日別アーカイブ: 2017-06-20

不安定の上の安定

このブログでは極力仕事の話はしない、と決めているのですが、ふと思ったことがあり、意を決しての投稿です。多分こういう投稿はもうしないと思います。とりわけ同業者の皆さまからは、異論反論色々あるかも知れませんが、それもすべて享受する覚悟です。(裏を返せば、こちらからは一切異論反論はしないという宣言です。)

ご存じの方も多いと思いますが、僕の職業は地方公務員。世間で言うところのいわゆる「役人の端くれ」をやっています。役所勤めも25年目に突入、早いものです。気がついたら「定年」まであと14年しかありません。いや、僕らの頃には「定年」の年齢も引き上げられ、馬車馬のように働いているのでしょうか。それでも恐らく「折り返し」は既に過ぎたはずなので、ぼちぼち「ゴールの先」を見据えていかないと、なんてことを思い始めているところです。

「お仕事は?」と聞かれ、「役所に勤めてます」というと、大概の人は「あー…。」と納得します。なぜ納得されるのかは、正直わかりません。個人的には「役所色」を出さない、いわゆる「公務員らしくない公務員」が理想型なのですが、一度染みついてしまった「色」って、なかなか消すのが難しいものです。それは、年を重ねれば重ねるほどに。

入庁したての頃、「役人って、いいよね。安定してるし。」と、僻みなのか妬みなのか嫌みなのかよくわからないことを周囲からは言われたものでした。
僕の知る限りにおいて、青森県内では「公務員、教員、銀行員」がいわゆる「安定している」仕事だと言われていたように思います。

…でも、「安定」って、何をもって「安定」と言うのでしょう。
勤務時間?給料?身分保障?景気や社会情勢に左右されないということ?

この仕事に就いてから僕は、常日頃から「こんな不安定な立場なのに、安定もクソもあるか!」と思っていましたし、今もその思いは心の中でずっと燻っています。そんな中、最近この記事を拝読して、やっぱり同じ事を考えておられる方っているんだな、と溜飲を下げると同時に、明日は我が身と身につまされるような気分にも苛まれました。
…ところでお前は、どうなんだ?と。

公務員になるというリスク

僕の周囲には、早いうちから公務員であることに見切りをつけた人が何人かいます。もちろん個人的に色んな事情や思いがあってのことですし、辞めたくないのに辞めた人もいるかも知れません。しかしその多くは、役所という組織やルール、しがらみから開放され、むしろ溌剌とした人生を歩んでいるようにも見受けられます。

ところで。
僕は自分のことを「本籍のないジョーカー」と言っています。

どういうことかというと、例えば国家公務員であれば、どこかの省庁に配属が決まると、ほぼ最後までその一つの省庁の中で異動するようです。
これが地方になるとそういうわけにもいかず、全く畑違いの部局に異動する、ということが当然の如くあります。
それもある程度まで年齢を重ねると、それなりに収束していく(所属の部局が固定されていく)ように見受けられるのですが、僕の場合は勤続25年目、46歳になった今でも、収まるどころか一向に落ち着く気配がありません。役所勤めのスタートとなった土木(県土整備)での勤続9年の後は、よくもまあこんなに転々とするものだ、というぐらい、あちこちの部局に異動しています。総務、商工労働、農林水産、危機管理…異動するたびに部局が変わるんですから。良い方向で捉えると百戦錬磨のマルチプレイヤー、悪い方向で捉えると、戻る場所を失ったババ抜きのジョーカー。

だからこそ自分のことを「本籍のないジョーカー」と言っているのです。もっとも最近は、「別名、閉店請負人」と自虐的に言っています。僅かこの3年間で立て続けに、グループや組織の縮小、閉鎖、解散に遭遇したからなのですが…。

異動のたびにそれまで見たことも聞いたこともないような、そんな業務を割り振られることは当たり前。今も日々是学習であり日々是勉強。未だにずっと1年生をやっているような気分。ただ、これは決して僕に限ったことではなく、多くの役人(特にスタッフ職)の現実なのではないかと思います。そういう意味でも、役所勤めにとって「安定」なんてあり得ない、などと考えてしまうわけです。

しかし、実はそんな中で唯一「安定」というか、一貫していることがあります。
それは、僕の仕事の内容が「相手あっての業務」だということ。

お前、何を言うか。相手があるのは当たり前だろう、と言われそうですが、いわゆる法律や数字といった「口言わぬもの」を相手にするのではなく、組合、商工団体、法人、企業、そして組織など、僕の対面には常に生身の人間がいました。ところが周囲には、この対人業務を不得手とする人がいたり、数の中には違う意味での「厄介な相手」がいるわけで、実はそれが意外と身近にいるケースが結構あります。これがまた、ホント面倒臭いんですが。

日々刻々と変わり続ける景気や社会情勢に左右されることなく、法律の下で業務をこなす以上、今から5年後10年後に自分の職場が消えた、ということを容易に想像することができない一方、この人口減少社会にあっては、都道府県の統合や道州制の導入など、予期せぬことが起こる可能性が全くゼロとは言い切れません。そういう意味では、確かに「身分」は安定しているのかも知れませんけれど、置かれた「立場」は不安定。そんな立場に不平不満を垂らすことなく、与えられた業務を「前例」に従って粛々とこなしていくのが、役人に与えられた究極の至上命題なのでしょうか。いや、それとも…。

以前、新制度の施行に伴うある業務に携わる機会があり、最長となる5年間にわたって従事、それなりの道筋を作ったことがありました。何せ「前例」がないので、非常にやりがいのある仕事でした。

その頃僕が作成した資料を、今でも説明会などで使っているようですし、更には他県でもそれを参考にして資料を作成したという話を聞きました。当時は、全国に先駆けて(前例ではなく)「先例」を作ったぜ!と鼻高々でしたが、その中で、当時の上司から言われた「前例は疑ってかかれ」という言葉を、今も自分なりの矜持としている一方で、そういう「見えない何か」を打破するって一筋縄ではいかないし、相当のエネルギーも使うわけです。

実際、グループの廃止が決まった5年目、最終年度の終盤は、「前例」がなかったために身を削るような思いでした。だって、組織の人が減っているのにいきなり仕事を増やされるのは、誰だって本意ではないでしょう。要するに役人も「仕事で楽をしたい」んですよ…イヤ失礼、「仕事を楽しみたい」んですよ。

昔、役所の中ではそれなりの立場だった人が、忖度する相手と立場を読み違えたのでしょうか、役所を離れた途端に木偶の坊みたいになってしまったケースを見たことがあります。OB面ぶら下げて役所の中で散々虚勢を張ったり大見得を切っても、誰も相手にしないワケです。こういう人間だけにはなりたくないし、晩節を汚してしまうような生き方ってホントにイヤだな、と思ったものです。役所で通用することが全て社会で通用するわけではないし、極論を言えば、役所の常識こそが社会の非常識だったりすることもあるわけで。

いやいやそれは違う、そんなことはない、と言われるかも知れませんが、「国の働き方改革」の方針に一番取り組むことができないのは、恐らく役所だと思いますよ。まあ、そもそも役所のための「働き方改革」ではないので、この予想自体は誤っているのかも知れません。ただ、大きな声では言えないけれど、ブラック企業ならぬブラック役所は潜在的に結構あるような気がするのです。

だから公務員や役所に「安定」を求めたら、とんでもないことになると思います。皆さんが思っている以上に役所の中は殺伐としているし、一寸先はホント闇だらけで何が起こるかわからない。一見安定しているようでも、不安定な社会情勢の中、役所だけが常に安定した状態でいられるわけがないのですから。例えるならば、バランスボールの上に立つ、こけしみたいなものでしょうか。(←意味不明)

さて、話がどんどんズレていった結果、いよいよ自分でも何を言いたいのかよくわからなくなってきました。その結論を見いだせぬまま、今日は矜持、忖度という言葉を使ってみたかっただけの大きな大きな独り言ということでお許し下さい。話の内容が安定せずにホント申し訳ない。
…お目汚し、大変失礼しました。