Monthly Archives: 12月 2022

喜怒哀楽悲喜交々 2022年回想録(2)

(1)に続いての2022年回想録、後編。目まぐるしく色んなことが動き始め、それは年末まで続くことに…。

7月 コロナの影響、ここにも…。

2年我慢した山下達郎のコンサート。東北ではなぜか青森県だけが開催地から外れ、致し方なく盛岡市で行われるコンサートにエントリー、チケットをゲットした。ところが、なんと本人が新型コロナウイルス感染症に感染し、札幌市、盛岡市、いわき市でのコンサートが延期となってしまった。元々は札幌市での公演を観に行こうと目論んでいたのだが、チケットを入手することができなかった。結果的には、チケットが入手できなかったことで、航空券の手配もしなかったし、ホテルも予約しなかった。盛岡市の公演については、ホテルの予約はしていたものの、新幹線の切符は購入しておらず、金銭的な痛手がほとんどなかったのは、ある意味ラッキーだった。ちなみに振替公演は2月とのこと。期待を膨らませようっと。

8月 大雨災害、再び。

所属も立場も変わったとはいうものの、災害への対応は変わりがない。8月上旬から県内では断続的な大雨に見舞われた。3日未明には土砂災害警戒情報、記録的短時間大雨情報等が相次いで発表され、下北半島のみならず、津軽半島でも一部孤立地域が発生。昨年8月に下北半島で発生した大雨災害が頭をよぎった。前線や低気圧が通過した後、状況は改善されていったが、昨年の経験は多少なりとも活かされたのかも知れない。が、これで終わりではなかった。

北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅。津軽線の津軽二股駅が隣接している。

9日、津軽地方を中心に大雨被害に見舞われ、道路冠水、河川氾濫等が各地で発生。日本海沿岸に位置する鰺ヶ沢町では町中心部が内水氾濫により多くの住宅が冠水し、JR五能線の鉄橋の橋脚が沈下したほか、深浦町では、道路が崩落するなど、一部で孤立地域が発生した。県内では初めてとなる、協定に基づく消防の相互応援が実施されるなど、緊張が走る中での対応となった。結果として、りんご園や田畑の冠水、土砂崩れによる道路網の寸断、JR各線の運休など、甚大な被害が発生したわけだが、様々な方々の尽力により、着実に復旧が進んだ結果、五能線は12月23日に全線で運転を再開し、24日には観光列車「リゾートしらかみ」の運行も再開。一方、津軽半島を走る津軽線では、蟹田~三厩間の復旧の目途が立っておらず、JRでは今後の交通体系の「あり方」について協議を求める意向を示し、「廃線」の可能性もちらつかせ始めている。

こうやって災害は、当たり前だった色んなものを奪っていく。しかし、いつ何時発生するのかわからない。改めて気を引き締めないと、と痛感したところ。

9月 蜂とケーキ

まだ成長途中だったようで。ひえぇぇ!

隣家の垣根にスズメバチが巣を作り、母や自分が襲われそうになるといった事案が発生。知り合いの業者さんにお願いして巣を撤去してもらったが、母は完全にトラウマになってしまったらしく、虫の羽音に怯えるようになった。あちらこちらで空き家や空き地が増え、手つかずのエリアが増えれば増えるほど、棲み処が増える。市街地でも多くスズメバチを見かけるようになったのも、実はこういったことが要因になっているような気がする。

 

瞳はつぶらなんだけどなあ。

さて、14日には我が家にとって最後の一匹となった愛犬のチョコ(ミニチュアダックス・♀)が、18歳の誕生日を迎えた。下半身不随になってから15年近くの年月が経つが、あまり外に出ることもなく、室内でのほほんと暮らしているのが、逆にストレスもなくて良いのかも知れない。とはいえ、かなり痩せてきているのも事実なので、そろそろ覚悟を決めなければな、と思い始めていた…。

 

Continue reading

喜怒哀楽悲喜交々 2022年回想録(1)

今年もいろんなことがあった1年だった。といっても、なんだか本当にいろんなことがあり過ぎて、記憶がかなり薄れているのも事実。50歳を超えると一年なんてあっという間だよ、という人もいるみたいだが、2022年は本当に長い一年だと、つくづく感じている。

こんなに一年が終わるのが待ち遠しいのも、久し振りかも知れない。

そんな一年間がどんな年だったか、ちょっと振り返ってみた。

1月 大雪三昧

弘前駅にて出発の刻を待つ貨物列車。

2021年の年末、青森県内は大雪に見舞われた。一ケタ国道(4号、7号)で相次いで車が立ち往生して動けなくなり、道路網がストップ。更に、青森空港に向かう県道でも同様の事案が発生し、空港のスタッフが空港に行くことができずに航空機が運休するという事態に。

年が明けても大雪の状況はあまり変わらず、1月5日と14日にはJRが運休となり、出勤できないという状況にも陥った。出勤後に電車が運休し、帰宅困難者となった結果、何度宿泊したのかも忘れたが、雪の降り方が明らかに変わってきている、それは、夏の大雨同様、時には災害級となることを痛感する出来事だった。

2月 濃厚接触者扱いに

くしゃみ誘発剤

新型コロナウイルス感染症に関する県の対策を司る一員として動いている中、自らが濃厚接触者になるという事態が発生した。詳細については差し控えるが、確かに様子がおかしな方が近くにいたな、といった感じ。

結局、土日を含めて7日間にわたり自宅待機と在宅勤務を余儀なくされ、自宅でも隔離状態に。しかし、発熱はもちろんのこと、自覚症状も全くないまま、ひたすら軟禁されているような生活を送ることとなった。2月議会を控え、結構痛手となったことは否めない。

 

 

3月 あっという間に春の足音

地元高校生とのコラボレーションによる「バナナ最中」。

年末から2月にかけて断続的に続いた大雪の峠を越えたと思ったら、春の足音は猛ダッシュでやってきた。あっという間に周辺の雪は溶け、春の気配を各地で感じるようになった。そして3月は、別れの季節。人事異動により、2年間務めたグループマネージャー(GM)の役職を離れることとなった。

次の異動先は、5メートル程度しか離れていない、隣の課のGM。色々あった2年間。やりきったとはとても言えないが、何とかやれたのかな。新しい景色は見えなくとも、多少は楽になるだろう、と淡い期待を抱いていたのだが…。

 

 

4月 新たな業務、そして再び濃厚接触者に。

春はあっという間にやってきた。

新しい配属先は、同じ危機管理部門の課。前職とは全く異なる、とは言い切れないが、関連のある業務を抱えるグループだ。とはいえ一歩足を踏み込んでみると、知らないこと、分からないことだらけ。更に、次から次へと提示される懸案事項に、思わず閉口。これ、1年間を大過なく過ごすなんて無理だな、と諦めた。とはいえ、やれない理由を考えるぐらいならやれる方法・手段を考えるというのがポリシー。なるべく前向きに、ポジティブに仕事に取り組むことができるよう、同じ目線で一緒に物事を考えることを意識しながらの4月が始まった。

4月中旬から、研修のために上京することが決まっていた。数年ぶりの東京出張だ。コロナの感染は依然として蔓延っているが、万全を期して向かおうじゃないか。

出発当日、キャリーバッグと鞄を抱え、職場へ。午後から新幹線で移動するため、残務を整理していたところに着電。家族から「コロナ陽性になった」との連絡だった。青天の霹靂とはこのこと、狼狽しながら上京に向けた一切合切をキャンセルし、弘前へととんぼ返り。やはり濃厚接触者扱いとなり、研修と同じ期間となる7日間を自宅で過ごすこととなった。

5月 山が燃える

こちらの山は、燃えていません。

待機期間も無事に終え、久し振りに暦通りの大型連休を迎えることとなった。ここ2年間は、新型コロナへの対応に追われることとなり、暦通りの休みなんてあり得なかったのだ。

しかし、僕が行くところでは何かが起こると散々揶揄されてきたこの数年間。連休明けの6日から、いよいよその「何か」が起きてしまった。県内各地で立て続けに林野火災が発生、春の乾燥した空気と強風の影響もあり、むつ市と十和田市で発生したそれは、ここ数年では例がない大規模火災となってしまった。住家が延焼したり、人命を及ぼすようなことにならなかったのは不幸中の幸いだったが、前途多難を予感させる不穏な出来事でもあった。

6月 青函トンネル初潜入・そして3年ぶりのライブ堪能

真夜中のハードトレーニング。

JR北海道が実施する青函トンネル内での訓練を視察。実際の車両を使った訓練ではなかったが、坑道内でのスプリンクラーや消火設備等を見学させてもらった。しかし、1,300段を越える斜坑を徒歩で上り下りするのは、違う意味でいい訓練となりました。

そして、2019年に仙台で観た東京スカパラダイスオーケストラのライブを最後に控えていたライブ鑑賞を3年ぶりに解禁。偶然にも、青森で開催された東京スカパラダイスオーケストラのライブ。マスク着用で声も出せなかったが、楽しかったなあ。早くこんな日常が戻ってくれば良いのに、と切に思った。

#Morris Day と #Babyface のアルバムに心ときめく

もうすぐ65歳になるモーリス・デイ(Morris Day) と、64歳になったベイビーフェイス(Babyface)。
プリンスファミリーの一員として時代を駆け抜けたモーリスと、百戦錬磨のプロデューサーとしても名を馳せたベイビーフェイス。ともに60歳を超え、円熟味マシマシの二人が、ほぼ時を同じくして久し振りのアルバムを発表した。いずれも多くのゲストミュージシャンを迎えてのアルバム、更に収録時間が40分前後という短さも共通点。モーリスに至っては何と18年ぶり、ベイビーフェイスは7年ぶりというブランクでの発売に、心がときめいた。

左がモーリス、右がベイビーフェイスのアルバム

モーリス・デイの存在を知ったのはもちろんプリンスの映画「パープル・レイン」から。ザ・タイム(The Time) というバンドのボーカルを務めていて、ちょっと滑稽な兄ちゃんみたいな風貌と動きが、個人的には結構ツボだった。

プリンスとはちょっと異なる色気みたいなものを持ち合わせていて、それがまたバンドとしての魅力の一つでもあったが、ザ・タイムの全盛期はプリンスが提供した楽曲ばかりを演奏し、歌っていたため、プリンスの二番煎じのように感じたのも事実。とはいえその事実を知ったのは結構時間が経ってからだったし、その頃はそれほどプリンスに熱を上げていなかったこともあり、ふうん、そうなんだ…程度にしか捉えていなかったのだけど。

ザ・タイム としての活動期間はさほど長くはなく、バンド名義のアルバムも4枚のみ。名称を使う使わないで揉めた挙句、「THE ORIGINAL 7EVEN(ジ・オリジナル・セブン)」という名義でアルバムを1枚発表しているが、その後、バントとしての大々的な活動はほとんど見受けられない。

ジャネット・ジャクソンを筆頭に、様々なアーティストのプロデュースを務めたJam & Lewisもこのバンドに所属しており、ザ・タイム名義での「最後のアルバム」となっている「Pandemonium」は、思い切り彼らの匂いがするし、前述の「THE ORIGINAL 7EVEN」も然り。が、それがまたモーリスの声とマッチしていて、個人的にはどちらも大好きなアルバムだ。
しかし、ソロ活動となるとなかなか苦戦を強いられているのか、どうしてもザ・タイム の影を払拭できぬまま、今日に至っているような気がする。

Continue reading