最近、空き地や空き家、リフォームされた建物が多くなったと思う。
コンビニエンスストアを改装した建物だけは、そこにコンビニがあったということを認識することができるけれど、毎日通っている道端にあった建物が突如として消えた時、そこにあった建物が一体どんな形状をしていたかということを思い出せなくなることが多くなった。
この世の「当たり前」が、いつか「当たり前」じゃなくなることなんてざらにある。
逆に「当たり前」じゃなかったことが「当たり前」になってしまうこともある。
そもそもその「当たり前」が一体何であったかを忘れてしまうってことって、ないですか…。
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(高校2年生、安比高原へスキーバカンスに訪れた時の写真。恐らくオヤジが飲んだチューハイの缶なんぞが前にありますが…)
オヤジがこの世を去って9年の月日が流れた。
何年経っても忘れることのない、オヤジの声、そして臭い。
自分がオヤジに似ているという自覚は全くなかったのだけれど、最近、ちょっとした振る舞いや仕草、言葉遣いの端々に、オヤジの影を感じるようになった。
そして、気付いたらそんなオヤジのような振る舞いをしている自分が何だかちょっと恥ずかしくなり、独りで苦笑いする機会が増えた。
考えてみると、オヤジが今の僕の年齢(46歳)だった時、僕はちょうど社会人としての第一歩を踏み出した時だった。
あの頃を振り返ってみても、僕は全然オヤジの域に達していないんだな、ということを痛感する。
あれから24年が経ち、まさか今自分がこういう生活を送り、そしてオヤジもあちらの方に既に旅立っているなんて、誰も考えていなかったことだろう。
そりゃそうだ、オヤジがいること自体が僕にとっては「当たり前」だったんだから。
社会人として15年目、部局間を転々とするような異動が続いていた頃に、オヤジの突然の訃報に接した。
まあ、この時の顛末については、2年前になってようやく記事にする決心がついたので、そちらをご覧頂くということで。
まさにどん底に突き落とされたような精神状態だった当時、変に気遣うこともなく、普通に接してくれた同僚の皆さんには救われるような思いだったし、本当にありがたかった。
あの頃は、普通に接してもらうのが、一番の薬だった。
逆に、すぐ身近にいる友達の方が接しづらそうにしていたのが、何だかちょっと申し訳なくもあり、こちらも辛かった。至って普通のつもりだったのに。
あれから9年という月日が流れたが、僕はこの9年間で何か成長したんだろうか、という自問自答。
実のところ僕は、何の成長もしていないんじゃないかと悶々としながら頭を抱えている。
オヤジに少しでも追いつくことが僕の人生における最大のテーマであり、いわば人生の目標でもある。
そのオヤジの背中は、最近近づくどころかどんどん遠くなっているような、そんな気が。
でも、振り返って考えてみると、それって自ら撒いた種に水やりをせず、枯らしてしまったからなんだよね。
そこに至るまでの経緯については色々思うところがあるけれど、苦い経験として胸にしまっておこうと思います。
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(婆さんの傘寿のお祝いを兼ねた新年会だったかなあ。今頃オヤジはあちらの方で、婆さんが手にする杖でフルボッコにされていることでしょう…嗚呼)
9月7日はオヤジの命日。でも、自分の中では、いなくなった今日がオヤジの命日。
オヤジの生きた年齢まであと14年。オヤジの凄さは既に何度も実感しているけれど、その年齢になってみて、改めて凄さを実感するんだろうか。
そこに居て「当たり前」がいなくなって9年。
既に居ないことが「当たり前」になりつつあることが、ちょっと悲しい。
笑顔の裏に、時々隠している悲しみ。
作り笑いの裏に隠している、誰にも知られたくない深い苦しみ。
また昔みたいに、ビール飲んでグダメギながら、何だか七面倒くさい話でもしたいな、って時々思う。
ふと思い立って昔の写真を見ながら献杯。
しかし、今更ながらオヤジと一緒に撮影した写真がほとんどないということに気付いて愕然とした。
皆さん、親御さんと写真、撮影していますか?お子さんと写真、撮影していますか?
居なくなって感じる空虚感。思い出はあるに越したことはない。今も、後世にとっても。だからこそ記憶だけじゃなくて、記録も絶対残しておいた方がいいです、絶対に。
(日付を見ると今から13年も前の写真。この日のことははっきり覚えている。けれども恐らくこれが、オヤジと一緒に撮影した最後の写真だろうか…。)
…オトン、たまには顔出してケロじゃ。
合掌