【快調に飛ばしてきた前篇から続く】
30キロ前後で突如現れた魔物は、脚の痛みも痙攣でもなく、「腹痛」だった。
まるで攻撃の合図のごとくギュルギュルギュル~ッと鳴った胃から下の辺りを、ジワリジワリと締め付けるような痛み。予想外の事態に慌てふためく。
確かに身体が冷えた感じがあったけれど、腹痛を引き起こすほどじゃないよな?給水を取り過ぎた?いやいや、それもない。
よりによって新川通は残り約2.5キロもある。しかし、どんどん失速していくのがわかった。マズい。これは危険かも知れない、とトイレを探すも、周囲にトイレがない。
それまで大量に掻いていた汗が、冷や汗に変わる。
意識と力の入れるところを丹田から括約筋に切り替え、ジョグペースまで落とす。
更に時折歩きながら新川通を抜け出し、33キロ付近の給水所にようやく辿り着き、仮設トイレへ慌てて駆け込む。
何だこれ?別に変なものを喰った記憶もないのに、何が起きたんだ?
レース中にトイレへ駆け込んだことは数度あるが、腹痛で駆け込んだのは今回が初めてだった。
「北海道の魔物」が、ゲリラに形を変えて襲ってきたのだ。
思い当たる節を色々考えながら、妙な違和感とともにトイレットペーパーで拭いたそれを見て、目が点になった。
白いトイレットペーパーが、真っ赤に染まっていた。
え?と思い慌てて下を覗き込むと、そこも赤く染まっていた。け、血便?
一気に血の気が引いた。
動揺を隠しながら簡易トイレを出て、気を落ち着かせる。
とにかく、まずは冷静に…。
待てよ、このままレースを続行していいものなのか?(普通ならリタイアしてもおかしくないと思います。)
タイミング良く、反対側の車線を「収容」バスがゆっくり進んでいる。
「ちくしょう…意地でも乗るものか。」
水を一杯だけ飲み干し、再び走り出すも、走っていいものなのかどうかもわからず、すぐに脚が止まる。さっきまでのゾーン状態から完全に解脱、集中力が切れた。汗も全くといっていいほど出てこない。
目の前に現れた、赤い魔物。
しかし、一体何が起きた?自分の身体で今、何が起きているんだ?頭の中が混乱しているのがわかった。
こうなるともはや、精神状態を元に戻すことも難しかった。
歩いて走ってを繰り返し、何度も立ち止まる。まだ腹部に痛みがあるわけではない。ただ単に、走るのが怖いのだ。また同じ状態になったら、今度こそ収容だ…。
沿道からの声援に応えることもできず、情けなさと悔しさが渦巻く。
しかし、ここで凹んでばかりもいられない。何でこういう状況になったのか、もう一度考えてみよう。
もはや意識を向けるのは、そこしかなかった。そして思い当たる節が、幾つか浮かび上がってきた。
薬の飲み合わせ、直前に摂取したサプリ、飲み慣れないカフェインレスのコーヒー…とにかく、普段あまり口にしないものが悪さをしたことは、明白だ。
仲間数人に先を譲ったが、その人数も顔ぶれも、どこで譲ったのか何を言われたのかも記憶に乏しいぐらい、思考能力が低下していた。いや、動揺していたといった方が正しいかも知れない。
北大のキャンパスに入ってもなお、気力は快復しなかった。脚には有り余るほどの余力があるのに、だ。
40キロ過ぎ、再びギュルギュルと雄叫びを上げるゲリラの襲撃を受け、慌てて仮設トイレに駆け込む。ゴールはすぐそこだけれど、またしても赤い魔物が姿を現した。
2度目の火炎噴射からのロケットスタート!とはいくはずもなく、トイレを出た後は疲労困憊で全く走る気にもなれない。CやDのゼッケンを背負ったランナーが次から次へと僕を追い抜いていく。Bブロックというせっかくのアドバンテージを、無駄にしてしまった。結局、周囲のランナーの流れに身を委ね、フラフラになりながら残りの2キロを走り、無気力のままゴール。
魔物に感情まで吸い取られたのか、憤りも怒りも悲しみも悔しさすらも湧いてこなかった。ただ天を仰ぎながら、空虚な気持ちだけが渦巻いていた。
3時間40分47秒は、北海道マラソンでのセカンドワースト。正直、ショックだった。
フルマラソンで(ペースランナーを除いて)3時間30分を切れなかったのも、2年ぶり。大体にして、30kmまでは順調にペースを刻んでいたのに、30キロ以降の僅か12キロちょっとに1時間30分近くも要するって、あまりにも不甲斐なさ過ぎた。スタート時の気温、湿度(気温は22度とか25.5度とか、湿度も75%とか71%とか、各紙の報じ方がバラバラだった)を差し引いても、こりゃないよな、といった感じだった。
もっとも今回は、完全に練習不足だということを自覚していたし、脚の復調具合を確認しながらのレース運びとすることを想定していた。
ただ、最低限でも3時間30分を切るタイム、あわよくば3時間15分を切るようなタイムでゴールしようと考えていたし、現に途中までは充分それを射程圏内に捉えていただけに、この結果は不本意の一言で済まされるような内容ではない。
ただし、もしもそれですら自分の気の緩みだ慢心だと言われるのであれば、「御意」と呟きながら甘んじて受け入れようじゃないですか。
強いて言うならば今回、「走り」に期待が持てない分「内臓」を万全な状態にしてカバーすることに傾注していたが、結果的にはその「内臓」のトラブルにやられてしまった。そのことが、衝撃だった。
「前半快調、後半絶不腸」「便解の余地もない」「敗戦の便」
こんなことを言っては自嘲しているが、なぜこういう形で「魔物」が姿を現したのかについては、それなりに分析を行わなければならないし、今後のレース前の過ごし方、特に直前の食事等にしっかりと反映させていかなければならない。
だってこんな魔物、二度と見たくないじゃないですか。
「失速の理由は明白だから気にするな」「それが30キロの壁」「メンタルの問題では」「寄る年波だよ」
走り終えた後の打上げで、色んなことを言われた。
それもこれも全部含めてマラソン。走り終えてからの反省と振り返りが重要なことは、充分認識している。
だからこそ、ラン仲間の声はとても参考になったし、厳しい言葉でさえもありがたかった。
それにしても、打ち上げの時の僕の凹みっぷりといったら、もう…(同席した皆さん、本当に申し訳ありませんでした。)
いつも以上に衝撃的な内容となってしまったが、そんな中にあった一筋の光明は、約1年ぶりに再会した遠方の仲間たちとエール交換できたこと。
そして、弘前・白神アップルマラソンで3.5時間のペースランナーを務める3人が一堂に会したこと。
もっとも、この結果で腐る気はないし、ここから立ち上がらないと…という思いがある一方、最近毎回同じことを口にしているような気がする。
フルマラソンの走り方を忘れてしまったというか、わからなくなったというか、何というか、ハイ。
(なぜかそれぞれ違う方を睨む黒3人)
しかし、一体いつになったら納得の行く走りに辿り着けるのだろう。
そして、一体いつになったら魔物に会い、魔物を言いくるめ、魔物と仲良くすることができるのだろう。
どうやら試行錯誤の中の停滞期は、もうしばらく続きそうな気配だ。
【完。次回は9月16日の田沢湖マラソン、「魔物は再び現れるのか!?」みんな、 乞う御期待!…って、嘘だや。】