ジャパンツアー2015夏 ~北の国から
最後の夏の思い出は、北海道で。
人生2度目となった昨年8月の北海道マラソンでは、現時点でのワースト記録を打ち立てました(4時間のペースセッターを務めた弘前・白神アップルマラソンを除く)。
8月下旬とはいえ、北海道は侮れない暑さです。
今年は、昨年のリベンジとばかりに色々対策を講じました。ちなみに昨年のタイムは3時間49分。今年の目標は、(1)最低でもそのタイムを上回ること。(2)更に、3時間30分台でゴールすること。(3)あわよくば、3時間30分を切るタイムでゴールすること。
まあ、言うまでもなく最大の目標は(3)だったワケですが。
暑さ慣れするために、練習を色々アレンジしてみました。27~28度まで気温が上がっている中を敢えて走ってみたり。雨の降る中を走ってみたり。7月の月間走行距離は208キロ、8月は大会前日までで220キロを超えていました。走り込みの足りなかった昨年とは雲泥の差があります。とはいえ、痛めてしまった脚は急に良くなるはずがありませんから、極力疲労を残さないようにしながら、試行錯誤を続けました。
昨年に続いて2度目の北海道マラソン。人生で6度目のフルマラソン。
結論から言うと、「それでもダメなものは、ダメ。」
8月29日から北海道入りし、1年ぶりとなる札幌の街を闊歩。
仲間とともに受付を済ませ、やったるで!と気合いも充分。あとは明日しっかり走りきれば、自ずと結果はついてくるはず。
(青森空港から一緒だったラン仲間の皆さんと。)
その後ホテルでチェックインを済ませ、明日の準備とばかりにゼッケンナンバーやタグをウェアとシューズに取り付け。なるべく身体を動かさないぞ、とボーッとベッドの上で横になっていました。
夕方からは、今回のもう一つの目的であった中学~高校時代からの畏友の店で、パスタを堪能。
その後ランニング仲間と合流してジンギスカンも堪能し、楽しく前夜を過ごしました。昨年と違って、過度の緊張感はほとんどありませんでした。
ホテルに戻ったのが22時頃で、23時前には就寝、翌朝4時30分まで爆睡。
8月30日。起床してから少し熱めのシャワーを浴び、朝食開始。以下、スタート直前まで口に運んだもの。
おにぎり一つと切り餅7個と納豆2パック、調整豆乳200ml、OS-1のゼリーを1本。
8時15分に昨年と同じ場所に集合、弘前公園ランニングクラブと仲間たちが合同で記念撮影。
(この後、なぜか海外のオッサンランナーが乱入し、一緒に撮影しました。)
昨年同様今回もCブロックからのスタートとなりましたが、建物と建物の狭間での待機となったため、時折吹く空気が冷たく感じられます。とはいえ、気温はジワリジワリと上昇し、スタート直前の時点では21度を超えていました。まあ、それでも昨年の22度に比べたらまだ若干涼しいかな…。
昨年はスタート直後の渋滞に巻き込まれ、5キロ通過まで28分を要したという苦い経験から、今年は10キロまでの給水をぶっ飛ばすことに。代わりに手には経口補水液のゼリーを握りしめ、ポケットには様々な補給アイテムをぶち込み、ゼッケンの裏にはサプリメントをホチキス留めしてぶら下げていました。
大通公園にあるテレビ塔の電光掲示板がカウントダウンを始め、いよいよ午前9時、スタートの号砲が鳴らされました。同じCブロックだった仲間数名とゆっくりスタート。スタートラインを踏むまでの時間が約1分ということで、昨年ほどストレスを感じることなく、順調に前に進んでいます。程なく仲間もバラバラになり、ひとまず先行する仲間の背中を追いましたが、その背中も間もなく見えなくなりました。
あっという間に3キロを通過、ほぼ順調な脚運び。両足首の痛みもあまり感じません。
昨年1度走ったコースということで、脳が大体の位置関係、コースを覚えていました。これだけでもかなり気分が違うものです。
5キロの通過タイムが25分30秒。まずまずといった感じです。じわりと暑さがあるものの、風が心地よく感じられました。やがて2度の右折を繰り返し、南下したコースから今度は北上を開始、緩い坂道を登り切ると、今度はしばらく緩い下りが始まります。
給水2か所をスルーしながら細かな右折左折を繰り返し、8キロを通過、程なく創成トンネルへ。そうそう、昨日パスタを食べた畏友の店はこの近くだったね…なんてことを思い浮かべながら走っていると、この時点で手持ちのゼリーが空っぽになりました。トンネル内で一旦クールダウンしながら、ペースと歩調を整えます。ほぼキロ4分40秒前後で進みながら、創成トンネルを抜けると、再び暑さが。後で聞いたところでは、僕のすぐ背後を仲間が走っていたらしく、僕の発汗量は相当だったようです。ということで、この日のために用意した秘密兵器、経口補水液粉末カプセルの登場!じゃーん!!
…あれ?ない。ないぞ?走りながらあちこちまさぐりますが、カプセルを入れていた袋がありません。どうやら、塩飴を取るときに落としてしまったらしい。ガーン…
しかしこんなことで気落ちしてはどうしようもない。大体にして、まだ10キロも走っていないのであります。気を取り直し、代用のゼリーを1本投入。前回は32キロを過ぎた辺りから、暑さとハンガーノックにやられました。そうならないように、先手を打ったというわけです。
その後も、周囲の声援にほとんど愛想を振りまくこともなく、淡々と走り続けます。ほぼ4分40秒前後のペースをキープし続けています。何かいい感じです。やがて15キロを過ぎ、「新川」の文字が見え始めました。北海道マラソンの最大の難所といわれる、新川通が近づいているサインです。
なぜ新川通が最大の難所といわれているかというと、片道約6.5キロのほぼ直線のコース、声援もあまりなく、景色もほとんど変わらない中、淡々と走り続けなければならないから。精神力が試される、といわれていますが、昨年は25キロで折り返してからちょっとペースを上げた結果、32キロ以降の大失速に繋がりました。
そしていよいよ新川通にさしかかった時に、背中を後押ししていた追い風が少し強くなっていることに気がつきました。
追い風も 逆を向けば 向かい風
前日、札幌市内で南東の風が少し強く吹いていたことが気にはなっていましたが、どうやらこの日もその状況は変わらないようで。これはちょっとやばいなあ、と思いながら、なおも淡々と歩を進めます。
ちなみに、個人的にはこの新川通、さほど苦しいとは感じません。紅白の鉄塔や白い橋脚など、目印にするものはそれなりにありますし、何よりもランナーが大勢いますから、それを見ているだけでも飽きないのであります。むしろ、この新川通を抜けた32キロ以降が怖いわけでして、ハイ。
20キロ付近で取ったコップの水が、思い切り左脚にかかりました。シューズの中がまたチャポチャポと音を立て始めます。
気にすればキリがないと思い、意識をそこに向けないようにしました。先頭を走るランナーが反対方向から走ってきます。後続のランナーも、続々とやってきます。27キロ付近を駆け抜けているのは、並々ならぬ決意で走る同じクラブのKくん。まっすぐ正面を見据え、こちらにはまるで気づきません。といいつつこの日は、誰をどこで追い抜き、誰にどこで抜かれたのかはほとんどわかりませんでした。強いて挙げるならば、3キロぐらいでYさんと今日のレース展開について話したことと、新川通を走っているときに、先行で折り返し、辛そうに走っているSさんの姿を見かけたのと、同じく反対車線を走るTキャプテンと手を挙げて呼応したこと、37キロぐらいでS先生に追い抜かれ、声を掛けられたこと。これぐらいでした。
25キロを過ぎ、折り返し地点を通過。ふと気がついたら、足のチャポチャポ音は消えていました。走っているうちに乾いたようです。しかし、札幌市内に身体を向けた途端、やはり若干強い向かい風が身体を押し返そうとします。風除けとなるランナーがいないか探しながら走りますが、手頃なランナーを見つけることもできぬまま、淡々と走り続けます。
28キロ付近でしょうか、Sさん母娘が弘前公園ランニングクラブの幟を手に応援していました。不思議なもので、あの応援一つで本当に力が入るんですね。一瞬ではありましたが、落ちかけていたペースが再び回復。しかしそう思ったのも束の間、新川通を走り終え、32キロを過ぎた辺りから、キロ5分台にペースが落ち始めました。33キロ通過。ああ、そういえば前回はこの辺で足裏が痛くなり、完全に気力が萎えて歩き始めたんだな…ふと昨年のイヤな思い出が蘇ります。
…あれ?Sさんだ。僕が折り返す前に先行していたSさん。その走り方を見て、明らかに何か異変があったんだろうな、と思いましたが、34キロ付近でとうとうその背中を捉えました。
「もう少し!頑張って!」「はい、ありがとうございます!」
Sさんの前に出るときに、こちらが応援しなければならないのに、なぜか声援を受ける始末。
しかし、いよいよこの辺りでかなり脚がいうことを聞かなくなってきました。35キロの給水でとうとう歩きながら水を受け取り、何杯も水を飲み干し、脚にも水をかけます。
(35キロ付近。この後の給水で脚が止まりました。完全に失速です。)
しかし、ここで腐っては昨年と一緒、元も子もないと再び走り始め、何とか37キロ通過。残り5キロということで思わず時計に目をやってしまいました。まだ2時間57分。このままのペースで耐えきれば、3時間30分を切れるかも知れない!ふと、3時間20分台でゴールする姿を思い浮かべます。
…嗚呼、僕はまたしても色気を出してしまったのであります!
やがて38キロ手前で、とうとう脚がいうことを聞かなくなり、歩き始めてしまいました。くそー、ここまで我慢すればもう少しなのに…。脚が動かないのは、脳が楽をしたがっているから。必死に脳のスイッチを切り替えるべく、無心になろうとするのですが、呼吸も荒くなり、頭がボーッとしています。程なく後ろからヒタヒタと迫ってきた(というかスタート時には先行していたはずの)S先生に声を掛けられ先行を許しますが、追随する元気というか脚がありません。走っては歩き、走っては歩きの繰り返し。まあ、ここからの4キロが長いこと長いこと。
北大キャンパスに入ってからも、歩いて走って、また歩いて。「弘前公園、頑張って!」と声援を受けますが、それに応える余力もなし。
そして40キロを通過した時点で3時間20分。この時点で、手中からサブ3.5がスルリと逃げたことを確信しました。
頭がボーッとしています。何だか足許も覚束ない感じ。まあでも、最後まで諦めたらダメだよね、ということで、せめて人生初のフルマラソンのタイム(3時間34分50秒)はクリアしようと、ひたすら歩を進めます。歩いて、走って、また歩いて、走って。
残り約1キロ、北海道庁赤レンガ庁舎前。選手の応援に回っていた川内優輝選手(…だと思っていたら、川内選手はパースマラソンに出場中で、どうやらそっくり芸人だったらしい。爆笑)とハイタッチ。これでまた元気が少しだけ出ましたが、ここからがまだ長いんだわ。
それなりに走り込んで脚を作ったつもりでいましたが、まだまだ中身が備わっていませんでしたね。
道庁を抜けた後は遅いなりにも取りあえず走り続け、最後はペースを上げることなくゆっくりと手を広げてゴール。
記録は、3時間33分29秒。
悔しいんだけど、これが今の実力なんだなあ、と妙に納得してしまう自分がそこにはいました。涙の一つも出てきません。
程なく、後ろから同じクラブの仲間が一人二人とゴール。なんと、虎視眈々と記録を狙っていたみんなが、ほぼ同じぐらいのゴールタイムだったんです。
笑いながら「あれえ?お疲れさま!」と声を掛け合います。
(笑っていますがサブ3.5を逃した悔しさがじわじわと。)
完走証を受け取ると、先にゴールしていたメンバーも含め、仲間数名が集まっていました。
しかし、その表情に笑顔はありませんでした。その場に居合わせた仲間全員がこう思っていたはず。
「いやあ、やっちまったわ!」
(ニコニコしている前の二人は結果を出し、あとのメンバーは全員撃沈。)
2015年の道マラ挑戦が終わりました。目標にあと一歩届かず。まあ、終わってしまったものは仕方がありません。
悔しさをかみ殺しつつ、お互いの健闘をたたえ合いながらレースを振り返ります。暑かった?いや、昨年に比べれば全然楽だったんです。でも、このコースを攻めることの難しさに、またしてもやられた!というまさに「撃沈」の心境が、みんなの胸に去来していたはずです。悔しさをひた隠し、安堵の表情を浮かべつつ、「自分だけじゃなくて、みんな辛かったんだよね。今日はみんな撃沈だったんだね。」と、こうなると完全に傷の舐め合いですな。
もっとも、この過酷な状況下にあっても自己ベストを更新するなど、しっかりと結果を出した仲間もいたわけで、たまたま3時間切りを目指して走った数名と3時間30分を切れずにゴールした数名が、「失敗ラン」だったというだけの話。
いや、失敗だったわけじゃないんですよね。それぞれに皆さん練習もしっかりしたし、脚も作った。でも、そうなるべくしてなった、何らかの「理由」や「原因」があるわけですよ。
僕の場合は走り込み、特に30キロ走をもっと増やしておくべきでした。35キロまで耐えたけど、そこから脚が出なくなったということは、ペース配分もちょっと誤ったのかも知れません。でも恐らく、前半であれぐらい突っ込まなければこの結果には多分繋がらなかったことでしょう。これにスピードの上乗せができるようになれば完璧ですが、そんなに上手くいくはずがなく。
それでも、昨年のタイムより15分縮まったということ、そしてこの時期にこれぐらいのタイムを出すことができたということは、まだ可能性が残っているということなのでしょうか。
(前半で少し突っ込み過ぎたかな。走る上では苦にならなかったんだけど。)
9月以降も大会は続きますが、次に繋げられるよう、まずはしっかりフォローとケアをしていきたいと思います。
夏の北海道には魔物が棲んでいます。次回は魔除け持参で臨みます。…さて、その魔除けはどこで手に入るかな?
最後に。走りながら口に放り込んだもの一覧
・スタート~8キロ OS-1ゼリー(給水2か所を飛ばすため)
・10キロ メダリスト エナジージェル りんご
・12キロ 塩熱サプリ
・15キロ MUSASHI Ni
・20キロ パワーバー パワージェル梅
・22キロ 塩熱サプリ
・25キロ Super VAAM 顆粒
・30キロ MUSASHI Ni
・35キロ サバス ピットインエナジージェル 栄養ドリンク風味
・37キロ 塩熱サプリ
少し食べ過ぎました。