【#沖縄旅行2026(後篇)】まだ見ぬオキナワ探しの旅

■ 7月18日(3日目):未開の地探訪

水平線ですら美しい

早朝から27度。湿度は80パーセント。やはり既に蒸し暑い。短い距離、スローペースとはいえこの中を走る自分はやっぱりアホなのだろう。でも、他にもジョガーさんを多数見かけたのでアホではないことにする。

3日目は当初の予定を少し変更、やちむんの器を見たいというババのリクエストに応え、まずは「やちむんの里」へ。1時間ほど焼き物を物色した後、本島東側の沖縄市へ向かった。土曜日に営業している沖縄郵便局から荷物を発送するためだ。

中心部にあるコザゲート通りの界隈は異国のテイストが色濃く残る独特のエリアだが、少し裏道に入るとシャッターが閉まったままの建物が続く。観光客でいつも賑わう西海岸エリアとは異なる、沖縄のB面を垣間見たような気分になる。

続いて、初訪問となる浦添市にあるレトロな雰囲気漂う「港川ステイツサイドタウン」へ。国道58号から細い横路に入ると、同じ形をしたかわいい建物が立ち並ぶ。

佇まいが画になります。

外国人向け住宅として利用されていた平屋を改装したカフェや雑貨店、レストランなどさまざまなショップが30軒以上。全てのショップを回ることはできなかったが、周りが外国人観光客ばかりだったこと、ショップで販売されているものが多種多様でバラエティに富んでいることもあり、異空間に迷い込んだような不思議な気分だった。

外国人住宅街をリノベーションしたセレクトショップが多数

昼食は行き当たりばったりで発見した「大衆食堂OMAKE」へ。飽食気味だった沖縄そばを避け、「みそ汁」を味わう。ちなみに隊長(妻)は「ちゃんぽん」、母は「まぐろ丼」を注文。こういうチョイスができるようになったのも、これまでの経験が生きている。

みそ汁をマグロの切り身付きセットで。

そして今回の旅で僕が是が非でも訪問したかった「波上宮(なみのうえぐう)」へ。

やっと来られた

琉球八社の中で最上位に位置づけられる波上宮は、海に隣接する好立地ということもあって、今は観光スポットとして知られており、訪れた時も大型バスが乗り付け、大勢の外国人がいた。
もっとも彼らは参拝などに興味はなく、赤い本殿や近くから見える風光明媚な景色が目的らしい。

狛犬シーサーに御挨拶できなかったのが残念

そんな中で僕はといえば、別に信心深いわけでもないが、多くの外国人がワイワイとにぎやかにしている中、一人で本殿に進み、これまで一度も訪れなかった不義理を詫びつつ、旅の安全を祈願して深く拝礼。御守と御朱印を授かり、賑やかな敷地内を後にした。

いわゆる琉球信仰のニライカナイとは異なるのだろう。本殿の横から景色も眺めたかったし、御朱印も直書きして頂きたかったのだが、観光地化されたような雰囲気に何だか拍子抜けして、名残惜しい気持ちも抱えつつ、後にした。また今度ゆっくり訪れよう。

DFSギャラリアで最後のショッピングを楽しんだ後にレンタカーを返却、今宵の宿「ロワジールホテル スパタワー那覇」へタクシーで向かう。ちなみにDFSからホテルまでは5キロ以上あるのだが、タクシー料金は1,700円。沖縄はタクシーが安い。
ホテル内にある極上の温泉に浸かった後、日暮れ前に訪れたのがホテルに隣接する「三重城(ミーグスク)」。海に突き出た小ぢんまりとした佇まいだが、周りの建物などに囲まれたそれを見て「こんな場所になんでこんな歴史的遺構が?」という意外性と不思議な存在感にちょっと驚いた。

神々しいです。

建物やタンクに囲まれた異空間。

■ 7月19日(4日目):大阪伊丹経由で青森へ

最終日も朝から贅沢に温泉を堪能、朝食後に10時頃チェックアウト。タクシーで那覇空港へ。
帰りは11:55発の伊丹行きの便に乗り、乗り継ぎの伊丹空港で約3時間、関西のお土産をあれこれ探すのも楽しい時間だった。夕方の青森便に乗り継ぎ、18:15に無事青森着。自宅へ着いたのは19:30だった。

■ 食べて飲んでの4日間

最近よくやっていることだが、ホテルビュッフェの料理はそのまま食べるのではなく自分なりのアレンジを施す。今回の場合、ゆし豆腐に沖縄そばの温かい出汁をかけ、更にトッピングのモツを乗せて「中味汁」にアレンジしたり、タコライスや沖縄そばを自分好みにトッピングしたり。
そんな調子で毎朝食べた沖縄そばやタコライスは本当に最高だった。テイクアウトして帰りの機内でかぶりついたA&Wのバーガーの味も忘れられない。

移動の混雑やちょっとしたトラブルなど、イライラする場面も正直あった。けれど、気持ちを落ち着かせて手を合わせた波上宮の独特な雰囲気や、誰一人いない三重城での意外な発見など、今回も初めての「オキナワ探し」にはもってこいの旅だった。

ババが帰宅後放った一言に、救われた。
「あー楽しかったー!」
この先あと何度訪問できるかはわからないが、必ずまた訪問するよ。

【#沖縄旅行2026(前篇)】大きな輪の中へ身を委ねた4日間

年に一度は訪れたい沖縄。冬の段階から今年も沖縄へ向かう計画を立てていた。ババと訪ねて1342マイル。間もなく78歳になるババを連れ立っての1342マイルは、今回で4度目だっただろうか。ペットが相次いで旅立ち、面倒を見るべき相手がいなくなったことを機に、留守を預かっていた母も一緒に連れて行くようになった。

今回は旅のコンセプトを考えていた。過去の再確認と見落としの救済措置、そして新たな発見。心身の保養に重点を置いた「沖縄探訪」「オキナワ探し」の旅。AIの力も借りながら、これまで訪ねたことのない場所を訪れることを考えていた。ただし「ジャングリア」は除外。沖縄本島自体がもはやテーマパークみたいなもので、わざわざ自然を切り拓いてそんなものを作る必要はない、というのが僕の持論だ。

今回の旅は7月16日からの4日間。梅雨明けの沖縄は天候にも恵まれ、滞在中の4日間は一度も雨に当たらないという奇跡。多分、沖縄滞在中に1度も雨に当たらなかったのは、今回が初めてじゃないだろうか。その一方で、僕が不在中の青森県では2度にわたりレベル4の危険警報が発表され、警戒本部設置と対応を余儀なくされた。半分嫌味、半分冗談だろうか、職場の人からは「頼むから県外に行かないでくれ」と言われた。

■ 7月16日(1日目):那覇到着・始まりは郵便局から

青森から羽田経由でのフライトは、那覇への到着が15分遅れた以外は、レンタカーの手配まで至極スムーズだった。豊見城市でレンタカーを借り最初に向かったのは、近くにある郵便局。後日ゆうパックでお土産やら後半使わない荷物やらを発送するための段ボールを購入するためだ。ホテルからでも荷物の発送はできるが、ゆうパックの場合、泡盛の度数が制限されているなど送る荷物に制限があるものの、120サイズだとスマホ割で2,500円。かなり安価に抑えることができる。
その後は、初日だというのに自分用のお土産を買い漁り、この日のホテルに向かった。
初日と2日目は宜野湾にあるプリンスホテルに宿泊だったが、豊見城から宜野湾へ向かう道は、平日夕方の沖縄の洗礼とばかり大渋滞に巻き込まれることに。

ヨットハーバーに夕日が沈む

17時過ぎにようやくチェックイン、最上階にあるクラブラウンジでの軽食(アルコール類が飲み放題!)で小腹を満たした後は、近くにある地元のスーパー「サンエー」へ買い出しに向かった。沖縄でお菓子や食料をお土産で購入するなら、地元のスーパー一択と決めている。結局、到着初日にもかかわらず、ほとんどのお土産を買い込んだ。

■ 7月17日(2日目):本島中部で水と戯れる

「WE ♡ NAMIE」と「めんそーれ」がメインの謎の看板

早朝から28度。湿度は90パーセント。既に蒸し暑い。短い距離、スローペースとはいえこの中を走る自分はアホなのだろうか。

朝は1階のビュッフェでタコライス、沖縄そば、島豆腐にアグー豚と、沖縄メニューでガッツリ朝食を摂り、9時過ぎに名護方面へ向けて出発。
まずは美ら海水族館で久し振りにジンベエザメと再会したあと、イルカショーを鑑賞。前にも教えたことがあるが、美ら海水族館の屋外で開催されるイルカショーやウミガメ館、そしてマナティー館は無料で観覧することができる。(今回は水族館内も観覧したので有料)

その後、本部町にある「本部そば」へ。本当は同じ本部町にある「みなと食堂」を目指したのだが、あいにく満席大混雑で、お店の人に紹介してもらった「本部そば」を訪れたのだ。本部町は沖縄そばの街といっても過言ではないぐらいたくさんの店がある。朝、あれほど食べたはずなのに、みなと食堂の人からお勧めされた「よくばりセット」を注文、その圧倒的ボリュームにKOされつつ完食(美味しかったのでOK!)。

よくばりセット。もずくが添えられているのが嬉しい。

その後は腹ごなしに瀬底島へと繋がる瀬底大橋のたもとにあるビーチへ。1時間ほど美しい海と海辺のヤドカリと戯れるという贅沢な時間を過ごした。

瀬底島から大橋を望む

瀬底ビーチではなくこちらへ

次に訪れたのは初めてとなる「ナゴパイナップルパーク」。通り道にあったので寄ってみたが、確かにパイナップルが生えていたが、それ以外はなかなかシュールな施設で笑ってしまった。施設内は「乗り物」での移動が多かったので楽だったが、ジャングリアを意識しているのかな?違うか。ほとんど何も購入せずに出てきたが、パインのソフトクリームが美味しかった。

空想画像

その後国道58号を南下、恩納村にある「おんなの駅」に立ち寄り、妹に頼まれていたものを購入してホテルへ戻った。

夜はホテル近くある「沖縄料理としゃぶしゃぶのお店 赤瓦」へ。アグー豚のしゃぶしゃぶは美味しかったものの、こちらのミスで予約時間を間違え、1時間ちょっとの慌ただしい滞在になってしまったこと、遅着したためか店員さんから露骨にイヤな顔をされたこと、そして一人250円とはいえお通しなしのチャージ料を取られたことは少々不本意だった。まあこれも、旅してみなきゃわからない経験ということで。

【伊豆下田旅行記】W台風一過、奇跡の食い倒れ - 鰻と金目鯛に鼻を鳴らした日

角松敏生ライブの翌日は、大人の休日俱楽部パス対象エリアの端っこ、下田へ向かうことにしていた。

先のレポートでも触れたとおり、出発前は直前に発生した地震と避けることのできない災害対応、更には台風のダブル接近、ライブ翌朝の余震と葛藤…いろんな感情と想いが渦巻いたが、総じてみるといい旅だった。

■ 薄氷を履むが如し【心地よい疲労感。しかし…】

6月25日の地震そして出発当日のW台風をかいくぐり、最初の目的地である横浜に到着した土曜日は、15時から横浜アリーナで開催された「角松敏生 45周年記念公演」へ。直前までの仕事の緊張を忘れさせてくれる素晴らしい時間であったが、翌朝になっても災害対応の疲れとライブの興奮が入り混じった心地よい疲労感が残っていた。しかし…

■ 6月28日早朝5時半の余震【渦巻く「後ろめたさ」】

28日早朝5時半頃、ベッドの中でスマホがイヤな音を発した。25日の地震の余震が発生、青森県内で最大震度5弱を観測したのだ。横浜市内のホテルでも、わずかな揺れを感じた。心地よい疲労感がイヤな疲労感に変わった。今年の神様はどこまでも冷淡だ。

状況を確認したところ、幸いにも被害はなかったが、職場の仲間たちが再び対応に追われていた。一方で自分は今、災害対応に従事することもなく、私的旅行に出かけようとしている。悶々とした思いと「後ろめたさ」が圧し掛かってきた。でも、ここで思いを断ち切らないと誰も休めなくなる。

複雑な思いを胸に抱いたまま横浜駅から特急「踊り子3号」に乗車、一路伊豆急下田駅へと向かった。伊豆半島は火山島が本州に衝突してできた地形だ。半島全体に温泉が散らばっており、駅に到着するたびに湯けむりが上っているのが見えた。12時12分、伊豆急下田駅に到着すると、今にも雨が降り出しそうな空が広がり、普段なら賑わっているだろう駅前も、観光客は非常にまばらだった。

■ 極上鰻に舌鼓【モヤモヤを吹き飛ばす「小川家」の鰻重】

何とも言えぬ重い空気感を抱えたまま、徒歩で鰻の名店「小川家」へ。
結論から言えば、これまで自分が食してきた鰻の中でも間違いなく3本の指に入る美味しさだった。

うな重(竹)。個人的には松の上。

運ばれてきたそれを口に運んだ瞬間、香ばしさと芳醇な香りが拡がる。圧倒的な美味しさに五感が満たされ、悶々としていた思いが吹き飛んだ。

メニューは極めてシンプル。

店内は座席数が少なく、メニューも「うな重(竹)」に潔く絞り込まれている。

歴史を感じる営業案内の左下にインスタの二次元コード

表の看板には「柳川」ともあるが、メニューには存在しない。完全予約制で、訪問する時間に合わせて焼き上げるという。最上級のそれを最高の状態で提供するという、職人のプライドと気質が感じられた。

趣のある佇まい。右側の看板には「柳川」の文字も。

■ 雨の下田海中水族館への徒歩ルートには危険も

うな重で心身を整えた後は、徒歩で「下田海中水族館」を目指す。
小川家から水族館までは約800mだが、強い雨の中を歩く中、リスクにも気づくこととなった。

1. 一寸先は小路だらけ:下田市内は道幅が狭い道路が入り組む。
2.地図だけではわからないアップダウン:水族館の手前には、結構な上り下りがある。
3. 無歩道の暗いトンネル:手前にトンネルがあるのを確認、中は暗く歩道が整備されていない模様。

雨で視界が悪い中、車との距離も近く、歩くのは正直危険だと感じ、たまたまやってきたバスに1区間だけ乗車した。

水族館に到着した頃には更に雨脚が強くなり、この先の安全も考慮して滞在時間を大幅に短縮。ちょっとだけ楽しみにしていたショーを見る暇もなく、無念の撤退となった。

「伊豆名物いかめんち」の幟。むむむ?

こちらのものとは全く異なるビジュアルだった。

下田駅~海中水族館はバスが便利。片道230円。天気の良い日はともかく、雨の日や足腰に不安がある方は無理せずバスを利用することをお薦めする。ただし、運行本数が少ないので事前にリサーチを。

■ 大人向けの「ホテル伊豆急」【2種類の温泉で疲労回復、そして地元の海の幸を堪能】

水族館から駅へ(バスで)戻った後は、宿泊先である「ホテル伊豆急」の送迎バスでホテルへ。
雨の徒歩移動で身体も冷え、前夜からの疲れもピークに達していたので、ホテル内の温泉で癒すことに。

このホテルには、敷地内から湧き出る独自の源泉「白浜温泉(弱アルカリ性硫酸塩泉)」と、下田の名湯「蓮台寺温泉(単純温泉)」という2種類の温泉がある。異なる泉質のお湯に交互に浸かりながら、蓄積していた色んな疲れを抜き、そして心身を労わった。

軽く惰眠を貪ったあとは夕食会場へ。決まった料理以外に券が3枚渡され、好きな料理やデザートを3品選べるというシステムになっている。そして、ここで登場した「金目鯛の煮つけ」が絶品だった。これはビールも進むってものです。

金目鯛は着座後に火を入れて蒸し煮。

伊豆の地ビール

更に翌朝の朝食会場では、「鯵の干物」が目の前でパチパチと網焼きにされており、香ばしい香りが漂っていた。これに加え、地元で獲れた新鮮なシラスや、わかめのしゃぶしゃぶなど、下田ならではの海産物も用意されており、朝から大満足の贅沢な食事を堪能することができた。

ビュッフェスタイルの朝食は和食メインでチョイス。鯵の干物は2枚食べました。

雨は上がったようだ。旅の最終日に天候が回復するのは今に始まったことではない。
部屋からの景色は今一つであったが、温泉と料理のおかげで良質な滞在時間を過ごすことができた。

天気が良ければ島々が望めるらしい

伊豆急下田駅から特急「踊り子2号」に乗車し一路東京へ。そこから新幹線を乗り継ぎ、弘前に戻ったのは18時過ぎだった。

押寿司は小腹が空いた際の車内食として購入

下田市は黒船とペリー、そして金目鯛の推しが強い

■ 旅のまとめ

今回、弘前から伊豆急下田までの移動を支えてくれたのが「大人の休日倶楽部パス」。これを利用したため、弘前から横浜を経由した伊豆急下田までの往復の交通費は一律2万円(※バス代と宿泊費は別)で済んだ。通常運賃と比べたら圧倒的なコスパだった。

直前の震度6強、当日のW台風に滞在中の余震と、本当に紆余曲折あったが、「ダメなら新潟、長野方面へ旅程プランを切り替える」という準備をしていたこともあり、出発さえすれば何とかなるという確信があった。そういう意味では、奇跡的にほぼ全ての行程を予定通り進めることができたというだけでも、非常に満足度の高い旅となった。
出発直前まで神様は冷淡だったが、旅の最後はニヤリと笑ってくれたようだ。
次回は出発の段階から高笑いできますように。

【#角松敏生 #45周年】職人の神髄を垣間見た約6時間

2026年6月27日、横浜アリーナで開催された「TOSHIKI KADOMATSU 45th Anniversary Live」を鑑賞してきた。

WOWOWでの40周年公演の放映や昨年のライブを目の当たりにして、この45周年公演は是が非でも足を運びたいと虎視眈々と狙っていたが、その願いが叶った。
休憩を挟んで約6時間、21時30分過ぎの終演までほとんど飽きることのなかった濃厚なステージは、行けないかも知れないという不安も相まって感涙ものだった。その当日の感動を記録として。

地震にW台風の接近、そして横浜駅はB’zのファンでごった返す

横浜への遠征の最終準備を進めていた6月25日の7時30分、最大震度6強の地震が発生。嗚呼、終わった…。絶望感に打ちひしがれる中、津波に関する注意情報が発表されなかった。首の皮一枚繋がったと思った。
そして、週末の態勢を当番体制にまで縮小することが決まった。奇跡だ…(涙)。

しかし、数日前から日本列島に2つの台風が近づいており、「果たして無事に辿り着けるのか?いや、そもそもライブは開催するのか?」と気を揉み続けていた。
出発当日、そのW台風が相次いで関東地方に最接近または上陸の恐れがあり、事前の予報ではかなりの荒天が予想されていた。そんな易々と目的達成させるわけにはいかないらしい。

時間単位で気象状況に気を揉みつつ、大人の休日倶楽部パスの恩恵を受け、当日は新青森駅を9時頃に出発。それでも東北新幹線は定時で運行され、12時30分頃に東京駅に到着。この時点で最初の台風は既に日本の東へと抜けていたものの、スマホの画面には次の台風の接近を知らせるニュース。戦々恐々としながら東海道線に乗り換え、13時15分頃に横浜駅へ降り立った。

ようやく到着した横浜駅だが、構内は異様な熱気と人で溢れていた。
それもそのはず、この日は同じ横浜にあるKアリーナでB’zの公演(LIVE-GYM 2026)が予定されていたのだ。駅ですれ違う方々の年齢層を見ると、いずれも50代前後と比較的高めに見える。いや、横浜アリーナを目指すファンの年齢層はもっとアレか(笑)。
台風の不安を抱えつつ、タイプの異なる同世代のアーティストを追いかけるそれぞれのファンが全国から集結している状況に、ちょっと微笑ましくなった。

新横浜駅から横浜アリーナへと向かう道中は強い雨が降りしきる。次の台風が接近しつつあることを十分感じさせるような空模様だが、「何とかここまで来られた」という安堵感が勝っていた。

初めての横浜アリーナは傘の花が咲く

前から4列目ほぼ中央から目の当たりにした臨場感

実は人生初めての横浜アリーナ。座席はなんと前から4列目の中央寄りという最高のポジション。ファンクラブに入会していた同行者の強運に頭が上がらなかった。ステージ上の所作やバンドの細かな息遣いまでがダイレクトに伝わってきそうな、この規模の会場では経験したことのない臨場感だった。

唯一贅沢な不満を言わせてもらうなら、ステージの目の前を行き来するクレーンカメラが何度も視界に被り、少々目障りだったこと(笑)。とはいえ、それを差し引いても最高の特等席だった。

密かに心待ちにしていた第2部「MILAD」

今回の3部構成の中で僕が密かにそして最も期待を寄せていたのが、第2部だった。
近年、並々ならぬ情熱を注いできた総合エンターテインメント「MILAD(MUSICLIVE,ACT&DANCE)」の世界。今回、その集大成としてどう展開されるのか。
その期待は幕が開けた瞬間から昇華し、そして終始圧倒されることになった。

若者の表現力と躍動感に落涙

第2部のステージが始まってから僕は終始感銘を受け、涙腺が緩みっぱなし。
ステージ上で繰り広げられる若いダンサーやアクターたちの圧倒的な躍動感。更に、彼らのエネルギーと音楽とがステージ上で完璧に融合し、物凄い熱量となって迫ってくる。
中には「この時間が退屈だ」と席を外すファンがいたことも知っているが、個人的には、ミュージカルとも異なるこのステージ上での演者の一挙手一投足から、完全に目が離せなくなっていた。ステージの幕引きは「東京少年少女」の客演。

演者がステージに現れ、イントロが響き始めた瞬間、いよいよ胸に込み上げるものを抑えきれず、涙が止まらなくなった。あの一体感を目の当たりにし、心を揺さぶった感動は、言葉では言い表せないほど美しく、僕の中に鬱積していた何かを洗い流すようで、久しぶりに魂が震えるような感激を味わった。

第3部は何とアンコール込みで21曲披露!疲労度合いも半端なく…

第3部は「今、歌いたい曲」ということで、アンコール含めて何と21曲を披露。さまざまなゲストが登場したが、圧巻だったのは「ILE AIYE~WAになっておどろう」で登場したブラジル太鼓集団の「ナタカトキオ」。彼らのパフォーマンスが凄すぎて、その演舞を固唾を飲んで見守っていた。
当初の予告通り、21時30分過ぎに全ての幕を下ろした。恐らく最後の最後に披露するはずだった「あの曲」は、時間の都合で演奏できなかったんじゃないだろうか、とか思ったり。

ここに辿り着きライブを堪能できたことに感謝

最後に

第1部、凍結前までのアルバムA面1曲目の披露、第2部で繰り広げられた「MILAD」という深い芸術性と感動、そして第3部で「今、歌いたい曲」を披露するというスタンスと、最後に会場内を大量に飛び交った紙飛行機での大団円。約6時間という長丁場を全く感じさせない、素晴らしいステージ構成だった。

興奮冷めやらぬまま終演後に会場の外へ出ると、あれだけ降っていた雨は上がっていた。我々が会場で熱を上げているうちに、2つ目の台風が既に通過したらしい。

結果的に、直前の地震から始まりW台風の最接近や直撃という、最悪の事態を奇跡的に避けることができた。記憶に残り、記録として残したくなる、最高の45周年公演だった。

角松敏生というアーティストの過去・現在・これからで目の当たりにした感じ。あの場所にいられたことに(特に職場関係者には)心から感謝したい。
素晴らしいステージを魅せてくれたすべての出演者の皆さん、最高の時間をありがとうございました。50周年の公演も楽しみにしています(笑)。
(敬称略)

※ 8月から3回にわたって今回の公演がWOWOWで放映されるそうです。

#Princeと#Michael Jackson のこと

先日、映画『Michael』を鑑賞した。考えてみれば映画館に足を運んだのは、Princeのドキュメンタリー映画『Beautiful Strange』以来だった。もともと映画を観る習慣があまりない僕だが、この作品は映画館に足を運んでも観る価値があると判断したのだ。

劇場にて。一緒に並ぶのはやめた。

作品自体の感想は多くのレビューで語られているので割愛するが、何より印象的だったのはMichael Jacksonを演じた2人の圧倒的な再現度。本人がいるかのような所作や表情に引き込まれた。「音の良い映画館で観るべき作品」という評判にも納得である。ただ、描かれていたのが「半生」であり、アルバム『BAD』以降については続編が製作されるような匂わせもあった。

僕がPrinceの熱心なファンであることは、このブログでも幾度となく綴ってきたが、80年代のポップミュージックを代表するもう一人の巨人、Michael Jacksonについては取り上げたことがあまりなかった。


(映画のサウンドトラック。ジャケ写の佇まいがMichaelそのもの)

理由はいくつかある。実は、PrinceもMichaelも全盛期を過ぎてから本格的に聴き始めたこと(『Thriller』も『Purple Rain』も大ヒットしていたことは知っていたが、実はリアルタイムでアルバムを聴いていない)。そしてMichaelはPrinceと比べると作品数そのものが少なく、触れる機会が限られていたことも大きい。それでも2004年発売の『The Ultimate Collection』は発売日に購入したし、アルバムも数枚保有している。

PrinceとMichaelには数多くの共通点がある。

* 常に時代の先を行く、あるいは時代を象徴する音楽を生み出したこと
* 黒人アーティストとして業界の常識を変えた先駆者であったこと
* 一方で黒人か白人かの人種差別を歌で取り上げていること(例えばPrinceであれば「Controversy」、Michaelであれば「Black or White」などなど)
* 他のアーティストに計り知れない影響を与えたこと
* 幼少期の家庭環境が決して恵まれていたとは言えなかったこと

挙げればきりがないが、この二人が80年代以降の音楽史を塗り替えた存在であったことは間違いない。

残念ながら僕はMichaelのステージを生で観る機会に恵まれなかった。しかし映画『This Is It』や『The Ultimate Collection』に同梱されたDVD『Live in Bucharest』を通じて、その圧倒的なパフォーマンスを観ることはできた。特に彼が手掛けたショートフィルムは、単なるミュージックビデオの枠を超えた映像作品であり、新作が発表されるたびに驚かされ、心を躍らせた記憶がある。

1980年代、この二人は常に比較の対象だったように思う。
世間のイメージは単純で、Michaelは光(あるいは陽、更には善)、Princeは影(あるいは隠、更には悪)。Michaelは王道(あるいは健全)、Princeは異端(あるいは卑猥)。そんな構図で語られることが多かったように思う。しかし実際は、両者は全く異なる個性を持ちながら、独自の方法で頂点に立ち、地位を確立したアーティストだったといっていいだろう。

興味深いのは、お互いの存在を強く意識していたにもかかわらず、本格的な共演がほとんど実現しなかったことだ。

有名なのはMichaelの『Bad』で予定されていた共演の見送りである。PrinceがMichaelとの共演を避けたようにも見えるが、その背景には単純なライバル意識だけでは説明できない複雑な感情があったのかも知れない。

一方で、今回の映画『Michael』では、Michael自身がPrinceを意識していることが窺える場面も描かれていた。世間では「PrinceがMichaelを意識していた」と語られることが多いが、実際にはMichaelにとってもPrinceは無視できない存在だったのだと思う。

二人が同じステージに立った数少ない例として語り継がれているのが、1983年のJames Brownのライブだ。Michaelが華麗なパフォーマンスを披露した後、Princeがステージに呼び込まれ、結果として何とも喩え難い展開になったことは有名である。改めて観るとあの場面は、二人の違いを象徴する出来事だったし、PrinceがMichaelと距離を置くトリガーだったのかも知れない。


(最後のオチはPrinceファンとしてはとても複雑です。笑)

また、両者を結ぶ重要な存在として忘れてはならないのがJimmy JamとTerry Lewisだ。彼らはPrinceが手掛けたThe Timeのオリジナルメンバーであり、The Time脱退(というかクビになった)後は敏腕プロデュースチームとしてJanet Jacksonの『Control』『Rhythm Nation 1814』をプロデュース、さらにはMichaelとJanetのデュエットナンバー『Scream』にも関わった。

『Scream』のレコーディング時、MichaelはJanetのボーカル録音場所を尋ね、「ミネアポリスだ」と知ると、自分もそこで録音したいと言ったという逸話が残っている。(出典元:amass
Princeの本拠地として知られるミネアポリスの名を耳にしたとき、Michaelの中にどのような思いが芽生えたのか想像すると興味深い。

PrinceもMichaelも、すでにこの世にはいない。
しかし、PrinceのファンにはMichaelのファンが多く、その逆もまた然りだと思っている。音楽性は異なっていても、同じ時代を過ごし、互いを刺激し合いながら歴史を作った二人だからこそ、今も彼らを語りたくなるのだろう。僕は、彼らが第一線で活躍する時代に彼らの音楽に触れることができて本当に良かったと思っている。

ライバルであり、同じ時代を駆け抜け、そして20世紀のポピュラー音楽史を代表する二人の天才。その関係性はこれからも、僕ら多くの音楽ファンを惹きつけ続けるはずだ。


(今月のrockin’on誌は必読。40ページにわたるMichaelの特集に、Princeに関するドキュメントも掲載)