2007年に出版された村上春樹氏の「走ることについて語るときに僕の語ること」を今頃になって読み終えた。
氏の本はこれまでたくさん読んできたけれど、この書籍については、何となく読む気が起きなかった。
多分それは、虚像と現実の混じり合った独創性ある非現実という村上ワールドとは異なる、いわば現実社会における著者の生き様を読んでもきっと面白くないだろうと感じたことが一つ。そしてもう一つは、僕自身が「走る」ということに特に積極的に取り組もうとしていなかった頃、数千分の1、いや数万分の1という中に埋もれた一ランナーとしての著者の走破記には、あまり興味が沸かなかったというのがもう一つの理由。
ちょうどこの書籍が発刊された年(2007年)に東京マラソンが始まり、それまで走ったことのない人たちのマラソンへの関心が一気に高まった。思えば僕も、この年の人間ドックで脂肪肝を指摘され、他の数値も一気に赤丸急上昇、このままだと成人病予備軍まっしぐらの宣告をされたんだった。
それを機に、(内臓脂肪を削ぎ落とすため)走ることに対する興味をちょっとだけ持ちはじめ、気がつくと弘前市内はもとより出張がてら八戸市や皇居の周り、被災地支援の時は早朝、宮古市の山間を走り始める一方、この本のことは存在すらすっかり忘れていた。
爆発的な売上げを記録した「1Q84」を発刊した著者が、「僕は走り続けてきた、ばかみたいに延々と」と題したインタビューに答え、その内容が「Number Do」に掲載されたのが今年3月。
折しも東日本大震災直後で、とても走ることなんて考える余裕なんぞなかったし、こういう書籍を手にすることすら憚られたのだが、8月になりようやくこの書籍を購入。そのインタビューを読みながら、にわか市民ランナーの僕は、無性に「走ることについて語るときに僕の語ること」を読みたい、いや、読まなければならないという衝動に駆られた。
このNumber Doに掲載されたインタビューは、いわば「走ることについて…」のバックグラウンドみたいな内容。なので、もし先に「走ることについて…」を読み終えている方には是非読んで欲しいと思う。まぁ、村上フリークであればきっととっくに読み終えていると思うけど。
実際「走ることについて…」を手にして読んでみると(文庫本が発刊されていたのは、財布にも持ち運びにも非常に助かった)、ランナーとしての体調管理はもとより、身体や脳に起こる変化など、読みながら「あー、なるほど…」と思うような、にわか市民ランナーの僕でさえも共感できるようなエッセンスがいろいろ鏤められていた。
そしてその内容は、僕が先入観で決めつけていたランナー・村上春樹の生き様だけではなかった。大げさな言い方をするならば、生きていく上での知恵。
人生を「走る」ことに例える人がいる。「人生の折り返し」なんて例える人もいる。「走馬燈のように駆け巡る」なんていう言い方もある。
そう考えると、「生きること」と「走ること」というのは密接な繋がりがあって、「走る」を「生きる」に置き換えると、いろんな場面で相通ずるところがあるんじゃないか、なんて、何か物凄く劇的な発見をしたような気分に浸っているバカがここに約1名(笑)。
とりわけサロマ湖100kmウルトラマラソンを走り終えた後の「ランナーズ・ブルー」という表現は、もはや人間の限界を超え、いわば「走る機械」と化してしまった著者が、ゴールを迎えた後から走る事への楽しみや意欲を失った独特な言い回しだ。
僕自身、まだ自分の限界を見たことがない(11月初旬に初めて練習でハーフを超える距離を走ってみたが、それが限界だとは正直思えなかった。)と思っているので、このランナーズ・ブルーという心境に陥ったことはないし、逆にランナーズ・ハイに陥ったこともないのだが、誰しも生きているうち、こういう限界というか壁を乗り越えなければならないときがやってくるのだ、ということをふと思った。自分自身がそういった壁を意図的に越えようとしないことに対しての戒めという意味合いも込めて。
…まあ、僕みたいな邪な考えの持ち主は、一度何も考えず20キロぐらい走ってみて、歩けなくなるぐらいまでヘトヘトになりながら復路を戻ってくればいいのかも知れない。泣きながら「ごめんなさい」ってみんなに謝りながら、人に支えられながら生きているということを実感した方がいいのかも知れない。
さて、それはともかく「走ることについて…」を読み進めるうちにふと思ったことがあって、それは、今僕が走っている目的というのが、当初の目的からかなりズレはじめているということだった。
当初は、脂肪肝を含む内臓脂肪の軽減、体重の減少を目的として走りはじめたのに(翌年にはその効果が明らかとなったのだが)、今自分が走っている目的というのは、タイムとか距離とか、そういうところに重きが置かれていて、結果、どのようにしたら長距離を楽に走れるか、ということを脳で考えるようになっているようだ。
だからここ数か月、少しずつ走る距離を伸ばしているにもかかわらず体重はほとんど変わっていないし、体脂肪率も非常に怪しい数値(19~20パーセント)を常時指すようになった。それは多分、体力を温存しながら長距離を走る、あるいはそれ相応のタイムで走る、ということを頭で考えるようになっているのが理由なのだろう。要するに、何というか「足で走る」んじゃなくて、「頭で走る」ようになったというか…。何だろう、うまく言えないな。
他人に言わせると、走る前と比較して僕は結構「細くなった」らしい。ところが実際体重がそれほど変わっていないということは、脂肪が筋肉に置き換わったから、あるいは密度が濃くなったから、という都合のよい解釈をすればいいのだろうか。
まあ、いずれにせよ来月人間ドックがあるので、その結果如何では、雪解け以降の来春(降雪期間は雪かきに尽力し、ほとんど走る事はないのだ)にどういう取組をすればよいのかという方向性を改めて確認するいいきっかけになるかも知れない。
閑話休題。
著者が巻末で述べたような格好いい台詞を墓標に刻むことはできないが、ちょうどいいお湯に浸かりながらのほほんと暮らすような人生よりは、もう少し冒険してみてもいいのかな、とか思ったり。
きっとこの時期、このタイミングでこの書籍を手にしたことに、何か意味があるのだろうと思った。そして少なくともこの後も、2度3度と読み返す機会が来るだろう、そんな書籍だと確信した。
ちなみに僕、ここ2年連続で走ったアップルマラソン(10キロ)のゴールの時は、ゴール直前で必ず拍手してるんだけど、それって自分自身への拍手であると同時に、応援してくれた皆さんや僕を見守ってくれている色んな人たちへの拍手なんです。ホントはね。もっと感謝の気持ちを表に出さないとなぁ…。
僕の足は立ち、歩き、走るためにある。
Leave a reply