月別アーカイブ: 2016年4月

2016年、春。弘前さくらまつり

今年は暖冬だったこともあり、弘前公園のさくらの開花は例年より早いと言われていました。そして、亡父の誕生日でもあった4月18日に開花、23日には満開を迎えました。23日の早朝、弘前公園RCの恒例となったお花見ラン。しかし、色々あってとても花見気分にはなれず、結局その日の朝に公園内を軽く走った後は、弘前公園に近寄ることもしませんでした。(もっとも、混雑が嫌いというのも要因の一つではありますが。)

しかし、Facebookをはじめ、友達や知り合いが続々とアップする園内の光景を目にしながら、徐々にその思いは強くなっていきました。
「やっぱり弘前公園のさくらが観たい。」

…そして27日午後、2時間だけお休みをいただき、気晴らしと散策がてら弘前公園へ。

ちょうど満開を過ぎ、花筏が出来つつあったこのタイミング。弘前市民として、やっぱり足を運んでよかったな、と。

ついでに撮影の練習。

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さくらは毎年咲くけれど、もう逢えない人もいる。
4月はさくらの季節。でも、時々雪だって降る。

出会いと別れ。春って切ないですね。

D’Angelo ft. Princess: Sometimes It Snows in April

風ニモ負ケズ 自分ニモ負ケズ -第4回イーハトーブ花巻ハーフマラソン

22日未明に飛び込んできたプリンス急逝の報で、僕はかなり動揺をしていたらしく、金曜日は何をしたのかほとんど覚えていないぐらい上の空状態だったようです。
土曜日朝、弘前公園RCのお花見ラン。走ることは軽めにとどめ、カメラマンに徹しました。仲間の楽しそうな顔を見ることができただけでも、多少気は休まるものです。

ただ、時間は止まるわけではないので、いつまでも悲しみに暮れているわけにはいきません。昨年から銘打った「ジャパン・ツアー 2016」がいよいよスタートします。今季第一戦となる24日は、岩手県花巻市でのハーフマラソン。今回で出場3回目となりますが、初めての出場はPB更新、2度目となった昨年は怪我をした影響で大失速、不甲斐ない結果となりました。さて、今回は…。

皆さんがオンシーズンとなる冬の時期、僕はオフシーズン。この間をどう過ごすかが鍵を握るんだな、ということにようやく気づいた2016年の冬。室内でのトレットミルに汗を流しながら、これまで徹底して避けていたある取組をやっていました。

そしてその内容を踏まえ、24日の大会でやってみよう、と考えていたことがありました。
それが、ハーフマラソンでの90分切り。
単純計算すると、約21キロを90分で走るということは、30分で約7キロ走るということ。1キロを4分20秒で走ると、3キロを13分。これを単純に7倍すれば、約21キロを91分で駆け抜ける、ということに。つまり、90分以内で走るということは、これよりも速いペースで走らなければなりません。
4月に再開した朝練でいきなり、1キロを4分15秒ペースで走る練習を取り入れてみたのは、こういう伏線からでした。

まあ、やってみなければわからない。達成すれば本望、できなければそれが今の実力だと割り切ればいい、ということで。

大会当日。
雲一つない快晴。スタートは8時50分。心地よい風が吹いていましたが、気温は15度近くまで上昇していました。
これまでであれば遠慮がちに「1時間30分以上1時間45分以内」の列に並ぶのですが、今回は迷うことなく「1時間15分以上1時間30分以内」の列に並びました。「今回は参加者が多くてスタートが混雑しそうだから、前方に並ぼうかな。」と口にはしましたが、僕の腹はもう決まっていました。「今日は、90分を切る。」

時間はあっという間に経過し、8時50分、号砲とともにハーフの部がいよいよスタート。まずは流れに身を委ね、ペースを探ります。最初の1キロは3分58秒。もちろんこんなペースが持続するわけがないので、ひとまず4分10秒前後に落ち着かせます。これでもまだ速いんですけどね。3キロ手前で交差点を右折、背中に追い風が吹いているのが分かりました。追い風ということは、折り返した帰りは向かい風。そのことを考えて脚力を温存しないと、後半持たないな…なんてことを考えながら淡々と走り続けます。

5キロ地点は20分50秒で通過。むむ…ちょっと突っ込みすぎたけれど、このまま行ってみるか。
7キロ通過は29分30秒。このペースで押し切れば90分切りは充分可能となりますが、そんなうまく行くはずがない、と先のレース展開を考えていました。そして、この時点で時計に目をやるのを、やめました。

10キロ過ぎの折り返し地点を過ぎたところの給水所では、今回も世話になった叔母が給水の手伝いをしているとのこと。折り返す手前で叔母に声を掛け、折り返し直後に叔母から水を受け取るはずが、先に違う方から受け取るという失態。でも、向かい風とダラダラとしたアップダウンで落ちかけていた気持ちが、叔母の声援を背中に受けて再び盛り上がったのは間違いありません。
折り返し後の14キロ地点で左折。残り7キロですが、いよいよ向かい風に晒されることとなります。せめてもの救いは、気づかないほど緩い下り基調だったことでしょうか。そして15キロ過ぎで、左脚のふくらはぎがピクピクとうずき始めます。幾度となく経験した、痙攣の兆候。水分は充分補給していたつもりでしたが、気温も上昇し始め、かなり発汗していたようです。今回、初めてキャップを被らずに走っていましたが、後頭部を数回水で冷やしました。少しだけペースが落ちたことを悟りました。

でも、これまでの僕であれば、ここでビビって足を止めるかスピードを緩めてしまうのですが、この日はとにかく押して行こう、と決めていました。何がここまで僕を駆り立てているのかは、わかっていました。右手首に巻かれたリストバンドに施された、プリンスの「シンボル」。腕を振る度にチラリチラリとそれが目に飛び込んできます。
…と、なぜか頭の中で「Let’s Go Crazy」が流れ始めました。そしてそれは18キロ過ぎまで、延々とループされ続けていました。
風は向かい風になったり収まったり。この間、何人を抜いた、何人に抜かれたという記憶がまるでありません。完全に「無」の状態になっていたようです。
18キロ手前で再び左折。向かい風は相変わらず。ここまで何度足を止めようと思ったことか…。ふと、ペーサーよろしく僕の前を走る人が、何度も時計に目をやっていることに気がつきました。この人も90分切りを狙っているのだろうか。今、どれぐらい経ったんだろう。そんなことを考えつつもなお、自分の時計には目をやりませんでした。

程なく残り2キロを切り、本当に苦しくなってきました。一方、15キロ付近で気になり始めた足の痙攣の兆候は、ほぼ収まっていました(ただし時々ビクンビクンと反応あり)。
結局のところ、足が痙攣するよ、と脳が悪戯をして、僕を休ませようという魂胆なのでしょう…と、全ては自分の身体の中で起きていることなのに、他人事のように分析をする自分。もういいよ、立ち止まって休もうよ。でも、ここで休んだら、それで終わりだよね。
そんな葛藤を繰り返しているうちに、残り1キロ。これって90分切れるのか?間に合うのか?間に合わないのか?どうなんだ?…でも、絶対に時計は見ません。時計を見た時点で緊張の糸が切れるのを知っていたからです。
左手には、先着していたMさんの姿が見えました。Mさんは僕を見るなり時計に目をやり、「行ける行ける!90分切れる!ラストラスト!」と叫びながら、ついさっき走り終えたばかりのはずなのに、僕より速いペースで走り始めました。そのペースに食らいつこうとする僕。まさに余力を出し切る思いでした。
Mさんから声を掛けてもらい、ペースを少しだけ上げたこの時、箱根駅伝で優勝した東洋大がテーマとしていた「1秒をけずりだせ」の意味が何となく分かったような気がしました。

いよいよ、ゴールのある競技場トラックが見えてきました。そしてトラックに入り、初めて電光掲示板に目をやると、「1:29:30」の文字が飛び込んできました。ヤバい!これだと90分切れない!多分、相当必死の形相でゴールを目指すこの時の姿は、見られたものではないと思います。(あとでアップされるであろう写真が、違う意味で楽しみです。)
そしてゴール!恐らく90分は切ったと思いますが、どれぐらいのタイムなのかは、この目で確認することができませんでした。ここ最近の大会で一番荒くなった呼吸を、しばらく時間を掛けて落ち着かせ、記録証を受領。タイムを見て、思わずにんまりしながら小さくガッツポーズ。
1時間29分52秒。公認コースでの自己ベスト更新で、とうとう90分切り達成!

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芝生にへたり込んだとき、時計の停止ボタンを押し忘れていたことに気づきました。でも、別にそれはどうでも良かったワケで…。
その後続々とゴールを駆け抜ける仲間の姿に拍手を送りながら、走りきった疲労感でグッタリ。
僕のすぐ後にゴールしたS先生が、「PB更新おめでとう!」と握手を求めてきました。ここで本当は歓喜の涙を流したいところではありましたが、心の中にまだ悲しみが燻っていて、涙はありませんでした。

最後声援を送ってくれたMさんがやってきました。「何とか切れました。ありがとうございます!」「おー!おめでとうございます!」「で、Mさんは何位だったんですか?」「うん。3位。」「おー!おめでとうございます!」と喜色満面に笑み。苦しかったけれど、楽しい大会でした。
満開からちょっと過ぎた桜が、綺麗だったなあ。そして、給水ボランティアや駐車場内の交通整理を行っていた花巻東高校の生徒を始めとする皆さん、本当に礼儀正しくて素晴らしかったなあ。帰り際に皆さんから挨拶されるだけで、何か嬉しくなっちゃいました。

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多分、10キロ地点に叔母がいなければ、そして、21キロ手前でMさんが声を掛けてくれなければ、90分は切れていなかったかも知れません。ハーフで90分を切るということが、それぐらい大変だということがわかりました。
しかし、フルマラソンで3時間を切って走る皆さんは、このペースでハーフマラソンの2倍の距離を走るんですよね。本当に尊敬します。凄いわ。

右手首のリストバンドをさすりつつ、そりゃココロの穴は簡単には埋まらないわなあ…と思いつつ、取りあえずやるだけのことをやって結果が出たことには、一定の満足。さて、次の目標に向けてまた頑張ろうっと。

帰りは一人、熱めの温泉で疲れを癒して帰路に就きました。ゼッケンナンバーと一緒に花巻温泉郷の割引券が同封されており、半額で入浴することが可能。花巻温泉は確実に混雑しますが、周縁の温泉郷、意外と穴場ですよ!
(ちなみに僕が訪れたのは、花巻温泉から1キロほど進んだ台温泉でした。)

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(鍵も扉もない、木製のロッカーに磨りガラス。4つある給湯口のうち、シャワー設備は一つしかありませんでした。もちろん使いませんでした。)

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(本通りから脇道の如く伸びる台温泉郷。車がすれ違うのもやっとなぐらいの車道。)

【おまけ】
花巻市郊外の台温泉を後にして、花巻ICから東北道へ。そういえば腹減ったなあ、と時計を見たら、既に12時30分を回っていました。無性にコーヒーが飲みたくなり、盛岡南ICの手前にある矢巾PAに寄ったら、なんと盛岡冷麺と炭火焼肉の「やまなか家」があるじゃないですか。
弘前市内にも店舗があるのですが、せっかくだから盛岡冷麺でも食べていこうと思い、カルビ丼とのセット(1,000円)をオーダー。言わば「ご褒美メシ」みたいなものですな。ちなみに、残念ながら炭火焼肉はありませんでした。(あ、コーヒーは食後にちゃんと購入しましたよ。)

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Princeが、死んだ。

既にニュースでも報じられているとおり、僕が最も敬愛するアーティスト、Princeが亡くなりました。57歳。

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先日プライベートジェットでの移動中に体調が急変して緊急着陸、そのまま病院に搬送されたとか、インフルエンザを罹患していたとか色々報じられていました。直接的な死因は薬物の影響によるもの、という報道がありましたが、事実関係についてはまだ明らかにされていないことがたくさんあるので、推測だけで腹を立てたり嘆いたまま記事にするのはやめようと思います。

結局日本にやって来たのは、2002年の来日公演が最後。あの時は、全国各地をツアーで回るという大盤振る舞い、しかもファンクラブ優先席まで設けられ、僕も札幌と仙台での公演を観ました。
今だから明かすと、何で東京ではなく札幌と仙台だったのかというと、もちろん青森から比較的近いということもありましたが、恐らくファンが集結するであろう東京の会場では、いくらファン優先とはいえ、いい席で観るのは難しいだろう、という判断があったからなのです。その点、きっと札幌はいい席が確保できるはずだ、と。(実際最前列だった。)
仙台では、今でも伝説ともいわれるぐらいのステージを間近で観ることができたし。…結局そのZepp SENDAIで観たライブが、最後のライブになってしまいました。
でも、あの時もしも東京にも足を運んでいれば、僕のPrinceへの情熱は更に刺激されただろうし、今よりも大勢の仲間とも知り合うこともできたのかも知れません。
奇しくも、札幌の会場となった北海道厚生年金会館は「さっぽろ芸術文化の館」と名を変え、仙台の会場となったZepp SENDAIは解体、更に、札幌公演の後、アフターパーティーが開催されたディスコ(キング・ムー)もなくなり、言わば「思い出の場所」がなくなってしまったわけで…。でも、まさか本人までいなくなってしまうとは。いつかまた観たいという夢は、幻となって消えました。

マイケルが死んだとき、そして今年に入ってボウイが死んだとき、「いつかPrinceも死ぬんだよな」と朧気ながら意識していたのは事実だけれど、こんなに早くその日がやってくるなんて…。
でも、亡くなってしまったということは事実のようなので、冷静に受け止めなければならないと感じています。というか、本当に彼が亡くなったという実感がまだないんです。彼がそんなに簡単に死ぬなんて、あり得ない。死ぬはずがない、と。
なので自己分析すると、凄く悲しい中にも、彼の死を現実としてまだ受け入れられないような状態にあるんだと思います。

マイケル・ジャクソンが死んだときは、「King Of Popが死んだ。」と世界中から悲しみの声が上がりました。
実におこがましいですが、敢えて言います。
Princeの死は、「King Of Rock」ではなく、「King Of Music」の喪失です。
だって、彼がこれまで音楽業界に与えた影響は計り知れませんから。


彼の音楽を本格的に聴き始めたのが、ちょうど今から約30年前。高校1年の時でした。Princeといえば「Purple Rain」と結びつけたがる傾向が多いけど、正直あの頃は未だ若造過ぎて、Princeの良さなんてちっともわからなかったし、むしろ気持ち悪いな、と思っていたのですが。NHK-FMの「クロスオーバー・イレブン」で彼の楽曲(それも12インチのリミックス盤)をたびたび耳にするようになり徐々に洗脳が始まり、その後小林克也さんがDJをしていた「ベストヒットUSA」で流れた「KISS」のPVで完全にやられました。だから僕が本格的に聴いた彼の作品は、「Parade」だったわけです。

それから約30年間、ハラハラもさせられたしワクワクもさせられたしドキドキもさせられました。
亡くなる直前まで決して止むことのなかった彼の音楽への情熱。まるで玉手箱みたいなアーティストでしたね。
前述のとおり、日本全国にたくさんの仲間ができたのも、彼がいたからこそ。(25年ぶりの再会、なんていうのもあったしね!)
心の支えの一つだったことは紛れもない事実。だから、その支えを一つ失ったことで、ちょっとバランスを崩しかけているかも知れませんが、今はただ「本当にありがとう」という言葉しか出てこないです。

We’re suffering from a deep sadness and powerlessness NOW.
So We don’t forget that SOMETIMES IT SNOWS IN APRIL after the PURPLE RAIN.
And We have to walk and run away from this deep sadness…It’s like a PARADE.
Ur music has always cleaned up my DIRTY MIND.
U’re THE MOST BEAUTIFUL Artist IN THE WORLD.
U’ll be living FOREVER IN MY LIFE.
All funs will always KISS, FOR YOU!!!
I don’t say Good-bye but wave my hands for POSITIVITY.
Thank U,Prince… I WISH U HEAVEN and… see U Again.

何をするにもいつも突然だし、唐突なことをされることに慣れていたつもりだけど、これはないわ。
貴方の代わりは、結局貴方しかいないんだよ。いくら何でも、これは酷いよ..。

仙台に向かう飛行機の中で見た、はにかんだような貴方の笑顔は一生忘れません。
ありがとう。本当に本当にありがとう。どうぞ安らかにお眠り下さい。ずっとずっと愛しています。

Rest In Purple…

princeinstagram
(本当に、このままフラフラ~っと逝ってしまったような感覚です。)

「東北まちづくりオフサイトミーティング第25回八戸勉強会」が開催されます!

「東北まちづくりオフサイトミーティング」は、「敷居は低く、されど志は高く」を合言葉に、まちづくり・組織づくり・人づくりを目指し、自治体や民間企業の職員・学生など様々な立場の人が交流・情報交換する組織です。

これまで東北地方の各地で勉強会を開催してきましたが、青森県内では弘前、三沢に続いて3度目の「東北まちづくりオフサイトミーティング」の勉強会が、5月14日に八戸市で開催されます。

青森県は3月の北海道新幹線開業や中国との定期航路の開設に向けた取組など、相変わらずホットな話題に事欠きません。が、その一方で、県内の人口がついに130万人を割り込む見込みとなるなど、取り組まなければならない喫緊の課題もあります。

国内の地方が抱える「悩み」「弱み」は、恐らくどこも似たような感じなのではないかと思います。地方分権とは名ばかりで、結果的に一極集中型となっている社会構造、国内全体の人口が減少しているという現実の中、各地域の人口減をどう食い止めるか(あるいは人口を増やすか)躍起になっているのは、多分どこも一緒ではないでしょうか。更に追い打ちを掛けるかのように若者の流出による第一次産業を中心とした後継者不足、そして郊外型店舗やコンビニの進出による旧来型商店の弱体化、町内会をはじめとする地域コミュニティの衰退…などなど。

こうすればいいのに、ああすればいいのに、オレだったらこうしたいのに、ああしたいのに…色んな思いを抱いていてもなかなか形にすることができないというもどかしさ。どうせ一人じゃ何もできない、というのであれば、同じ志を持つ各地の仲間とともに考え、その思いを共有してみませんか。

東北まちづくりオフサイトミーティングは、そんな「きっかけ」を提供してくれる場でもあると思います。

今回は、「地方の夜明け 樋渡社中みちのく八戸編」をテーマに、いわゆる「TSUTAYA図書館」の導入で(良くも悪くも)話題となった、元佐賀県武雄市長の樋渡啓祐氏による基調講演の他、県内で活躍するお二方の事例発表を予定しています。

そして座学のあとは、(事実上のメインイベントである)懇親会で、八戸市の夜を楽しみましょう。

翌15日は、八戸市蕪島から福島県まで続く「みちのく潮風トレイル」のプチ散策を予定しているとのこと。参加者も全国から続々と集まっているようですので、興味のある方は是非会場に足を運んでみませんか。

私事ではありますが、実は5月8日に「八戸うみねこマラソン」に出場予定。(2年ぶり2度目、ハーフマラソンを走る予定。)
なので、八戸市に立て続けでお邪魔する予定です。(…といいつつ実は今週末も八戸市を訪れる予定なのです。)
そう考えると、別に「八戸うみねこマラソン」に出場しなくてもいいんだろうか(笑)。
…いや、出るんですけどね。

以下、公式案内から。
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東北まちづくりオフサイトミーティング第25回八戸勉強会
「地方の夜明け 樋渡社中みちのく八戸編」

都会への若者の流出や少子高齢化、価値観の多様化、そして1億総活躍社会の実現に向けた社会の動きなど私たちを取巻く環境は転換期を迎えていると言っても過言ではありません。
このような時代の中で、市立病院の民間移譲やSNSを活用した情報発信、市立図書館の指定管理者制度導入など斬新な発想と様々な政策を実践し続けてきた樋渡啓祐氏をゲストにお招きし、これからの地方のあり方についてお話しいただきます。
また当日は、青森県内で住民と一緒に様々な活動に取り組み“おもい”を“かたち”にしている、2人のキーパーソンから活動や地域に対する“おもい”、そして活動の内容について事例発表をしていただきます。
樋渡氏の講演と事例発表から、これからの地方のあり方について参加者で考え、また青い森に吹く新しい風を感じていただければと思っています。

◎勉強会
○開催日
5月14日(土)13時~17時(受付11時~・開場12時)
※早めに受付を済ませていただき、八戸市中心街でのランチや街歩きをお楽しみください。

○会場
八戸市公会堂 文化ホール
(青森県八戸市内丸1-1-1)

○ゲストスピーカー
基調講演「地方の夜明け 樋渡社中みちのく八戸編」  講師・樋渡啓祐氏(元佐賀県武雄市長)
実践事例発表「青い森に吹く新しい風~私の“おもい” 私の“カタチ”~」
発表者 市民集団「まちぐみ」 組長 山本耕一郎 氏
たびすけ(合同会社 西谷)代表 西谷雷佐 氏

○スケジュール
12時    開場
13時    開会
13時15分 事例発表&トークセッション
14時50分 休憩
15時    基調講演(樋渡啓祐氏)
16時45分 写真撮影&閉会
17時    終了

○定員
400名(どなたでもご参加いただけます)

○参加料
1,500円(大学生500円、高校生以下無料)

◎交流会(懇親会)
○日時
5月14日(土)18時~20時
○会費
4,500円
○場所
Dining 六助(青森県八戸市長横町4-8)
http://dining-rokusuke.com/

◎エクスカーション(みちのく潮風トレイル体験版)
○日時
5月15日(日)8時30分~11時
○集合場所
JR八戸線 鮫駅
○解散場所
JR八戸線 種差海岸駅
○参加料
無料(※ただし、集合・解散場所までの交通費などは実費負担となります。)
○内容
「みちのく潮風トレイル」とは、東北地方太平洋沿岸地域に整備するトレイル(※)コースのことです。今回は八戸・階上区間のうち、鮫(蕪島)~種差海岸間を体験いただきます。
環境省では、東日本大震災からの復興に資するため、森・里・川・海のつながりにより育まれてきた自然環境と地域のくらしを後世に伝え、自然の恵みと脅威を学びつつ、それらを活用しながら 復興することを提唱し、平成24年5月に「三陸復興国立公園の創設を核としたグリーン復興のビジョン」を策定しました。このトレイルコースもそのプロジェクトのうちの1つです。

※トレイルとは、森林や原野、里山などにある「歩くための道」を指す言葉です。歩くスピードで旅することで、車の旅では見えない風景、歴史、風俗や食文化などの奥深さを知り、体験する機会を提供するものです。

申込みサイト
http://kokucheese.com/event/index/386123/

勝者と敗者

誰が考えたのかは分かりませんが、数年前には外資系企業で新入社員向けに配られたという、結構有名な教訓をたまたま目にしました。(グリーンとバンカーの例えになっているものもあり。)
勝者と敗者という分類が正しいかどうかは別として、改めて読み返してみると、悲しいかな僕は圧倒的に敗者寄りなのかも知れないなあ、と思ったところです。内容、そのままパクリます。

ふんいき

勝者は、常に問題解決に寄与する。敗者は、常に問題を引き起こす。

勝者は、常に企画計画を持ち語る。敗者は、常に言い訳を考える。

勝者は、常に“引き受けた”と言う。敗者は、常に“私と関係ない”と言う。

勝者は、常に解決法を考える。敗者は、常に問題を指摘する。

勝者は、常に“難しいが可能だ”と言う。敗者は、常に“可能かもしれないが、難しすぎる”と言う。

勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。敗者は「私のせいではない」と言う。

勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。

勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。

勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。敗者は問題の周りをグルグル回る。

勝者は償いによって謝意を示す。敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。

勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。敗者は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。

勝者は「自分はまだまだです」と言う。敗者は自分より劣るものを見下す。

勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。敗者は自分より勝るものを不快に思い、アラ捜しをする。

勝者は職務に誇りを持っている。敗者は「雇われているだけです」と言う。

勝者は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。敗者は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。

勝者たれ

勝者になっていった人をこれまでたくさん見てきました。じゃあ、お前はどうなんだ?と自問したときに、まさに「言い訳」を考えようとする自分がいるわけで。この時点で既に敗者ってことだ。

そしてもう一つ。僕の中では仕事のことも私事のことも全部ひっくるめて、胸にグサリと刺さった言葉を紹介したいと思います。

努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する。
-ヘンリー・フォード

ローマは一日にして成らず、ですか。今日はちょっと自分の立ち位置というものをマジメに考えてみました。
…あ、そうそう。「ふいんき」じゃなくて「ふんいき」ですから。