日別アーカイブ: 2017-02-04

伯父を訪ねて百五十里(後篇) - 第65回勝田全国マラソン


お届けしてきた第65回勝田全国マラソン、今回が最終回です。「中篇」に引き続き今日は38キロからゴールまで、そして大会全体を通じた完走…いや、感想など。最後なので、長いよ。
最初から読んでみたいという方は「前篇」からどうぞ。


38キロ付近の交差点を右折すると、勝田駅から伸びる片側2車線の昭和通りに出ます。前半の約5キロまでを走った区間に再び戻ってきました。一気に視界が広がり、いよいよゴールが近づいてきたようです。それにしても42.195キロ、長いなあ…。いい加減少し休みたいなあ…。

「あれ?Appleって書いてるんじゃない?」(伯父)
「あーっ!いたー!頑張れーっ!!」(従妹)

聞き覚えのある声にふと左側を見ると、何と伯父夫妻と従妹が手を振っているではありませんか!
「おおっ!ありがとう!」

ちなみに伯父は、先行するランナーがあまりにも多すぎて(恐らく1,200人前後が先行していたはず)、僕の姿を確認するまでは「本当に走っているのか?途中でやめたんじゃないのか?」と訝っていたらしいです。(苦笑)
そんなこととはつゆ知らず、この声援を受け、僕の中にあった悶々とした葛藤が完全に消えました。今までも声援を受けたことはありましたが、今回ほど声援が力になったことは今までなかったことでした。多分あそこで3人が声援を送っていなかったら、あそこに3人がいなかったら、僕はさらにペースを緩めていたかも知れないし、歩いていたかも知れません。3人の声援を胸に秘め、何事もなかったかのように再び力が漲り、ラストスパートといわんばかりにペースが上がります。よし、腹は決まった。今日も絶対最後まで走りきるぞ!

昨日の会話をふと思い出した39キロ付近。…ここだよ、きっとこの道路なんだよ。ここで父がねぷたを運行したんだよ。若干感傷的になりながら、父が練り歩いたであろう道を、30年以上経った後に僕が走っているという不思議な感覚。なんかうまく説明できなくてすいません。もう、ゴールしたら泣いちゃうんじゃないだろうか…。というか、既に泣きそうなんだけど。

坂を上っているようにも見える直線の道路、ここまで来ると全幅の信頼を寄せられるのは自分のみ。間もなく通過した40キロ地点で、文字通り尻に火が付きました。係員の人が「3時間3分経過!」と叫んでいるのです。30キロ以降は魔が差すと思い、全く時計を見ていませんでした。え?3時間3分台ということは、3時間10分を切るのは無理だとしても、このまま押したら15分は切れるんじゃないか!おっしゃ、行けるじゃん!
…がしかし、余力はほとんど残っていませんでした。足の裏も痛いし、もうイヤだ!…って、どっちだんずや!

それでも着実にゴールが近づいている41キロ付近。今度は「マカナエさん、ラストラスト!行ける行ける!」と声が聞こえてきました。声の主は、すぐにわかりました。スタートで声を掛けてくれたナオエさんの姿が右前方に見えます。思わず拳を振り上げます。

(ナオエさん撮影。)

その声を聞いて精一杯ペースを上げているつもりですが、大して上がっていないこともわかっていました。何人かのランナーには先行を許し、その後塵を拝しながら、右折。左手にはゴールのある石川運動ひろばが広がっています。ゴールは、まだか…ゴールは、どこだ…!沿道の人が一気に増え、声援が飛び交っていますが、全く耳に入ってきません。とにかく、ゴールを目指して余力を吐き出すのみ!

最後の左折、正面にはゴールゲートが見えてきました。黄色く枯れた芝生が柔らかくふかふかしていますが、何だか逆に走りにくいという。(ゴール手前、多分凄い変な姿勢で走っていると思います。写真が楽しみです。)
それはともかく、胸の「No Apple,No Life」を指さしながら、無事ゴール。

タイムは、3時間13分32秒。
昨年9月に記録した田沢湖マラソンの自己ベスト(3時間17分20秒)を4分近く更新して、3時間15分切りを達成。
き、切れた…。3時間15分、切った…。
46歳のバースデーランで、45歳の自分を超えた…。
しかしゴール直後、疲労困憊でしばらく動けず。

(これまたナオエさん撮影。)

ナオエさんが近くにやってきました。ちなみにナオエさんと僕とは同い年、ナオエさんは前日に誕生日を迎えたばかり。つまり、誕生日が1日違いなんです。
「お疲れさま!ナイスラン!」
「ありがとう!やった!3時間15分切れた!」
「自己ベスト?おーっ!すげえ!おめでとう!」

(46歳・亥年の二人)

一旦ナオエさんと別れ、更衣室のテントに向かうと、「あー!いた!」と、再び従妹の声。
何と、38キロ付近からわざわざゴールまで伯父夫妻と従妹が駆けつけてくれました。…もちろん車で。

「いやあ、凄いね。ホント凄いわ。ビックリだわ。」伯父は、完走証を眺めながら妙に感激している様子。
伯母も、「凄い、凄い」と喜んでいました。
「ありがとうございます!勝田で自己ベスト、出しました!鰻、効きましたよ!」とニヤリ。この瞬間、勝負メシが「とんかつ」から「鰻」に変わりました。…すいませんウソです。

12月から2ヶ月間の走行距離が累計600キロ近くまで達した中での約4分の短縮は、物足りないのか出来過ぎなのかはわかりません。ただ、正直ホッと安堵の気持ちも。何よりも伯父の目の前で「オレ、本当に走るんですよ。」という姿を見せることができました。多分この日、誰よりも伯父が一番驚き、そして喜んでいたような気がします。
せっかくなのでみんなで写真を撮ろう、と収めたのがこの一枚。

そこに涙はありませんでした。感傷的な気持ちよりも、むしろ晴れ晴れとした気持ち。この日、この大会に足を運ぶ理由は、ちゃんとあったんだ。この大会に出場して本当に良かった。心からそう思った次第。

そしてここで伯父夫妻、そして従妹にお礼を伝え、再会を約束して別れました。その後僕は、勝田駅に徒歩で先に向かい、後からやってくる予定のナオエさんと待ち合わせ。誕生日の贅沢ということで独りでグリーン車に乗車して、3日間我慢したビールで祝杯を上げ(周囲で飲んでいる人はほとんどいなかった)、一路上野へ。
そして羽田空港を経由して無事弘前に戻ってきたという1泊2日の行程でした。

さて、レースのおさらい。
勝田は比較的平坦で記録が出やすい、との前評判でしたが、走ってみたらそんなに平坦じゃなかったです。
風向きが違っていれば、こういう結果にならなかったかも知れません。特に「キモ」として捉えていた前半13~15キロに現れる下りと上り、そして30~35キロで連続するアップダウンと狭い道路は、結構精神的にも肉体的にも堪えます。そういう点で今回は、曇りがちだった天候と35キロからの追い風に助けられた感じ。

今回、いつものようなきめ細かい補給をしませんでした。これも試行錯誤の一環。
オフィシャルの給水エイドは40キロ以外は全部潰しました。前半はポカリスエットがメインでしたが、補給を開始したあとは水がメインでした。いつもは10キロから補給を開始するのですが、今回は15キロでアミノバイタルゴールド、28キロで私設エイドの水を頂きながらパワージェル梅、そして35キロでカフェイン入りのジェルを投入しただけ。この他25キロで塩熱サプリを1錠、26キロで練り梅を口にしました。25~26キロ付近の補給は、完全に足の痙攣対策です。この付近でふくらはぎや大腿部がかなりピクピク疼いていたので。これでも多すぎるぐらいかも知れませんが、正直、ラスト3キロで結構な空腹感を覚えました。ちなみに、発汗はかなりありましたが、風が冷たくてスポンジは一度も手にしませんでした。

そして何よりも今回、35キロからの大失速がありませんでした。後半はかなりムラがあったものの、35キロ以降からゴールまでで1キロ当たり4分40秒を切るペースを何とかキープ。30キロからペースがかなり落ち込んでいるような気がしていたので、正直このままズルズル行くのかな、という不安もありましたが、意外と余力が残っていましたし、35キロから追い風になったのも幸いしたようです。35キロ以降で再び盛り返した結果として、スタートのタイムロスを加味したいわゆるグロスタイムの結果では、スタートから中間地点までと中間地点からゴールまでのタイム差は、わずか1分15秒。スタートロスを差し引いたネットタイムでもその差を約2分半にとどめることができました。
これ、今回の最大の収穫です。

初めての経験となった手袋を着用したままでの給水も意外とスムーズに行うことができました。ただ、たっぷりと水が注がれた紙コップに気づかずに思わず手袋のまま指を水に突っ込んでしまったことが何回かあり、臨機応変な対応を求められたのも事実。
あ…正直言って、ひたちなか市そして東海村の水道水、薬臭い感じがしてあんまりおいしくなかったです。(苦笑)

(完走して受け取ったのは、タオルの代わりにミズノ製の長袖のTシャツ。長袖は結構珍しいです。でも、ランナーズチップは正直いらないっす。)

反省しなければならない点。
冬場ということもあって、なかなか外を走る気になれずトレッドミルを多用していましたが、結果としてこれまで絶対の自信を持っていた上り坂での失速が顕著でした。そして、その失速がその後の走りにもじわじわ影響を及ぼすこととなってしまいました。ここを踏ん張ることができれば、いよいよ次のステップが見えてくる気がします。

まあ、そういうことを総じて考えると、満足はしているものの、納得のいく結果ではなかった、かな。強いていうならば、詰めが甘かった。

しかしマラソンってホント難しい。走っている時に頭を使うと無駄にエネルギーを消費してしまうので、エネルギーの消費を抑えるため、極力脳を働かせずに頭脳戦に持ち込む、みたいな感じ。よくわからないですね、はい。ええと、だからこそこれまでどおり事前のシミュレーション、それも複数の戦術の検討やトレースは怠らないようにしよう、と心に決めました。

それにしても、恐るべし勝田全国マラソンでした。さすが歴史のある大会といえばいいのでしょうか、街を挙げての応援といえばいいのでしょうか、とにかく歓迎ムードが凄いです。どこかの街もホント見倣って欲しい!

(JR勝田駅)

勝田駅やスタート地点となった表町商店街では、横断幕や歓迎フラッグなどが掲出されている他、大会が終わった後のアフターサービスが非常に充実しているのです。例えばお茶屋さんの前では、無料で暖かいほうじ茶が振る舞われていました。思わず足を止めて頂いてしまいましたよ。これ、本当にありがたかったし、心に温かさが染みました。

飲食店は夜からの営業を繰り上げて午後から営業を開始しているところも多数あり、この日のための特別メニューなどが店先に貼られていたり、路面店のような形で焼鳥やビールなどの販売提供が行われていたりと、ちゃんと街にお金を落としてもらう仕組みを認識している感じ。
しつこいようですが、どこかの街もホント見倣って欲しい!!

さて、それはそれとして。
今回で昨年9月から3大会続けての200分切りを達成。最初の頃は、200分切りは「まぐれ」なのかな?と半信半疑でしたが、どうやら少しずつ、でも着実に地力が付いてきたみたいです。この先どうなるのかは自分でもわかりません。上ろうと思った階段は遙か向こうにあって、このまま踊り場状態から抜け出せなくなるのかも知れないし、案外あっさりと次の階段を上ることができるのかも知れない。いや、実はここが最上階なのかも知れないし…。しばらくは脚休めをしながら、次の作戦を練りたいと思います。

ということで今回、申し訳ないぐらいに最高で記憶に残る46歳の誕生日を迎えることができました。

今回お世話になった水戸の伯父夫妻やわざわざ来てくれた従妹、冬の遠征を承諾してくれた家族、会場でお世話になった皆さん、更には弘前公園ランニングクラブのメンバーをはじめ応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。
沿道で声援を送って下さったりエイドを準備して下さったひたちなか市や東海村の皆さん、そして勝田全国マラソンに参加された他のランナーの皆さん、そして大会に携わったスタッフやボランティアの皆さんにも、心から感謝申し上げます。お疲れさまでした。

後日、伯父からは当日の大会の模様を掲載した新聞の切り抜きと手紙が送られてきました。

「日頃の練習よりも”うな重”の力に驚きました。」
「あと1時間短縮すると、ぶっちぎりの優勝が出来る事を知りました。」

伯父、流石です。最高です。優勝は絶対無理ですが、もう少し頑張りまーす。
(終わり)