日別アーカイブ: 2018-08-18

お盆玉

幼い頃、お盆の時期は西目屋村にある父の生家(本家)か北秋田市(旧合川町)にある母の実家を訪れるのが毎年の恒例行事となっていた。

特に父の生家へは、正月よりもお盆の時期にお邪魔する機会が多かったような気がする。

父は5人きょうだいの真ん中で、上の兄2人は西目屋村と水戸市、下の妹2人は八戸市と花巻市に居を構えている。

記憶では、お盆の時期に一度だけ、父方のきょうだい5人が揃ったことがあった。僕のいとこやその連れ、更にはその子どもたちを加えると、軽く20名を越える大人数になったのではないだろうか。賑やかな宴席が、西目屋村の山間にある大秋(たいあき)という、今となっては限界集落の先端を行くような小さな部落で繰り広げられた。

振り返るとあの時を最後に、父の生家に泊まる、ということがなくなったような気がするし、父方のきょうだいを始め、親戚の多くが集まる機会というのもなくなったのは確かだ。

もっとも、父が他界したのは今からちょうど10年前。
父の葬儀の際に親戚一同が顔を揃えたわけではないが、少なくとも、父のきょうだいが一堂に会したのは、あの時が最後となった。

一方、母は3人きょうだいの末っ子で、母の姉(つまり伯母)は僕が高校3年の時に他界。兄(つまり伯父)は隣の旧森吉町に居を構えている。

それはともかくとして、父方も母方も、いとこの年齢がほど近いということもあり、お盆や正月は、そんないとこたちと会えることが楽しみだった。

もっとも、母方のいとこたち(我々も含めると全部で6名)とは毎年のように顔を合わせていたが、父方のいとこたちとは、時間の都合や遠方からやってくる等の事情で、なかなか全員が揃うことはなかった。
…いや、考えてみると、父方のいとこ全員(我々も含めると全部で10名)が揃ったことは、これまで一度もなかったような気がする。
特に、それぞれが結婚し、めいめいの家庭を持つようになってからは、その機会は更に遠のいた。
僕自身も、年を追う毎に公私の予定が重なるようになり、毎年恒例にしていたお盆行脚の回数が減るようになった。

かつては、正月に会う機会のない遠方の伯父や叔母からは、お盆の時期に「お年玉」を頂いていたような気がする。そして、今その対象となっているのは、「いとこの子どもたち」だ。

今年のお盆は、母方の実家にお邪魔した。八王子に住む従姉の家族とも久し振りに再会。
従姉の子どもは2人。姉は既に社会人となり、妹は高校2年。
1年ぶりの再会を楽しみにしていた甥っ子が、金魚のフンのように付きまとっていたのがなかなか笑えた。

伯父の子どもたち(つまり、いとこ)もこの時期に合わせて帰省したようだが、誰とも会うことなくUターンしたらしい。
僕らは13日の夕方から母の実家に滞在し、14日の午後に戻ってきたのだが、13日の夜、伯母が何やら聞き慣れない言葉を呟きながら、甥っ子にポチ袋を渡していた。

「お盆玉!お盆玉!」

「やめてやめて!気を遣わないで。お願いだから!」と嘆いたのは母親(妹)ではなく、祖母(うちの母)。

お盆玉…?初めて聞いたぞ。造語か?…と思ったら、翌日のニュースで取り上げられていた。
「お盆玉」、古くは江戸時代からごく一部の地域でお盆の時期のお小遣いとして渡されていたのが、数年前から全国的にもジワリジワリと浸透しているらしい。

どうやら「お盆玉」を知らなかったのは僕だけだったようで、この時期に合わせたポチ袋も販売されているとか。
年配の親戚からしてみれば、毎年会えるかどうかわからない孫や親戚の子どもに、少しでもお小遣いをあげたくなる、という心情なのだろうか。

確かに自分の幼い頃を思い返してみると、お盆に親戚からお小遣いをもらったことが多々あった。
今思い返してみると、たくさん子どもがいた時のそれは、結構な金額となったことだろう。親戚の皆さんには何だか申し訳なく…。

そんな中でも一番のお小遣いは、母の実家から弘前に戻る際、伯母や祖母から「(アイス)クリームでも買って行ぎへ。」と、ティッシュペーパーにくるんで渡された1000円札だった。

甘やかしてはいけない、気を遣わないで欲しい、色んな思惑が交錯するのだろうか、母はこの頃から「ダメだって!お願いだから!」と嘆いていたことを思い出した。「まんず、いいがら。」との押し問答の挙げ句、僕の手にはティッシュペーパーが渡され、最後は「あい~、しかだね。」の一言で収まるんだけど。

(JRでもなければ三セクの秋田内陸線でもなく)国鉄阿仁合線から乗り換え、鷹巣から弘前へ向かう奥羽本線、時々乗り合わせた急行の車内では、高確率で車内販売が乗車していた。
販売員に声を掛け、妹と二人で濃厚ミルクのアイスクリームを買って頬張るのが楽しみだった。

思い起こすと、あれが僕にとって最高の「お盆玉」であり、最高の「贅沢」だったかも知れない。