジという傘の下で「のほほん」としている場合ではないな、ということを感じ始め、自分で何かを追い求めることを意識するようになったことも、自分にとっては大きな変化であり新しい世界への第一歩だったかも知れません。

それまでは、どこか違うところから自分自身を傍観していたという自分がいたわけですが、あまり悲観的にならず、むしろ楽観的に、世間を斜めに眺めるのではなく、素直な気持ちで向き合うという気持ちを保とうという姿勢を、知らず知らずのうちに意識するようになりました。
ようやく自分の本質がわかり始めた40代半ば。世の中には知っておかなければならないことと知らなくて良いことがあります。でも、自分のことを知らなければ、物事を穏便に運ぼうにも、うまくいくはずがなく。

肝心なところでいい加減さを発揮したり、すぐに逃げ道を探そうとする適当なところは残念ながら今も昔も全然変わっていません。しかし、そんな自分でも大事にしながら、今をしっかりと生きていこうと思います。失敗を恐れて萎縮したら何もできない一方で、失敗しても怖くない、そもそも失敗しないという自信を持てば何でもできますからね。
ただ、何でも向こう見ずに行動することだけは控えないと。さすがに若気の至りで済まされる年齢ではないということ、むしろその若気をやんわりと制するぐらいの年齢になっているということを最近は特に自覚するようになりました。
人生、日々是学習。恐らく、人生の幕引きまで、色んなことを学び、そして身につけていくことでしょう。きっと、嗚呼、人間の最期ってこうなんだな、ということを実感するのが最期の学びになるのでしょうか。

その学びの時まで、色んなことを吸収し、糧にしていきたいと思いますが、一人前というには程遠く、未だに甘えや隙がたくさんあります。これからも多分、たくさんの方にご迷惑をお掛けしながら、少しずつ抱けど着実に歩みを進めていくことになるのでしょう。


(妹が送ってきた、幼馴染との一枚。僕のアレは、この頃から何も変わっていないらしい…。)
人間、性格を円くするか尖らせるかは、自分の心持ち一つで変わってくるのではないかと思う一方で、持って生まれた性格を180度変えるというのは、なかなか困難ではないかと思います。そもそも過去に戻ることはできないし、リセットボタンもない、それが人間の生き様。だからこそこれまでも、そしてこれからも、成功も失敗も吸収しながら、目先のことばかりを追いかけることなく、その先に待ち構える色んなことを想定しながら、我が道を進んで行きたいと考えています。

とはいえ、あまり我を張らず、適当にちょうどよくやるのが一番良いんでしょうね。できるかどうかはともかくとして、自分に素直に、周囲にも素直になりながら、日々色々学ばせていただければと思います。何か普段から好き勝手なことを吐き出していますが、ハッキリ言って人と揉めたり争うことは好きじゃありません。しかし、理不尽なこと、曲がったことは大嫌いなので、そこは我を通させて頂きます。

まだまだ人として足りていない部分だらけではありますが、これからもご指導を賜りますよう、よろしくお願いします。

続・ランニング手帳のこと #ランニング

2018年も早いもので3週間が経過。残り11か月と10日をどう過ごすか、悩ましいところです。 年が改まるごとに色々目標を立ててみたり、計画を考えてみたりするものですが、振り返ってみると、よくもまあ抜け抜けとそんなことを言えたもんだ、と赤面するようなものも幾つかあったり。

もう間もなく46歳が終わり、一つ馬齢を重ねるので、ここはまた気持ちも新たに…なんてことになるわけでして。 しかし、1月に二度も気持ちを改め、更に4月にまた気持ちを改め、一年で何度気持ちを改めれば済むんでしょう。人間って、ホント都合のいい生き物ですね。

それはともかく、厳冬が予想されていた今季の冬。大体この時期から2月中旬頃までが本格的な冬到来といった感じ。これまでも確かに雪は降りましたが、降っては溶け、降っては溶けの繰り返しで、今のところは比較的過ごしやすい、穏やかな冬といった感じです。でもここから先が、かなり厳しい冬になりそうな気配ですが。

2018年は、平常心で、という記事を年頭(5日)に投稿し、今のところ有言実行といったところでしょう、前述のとおり思ったほどの積雪でないこともあり、外を走る機会もそれなりに確保できています。 走った内容を記録する、という習慣。ネット上にさまざまなサイトが運営されているほか、アプリもたくさんあることから、利用されている方も多いのではないでしょうか。Nike+やJogNote、Runtastic、Stravaなど、枚挙に暇がありませんし、GPSウォッチ(ランニングウォッチ)を販売しているブランドが立ち上げているものもあります。 僕も幾つか利用させていますが、あまりにたくさんのアプリやサイトが溢れており、どれで管理をすればいいのかわからなくなる、というジレンマに陥ることって、ないですか。

実は今、そのジレンマに陥っている真っ只中なのであります。

他のラン仲間の記録に刺激を受けるのもよし、月間の走行距離を競うのもよし、人それぞれ利用目的は違うと思うのですが、冷静に考えてみると、自身の走行ログを残すことにどういった意味があるのか、そもそも、その記録を何に利用するか、ということに尽きると思います。 GPSウォッチを利用していれば、走行ログが自動的に転送され、記録されるというメリットがあります。 ただ、それだけだとその時の天候や体調、気分などは記録されません。 アプリをインストールしていれば、走り終えたすぐ後にスマートフォンから記録を手軽に残せますが、実際、それを後日見返す機会がどの程度あるでしょう。

5日の記事で、「ランニング手帳」のことに少し触れました。手書きで記録したものなのですが、「改めて読み返すことで、この時期にどんな練習をしていたのかを見直す一つのきっかけにもなります。」というものです。 昨年1月に手書きしていた内容はこんな感じ…といっても、中身はさすがに恥ずかしくて見せられません。

ところが毎年10月頃に発売されるNumber Doにこの手帳が同梱されなかったため、「最後は自分で作るしかないのかな、と考えているところ」というお話をしたのですが…。

はい、作りましたよ。システム手帳のバイブルサイズ(6穴)、無地リフィルに自分でデザインした罫線を引いて、1か月分が見開きになるように。日毎のスケジュールと距離・時間、そしてメモ・感想欄を設け、書き込めるようにしました。 そして、昨年のランナーズ手帳と決定的に違うところが一つ。気分や体調を総合的に勘案して、その日その日の状況をシールで表す、ということを始めました。赤は好調、青は平常時、黄色は不調で色分け。


(こちらは内容も色もお見せできません。すいません。)

書き込んだデータと合わせてみれば後日、振り返りの際に「ああ、この頃はこんな状況だったんだな」というのがわかる、というものです。リフィル式なので、その気になれば何枚でも増やすことができるし、デザインの微調整もできますが、これは良し悪しあるので今後の要検討課題でしょうか。 こればかりは3日坊主にならないように気をつけたいと思います。

ということでこの期間、一応「冬眠中」という触れ込みですので、アプリへのラン記録の転送は当面行わない予定。雪が解けたら考えまーす。

増田の内蔵

先日、会議に出席するために秋田県横手市を訪れました。翌日は横手市周辺を視察したのですが、その時にとても荘厳なところを訪れたので、今日はその訪問記を。

横手市は、平成の大合併により、1市4町2村が合併、現在は秋田県内で秋田市に次ぐ第2の人口規模(9万2千人程度)となりました。(僕の記憶の中では、かつては大館市が秋田県内第2の市だと思っていたけど、合併を経て横手が第2の市になっていた模様。)
横手市と合併する前の旧・増田町は、古い時代から日本海側と太平洋側を結ぶ交通の要衝に位置していました。二つの街道が交差する近くに位置していたこと、肥沃な土地や水にも恵まれていたことから、米はもちろん酒造りや葉たばこ、養蚕も盛んに行われ、農業や商業で栄えた町だったようです。実際、北都銀行の前身となる旧・増田銀行がこの地に設立されたほか、水力による電力業を営む者が現れるなど、町の規模からは想像できないほど商業や農業が盛んだったことが窺えます。

この辺りは、積雪が2メートルを超えることがあったほどの豪雪地帯。
ここに、「内蔵(うちぐら)」と呼ばれる、いわゆる「建物内建物」が建てられるようになりました。「内臓(ないぞう)」じゃくて、「内蔵(うちぐら)」です。「内蔵(うちぐら)を内蔵(ないぞう)した建造物」みたいな感じでしょうか。「内蔵内蔵建造物」って、意味がわからないですね。すいません。
通りに面した「主屋」からは見えないところ、商売を営む空間や居住空間、生活空間の更に奥の場所に建てられ、「鞘(さや)」と呼ばれる上屋で覆われたのが、「内蔵」なのだそう。完全にプライベートな空間だったため、地元の人ですら隣の「内蔵」がどんなものなのかは知らなかったようです。

「蔵」といえば普段あまり使うことのない調度品や家財道具などを所蔵するためだけの空間だと思っていたのですが、この「内蔵」に関しては、収蔵を目的とした「文庫蔵」のほか、商売が隆盛を極めるとともに居住空間が減ることとなり、座敷間が置かれた「座敷蔵」としても利用されていたようです。例えば、要人を招き入れる応接間のような形で使われたり、結納が行われたり、亡くなった身内を安置したり。そういう意味では、家族にとって非常に大切な、そして神聖な場として利用されていたようです。

横手市内で会議が行われた翌日、この増田地区を視察する機会を頂きました。
一見すると何の変哲もないというか、どこにでもありそうな街並み。語弊があるかも知れませんが、市町村合併の煽りを受けて衰退の途を辿った、田舎町の小さな商店街、といった感じ。平日の日中だったということもあるとは思うのですが、街は閑散としていました。

ところが街並みをよく見ると、建物が並ぶ中に屋根の高い木造の建築物がちらほら紛れているのです。横手市が開設しているHP上には、この一帯を上空から撮影した写真が掲載されており、この一角だけ建物の大きさが違うのが一目瞭然です。


(路上のマンホールには、この町出身の漫画家・矢口高雄氏の「釣りキチ三平」が描かれていた)

増田~内蔵のある町~

間口はさほど広くないのですが、一歩中に入ってみると建屋がずーっと奥まで続いており、とてつもなく巨大な長屋といった感じ。豪雪から自分の生活を守るための知恵なのでしょうか、家の中に掘られた「井戸」があるのも驚きでした。

増田町が合併する直前の町長で、現在は(一社)増田町観光協会の代表理事会長を務める千田さんのお話に耳を傾けながら、予備知識も何もなくこの地を訪れたことを激しく後悔していました。

なぜかここ最近、生活感溢れる古い建物や鉄道の廃線跡等(線路が残っているのが望ましい)など、昭和やそれ以前の名残を残すような建造物や構造物に対する興味が湧いていて、今回の視察はまさに打って付けの内容でした。

建物の奥にどーんと現れた黒漆喰の蔵。蔵の周囲には、荷物などの出し入れの際に蔵を傷つけないよう、漆が塗られた手の込んだ建具が施されているほか、煌びやかな屏風などが置かれています。

最初は「これ、わざわざ観光用にセットしたのかな」と思ったのですが、実はありのままの姿だったらしく、この地域で商売を営む方々が、普段は質素な生活を送りながらも、いわば秘密基地のような大事な空間を保有していたことを示しています。

更に、蔵の扉(女戸、男戸)の前には、板で蓋のされた穴があり、そこには「味噌」が隠されているとのことでした。なぜこんなところに味噌が?実は火災が発生した時、閉めた蔵の扉の隙間を味噌で埋め、内部の延焼を防ぐという防御策。もちろん普段は食用として利用していたとのことです。そういった生活の知恵が隠された、いかにも観光地慣れしたというか、垢抜けたところが全く感じられない、普段通り飾り気のない一つ一つ(もちろんそれなりに装飾しているところもあるのですが)が美しく、とにかく興味をそそられるようなものばかり。何が飛び出すかわからない、玉手箱みたいな空間といえばいいのかな。まさに「宝庫」のような空間でした。

増田地区にある「内蔵」は昭和以前に建てられたものが多く、これまで見たこともないその重厚かつ豪華な存在感に圧倒されてしまいました。更に、その蔵に据え付けられた一つ一つの建具に光る匠の技に、すっかり気持ちが吸い込まれることに。それ以外にも、懐かしい看板や装飾品の数々に目を奪われることとなり、TDLとかUSJなんかより数十倍楽しい!と思ってしまいました。いや、楽しいというのとはちょっと違いますね。

最初は「インスタ映えしそう」とかいう、いかにも安易な気持ちでスマートフォンを掲げていたのですが、家を管理される方からお話を聞いているうちに、よく考えてみるとこの行為自体がプライバシーの侵害だし、非常に失礼だな、ということを痛感しました。
実際その姿を目の当たりにすると、一つ一つの建物や装飾品、建具に、歴史や重みを感じるはずです。


「銀杏仕上げ水切り」という技術が施された蔵。「鞘」の中に収まっているため、雨に当たることはないのですが、わざわざこうやって建具や蔵が雨に濡れないような手法を施しているあたりに、当時の左官技術のこだわりが垣間見えます。

その土地の歴史とか、発展していった背景を知ることも大事ですが、特にこの「内蔵」に関しては、できれば現在管理されている方から、その家の歴史や、蔵の造りのことなどを直接伺うことで、きっと見聞が拡がると思います。

「増田の内蔵」は、ここ数年脚光を浴びているようなのですが、認知度からすればまだまだ低いのかも知れません。秋田県内だと、「角館の武家屋敷」が有名ですからね。

増田町内には、「内蔵」「外蔵」を持つ家屋が100軒近くも点在するそうです。そういえば津軽地域にも「蔵の街」があったな、とか、家の近所にも「内蔵」のような造りの建物があったな、とか、いろんなことを思い返していました。
ちなみに現在も、蔵の存在を明かしつつも中の展示には応じていないところがあるのだそう。その理由としては、この蔵そのものがあくまでもプライベートな空間に特化されたものだから、なのだそうです。

横手市に寄贈された建造物もある中、一部は個人所有となっており、普段通りの生活や営みが行われている中で展示が行われていることから、有料での見学や事前予約が必要となるところも複数あります。今回は僅か1時間しか視察の時間がなかったため、見学したのは伝統的建造物群のある「中七日町通り」に所在する約20軒のうち、4軒程度のみでした。
最初は「カメラ持参でまた訪れよう」なんてことを安易に考えていたのですが、よく考えてみると、入館料を支払うとはいえ、各家に赤の他人が足を踏み入れることには変わりありません。

更に、増田のことを調べれば調べるほど、歴史の積み重ねによって今の姿があるのだ、ということを強く感じることとなりました。そういうことからも、家屋(内蔵)を公開している皆さんに感謝しながら拝観する、そんな気持ちで訪問しなければならないな、と思いました。
でも、やっぱりいつかまたゆっくり、じっくり時間を掛けて拝観してみたいなあ、と思った次第です。何だか厳かで、本当に見応えのある、素晴らしい地域でした。

増田地区への交通アクセス
・湯沢横手道路「十文字IC」から約10分
(東北自動車道「北上JCT」→秋田自動車道「横手IC」→横手湯沢道路「十文字IC」)
・JR奥羽線「十文字駅」からバスで約10分
(秋田新幹線「大曲駅」から奥羽線「十文字駅」までは所要時間約30~40分)

「返報性の原理」 ~見返り美人は、何処へ?

僕が内省的なことについて投稿するときは、大体テンションが下がっているとか気分がネガティヴになっているとか、そういう時が多いです。今日も何となくそういう気分の中、投稿したいと思います。

「返報性(へんぽうせい)」という言葉をご存じでしょうか。

昨年11月に都内で行われた会議で、恥ずかしながら初めてこの言葉を知りました。

人は他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱くが、こうした心理をいう。この「返報性の原理」を利用し、小さな貸しで大きな見返りを得る商業上の手法が広く利用されている。(Wikipedia)

昨年は「忖度」という言葉が突如現れ、意味もよく理解していない中で言葉だけが一人歩きすることとなり、世間を席巻しました。(→「せけん」を「せっけん」、密かに韻を踏んでいます。どうでもいいことですが。)

今年は「返報性」が流行語大賞の候補に…なるわけがないか。
喜怒哀楽、悲喜交々は、それぞれ相関関係にあって、人によってそれなりにバランスが取れていると思います。

(明と暗のバランスを保つのも結構難しい。)

因果応報は自分自身の振る舞い、行いが良くも悪くも自分の身に降りかかるという趣旨の一方で、返報性は、自分自身の振る舞い、行動の見返り(報償)を他人に求めるという趣旨と捉えるといいのでしょうね。
スーパーに行くと、返報性の原理の応酬が繰り広げられています。

(1)夕方の割引シール

「うわぁ…この肉食べたいけれど高いなあ。とてもじゃないけど買えないや。」

ところが店内を1周してきたら、その肉に30%値引きのシールが貼られていた。ここで手を伸ばすか、半額になるまで待つのか。でも、半額になるまで待っていたら売れてしまうかも知れない。妥協する程度の線を上下する葛藤。ええい、買ってしまえ!…というこれ、まさに返報性の原理。

(2)試食販売

スーパーの中で繰り広げられる試食販売。中にはこの試食だけを目的にスーパーを訪れる強者(馬○者?)もいるようだが、買い物に連れてきた子どもが親の制止を振り切って試食に手を伸ばすこともしばしば。別に買いたい訳ではないのだけど、試食までさせてもらって何となく気が引ける…ま、一つぐらいならいいか、と購入してしまうこれも、返報性の原理。

店側の「譲歩」に対してこちらも「譲歩」しなければという心理。これがまさに返報性の原理。


テレビショッピングなども典型的な返報性の原理。「通常価格1つ2万円のところを、今日は半額の1万円、更にこれだけのオプションも付いてお値段据え置き!今から30分のみの受付!」という触れ込みに、心躍らされることはありませんか。

「通常価格1つ2万円」という刷り込み、そこからあたかも「譲歩」しているかのような販売手法。「通常価格」と「実売価格」は違うよね、ということは誰も指摘しません。だから、矢継ぎ早に販売者が示す「譲歩」にどんどん気持ちが傾き、そこまで安いなら…とついつい「譲歩」、気がついたらオペレーターセンターに電話していた、などということありませんか。

高額な布団販売も似たような感じなのでしょう。1枚80万円の布団なんて買えるわけないだろう!と最初は思うけれど、5割引、6割引、いやいや7割引!と「譲歩」されると、「そこまで安くしてもらえるなら…」とついつい「譲歩」して、気がついたらとんでもないローンを組んでいた…なーんてね。(実際この「返報性」、詐欺の手法でも使われるらしいです。)

そんなことを考えると、この世には良くも悪くも「返報性の原理」つまり「見返りの応酬」が溢れているようにも思えてきます。穿った見方をするならば、オイシイ話には裏がある、みたいな感じにも受け取れるわけですが。

人は、怒っているときには怒りの程度の線があり、それに対して謝罪を試みる場合は、その線を越えなければ許してもらえないと思います。例えば、謝罪しようにも、謝って済む話じゃない、とか、そんなの謝罪になっていない、とか。その線を越えるまで謝罪を続けることでようやく許しを得るような気がします。そこまで謝ってもらうなら、こちらも許さなきゃ。

また、人は、悲しんでいるときには悲しみの程度の線があり、それに対して慰めを試みる場合には、悲しみの線を越えなければ慰めにはならないと思います。私の悲しみは誰にも理解できるものではないし、周囲をこの悲しみに巻き込みたくないし、同情もいらない、みたいな。けれど、誰かの慰めによって、その悲しみから開放されることがあるのではないでしょうか。そこまで自分に寄り添ってくれるならば、いつまでも悲しんでいるわけにはいかない。

そう考えると、「返報性の法則」ってゴロゴロ転がっているような気がしませんか。でも、一つ履き違えると大変なことに。

因果応報が自分自身への「戒め」だとするならば、返報性は他人への「期待値」。

ただ、その「期待値」を上方に設定する(他人からの「見返り」を過度に期待する)ということは、それ相応に自分自身も対応する、ということになります。ハイリターンには当然、ハイリスクが伴うわけですから。

勘違いしてならないのは、「俺が、私がこんなに頑張っているのに、何で誰にもわかってもらえないんだ!」という、「自意識」。それは「返報性の法則」云々ではなく、多分その頑張りが、周囲にとっては思ったほどではない、早い話が周囲にとっては全然大したことない、ということ。こういう勘違いというか自意識過剰が、周囲との意識や感覚のズレを生み出すこともあるので、気をつけましょう…という自分自身に対する戒め。

…さて、皆さんは周囲に何か期待していることはありますか?

何よりも、その期待に答えられるような振る舞い、行動(言動)を取っていますか?
何か最近、そういうことを考える気分にもならないかな、僕の場合は。
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荒れる成人式、今年も #fakenews

【荒れる成人式、今年も】 2018年1月9日21時00分発信

●●県××市では昨年、成人の集い(成人式)の最中に逮捕者が出たことから、800人が出席する予定の今年は警備員を4倍の80人に増やしたほか、市職員を含む係員を150人に増強。新成人はもちろん親族にも、クラッカーをはじめとする鳴り物や酒類の持ち込みを禁止し、飲酒していると認められる場合は、酔いの程度に応じて入場を断ることとした。

また、暴れる新成人が壇上に登らないよう、高さ約3メートルの鉄柵を設けたほか、万が一の事態に備え、麻酔銃を手にした猟友会のメンバーを舞台の袖に待機させるなど、徹底した対策を講じることとなった。

××市の成人の集いは毎年「荒れる成人式」として知られており、昨年は犬飼市長の挨拶中にクラッカーや爆竹が打ち鳴らされたほか、一部の集団が壇上に登ろうとする行為が続き、開始からわずか10分で中断。15分後に再開したものの、数名の新成人が壇上に登り、来賓に近づくなどの行動に出た。その際、制止しようとした警察官の腕に噛みつくなど職務を妨害したとして、公務執行妨害容疑で1名が現行犯逮捕された。その一方で会場にいた親族と見られる女性が「一世一代の息子の晴れ舞台をなぜ制止するのか」と激高、係員に詰め寄るシーンも見られた。

市ではこれまでも「市長と来賓の挨拶を一人当たり10分から3分に短縮する」「全くウケないお笑い芸人を登壇させない」などといった対策を講じてきたが、効果はほとんど見られなかった。今後も「荒れる成人式」が続くようであれば、「同じ集団が1か所に固まらないようあらかじめ座席を全席指定にするなど新たな対策を検討しなければならないし、場合によっては開催の意義そのものを再考しなければならない(市関係者)」という。

このことから、市では「苦渋の選択」として今回の奇策に打って出たが、参加者からは「動物園じゃあるまいし」という苦言や失笑の声も聞かれることとなった。

ところが厳重な警戒が続く中、今年は誰もが予想だにしなかった「新成人」が姿を見せた。昨年暮れ、神奈川県や東京都内での目撃が相次いだ、あの「はぐれ猿(推定年齢19歳・牡)」だ。

白の羽織袴姿で突然会場に現れた猿は、新成人に紛れて二足歩行のまま堂々と会場入り。パンダのようなメイクを施した女性の集団が「だからここ、上野動物園じゃないんだけど」と猿に詰め寄るが、全く意に介した様子はない。猿は、落ち着き払った様子で図々しくも最前列に席を陣取り、隣で騒ぐ集団には目をくれることもなく、式が始まると微動だにせず壇上をじっと見つめ、時折メモを取る熱心ぶり。その落ち着いた立ち振る舞いを目の当たりにした関係者は「暴れる新成人よりよほど利口」と口を揃えた。

事情を知る関係者によるとこの猿は、昨年暮れに都内での目撃情報が途絶えた直後、××市の成人の集いに出席するため、月光猿軍団に自ら志願して入門。昼夜問わず徹底的に訓練を受け、「新成人よりも落ち着いた振る舞いを会得した(軍団関係者)」という。ただし、この猿が××市の出身かどうかは不明とのこと。

一方、市が設置した鉄柵の効果は乏しく、鉄柵を難なく乗り越えて壇上に登った新成人の集団は、警備員やスタッフの制止を振り切り、壇上で大立ち回りを繰り広げることとなった。集団の大半はあらかじめ仕掛けられていたワナによって捕獲されたが、ワナに掛からなかった一部の新成人が会場から逃走を図ろうとしたため、猟友会の手によって麻酔銃が撃ち込まれた。やがて麻酔が効いて動けなくなった新成人はスタッフによって捕獲され、動物愛護センターに引き渡された。その後、背中に発信器を装着された新成人は、麻酔が切れる前に郊外の山へと放たれた。

犬飼市長は「色々あったが、今年は一名の逮捕者も出すことなく式を終えることができてよかった」とコメント。一方、市関係者からは「反省だけなら猿でもできるというが、暴れる新成人は反省すらしていない」と嘆きの声が挙がった。
また、猿が何事もなく会場入りできた理由については関係者も首をかしげており、事情に精通する者が事前に情報提供を行っていた可能性があるとして、今後、内部調査を行うこととしている。なお、当の猿は壇上での騒動の最中に忽然と姿をくらませ、その後の目撃情報も今のところ寄せられていない。
一方、山に放たれた新成人は、既に市街地での目撃情報が相次いでいるほか、近所に住む老人の背中に発信器が装着されているのが確認されており、実効性がほとんどないことを裏付ける格好となった。

壇上で暴れる新成人については今後、「少しでも良識ある大人になって欲しい」との思いから、捕獲した後に月光猿軍団へ強制的に送致することを検討したいという。しかし、軍団の関係者は「聞き分けの良い猿より質の悪い人間を、簡単にしつけられるはずがない」と受け入れに消極的だ。

今年も一部の心ない新成人によって式を台無しにされたと憤る他の新成人は「ワイドショーなどのマスコミがこぞってこのネタを取り上げるから、みんなが調子に乗る。でも今年は、貸衣装屋にみんな持って行かれましたね。色んな意味で。」と、晴れの日なのに曇った表情を浮かべた。

××市では来年も成人の集いを開催することとしているが、高さ約3mの鉄柵でも抑止効果がなかったことに衝撃を受けており、一部の関係者は「もはや有刺鉄線か電流爆破装置の導入しかない」と語気を強める。その一方で来年は、先頃7度目の引退を果たした元プロレスラー・O氏を成人の集いに招待することが内定していることから、今後の対応に苦慮することになりそうだ。