月別アーカイブ: 2015年10月

チャレンジヒルクライムランニング岩木山 - 今年は観光ラン、名付けてジョグクライム

昨年9月に初めて走った時が74分。今年は79分。5分遅延となったのは、撮影に夢中になっていたから。
今年のチャレンジヒルクライムランニング岩木山は、紅葉の見頃とバッチリでした。
そもそも自動車専用道路の津軽岩木スカイラインを、自分の足で走ることができるというだけでも、楽しいじゃないですか。ワクワクしませんか。オレだけですか。いや、そんなことないと思います。
他で行われる大会の日程とバッティングしたため、昨年より参加者は減ってしまいましたが、それでも男女合わせて約70名がエントリー、朝5時前に嶽温泉に集合しました。もう、これだけでも十分ドMだと思いますが…。
ちなみに私、早朝3時40分に起床。こんな早起き、釣りに行く時ぐらいですぞ…って、最近は全然行ってないけどさ。

4時過ぎに自宅を出発し、津軽岩木スカイライン横の駐車場を目指します。まだ夜明け前、外は真っ暗。しかも、何せ岩木山に向かっているので車両の数も少なく…と思ったら意外と多い。なんて事はない、皆さん同じところを目指している同志だった、というだけの話。

4時50分頃に受付を済ませ、ゼッケンナンバーを装着。5時からの選手ミーティングで、一戸実行委員長から注意事項が伝えられ、5時25分にバイクの選手が「移動」を開始、そして、我々ラン部門にエントリーしていた皆さんも5時30分に嶽温泉郷から「移動」を開始しました。約1.2kキロ先にある津軽岩木スカイラインのゲートを通過し、本戦がスタート。昨年はこの1.2キロでアホみたいなスピードで突っ込んでしまったため、今年は最初からペースを落として移動開始。クラブのメンバーの方々と談笑しながら右折、いよいよゲートをくぐります。

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高低差約800メートル、距離にして10キロと言っていますが、実際はもうちょっと長い。平均斜度8.1%、最大斜度11.8%。うちらはいったい何のために山を登るんだ?…いやだって、その山は岩木山だからさ…。

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4つ目のカーブを超えて(というかこの手前の3つのカーブがどこなのか怪しいんだけど)、残りカーブ数は65。料金所でも止まらず、無銭で自動車専用有料道路に侵入ですよ。これだけでワクワクしませんか。
周囲は紅葉がだいぶ進んでいて、赤色黄色緑色、それに空色と雲の色、さらに日の出で染まり始めたオレンジ色で、景色を見ているだけでも全然飽きません。もっとも、ペースも全然上がらないんですけどね。

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いや、今日はもう最初から飛ばさないって決めていたんです。今年の最終レースはあと28日後、ここでケガしたら元も子もないし、実際大腿部とふくらはぎに張りを感じていたし、だから無理しない、って。代わりに、普段は自動車でしか通ることのない道を、自分の脚で思い切り楽しませてもらおう、と。
あ!と思った光景は立ち止まってスマホで撮影し、苦しくなったら当たり前に歩き、ホントにヤバいと思ったら競技をやめよう、それぐらい軽い気持ちで臨んでいました。

この大会、実は自転車がメインでして、ランニングの大会は後発的にできたもの。ところが今年は、6月に自転車の大会が行われる予定だったのですが、大荒れの天候に見舞われ、ゴール地点である8合目の仮設テントもぶっ飛ばされそうになる、という状況になり、やむを得ず大会当日に中止にした、という経緯があります。だからきっと実行委員会の皆さんやボランティアスタッフの皆さんは、今日の大会は是が非でも成功させたい、という思いがきっと強かったと思うのです。

それが、もうキャンバスにでも描いたような星空と、わずかながらうっすらと雲が広がる晴天を拝むことができたというだけでも感激…日頃の行いとかそういうことじゃなくて、本当に今日は良かったですね!と終わった後にスタッフの方皆さんと握手したいぐらいの気持ちでした。

さて、レースに戻りまして…いや、もうレースじゃないですね。最近マラソンとピクニックを掛け合わせたマラニック、という言葉がありますが、僕の場合、ジョギングとヒルクライムを掛け合わせたジョグクライム。…全然ひねりも何も効いてねえし。
まあ、そのジョグクライムをしながら、69のカーブを一つずつ一つずつ、それはそれは丁寧に進んでいきました。(…というか、単にゆっくり走っていただけですが)
津軽岩木スカイラインのカーブには、今いくつ目のカーブという表示があります。何を思ったのか私、自分の年齢と同じ番号のカーブの前で足を止めて写真を撮っていました。すいません、酸素が足りなかったようで、無意識のうちにでした。

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ところが、このあたりから徐々に道が険しくなっていきます。上るにつれて辛くなる…何か人生みたいです。

一旦離れたO先生が背後からやってくるのに気が付いたので何枚か写真を撮り、さらに中学時代の同級生だったSの写真も撮り、そして眼下に広がる光景を撮り、そんなことを繰り返しているうちに、気づいたらゴールが近づいていました。

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赤く色づいた山。こんなの見たら、足を止めちゃいますって…。

この頃になると、流石に走り続けるのも辛いため、人目がなくなった時点で走るのをやめて歩き、人の気配を感じた時に走り出す…そんな姑息なことを繰り返していました。ホントすいません。

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世界自然遺産の白神山地もクッキリ。

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あっ!岩木山の影が映っている!

ようやく69個目のカーブ。先着していた仲間たちが待っています。今日は遅くて、いや今日も遅くてごめんね!ナンバーコールをするスタッフ、旗を振るスタッフ、タイム計測をするスタッフ、みーんな知っている方ばかり。本当に頭の下がる思いで、今日はゴールした後の一礼は、コースだけじゃなくてスタッフの皆さんに対して、そして寒い中待っていてくれた仲間に対しても心の中で感謝と祝福をしていました。

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看板の向こうにも、岩木山の影。

開催できて、本当に良かったね。天気が良くて、最高だったね!岩木山、ありがとうございます!

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ゴール直後にキャプテンに撮影してもらいました。

皆さん無事に完走し、集合写真を撮影した後、それぞれバスに乗り込んで下山開始。料金所の横を通過すると、開門を待つ他県ナンバーの車がズラリとならんでいました、とさ。岩木山、本当に最高でした!

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陸の果ては、日本海。左手前にも、岩木山の影。

今回は色々重なってこの時期になったようですが、たぶん来年も開催されればまた出るんだろうなあ。ゴールした時には、二度と走るもんか!って思ったんだけどなあ。。。また岩木山に行きたいなあ、って考えてるしなあ。。。
僕、ドMじゃないつもりなんだけどなあ…。
ということで、実行委員会の皆さん出場した選手の皆さん、本当にお疲れさまでした。岩木山、本当にありがとうございました。

みんな、また来年も行グベシナ!

最後に、今日のランのGPSログ。カラフルですが、赤や黄色の地点が紅葉しているという意味ではありません。

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【あと30日】2015年最終レース、ツアータイトル決定。

今年最終レース、第1回さいたま国際マラソンまであと30日となりました。今回のテーマはズバリ、「頑張らない」でいこうと思います。

当初は、昨年の田沢湖マラソンではじき出したタイムがフロックでなかったことを証明しようと、それ以降、サブ3.5をコンスタントに出すことばかりを念頭に考えていました。しかし、結果は御存知のとおり、あれ以来一度もサブ3.5を出していません。
前半突っ込みすぎて、後半脚が持たずに大失速、という展開を昨年暮れから3度続けたにもかかわらず、僕は全く学習をしていなかったんです。きっと、オ●ニーを覚えた猿と一緒みたいなものです。

そして何よりも、走り終えたあとで「楽しかった!」という思いよりも「何でこんなことまでして走らなきゃならないんだろう?」という思いの方が強くなっていって、正直、走ることに対する楽しさを感じなくなりつつあったのです。

ところが、です…。
先日、走る楽しみを「ハッ!」と思い返すきっかけを与えたもらったんです。…そう、例のペースセッターを務めたときに。もう、これぞまさに目からウロコ、ハッとしてGOOD!だったんですよ。

以前にもお話ししたとおり4時間30分という時間は、自分でも走ったことのない未知の世界でした。昨年の4時間00分ですら時間を余したのに、大丈夫か?また時間余しちゃうんじゃないか?と思いながらも、実際のところ今年はコース上でほぼ歩くことなくゴールすることができました。(補給やトイレは除きます。)
あ…いや、昨年が無計画だったということではないんですよ、あれはあれで作戦だったので。

そして何より、一緒に走っている方々がそれぞれの目標に向かって一生懸命に走る姿を目の当たりにして、そうだよ、自分にはこの気概が欠けていたんだよ、と思い出しながら、本当に胸を熱くしたのであります。しかも、走り終えたあとに寄せられた感謝の声。今まで走って、誰かに厭みを言われることはあっても、感謝の言葉を言われるなんてこと、一度もなかったワケですから。

だから、4時間30分のペースセッターとしての役割を終えたあとは、何か一抹の寂しさすら感じたぐらいだし、走ることへの楽しみというか、やりがいを取り戻したような感じでした。

先日、うちのクラブのキャプテンがこんな言葉を教えてくれました。
「納得できるレースは10回中1回あるかないかである。」

これまでフルマラソンは8回走りましたけど、真の意味で納得できたレースは1度、それも、生まれて初めて走った2年前のフルマラソン(弘前・白神アップルマラソン)のみ。

あの時は、初めてのフルマラソンということで自分の走力もよくわからないまま周到に準備を重ね、でも最後は自分を信じ切って走りきったし(42.195キロで一度も歩かなかった)、笑ってゴールできたのって、あの時だけなんですよね…。その後の大会は、あわよくば3時間30分…というタイムばっかり気にしてしまって、心の底から楽しんでいなかったんです、結局。自分の走力を控え目に見越したうえで計画的に走れば、きっとちゃんと走れるはずなのに、自分に対して走力に見合わない過剰な計画を組んでいたんですね。

それが、先日のアップルマラソンで、久しぶりにゴールしたあとに気持ち良い感覚が蘇ったというか、今までにはない達成感に満ちあふれたというか…。

ということで僕、決めました。さいたま国際は、狙いません。
そして、皆さんに感謝しながら走りたいと思います。
いつも一緒に走ってくれてありがとう、色々支えてくれてありがとう、声援送ってくれて、ありがとう、って。
2年後に向けて、今年は足固めに充てることにします。

そして2年後には、驚異の46歳を目指します。
皆さんを「あっ!」と言わせるような46歳のオッサンを目指します。
安心してください。「ギャフン」とは言わせませんから。というかそもそも、「ギャフン」なんて言った人、見たことありませんから。

もともとこの大会、出場条件がサブ4ランナーに制限されていますので、恐らくスタート直後から高速レースが展開されることでしょう。多分、そこがキモ。そこで、いかに自分を見失うことなくペースをコントロールするか。
特に今年の大会では、自分をコントロール(制御)するという心構えを、号砲とともにスタート地点に落としてしまうということが続いていたので、今一度原点に立ち返ろうと思います。だから今回は、色んな方々に感謝しながら、楽しく笑ってゴールすることだけを目標にしてみたいと思います。

…でもこれ、なかなかの難題かもよ(ニヤリ)。

さて、秋田県田沢湖から始まった秋のジャパンツアーも既に佳境ということで、最後のツアータイトル発表です。

「ジャパンツアー2015秋・最終公演 ~あわてない、あせらない、あきらめない…でもがんばらない~」
公演まであと30日!乞う御期待。

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実は小さなアップダウンが連続する難コース。なかなからしいです。

※今更説明もあれですが、ここでのジャパンツアーっていうのは別にコンサートとかライブとかじゃなくて、国内遠征するマラソン大会のことです。

【ネタバレあり】佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド 2015サマー・ツアー@青森クォーター

弘前・白神アップルマラソンから2日後の10月6日。サマー・ツアーというには季節外れというか、完全にオータム・ツアーだよね、といった感じのクラブサーキット。約1年ぶりとなる佐野元春 & ザ・コヨーテ・バンドのライブが青森市内で行われた。
フルマラソン完走直後とはいえ、脚の疲労も特になく、体調も悪くない。何やらペースセッターを務めた自分自身へのご褒美みたいな感じだ。

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開演30分前、開場時間に合わせて会場の青森クォーターに足を運ぶと、既に長蛇の列。
とはいえ入場は整理券の番号順となるため、別に慌てていく必要もないのだ。入り口の横ではグッズが販売されているが、どういうわけか足を向けようとする人は皆無。いや、多分終演後に購入しよう、という人が多いのだろう。だって、オールスタンディングでグッズを手にしていたら、ちょっと邪魔だし。
…しかし寒い。もはやサマーを語る季節ではないな。

やがて18時30分から順次会場入りがはじまる。前回は僅かだったAの番号(ファンクラブなどの優先枠?)の人が、今回は結構いる感じ。
僕の整理番号はBの55番。促されるままに会場に入ると、既に5列ほどの人の塊ができていた。前列の人の背があまり高くない、左寄りに場所を確保。
今回は7月に発表されたアルバム「Blood Moon」を引っさげてのツアー、当然このアルバムからの演奏曲が増えることだろう。

実は今回のツアーは3部形式になっていて、パート1が東京・大阪ビルボードでの3か月連続公演。そしてパート2が今回のクラブサーキットである「2015サマー・ツアー」となっていて、今後パート3のホールツアーへと続く、という流れになっているらしい。

8月から始まったサマー・ツアーは、今回の青森を含めて3公演を残すのみ。平日の夜ということで、昨年行われた時より若干観客が少ない感じだが、それでも開演前には会場がいっぱいになった。ざっと見たところでは、同年代よりちょっと上の年齢層の方々が多いようだ。恐らく80年代から90年代前半にかけて彼の背中を追い続けた人達だろう。後ろに並んだ男性陣は、久しぶりのライブ(というかクォーター自体が初めて)らしく、かなり興奮している感じ。しかし、その興奮が若干のアルコールのせいであることも、程なく知ることとなった。…というのも、どれだけ興奮しているのかわからないんだけど、正直言ってまあ、うるさいうるさい。いざライブが始まると最初からずーっと後ろで唄いっぱなしで(それも歌詞を間違えて)、悪いんだけどさ、俺、あんたの歌声聞きたくてお金払っているんじゃないんだ、ということでついに我慢ならなくなって思わずキッと一瞥したら、ちょっと静かになったという。

まあでも、そんな感じで楽しいライブがスタートしたわけですよ、午後7時過ぎに。
演奏曲は予想通り新しいアルバムからの曲が中心となり、終わってみると結局、アルバムから演奏されなかった曲は1曲だけ。あとは定番のナンバー、久しぶりのナンバー織り交ぜての約2時間、アンコール含めて19曲を演奏。

このバンドとツアーにやってくるのは今回が3度目。青森では3度とも同じ「ハコ」でのライブということで、最初はどこかお互いまだ遠慮がちというか、メンバーが元春に凄く気を遣っている感が見えていたんだけど、2度目のライブではそれが微塵も感じられなくなり、3度目の今回は、更に円熟というかパワーアップした感じ。このバンドと一緒にあとどれぐらい演奏するのかはわからないが、もしも今回のアルバムがコヨーテ・バンド名義の3部作最終章ということになれば、今回のライブがこのメンバーでの最後になってしまうかも知れないなあ、なんてことをふと思い浮かべながら、しっかりとメンバーの演奏を楽しませてもらった。

佐野元春 & THE COYOTE BAND名義の楽曲は、新しいアルバム以外ではあまり演奏されなかったけれど、恐らく今後定番にしていくつもりなんだろうな、という前作の楽曲もいくつか披露。結構好きな選曲だった。

本人曰く「10月なのにサマー・ツアー。ツアータイトルを間違えたね。」といって笑いを誘ったり、盛り上がる観客を見ながら嬉しそうに「青森、凄いね!」と笑顔を浮かべたりと、終始ご機嫌。

実際、オーディエンスは僕も含め年齢を感じさせない盛り上がりで、2時間があっという間だった。
後日、他の公演でのセットリストを見てみると、終盤は毎回構成が変わっているみたいな感じ。
まあ、このツアーも残すところ1公演のようだけれど、青森でのセットリストは以下のとおりでありました。

【以下ネタバレ】

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「誰かが君のドアを叩いている」までの演奏曲は、大体どの公演も一緒らしい(ただし、「国のための準備」が演奏されたり、「月と専制君主」が演奏されたり)。異様に盛り上がる様子を見て演奏曲を変更したのかどうかは定かではないけれど、「今日のセットリストには入れる予定はなかったんだけど…」と前置きしたうえで演奏された本編最後の「サムデイ」の他、「悲しきレイディオ」は前回の公演でも演奏した定番曲。一方、他の公演では演奏されていた「Young Bloods」が演奏されなかったり、場所によっては「Blood Moon」のボーナストラックであった「あつさのせい」が演奏されたところもあったようで。

しかし、ライブハウスというキャパの中でこれだけ演奏してくれるだけでもありがたい話で、実際もう、目の前に本人がいるんだから興奮しないわけがないのだ。
ということで、「あの曲が聴きたかった、演奏して欲しかった。」という気持ちは誰にでも絶対にあると思うけれど、これが今のベストパフォーマンスということで、彼らの演奏を生で、それも至近距離で観ることができたことが、ただただ幸福至極でございました、ハイ。

アルバム「Blood Moon」を聴いたときに、かなりライブを意識したアルバムなのかな、と思ったけれど、今回収録曲をかなり演奏してくれたということからも、その印象が決して間違いではなかったことを証明してもらえたような気分。しかしまあ、わざわざこのサーキットツアーに青森を組み込んでくれたということは、ここ最近の青森の反応を結構気に入って貰えているということかな?パート3のホールツアーは無理だとしても、それ以降のライブに淡い期待を寄せようっと。

第13回弘前・白神アップルマラソンを走り終えて ~4時間30分ペースセッター奮闘記・後篇~

…さて、21キロを過ぎて2度目の小タイムを終えた私、また例のごとく背後から集団を追いかけるわけですが、ここで5時間の集団とすれ違います。すれ違いざまに多分、あれ?何で独り集団と離れているんだろう?と思われたかも知れませんが、すいません、そういうことでした。でも、これが結果としてばらけ始めた集団をまた少しまとめるするという効果があったのは事実です。

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(後方から前の集団を追いかけていたとき。後ろの女性2人は最初歩いていたのですが、まるで前方の集団に吸い込まれるように再び走り始めました。)

この時点での平均は1キロ6分18秒。このままで走っても、充分4時間30分でゴールできるんですね。で、集団に追いつこうとペースを上げた僕が、スゥッと横を走って行くので、皆さんビックリするわけですよ。
「えっ!4時間30分のペーサーがここにいる!」と。
「大丈夫ですよ、そのままのペースを保てたら皆さん4時間半切れますよ!一緒に行きましょう!」

そう言ってランナーの皆さんを盛り立てます。もっとも、折り返したあとは緩い下りがしばらく続き、その後は細かなアップダウン。34キロ過ぎからがランナーを苦しめる長い上り坂。そして残り1キロで待ち受ける、約300メートルの上り坂…いくつかクリアしなければならないコースの要所がありますので、それをうまくこなせれば、自ずと4時間30分切りが見えてくることでしょう。それがうまく行かないところが、ランニングの難しさなのですが…。

一旦集団に追いついたあとで、再び後方に回るという作戦。緩い下りとはいえ、この辺りからついてこれずにペースが落ち始めるランナーが続々と現れたため、何とか食らいついてもらおうと、わざと後方を振り返り、視線を何度も送ります。
…ふと、僕の横に女性ランナーがつきました。この方、スタートからずっと集団走の中にいた方。

「ここは緩く下りが続きますからね、あまりペース上げないで。あの坂が待ってますからね。」
「はい。」
「もう少しすれば給水ありますからね。」
「はい。」
「少し肩に力が入っているので、リラックスしましょうか。」
「はい。」

こちらからの呼びかけやアドバイスに、忠実に「はい。」と返してくるこの女性。結局39キロ付近までずーっと並走し、最後は「大丈夫、4時間半以内で行けますから!」と送り出しました。(結果、4時間半を切って自己ベストを更新したそうです。おめでとうございます!)

25キロを通過。まだ時間的にも体力的にも余裕があります。しかし、雨が降ったり止んだりで、皆さんの身体が縮んでいるような気がしたので、肩の力を抜くよう、声を掛けました。
26キロ過ぎにある私設エイドに立ち寄ります。ここで、そうめんを一杯流し込みました。ほどよい塩分が喉を潤します。

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(26.5キロ地点、何を血迷ったのか妹と甥っ子が応援に来ていました。さほど疲労もなく、甥っ子に愛想を振りまいています。雨が降ったのはきっとこのせいです。)

さて、27キロの手前から再び雨が降り始めました。しかも、今度はちょっと雨脚が強め。木陰を走って雨をしのがせるように走路の修正を行ったり、上り坂でペースを落としつつ歩幅を狭めるようアドバイスを送ったり、「相棒」と二人で絶えず気を配りながらのランとなりましたが、これはこれで楽しいのであります。
僕みたいな経験の浅いランナーがペースセッターで申し訳ないな、と思いながらも、逆に僕に全幅の信頼を寄せて走っているランナーが一人でもいることを考えると、ここはしっかりと役割を果たさなければなりません。

30キロの給水地点が近づいてきました。
「皆さん、間もなく給水ですよ。」
「…ハイ。」
息も絶え絶えのようなか細い返事があちらこちらから。
「あら~?元気ないですね。どうしましたか。元気出しましょうか!寒いし、辛いですよね。実はうちらも辛いんですよ。もうちょっとなんでね、ここまで来たら一緒に頑張りましょうよ!」
なるべく明るい声で笑いを取りながら、「同士」の皆さんのテンションを下げないように盛り立てます。

30キロでのアドバンテージは3分。ここからがどれだけのランナーを4時間30分以内でゴールさせることができるか、いよいよ腕…いや、脚の見せ所です。

「相棒」がトイレに寄るということで、しばらくは僕が先導。31キロから先が辛くなることをこれまで経験していますので、この辺りは無理をせずに、しっかりと刻んで行くことを意識していきます。

ふと周りを見ると、50人前後だった集団は、10人にも満たない人数になっていました。昨年もこんな感じだったことを思い出しました。それでも必死に僕たちについてきてくれている人がいる…何かそう考えたら、胸が熱くなってきました。そして、この周辺からまるでゾンビのようにうなだれて歩く人達の姿がかなり多くなってきました。

33キロ過ぎのエイド。この辺りは完全に脚を止めてしまうとそこから動けなくなる人がいそうな気がしたので、敢えて歩を止めずに給水。同じクラブのSさん母娘がボランティアとしてテントの中で作業をしていました。

「お疲れさまです!」
「あれ?キャプテンは?」
「トイレに寄るっていうんで離れちゃいました。あとで追いつくと思います。」
「頑張って!」
「ありがとうございます!あ!○○ちゃん、ありがとね!!」

二言三言のちょっとした会話ではありましたが、仲間の姿を見かけるだけで元気が出るものです。
さて、長い上り坂にさしかかりました。前述の女性と数名がついて来るだけ。走ることもままならなくなった人達が、辛そうに歩いています。なるべく声を掛けながら走りたかったのですが、さすがにこの辺りまで来ると、こちらの疲労度も大分高くなってきました。
ちなみにここまでの間に補給したものは、10キロ手前と25キロで塩熱サプリ、15キロと30キロでパワージェル、そして24キロでそうめん一杯。もしかしたらこれまでは、あまりに補給を気にしすぎて摂りすぎていたのかも知れない、と思いました。(こういうことを知るという点でも、僕自身凄くいい勉強になりました。)

35キロを付近で時計をみると、1キロ当たりのペースが20秒程落ちています。でも、まだ貯金があります。もう少し落としても大丈夫と思いながら、淡々と歩を進めていきます。雨は止んでいました。が、相変わらず寒いです。でも、きっとそれは皆さんも一緒。
辛そうに歩いている人に「走れ!」というのは酷なので、声を掛けません。でも、ペースが落ちかけている人にはもう一度最後の力を振り絞っていただきたく、「さあ、残り7,000メートルです!まだ大丈夫ですよ!ここまで来たら4時間30分、行けますよ!」と声を張り上げます。
36キロ通過。給水は残り2か所。ここまで約4時間近く、ずっと僕の背中について来て下さった方が数名いたことを知っています。
「残り6,000メートル!ここまで来たら、あとは大丈夫です。最後は皆さんの力で頑張って下さい!」
「いえ、もう少しついて行かせてください…。」
その言葉に、またしても胸がジーン…。

いつも朝練で走るコース。写真撮影や小タイム、そして給水で立ち止まりはしましたが、ここまでほとんど歩いていません。というか、歩くわけがないのであります!
昨年はペース配分を見誤り、時間を余してこの辺りで斜めに歩く始末。しかし今年は、想定の範囲内といいましょうか、ほぼ完璧なペース配分。正直、ここまでうまくペース配分を整えることが出来るとは思っていませんでした。しかし、こんなに必死になって走ったのはいつ以来だったでしょう。

39キロ付近で、いよいよ並走していた前述の女性を送り出します。
もう一人、三沢の方は、僕の歩調に合わせるように、ずっと並走しながら話しかけて来ます。
「このままなら余裕で4時間30分は切れますし、まだ27~28分で行けますよ?」
「いやぁ…いいんです。これだけ走られれば充分ですから。一緒に行かせてください。」
「うん、いいですよ。」

口ではそう言いながらも、常に周りに目を向けていました。余力を残して諦めかけているランナーはいないか。力を出し切っていないランナーはいないか…。
四六時中「さあ、4時間30分、まだ行けます!ここが踏ん張りどころです!あと3,000メートル切りました!頑張りましょう!」と叫んでいたような気がします。

40キロ地点手前、岩木茜橋にさしかかった時、先方に同じクラブのSくんの姿を発見。脚が痙攣しているのか、かなり辛そうです。
「さあ、行くよ!」
「うわあ…マジかよ!」と、明らかに失望の表情。まさか追いつかれるとは思っていなかったのかも知れません。

…ふと、後ろを振り返りました。
どこで抜き去ったのか分かりませんが、こちらも同じクラブのOさんが必死の形相で走ってきます。その背後から、同じビブスを身に付けた「相棒」。
「Oさん、大丈夫、まだ行ける行ける!4時間30分、切れるから!大丈夫大丈夫!」
Oさんは、しっかりとした足取りで僕の横を駆け抜け、その後僕たちに追いつかれることなくゴールしたようです。
一方のSくんは、かなり辛そう。「相棒」がSくんに声を掛けますが、脚に痛みもあるようです。

「あとどれぐらい余裕ある?」
「3分ないぐらいかなあ。」
「一人支えたい人がいる。後ろからでもいいかな。」
「うん、大丈夫。」

一度追いついた「相棒」に再び後方を任せ、僕は前方から4時間30分を目指します。

少しの間Sくんに合わせて少しペースを落としましたが、ここは心を鬼にしなければなりません。
Sくんと距離を置きつつ、40キロ通過。
ここまで来れば、ゴールはもうすぐです。一緒に走る同士を鼓舞し、盛り上げながら、ゴールを目指します。

例えは悪いですが、ランナーは羊、僕たちは牧羊犬。
一定の方向にしか進めない、鬼ごっこ。そう、僕たちは「鬼」。
ふと、そんなことを考えながら手を叩き、声を張り上げていました。
「行ける行ける!まだ4時間30分切れるから!」

一人でも多くの人にサブ4.5を達成して欲しい。ここまで来たら、思いはそれしかありません。
残り700メートル。あと1分余裕があります。
「大丈夫大丈夫!4時間30分切れる!ここ、最後頑張ろう!」
背後から聞こえてくるその声にハッと気づき、途端にペースを上げるランナー。ずーっと声を出しながら、クラブのメンバーが声援を送る残り300メートルのゾーンも、ハイタッチもほどほどに必死の形相で通過(していたはず。というか、この辺りの記憶があまりないのです)。
残り200メートル。時計を見ると4時間29分を過ぎました。頼む、一人でも多く先にゴールしてくれ…。
ここでのアドレナリンの放出量、ハンパなかったと思います。何名か知り合いを見つけましたが、それよりも視線はランナーと電光掲示板を追っていました。
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あと数秒のところで4時間30分を切れなかった選手を先にゴールさせ、僕自身もゴール。
止めた時計をみると、4時間30分05秒となっていました。(公式タイムでは4時間30分08秒でした。)

コースに向かって深々と頭を下げ、りんごと飲み物を受け取ります。
数名の方が駆け寄り、「ありがとうございました!」の言葉と握手を求めてきました。見ず知らずの人達、いや、同士の方々に少しでも役立てたということが、素直に嬉しかったです。
当初は、大会を盛り上げたいという一心だったのですが、走りながら、同じコースを走る同士のために役に立ちたいという方の思いがどんどん強くなっていきました。

終わった…と思ったら、ドッと疲労感が押し寄せてきました。でもそれ以上に、満足感、達成感、充実感に溢れていました。
うまく言えませんが、自分自身の走る喜び、楽しみを取り戻した、といった感覚でしょうか。でも、正直言うと、あー終わっちゃったなあ、という一抹の寂しさも。

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この役目も、一緒に走る仲間がいるからこそできたことだと思います。昨年、4度目のフルマラソンで初めてペースランナーを務めた経験が、間違いなく生きました。弘前公園ランニングクラブの仲間たちとhoneygoodのみんな、そしてアップルマラソン実行委員会には、こういう機会を提供していただいて、心から感謝です。

さて、あとになってから聞いたのですが、我々4時間30分のペースセッターはどうやらサブ4前後のラインをを狙っていたラン仲間のデッドラインになっていたようで、我々の足音にかなり怯えながら走っていた、とのこと。やはり我々は、「鬼」だったようです。
結果として自己ベストを更新した人も多数いたようですし、そういう意味では一定の効果があったのかな?青鬼の格好をして走られている方がいましたが、来年はペースセッターも頭に角を立てて走りましょうかね。

ということで弘前・白神アップルマラソンに出場された皆さん、本当にお疲れさまでした。
涼しさを通り越し、寒いぐらいの天候の中、脚が痙攣した人も多数いたと伺いました。
その中で、自己ベストを更新した人、残念ながら不本意な結果に終わった人など、悲喜こもごもをたくさん拝見させていただきました。
前回そして今回と、ペースランナー(ペースセッター)として走らせていただき、走り終えたあとに感謝されるという、違った喜び、感動を味わうことができて、本当に感謝感激しています。走る楽しみ、喜び、苦しみ、色んなものを目の当たりにしながら、ああ、マラソンってこんな楽しいんだっけ、と思い返すいいきっかけになりました。ちなみに一番の収穫は、フルマラソンを歩かずに走るためにはどうしたらいいか、という一つのヒントを得たこと。そうだよ、マラソンは自分との戦いなんだよね、って改めて再認識した次第。

その一方で、2度のトイレタイムやペースのムラ、そしてやはり、ペースセッターという存在をいかに目立つようにさせるかなど、今回反省しなければならない点、今後修正しなければならない点もいくつかあると思いました。

今はまだ来年どうするかなんてことは考えられませんが、また御要望があれば、地元のために一肌脱ぎたいと思っています。それぐらい充実感がありました。でも、仲間の中からも「来年は是非ペースセッターをやってみたい!」という声が上がっていて、個人的にはとても嬉しいことだと思っています。

今回の大会で無事サブ4.5を達成した皆さん、おめでとうございます!残念ながら達成できなかった皆さん、来年頑張ろうね!

本当にありがとうございました。

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(ペースセッターを務めるに当たってずっとウェストポーチに忍ばせていたペースチャートです。言わばカンニングペーパーでした。)

第13回弘前・白神アップルマラソンを走り終えて ~4時間30分ペースセッター奮闘記・前篇~

長引く怪我の影響もあって、ここ最近、というか今年の大会の結果が今ひとつパッとせず、走ることに対する熱が少し醒めてきたのかな、と悶々としていたところへ、信頼を寄せるラン仲間の方々から叱咤激励。これがかなり効きました。

10月4日の「弘前・白神アップルマラソン」では、フルマラソンで4時間30分のペースセッターを務めることに。フルマラソンを4時間30分で走りきるということは、実は僕自身今まで経験したことのないタイム。(僭越ながら、もっと速いタイムでしか走ったことがない、という意味で。)

フルマラソン挑戦3年目、これまで7回しかフルマラソンを走ったことがないのに、ペースセッターを務めるという図々しさ。自分みたいに経験もそんなにないヤツがペーサーなんてやっていいんだろうか?というかその前に、出来るんだろうか?という葛藤。実はこの自問自答が自分の心をちょっと疲弊させていたみたいで、どうやらかなり神経質になっていた模様。

まあそれでも、やると決めた以上は絶対にやりますよ!ということで大会前日は22時前に就寝…のはずが、ラグビーW杯の日本-サモア戦が気になって23時30分頃に目が覚め、そこから結局ノーサイドまで起きてました。
翌朝目が覚めたのは4時40分。熱めのシャワーを浴び、「秘密の粉(といってもヤバイ粉ではありません)」を混ぜた500ミリリットルの経口補水液を、家を出るまで飲み続けていました。
その他9時のスタートまで口にしたのは、例の如く切り餅。
今回は、納豆と一緒に4個、雑煮にして3個を平らげました。この他に、無調整の豆乳とバナナ1本。

7時30分前に受付会場のある追手門広場に到着。まずは弘前公園ランニングクラブのテントに荷物を置いて…と。しかしまだ早かったらしく、あまり人は集まっていませんでした。空を見上げると、雲の切れ間から青空が広がっています。
これが昨日じゃなくてよかったな、と思いながら、何とか天気が持ちこたえてくれることを祈ります。というのも、前日は激しい雨と雷が断続的に続き、朝練もやらなかったぐらいなんですから。

8時前後になると、かなり多くの人が集まってきました。僕も受け取ったペースセッター専用の赤いビブスを着用し、気合いを入れ直します。しかし、これを着用して歩いていると相当目立つらしく、多くの方から好奇の目で見られることとなりました。

8時15分、すっかり恒例となった弘前公園ランニングクラブの市役所前での集合撮影。今回はhoneygoodや絶倫魂など、他の団体も一緒の撮影となり、通りがかったバスが思わず停車したり、道行く人がカメラを向けたりと、ちょっとした「名物」のような様相を呈していました。…まあ、一度NHK-BSでも放映されたしね(笑)。

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続いて8時30分、今度はゴールゲートの前で、ペースセッターを務めるメンバーで地元新聞社の取材と撮影…のはずが、連絡がうまく伝わっていなかったようで、一人足りない状況の中での撮影となってしまいました。
まあ、8時15分の集合写真の際に全員で撮影できたし、結果的にこの画像そのものは記事には使われなかったので、そこは結果オーライということで…。

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8時45分。いそいそと移動を開始。途中、部署は違えど同じ職場で働くK氏と会い、色々話しながらスタート地点に向かいます。彼が結構頑張って走り込んでいるのを知っていたので、きっと目標達成できるはず、と願いながら。(結果K氏はサブ4達成、PB更新でゴールしたそうです。おめでとう!)

「目標:4時間30分以内」と書かれたプラカードの前に立つと、背後に並ぶ人達からにわかに期待の声が。そこでくるりと後ろを振り返り、いくつかお願いと注意事項を伝えます。
・後半に少し貯金を残すため、ペースは6分15秒から20秒前後を想定していること。(実際は6分10秒前後だった。)
・最初から最後までうちらのペースに合わせて走ろうと考えず、最後は自分のペースで走りきること。
・給水は全て必ず摂ること。
・スタートしてすぐの坂道でペースを上げないこと。
程なく、一緒に走るTキャプテン(以下「相棒」といいます。)も横に並び、あっという間にスタートの時間が迫ってきました。妙な緊張感が漂ってきます。
「10秒前」の声と同時にGPS時計に手を掛けます。そして9時、いよいよ4時間30分のペースセッターとしての役割が始まりました。

正直、練習でもなかなか走ったことのないペースということで、果たして無事に走れるのだろうかという不安がありました。スタート時のロスを考慮しても、最初の1キロ6分29秒はまずまず。5キロで32分を想定していましたが、実際は30分42秒と、やや早めのペース。「ちょっと早いんじゃないですか」という声がちらほらと聞こえましたので、少しペースを抑えながら走った…つもりでした。でも、結局10キロまではほぼ変わらないペースで走っていたようです。
途中、給水地点が近づいていることや、長い下り坂があること、そしてそれが復路では長い上り坂になることなど、ポイントとなる地点については大きな声で伝えながら走ります。スタート時点でその数50人は近くいたのでしょうか、一団となって僕らの後ろをピタリとついて走ってきます。

スタート時に出ていた陽射しが隠れ、冷たい風が吹いてきました。10キロ通過は1時間1分30秒。予定では、このままのペースで押して行ければ、設定タイムより3~4分早くゴールすることができます。しかし、ここでの油断は禁物。時計に目を配りながら、一定のペースに落ち着かせるよう、「相棒」と歩調を合わせます。ところが、身体に吹き付ける冷たい風が災いしたらしく、10キロを過ぎた辺りで尿意をもよおしてきました。そしてついに12キロ地点の給水所で、ペースセッターとしてはありえないトイレタイム…嗚呼、すいません。
その後、尿意から解放された私、足取りも軽く先を行く集団を追いかけます。ちょうど緩い上り坂、気にならない程度とはいえ、ここで無理をするとあとのダメージとして響いてきます。程なく集団に追いつき、背後から声を掛けます。
「いいですよ!皆さんいい走りしていますよ!まだまだ余裕ありますねぇ!」
一度追いついたあとで、緩く長い上り坂の頂点付近まで先に走り、今度は写真撮影。こういうことをしながら、徐々にランナーに緊張を解いていく、という僕なりの作戦でした。もっともこれ、4時間30分のペースセッターだからこそできたわけで、多分4時間なら無理だったと思います。

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(写真を見ると皆さん楽しそうに走っているでしょう?こうやって緊張をほぐすのも大事だと思いました。)

14キロ地点を過ぎた辺りで、小雨が降ってきました。
そしてこのあたりで、先に折り返してきたトップの選手が白バイに先導されてやって来ます。ちょうど1車線に規制された狭い区間だったため、後ろを走るランナーの皆さんに左側に寄るように声を掛けます。
一度止んだと思ったその小雨は、18キロ過ぎから再び降り始めます。遠くの景色が霞んで見えているということで、恐らくこのあと折り返しまではしばらく雨が続きそうな気配。これまでのマラソンの時は暑さ対策を色々考えてきましたが、今日に限っては寒さ対策が必要だったようです。(結局雨は折り返す直前で上がりました。)

その後も続々と反対車線をやって来るランナー。入賞を目指す仲間、3時間切りを目指す仲間、そして、自己ベストを狙う仲間。やがて、3時間30分のペースセッターがやって来ました。背後には大勢の人達。うわぁ…うちらもまだこんな感じなんだろうか…。すれ違いざまに声を掛け合い、お互いを鼓舞します。仲間たちは、明らかに走力が上がっています。続いてやって来た4時間のペースセッター。その背後にも、たくさんのランナーが…。
気がついたら西目屋村に入りました。と同時に、ようやく折り返し地点が近づいてきました。
天気があまりよくないこともあってか、観客は昨年より少ないようです。それでも、我々に声援を送ってくれる地元の人達。ただただありがたいです。
僕はといえば、折り返し地点の先にある建物に、既にこの世にいない二人の姿を思い浮かべます。

気を取り直し、「さあ、折り返しますよ!」と声を掛けます。
折り返し地点を過ぎるとすぐに、弘前公園ランニングクラブの私設エイドがあります。そこに立ち寄り、コーラ一杯と、チョコレートを一つ。すぐに給水所もあるのですが、私、またしても尿意をもよおし何とこの給水所で2度目の小タイム…すいません。ホント寒かったんです…。

(後篇につづく)