日別アーカイブ: 2009-01-15

父の筆跡


今朝は20センチ近く雪が積もった。朝5時過ぎに起床し、せっせと雪かき。去年の今頃であれば、薄いジャンパーを羽織り、メッシュの野球帽を被り、黒いゴム付きの軍手をつけた父が、こっちの雪かきがようやく終わる頃になって、青い雪かきを手に、通路の幅を広げるだけのために、申し訳ない程度の雪かきをする光景を目にしていたが、当然のことながら今年はその姿が見えない。雪かきの間、そのことが頭をよぎると同時に無性に悲しさがこみ上げ、寒さのせいなのか悲しさからなのかよくわからないまま、僕はポロポロと涙を流していた。

さて、今日もまた父の話だ。他のネタを楽しみにしている方には申し訳ないと思いつつ、しばらくは父の回想録にお付き合い願いたい。

父は、実に特徴のある字を書いていた。まるで女性が書いたような丸みを帯びた字体でありながら、時としてそれは何を書いているのかわからず、苦労したことが何度もあった。だから、見ようによってはただの乱雑な字。でも、他の見方をすればそれは、暖かみのある優しい字だった。

市議を務めた父には、名目上の後援会があった。しかし後援会といっても名ばかり、実態は選挙が始まる頃だけ集まる程度で、例えば市民向けの定例の報告会を行うとか、あるいは何らかの形で活動状況を発信するとか、そういったことも一切行っていなかった。
有名無実の後援会とはいえ、政治資金規正法の絡みもあり、県選挙管理委員会に毎年収支報告を行わなければならない。県選管のある場所に極めて近いところで働く僕としては、毎年その収支報告を父に頼まれて持参することが、ちょっとした苦痛となっていた。たぶんそれは、まがりなりにも公僕である身分にありながら、いくら父のこととはいえ議員という立場にある者の書類を、まるで小間使いのように持参することに、少なからず抵抗を感じていたからなのだと思う。
だからここ最近は、父から頼まれても「悪いけど直接送ってくれないかな」とやんわりと断りを入れるようになっていた。今となっては、なぜそんなことをしたのか、僕にもわからない。

父が亡くなってからも、父の後援会は存在し続けた。有名無実であろうとも、解散の届け出をしない限りは、後援会としての名前が残ってしまうのである。

昨年暮れ、会計責任者の元に収支報告を求める書類が送られてきたそうだ。主亡き後援会の会計担当者は、どうすればよいのか判断に悩み、年始に我が家に相談にやってきた。
そして僕は、後援会の解散をその場で決めた。後援会関係者の意向はお構いなしだ。
というか、主亡き後援会が存在すること自体が不自然なことであり、解散は当然至極のことではあるが、誰もそのことを口に出さなかったのである。なので、解散したところで文句を言われる筋合いもないし、文句を言ってくる人もいないだろう。
多分これは、議員としての父からの、最後のお願いなのだろうと腹を括った。
「オニチャン、メヤグでもこれ頼むじゃ。」

結局、主亡き後の後援会の、最後となる収支報告書そして後援会の解散届は、すべて僕が調製した。あとは、後援会長と会計責任者が自筆押印さえすれば書類が整うように。

県選管に直接出向き、事情を説明。幸いにして、以前一度別なお仕事でご一緒したことのある人だったので、話はスムーズに進んだ。昨年の内容を確認させてもらおうと書類を見せてもらったら、そこには明らかに父の筆跡で書き記された書類が出てきた。
丸みを帯びた、太くて大きな字で、会計担当者ではなく、父自らが収支報告書を作成していたのだった。

まさかそんなところで父の筆跡にお目にかかるとは思っていなかった。
父が生きていた証であり、父が市議を務めていた証。暖かみのある、優しい字。

父の懐かしい筆跡を見ていたら、空しさと切なさがとめどなくこみ上げてきた。