月別アーカイブ: 2021年3月

【CD感想】Jellybean Johnson / Get Experienced #jerrybeanjohnson


本日はある意味、超マニアックなCDの紹介。というか、Prince関連のお話デス。

突然だが、Janet Jacksonの名を一躍有名にしたのは、アルバム「Control」そしてその次に発表された「Rhythm Nation 1814」。

いずれの作品も、当時、音楽業界を席巻していたプロデュースチームのJam & Lewis (Jimmy Jam & Terry Lewis)によるバックアップの下、兄のMichael Jacksonに負けず劣らぬの大ヒットを記録した。

この「Rhythm~」に収録されていた「Black Cat」は、6枚目のシングルカットながら彼女のハードロッカーとしての一面を引き出すことに成功、全米1位を記録した。複数のギタリストが参加しているこの異質な楽曲のプロデュースを行っていたのが、本日紹介するJellybean Johnson。

(既に承知の方がほとんどかとは思うが)Jellybean JohnsonとJam & Lewisは、かつて同じバンドに在籍していた。

そのバンドとは、Princeのプロデュースした(というよりも、彼が作った楽曲を披露するバンドとして活動した)The Time。

Princeの代名詞ともいうべき映画「Purple Rain」にて、Princeと対立するバンドとして登場したのがこのThe Timeだが、Jam & Lewisはその時には既にバンドを離れていた。

メンバー間の軋轢が生じ、メンバー脱退と再結成を繰り返していたThe Timeだが、一貫してPrinceの傍で活動し続けたのが、このJellybean Johnsonだった。「Nothing Compares 2 U」を輩出した The Family(現fDeluxe)のドラマーとしても活動していたことは、ファンの間では周知の通り。

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【CD感想】JOY-POPS / LIVE 2020 NEXT DOOR #joypops #thestreetsliders


新型コロナウイルス感染症の影響は、飲食店や観光業、宿泊業にとどまらず、人々の趣味、娯楽の領域までも侵食することとなった。とりわけ、ライブ活動を主戦場としているアーティストやホール経営者にとって、これほど厄介で疎ましく、そして腹立たしいものはないだろう。

私事だが、2020年から21年にかけて、4本のライブ鑑賞を予定していた。
アーティスト名は敢えて伏せるが、中には、約25年ぶりの鑑賞となるアーティストや、人生初の鑑賞となるアーティストも含まれていた。しかし、新型コロナウイルス感染症の影響でいずれの公演も延期または中止となってしまった。これほどまでに虚しく、やるせない気持ちになったのは、恐らく10年ぶりぐらいではないだろうか。

さて、医療従事者から始まったワクチン接種が段階的に進められていくとはいうが、一体いつになったらこの閉塞感から解放されるのだろうか、という悶々とした気持ちを抱えている方々がほとんどではないかと思う。
それでも、いつか開かれるであろう新しい扉の向こうに広がる世界が来る日を待ち続けながら、目には見えない内外の敵と戦い続けなければならない。

遡ること2018年の7月、僕は青森市で伝説のライブを目の当たりにした。
The Street Slidersのフロントマン、村越弘明(ハリー)と土屋公平(蘭丸)によるユニットJOY-POPSの18年ぶりとなるライブの最終公演(のちに追加公演が発表されたが)。
このライブにとてつもなく感動した僕は、いくつか願いを込めてブログの記事をしたためた。

JOY-POPS 35th Anniversary Tour ”Wrecking Ball” @青森QUATER #joypops #thestreetsliders

このライブが最後でなければいいな。そして、願わくは4人が集まる場面が見たい。
できれば、演奏してくれた新曲に日の目が当たりますように。そして、ライブの模様がもっと多くの方々の耳や目に触れられますように。

この願いのうち、4人で集まる場面は未だに叶っていないが、他の3つは念願成就となった。

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10年ひと昔… #あれから私は


東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した3月11日。

この日が近づくと、マスメディアを中心に様々な特集が組まれる。防災対策、津波からの避難、そして、原発事故…。更に、地震や事故の分析、検証、評価、振り返り…。

僕自身、2011年3月11日午後2時45分頃からの記憶はかなり明瞭に残っているが、それ以前の記憶はほとんど残っていない。まして10年前の3月10日に何をしていたかなんて、一つも覚えていない。皆さんは、どうですか。

しかし、2011年3月11日午後2時46分、コーヒーにお湯を注ぎながら大きな揺れを感じたあの時、執務室の扉にしがみつきながら青褪め、苦悶の表情を浮かべる他課の非常勤職員に「大丈夫、大丈夫だから」と声をかけ続けたあの時から、家に帰るまでの間の記憶は鮮明に残っている。電気が消えた執務室内。スマホのワンセグを見ながら「大変だ!津波警報が出ている!」と叫んだ同僚。日も暮れ始めた夕方、上司の指示で帰宅を命ぜられたが、帰るための手段の確保に苦慮したこと。辛うじて乗り込んだ路線バス、料金箱にしがみつきながら、これから一体どうなるんだ、という不安でいっぱいになった。それから約1か月後、宮古市、山田町そして大槌町の惨状を目の当たりにし、自分の中の何かがまた再び動き始めた、そんな感じだった。うまく表現できないけれど、僕の中の歯車、いやギアが切り替わったというか、自分の中で悶々としていた何かがストンとハマったような感覚。

震災から4年後。「生活再建・産業復興局」という、青森県における東日本大震災の諸々を所管する部署へ異動となった。その後「局」は「室」となり、そして現所属への統合、業務の移管等を経ながら、復興関連の業務に携わること3年。

この間、業務の関係で宮古市や久慈市へ足を運ぶ機会も幾度かあった。目まぐるしく周囲の環境が変わっていった。

(久慈市内を走る八戸線でたまたま目撃したTOHOKU EMOTION。)

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