お盆の時期となり、帰省ラッシュが始まった。既に航空便はピークを去ったようだが、JRや高速道路は今頃がちょうどピークとなっているらしい。
僕の職場はお盆に関わらず仕事をしなければならないのだが、やはりこの時期に夏季休暇をぶつける人は多く、既に4分の1程度の人が休暇を取り始めている。明日は恐らく、半数以上の人が休暇を取ることだろう。
僕はといえば、ここ数年はお盆であるなしに関わらず出勤しているような状況である。今年も出勤予定であるため、この間の日曜日に、珍しく一家総出で墓参りを兼ねた墓の清掃してきたところだ。
僕の住んでいるところは弘前市の寺院街の一角ということもあり、この時期の混雑振りといったらハンパではない。毎年ただただ閉口するしかなく、明日の混雑を考えただけでうんざりする。
だからこういう日は、誰もいない職場でゆったりと仕事をしている方がいいのだ。
といいつつ実のところ僕はここ数年、祖父母の墓前で手を合わせていない。
せめてお盆の時期だけでも、と思うのだが、なかなかうまく行かないのが現実だ。だから今度墓前で手を合わせる時は、まずは「不義理をお許し下さい」と謝ることから始めなければならないだろう。
ところで、全世界的に見ても、お盆に似た風習はあまりないようだ。せいぜい中国の旧正月ぐらいだろうか。国中の人が民族大移動よろしく田舎(地元)に向かう光景は、ひょっとしたら奇妙な事なのかも知れない。
何せこの時期はあちこちからお寺にやってくる人人人でうんざりしていることもあって(笑)、「お盆」といえば「お墓参り」といった宗教的なイメージがあるけれど、多分その一面だけで語ることは困難であり、事実、民俗的な要素もあるはずだ。
その一例が盆踊りであり、精霊流しであり、その他地域各地で行われているお盆関連のお祭りであり、イベントであろう。まあ、これらの行事も宗教行事に帰着するものではあるが、要するに先祖を敬う時期が、お盆ということになるのだろうか。ただ、僕の周りの環境では、元々「精霊流し」をほとんど見たことがないし(実は「ねぶた」、「ねぷた」がこれに代わるものだという説もある)、いわゆる「盆踊り」に興じる光景も見なくなってしまった。地域によって「盆踊り」にもいろいろあるようだが、不思議なことにこの風習については、田舎よりもむしろ都会の方が根付いているような気がする。少なくとも青森県内で大々的にやっているのはあまり聞いたことがない(せいぜい23・24日に行われる「盆踊りフェスタ」ぐらいか)。となると、「ねぶた」「ねぷた」がこれに代わるものだという説も、一理あるのかも知れない。そういえば、精霊馬もどのあたりまで作られているのだろう。
お盆の帰省にあたり、見かける光景は、地方に向かう新幹線に乗り込もうとする子供たちが、「おじいちゃんおばあちゃんのところに行くの!」と無邪気に話す姿だ。
僕の知人友人の多くも、この時期に合わせて帰省しているようだ。しかし、最近は家族がどんどん増えたり、僕自身がこんな状況だということもあって、密に連絡も取らなくなってしまったし、顔を合わせる機会がどんどん減っている。
父の生家は隣村、母の実家も車で1時間30分ほどの隣県某市にある。強いて僕にとっての「田舎」といえば、この2ヵ所になるだろうか。しかし何せ僕は青森県外で一度も生活をしたことがなく、しかも37年間のうち33年間は弘前市で生活をしている。ということで、すっかりこの弘前という風土に根付いてしまった僕は、県外に住む人たちと比べて、愛国心あるいは風土愛とでもいえばいいのだろうか、そういう感覚が希薄なのかも知れない。
だからこそ本当であれば、帰省でやってくる友人や知人を快く出迎えなければならないのに、最近それを怠っていることは、ちょっと反省しなければならない。
そう考えるとお盆というのは、単に先祖に手を合わせるだけではなく、自分の親兄弟や親族といった人たちと再会することで、血縁の繋がりを改めて認識する時期であり、自分とその地域(いわゆる地元)との関係を強固にする時期なのかも知れない。
こんな事を書いていたら、旧知の友人達に、無性に会いたくなってきた。