高校1~2年の頃、周囲ではバンドブームが到来していた。BOOWY、THE BLUE HEARTS、ユニコーン、THE BOOM、バービーボーイズ、TM NETWORK、BUCK-TICK、ZIGGY、プリンセス・プリンセス、SHOW-YAなと、その他にもたくさんいたが、まさに枚挙に暇がないとはこういうことを言うのだろう。
インターネットがまだ普及していなかった頃の話、音楽にまつわる情報の入手先は、テレビ、ラジオ、レコード店、音楽雑誌、そして、情報通の友人だった。音楽雑誌は様々出版されていて、PATi-PATiやGB、WHAT’s IN?は当時の貴重な情報源だった。
数あるバンドの中でも異彩を放つ中心的な存在だったのがThe Street Slidersだった。毎月購入を怠らなかったPATi-PATiに登場したのは1986年11月前後、高校1年の秋の頃だったと記憶している。表紙はもとより裏表紙には発売予定のアルバム「天使たち」の広告が全面に掲載されていた。
東南アジアを思わせるような衣装に身を纏った4人。つべこべ話しかけるんじゃねえよ、と言わんばかりの鋭い眼光。薄く化粧が施されたそのいで立ちは、どこか中性的な雰囲気も感じさせる。一体この人たちは何者なんだ?バンドを組んでいた友達の間では既に知られた名前だったらしいが、彼らの存在を知らなかったことに、何か後れを取ってしまったような焦燥感に駆られた。そして、深夜に放映されていたテレビで流れた彼らのMVを観て、釘付けになった。
程なくして、アルバム「天使たち」を購入したバンド好きの友人からレコードを借りることに成功。早速家で針を落として一聴し、その内容に度肝を抜かれることとなった。
名プロデューサーとして知られた佐久間正英や、今となっては山下達郎の相棒の一人ともいうべき難波弘之などがサポートで参加していたことを知ったのは、相当時間が経った後のこと。もっとも、今の時代に聴いても、歌詞はともかくそのサウンドに全く色褪せた感じがしないのは、名盤たるゆえんだろう。
これは完全な偏見でしかないし、お前が言うなと言われるかも知れないが、バンド活動に夢中になっていたメンバーは、どこかちょっと斜に構えていて、規則や決まり事といったことに対してもちょっと反発してしまうような、そういった顔ぶれが多かったような気がする。
僕の友達の中にもそういった人たちはそれなりにいたけれど、何せ応援団員として硬派を気取っていた(笑)時分、こっそりと、そして密かに彼らのファンを細々と続けていた。Harryのしゃがれた声、そして何とも不思議な蘭丸のギター、そしてZUZU、Jamesが響かせるリズムとの融合に、すっかり虜になっていたのだ。
とはいえ、彼らのコンサートに足を運ぶことができたのは1度しかなかった。確か大学1年の頃だった記憶があるが、それすらも定かではない。メンバーもメンバーなら、会場に集まっていたファンもなかなかの強面揃い。周囲の観客の勢いに圧倒され、すっかり浮足立ってしまったチキンの僕は、何の曲を演奏したのかもほとんど記憶として残っていないのだ。ただ、怒号にも似た観客の声が会場内を飛び交う中、ステージに現れるなり放ったハリーの「ハロゥ」という一言、あとはひたすら寡黙に演奏を続ける姿に目が釘付けになったこと、そして、アルバム「天使たち」からの楽曲はなぜかほとんど演奏されなかったことだけは覚えている。
その後も彼らの新しいアルバムが発売されるたびに聴いていたものの、時代の趨勢とは恐ろしいもので、バンドブームが終焉を迎えると、過去に心をときめかせていたバンドがどんどん活動休止や解散を表明していくこととなった。御多分に漏れずThe Street Slidersも91年に無期限活動休止。95年に4年ぶりの新しいアルバムを発表するも、その頃には僕自身の環境も大きく変わっていて、アンテナを立てる方向も変わっていた。結局、98年に発売されたベストアルバムを懐かしく聴いたが、2000年の解散まで、再び彼らに対する熱が上がることはなかった。