青森県における大雪対策の考察

初めてChatGPTを活用して記事を作成してみました。思考する必要がなくなるし、推敲する時間が減り、記事も簡単にできちゃうんですね。でも、こればかり活用すると自分の思考能力がどんどん下がっていくので、適度に利用しようと思います。ちなみに、生成された二つの記事を合成し、修正・追記した結果、2500字になってしまいました。いつも長くてすいません。


青森県は日本でも有数の豪雪地帯として知られ、毎年冬になると大量の雪が降り、交通や生活に大きな影響を与えます。県では長年にわたり大雪対策が進められ、住民の生活を守るための取り組みが行われています。ここでは、青森県の大雪対策について触れたいと思います。

1. 2025年の記録的大雪を振り返る

2025年、青森県は記録的な大雪に見舞われました。1月5日、県は12年ぶりに「豪雪対策本部」を設置し、被害状況や対応策を公表しました。(恐らく3月いっぱいは設置されることでしょう。)
同日、青森市では積雪が139センチ、弘前市では111センチに達し、津軽地方を中心に平年の3倍以上の積雪となりました。
さらに、2月13日には酸ケ湯(標高約900m)で積雪が451センチを記録し、全国で12シーズンぶりに450センチ以上の積雪となり、20日には500センチを超えました。
この大雪の背景には、海面水温の上昇などにより「線状降雪帯」が発生しやすい状況があったとされています。
また、1月17日には青森県深浦町で12時間に31センチの降雪、2月23日には弘前市で160センチを超える積雪深を観測し、いずれも観測史上1位を記録しました。
このような記録的な大雪により、建物の倒壊や交通障害などの被害が発生しました。

一方、1月28日には、八戸で13.0℃、三戸で12.7℃を記録するなど、23の観測地点中17地点で10℃を超え、全ての地点で2025年で最も高い気温となりました。
しかし、積雪の多い地域では、雪害による建物の倒壊が相次ぎました。

青森地方気象台の観測によれば、2024年11月10日に初霜、11月14日に初結氷が観測され、平年より遅い傾向が見られました。
これらの気象条件が重なり、2025年の青森県は記録的な大雪に見舞われたと考えられます。
この大雪により、地域社会は多くの困難に直面しましたが、住民や自治体の協力により、被害の拡大を防ぐ努力が続けられました。

1月中旬。東京で遊び呆けて帰宅したら、裏の屋根雪が芸術的ウェーブを作り出していた。

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さいたまスーパーアリーナの「注釈付指定席」は侮れなかった

2月8日にさいたまスーパーアリーナで開催されたサザンオールスターズ LIVE TOUR 2025「THANK YOU SO MUCH!!」に足を運んだ。

無期限活動停止を発表した2008年の「30周年感謝祭(日産スタジアム)」、5年ぶりに復活を果たした2013年の「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!(宮城スタジアム)」、そして2019年の「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!” だと!? ふざけるな!!(札幌ドーム)」に続き、4度目のサザンのライブ…。

2008年のライブの直後に父が他界したということもあって、個人的には色々思い入れのあるサザンオールスターズ。メンバー全員がもうすぐ古希を迎えるという年代に差し掛かるが、ほぼオリジナルメンバーのままで今もなお第一線で活躍する彼ら。ひと昔前であれば年寄扱いされても何ら不思議ではない年代であるにもかかわらず、多くの世代を魅了するそのエネルギーの恩恵を授かりたい。あと何度このメンバーのライブを観ることができるか、と考えたら、居ても立っても居られなくなり、チケット入手に奔走したというのが今回のきっかけ。

2月7日から今季最強寒波が押し寄せ、新潟市をはじめ北陸地方や東北南部は記録的な大雪に見舞われた。
こういう時は離れている地域の交通機関にも影響が及ぶ。そんなこともあって早い時間から移動を開始したが、仙台駅到着時で約5分の遅れが発生、さらに次の白石蔵王駅(通過)の手前で減速、トンネル内に約20分停車。
結局、目的地の大宮駅へは約30分遅れで到着したが、大宮駅に到着する直前の車内では、上越・北陸の新幹線に大幅な遅れが出ている影響で、大宮から先(上野・東京)に向かう乗客に対して「在来線への乗換え」をアナウンスしていた。大宮駅南口の有人改札は、新幹線の一部区間の払い戻しを求める乗客で長蛇の列ができあがり、すっかりカオス状態になっていた。しかしこれは大変な時に来てしまったぞ。

それはさておき、16時頃にさいたまスーパーアリーナへ移動。入場口となるNゲートは、400レベル500レベル(4階5階)への誘導口。

さいたまスーパーアリーナのAゲートを横目にNゲートを目指すが、ずーっと階段が続く。

さいたま新都心駅からさいたまスーパーアリーナをぐるりと半周して最奥部にあるNゲート。この時点で期待薄。

注釈付指定席は、資機材の影響や座席の場所の関係で、ステージの全景を眺めることができないらしい。
今回はとにかくサザンオールスターズのライブを生で楽しむ、ということに主眼を置いていたので、座席の位置はそれほど気にしていないつもりだった。
が、会場の収容人数が3万8千人ほどだということを知り、念のためオペラグラスも忍ばせていた。

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54歳の「誕生日じまい」

ここ数年、「年賀状じまい」と称して「今回をもって年賀状をやめます」と注記が書かれた年賀状が増え、年賀状の枚数がみるみる減った。確かに、僕自身も30年以上会っていない人との年賀状のやりとりが今も続く。年賀状のやりとり以外のお付き合いがほとんどなく、年賀状がお互いの生存確認、社交辞令みたいなものになっているという実態もある。

これまで年始の風習として存在していた年賀状。だが、これに代わる多種多様なツールが登場した結果として、どんどん廃れていくというのはやむを得ないところだろう。しかしよく考えてみると、僅か85円で「紙切れ一枚」の年賀はがきを全国津々浦々に届けてくれるというシステムには、感謝もしなければならないような気がする。ここ数年間は毎年のよう年賀状をやめようと頭をよぎるのだが、結局のところ、届いた年賀状に対して何らかの形で返信し続けるという習慣を、簡単に断ち切ることはきっとできないのだろうと思っている。

閑話休題。
1月29日で54歳になった。これまでの紆余曲折を色々思い返すと、よくもまあ54歳まで生きてきたなぁ、と思う。そしてこの先あと何度「誕生日おめでとう」と言われるのか考えると、ちょっと身構えてしまうところもあり、ここ数年は「誕生日おめでとう」を素直に受け入れられなくなりつつある。
年齢が一つ増えるということは、あと何年なのかはわからないが、自分の「人生メーター」の残数が一つ減る、ということを意味する。

そんな中で、とある思いがふつふつと湧いてきた。
「年賀状じまい」ならぬ、「誕生日じまい」を仕掛けてみよう、と。

Facebookでは、当日のお祝いコメントやメッセージを抑止するため、前日に「誕生日じまい」と称してコメントやメッセージを控えるようお願いした。…しかし、結果としていくら予防線を張ったところで、やっぱりコメントやメッセージを送ってくる人を抑え込むことはできなかった。
もちろん、お祝いコメントやメッセージを頂くのはありがたいことだし、現に直接「おめでとう」と言われる機会もあった。(このことについては、この場を借りて御礼申し上げます。どうもありがとう。)

そもそも何でこんなことを考えたかというと、理由がある。
数年前のこと、1月29日に日付が変わってすぐに届いたお祝いメッセージ音に叩き起こされ、その後も時間に関係なく夜まで脈々と送信されてくるメッセージやコメントの一つ一つに、寸暇を惜しんで返信する作業が辛かった。もちろんゆっくり返事をするという選択肢もあっただろうが、それは自分の中でヨシとしなかった。
さらに、こんな年齢になってもなお「誕生日おめでとう」と言われることへの居心地の悪さが、今回の「仕掛け」の発端だったのだ。

見た目が老けている、考え方が年寄り臭いといわれてから30年以上が経過した。
どうやら見た目だけは年相応になったようだが、気持ちは青二才、中二病真っ只中だ。

この年齢になると、誕生日は他人から祝って頂くのではなく自分から御礼を伝えるタイミングではないだろうか。「おめでとう」と言われる前に、こちらから「今までありがとう。そして、これからもよろしく。」と伝えなければならない人がたくさんいる。

そんな思いもあり、誕生日当日は早々に勤務を終え、まずは身近な人たちに「ありがとう」を伝えた。
しかしこれで終わりではなく、まだ伝えられていない人がたくさんいるので、この場を借りて声を大にして叫びます。

皆さん今まで本当にありがとうございます。
残されたこの先も、色んなことを思い切り楽しみたいと思います。
こんな偏屈なワタクシですが、これからもどうぞこれからもよろしくお願いします。

1月17日に掲げたミッションの結果報告

1月17日から19日まで、JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」を購入して上京。連続する5日間有効で、JR東日本全線のほか、一部の第三セクター路線(元平行在来線)にも乗車でき、さらに新幹線は計6回座席指定を受けることが可能で、金額は18,800円。
約1年8か月前に消防大学校でともに研鑽に励んだ同志数名(千葉県及び和歌山県在住)と再会する計画を立て、12月に実行する予定だったのだが、ワタクシの大腸ポリープ切除という余計なイベント発生のため、日程の見直しをせざるを得なくなった、というのが事の顛末。再度日程調整したところ、1月18日がもっとも都合が良い、ということになり、それに合わせて生まれて初めて「オトキューパス」を購入した、というわけ。

1月18日13時頃に雷門前に集合、ホッピー通りから脇道に入った「金華園」にて宴会がスタート。実はこの店、同じメンバーで1年8か月前にも訪問しており、あの時も色んな話題やネタで盛り上がった。50代のオッサンたちが、とても文字起こしできそうにない話題で盛り上がる盛り上がる…まだ昼下がりなのに…。17時頃(!)に金華園をあとにし、浅草寺界隈を散策(浅草ロック座は外観だけで終わった)したあと、「ニュー浅草本店」に入店。閉店時間の21時まで、政治、世相からあちらの話まで、またしても文字起こしできない話題で盛り上がることに…。

浅草寺とスカイツリー(1)

浅草寺とスカイツリー(2)

夜の浅草寺も味わい深い。

スカイツリーと夏木マリ風のオブジェ。

インターバルがあったとはいえ、おそらく7時間は飲んでいたのではないか。21時30分頃、またの再会を約束して別れた。それでも翌朝、二日酔いもなくすぐ行動に移すことができたのは、きっと「いい酒は朝が知っている」というヤツだろう。

3人揃えば…とてもじゃないけどここでは書けません。

しかし今回は、これにとどまらず自分のやりたいことをとことんやり尽くした、そんな感じ。
17日、移動中の新幹線の車内で幾つかミッションを掲げ、このブログにも投稿していたので、どうなったのか御報告です。 続きを読む

好きなことができることに感謝する日

平成7年1月17日午前5時46分。兵庫県南部地震、いわゆる阪神淡路大震災が発生。
阪神淡路大震災を契機に、ボランティア活動の重要性が認識されるようになり、1月17日が「防災とボランティアの日」として、そして1月15日から21日までが「防災とボランティア週間」として制定された。
阪神淡路大震災による発災から30年。もう30年も経ったのか、という想いとともに、この間に自分の中で生じた心境の変化をぼんやりと考えている。奉仕の心は小学校時代から携わったボーイスカウトの頃に培ったつもりだが、大人になってからは「全体の奉仕者」としての振る舞いが求められることとなり、寸暇を惜しんでボランティア活動に取り組むことなんてなかった。ただし東日本大震災以降、ボランティアとしてではなく「業務」の一環として被災地支援に出向く機会が増えたのだけれど。

令和7年1月17日午後0時46分。僕は今、東京へ向かう東北新幹線の車内にいる。昨年暮れに続き、またしても雪にハラハラさせられながらの上京。弘前市内は昨日から今朝までとんでもない量の降雪(12時間で35センチの降雪量を観測。ただし、感覚的には40センチは越えていたような気がする。)があり、今季の最大積雪深を更新したようだ(午前8時時点で126センチ)。大雪警報も発表され、奥羽線をはじめとする在来線は軒並み運転見合わせとなった。ゲリラ豪雨というのは局所的かつ突発的に発生する大雨のことを指すようだが、年末年始の雪は、ゲリラ豪雪というよりも波状攻撃、局所の集中攻撃といった感じだった。「線状降水帯」ならぬ「線状降雪帯」という言葉が、少しづつ市民権を得始めているのもちょっと怖い。

雪の心配もさることながら、地震への警戒、そして明らかに変わりつつある自然現象の状況にも注意を払わなければならない。30年前、所詮は他人事のように捉えていた様々な災害が、他人事としてではなく支援する立場にいる一人として、時には自分事として捉えるようになるなんて想像もできなかったことだ。(ただし昭和58年5月の日本海中部地震を経験し、平成6年12月28日に発生した三陸はるか沖地震では自分も「被災者」だったことは一応書きとどめておく。)

――― 1月11日、今年最初の災害当番のため8時30分から18時まで出勤した。12年ぶりとなる県の豪雪対策本部が設置されたことを受けての当番対応だった。しかし今年度は、当番に当たる回数が例年より多い気がする。もっとも、以前の職場に在籍していた頃は、当番であろうとなかろうとお構い無し、曜日と時間の感覚がなくなるぐらい多忙を極めていたことを思い返せば、こんなのは全然大したことはないはずなのだが、その職場を離れ、業務の一線から一歩引いた途端、その感覚が錆びていった気がする。 ―――

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