日別アーカイブ: 2017-05-19

鉄道にまつわる思い出話(その2・今となっては笑い話?)

(甥っ子に友情出演してもらいました。画像は全く関係ありません。)

いつもいつも投稿の内容が凡長で本当にどうもすいません。といいつつ今日もまた長いです。お時間がありましたら、是非お付き合いください。鉄道にまつわる思い出話の第2弾、今回の話は一生忘れることはないでしょう。というか、個人的には一生涯封印しようと思っていたお話です。…あ、第3弾はないと思います。


東北新幹線が盛岡~大宮間で暫定開業したのが昭和57年6月。
実はその数ヶ月前、僕はいち早く東北新幹線に乗車する機会を得ていました。
当時国鉄に勤めていた伯父が「東北新幹線の試乗会が盛岡で行われるよ。」と教えてくれたのです。

しかし、その試乗会に参加するには条件がありました。400字詰め原稿用紙で3枚分、まさに今日、こうやって投稿しているような「自分と鉄道にまつわる話」を作文にして送り、その入選者の親子のみが試乗会に参加できる、というものでした。

ピカピカの東北新幹線に乗車できる!それも、開業前に誰よりも早く乗車できる!

当時小学5年だった僕、千載一遇の機会とはまさにこのこととばかり、苦手な作文を必死になって書いた記憶があります。書いた内容は、弘南鉄道大鰐線で運行されている車両が、かつて国電や首都圏の私鉄などで走っていた車両で、それを間近に見ることができる環境に住んでいて良かったなあ、といった内容でした。

今思えば、国鉄ではなく私鉄を題材にするという内容でよく入選したものだなあ、とも思いましたが、ひょっとしたら応募数が思ったほど多くなかったのかも知れません。(もっとも、試乗会はたくさんの人でごった返していましたが。)
ちなみに入選した作文は後日青森駅に張り出されたらしいのですが、それは自分の目で見ていません。

ところでこの試乗会、かなり前に入選と試乗会招待の知らせが届いていたにも関わらず、その朗報が知らされるまでには、相当のタイムラグがありました。というのも、親子参加での試乗会だったのに、一緒に行く予定だった母が仕事の都合でどうしても行けなくなり、僕一人を盛岡まで送り出すことに躊躇していたのです。
入選していたという知らせを初めて聞いた時、僕は天にも昇るような気分で大喜び。しかしながら母はなお、僕を盛岡まで送り出すことにゴーサインを出してくれませんでした。
いやいや、こちらは既に北秋田市まで何度も一人で訪れている経験者。「絶対に大丈夫だから!」と何度も何度も父母に懇願し、ようやく盛岡行きの了承を得ることができました。

★★★★★
試乗会当日朝の6時過ぎ、弘前駅から青森経由の急行で盛岡へ。(当初、大館(花輪線)を経由して盛岡に向かうの急行「よねしろ」に乗車したと思いましたが、青森経由の急行でした。ただ、列車名が出てきません。)

前日から興奮気味で夜も寝付けませんでしたが、車上の人になると、更にその気分は高揚することとなりました。母が握ってくれたおにぎりを口にしながら、およそ4時間かけて盛岡駅に到着、いよいよ試乗会の受付となる東北新幹線の改札前へ。新幹線乗り場は工事が全て終わっておらず、養生が施されたままの状態になっている箇所もたくさん見受けられました。長い階段で新幹線ホームに向かうと、200系と呼ばれるクリーム色に緑色の帯を配した新幹線の車両が停車していました。その車両を目の当たりにし、思わず息を呑みます。車両をバックにカメラ撮影する親子で溢れる中、僕は一人で事前に示された号車の前に並びました。

いよいよドアが開き、車内へ。まだシートにビニールシートが掛けられたままの車内は、真新しい香りが漂っていました。窓側の席はいち早く他の親子が陣取る形に。致し方なく、C列の座席にちょこんと座りましたが、小さな窓の向こうに流れる景色を眺めつつ、そのスピードに驚き、周りの人たちと一緒に歓声を上げていました。新幹線は一ノ関を過ぎたところで一旦停車、進行方向を変えて再び盛岡駅へと戻ってきました。乗車時間は1時間半程度でしたが、新聞やテレビなどマスコミが大勢ホームで待ち構える中、他の参加者とともに意気揚々と新幹線から降り立ち、試乗会は終わりました。ちなみに参加者への試乗記念のお土産は、新幹線のレールを切った文鎮でした。

みどりの窓口に向かい、時刻表で時間をチェック。青森まで特急「はつかり」で向かうと、その後すぐに寝台特急「日本海」の乗り継ぎがあるのを確認しました。
弘前への乗車券と特急券を購入し、妹へのお土産も購入(カラフルなぬいぐるみを買った記憶があります)。これで帰る準備は整いました。
夕方16時過ぎに特急「はつかり」に乗車、一路青森へ。さすがに中で何をしていたのかは記憶がありませんが、とにかく一刻も早くこの興奮を家の人たちに伝えたい…その思いばかりが募っていました。

18時30分頃に青森駅に到着。奥羽本線のホームへと向かいます。既に大阪行の寝台特急「日本海」は入線しており、乗車すればいいだけだったのですが、間もなく旅を終える安堵からでしょうか、無性にお腹が空いてきました。
ホームにある売店へと近づくと、肉まんの香りが漂ってきました。

妹のお土産に結構お金を使ってしまったため、所持金は既に1,000円もありませんでしたが、弘前駅には家族が迎えに来ることになっていましたし、切符も既に購入済み。

「すいません、肉まん2つください。」
1個50円の肉まん2つを購入し、ホーム反対側に停車する普通列車を横目に、意気揚々と「日本海」に乗車すると、程なくドアが閉まり、出発。

「はて…この切符で乗車できたっけ?まあ、いいか。」

実はここで大きなミスを犯していたことに、僕はその時気付いていませんでした。

乗車しているのは寝台特急ですので、自由席はありません。にもかかわらず僕は、自由席特急券、それも盛岡駅から弘前駅までの通しの特急券を持ったまま乗車してしまったのです。(盛岡駅のみどりの窓口の駅員も、指摘してくれればいいものを…。)
正しくは、盛岡から弘前までの通しの乗車券の他、(1)はつかり(盛岡→青森)の自由席特急券、(2)日本海(青森→弘前)の寝台特急券を購入していなければなりませんでした。

そもそも座る席がないので、デッキに立ったまま肉まんを貪ります。ガタンゴトンと車両が揺れる音を聞きながら、一抹の不安がよぎり始めていました。

…とその時。

車掌がデッキに立つ僕の姿を見つけ、近づいてきました。

「僕、どうした?切符見せて貰えるかな?」

見ると、大阪車掌区の車掌さん。おどおどしながら切符を見せると…。

「あー…僕、この切符じゃ乗れないんだよね。」
「えっ!」

頭の中が真っ白になると同時に時間がピタリと止まり、思わず手にしていた肉まんの袋と妹へのお土産の袋を落としそうになりました。

「うん、750円。追加の特急券、750円になります。」
「…は、はい!」

財布から、残り僅かとなった小銭を取り出します。

あ、あれ???
な、ない…………………(絶句)

ポケットを探っても、財布の隅をほじくっても、出てきたのは720円。あと30円足りないのです。

ふと、手にしていた肉まんの袋に目が行きました。

「1個、50円…。」

嗚呼、肉まんを1つだけにしていたら…。後悔先に立たずとは、まさにこのこと。

「…あれ?お金持ってないの?あらま…。うん、じゃ、しょうがない。ちょっと一緒に来てもらおかね。」

ガタンゴトンと響いていたはずの音が一切聞こえなくなりました。
無賃乗車で警察に突き出されるんだろうか。それとも…。
考えているだけでガクガクブルブルと足が震えてきました。

連れて行かれたのは、最後尾の車掌室。新幹線はもとより、まさか寝台特急の車掌室にまで入ることになるなんて…。

車掌室の小さな補助椅子に座らされたまま、静かに、まるで走馬燈のように今日一日の出来事が頭の中を駆け抜け、ゆっくりと時間が過ぎていきます。嗚呼、帰りたくない!色んな意味で!!!

…やがて「日本海」は弘前駅に到着。僕はその時点で、先の見えない恐怖と自分の犯した「事の大きさ」に怯え、泣きじゃくっていました。「絶対に大丈夫だから!」と両親に虚勢を張ってしまったことへの後ろめたさ。何をやっているんだ、オラは!

そして車掌が、警察官ではなく駅員に僕を引き渡します。

「この子、寝台券のお金足りんのですわ。駅で親御さん、待っとるそうです。ほな、よろしくお願いしますー。」

何事もなかったかのように特急「日本海」が弘前駅のホームから離れていきました。大きな初老の駅員に引き渡された僕は、すっかり犯人のような気分。その駅員に肩を抱かれ、すっかりうなだれたまま、この日の朝、意気揚々と出発した時と同じ跨線橋の階段を意気消沈しながら上り、改札口へ。視線の先には、なかなか列車から降りてこない僕を、父母と妹が心配そうに見ている姿が目に飛び込んできました。

とその時!

「このボンズ(坊主)の親、いだがー?」

改札口で大きな声で叫ぶ駅員の声に、その場に居合わせた皆さんが振り向きます。泣きながらすっかり萎縮し、うなだれている僕はもう、そこにいるのが恥ずかしくて恥ずかしくて…。

迎えに来ていた父母が、何事かと真っ赤な顔をしながら慌てて駆けつけます。

「おう、このボンズの親だが?ボンズ、寝台券のお金足りなくてさ。…んだな、半分でいいじゃ。320円だな。」

「は、はい!」と慌てて財布を取り出そうとする父母。その前に、僕は手にしていた小銭から320円を取り出し、駅員に渡しました。

「す、すいませんでした!」
3人揃って駅員に頭を下げ、妹の手を引き、慌てて駅を出るマカナエ一家。

車に乗り込むなり、叱責。

「何やってるんだか。やっぱり一人で行かせなきゃよかった…。」と両親には呆れられ、お土産を手にした妹は喜色満面。

「…でも、320円でいいんだったら、最初から払ったのにね。」

母は憤慨していましたが、僕は駅員さんに心の中で感謝していました。狼狽する我々を見かねた駅員さんが、機転を利かせてくれたのです。

家に向かう車の中で泣きながら残りの肉まん1つを頬張りつつ、これから肉まんを買う時は、絶対1つだけにしよう、と心に決めたのでした。

そして、この事件がきっかけとなり、実は未だにコンビニで「肉まん2つ」と注文できないトラウマに苛まれていることは、秘密です。

(この画像も全く関係ありません。…すいません。)