月別アーカイブ: 2015年6月

第20回たけのこマラソン、無事完走

このコースを走り終えると、自分を褒めたくなります。自分が愛おしくなります。自分が大好きになります。

…ドMの皆さん、いらっしゃい!

今年で第20回の節目を迎えた平川市碇ヶ関のたけのこマラソン。
3度目のエントリーとなる今回も、迷うことなくハーフマラソンを選択。

ハーフマラソンとなると、コース上の平坦地はほんの一部で、あとは上るか下るかの繰り返し。標高145メートルの地点からほぼ上り基調で約8キロ先の標高405メートルで折り返し、そこから約12キロ地点までの4キロを一気に約220メートル下り、残り9キロも、上って下って一部平坦地になってまた上って下ってゴールという、簡単に言えばこんなコース。

…が、しかし。

ご存じの方も多いと思うのですが、実は私、今月18日に右足首を痛めまして、19日は歩行するのもやっとなぐらい酷い状態だったのです。同じクラブのラン仲間といえば失礼ですが、弘前駅前整形外科クリニックの成田先生に診て頂いたところ、「アキレス腱周囲炎」とやらを発症したらしく、「とりあえず痛み止めと貼り薬を出しましょう。28日のたけのこマラソン、出るんだよね?うん、じゃあ前日の土曜日に注射しましょう!」と。更に「まあでも、軽く走るぐらいなら大丈夫だから。」と言われたのですが、とてもじゃないですがこの痛みでは走るどころの話じゃない、ということで、18日以降ずーっと休足していました。

27日、予定通り足首に注射を2本ぶち込みました。(あとで聞いたら、薬を二つに分けて内側と外側に1本ずつ打ったんだそうです。)
これがまた驚くぐらいに効きまして、今までの痛みは何だったのかしら!?と訝りたくなるぐらいスーッと痛みが抜けていきました。

とはいえ油断は禁物。実のところ、この日までDNSも考えていましたが、代走してくれる方も見つからず、28日を迎えました。
27日に梅雨入りした東北北部、土曜日からこれまで降らなかった分一気に降らせてやるぜ!と言わんばかりに雨が降り続き、大会当日の朝まで雨が残っていました。

右脚の痛みは…全くなくなったと言えばウソになります。しかし、ここまできたら引き下がるわけにもいかず、朝6時30分過ぎに自宅を出発、大会会場の平川市碇ヶ関に向かいました。
7時10分過ぎに到着すると、まだ雨が降っています。それも、弱雨ではなくごくごく普通に…。

取り急ぎスタート・ゴール地点である中学校の体育館の中で一角を陣取り、みんなの到着を待ちます。
程なく、続々とクラブのメンバーが集まり始めます。その中には、昨日診察して下さった成田先生の姿も。
「先生、昨日はありがとうございました。おかげさまで何とか走れそうです。」
「あ、そう?まずはよかった。でも、ちゃんとストレッチしないとアキレス腱切れるからね。」
とボソッと。
爆笑の周囲、ビビる僕。

こんな感じで刻々とスタート時間が迫ってきますが、この間も僕は、走りきれる確信が持てず、周囲の人に半分本気、半分冗談で「ハーフ、走らない?」と声かけしていました。

よし、行こう。
意を決した8時30分過ぎ。外を見ると雨が上がっています。軽くアップということで、スタートから約1.5キロを走ってみました。
約10日ぶりのラン。痛みはありませんが、違和感は残っています。
まあ、ダメなら途中でやめればいいんだし。そう割り切ってスタート地点へ。周囲のメンバーと談笑しながら、緊張をほぐします。というか、ほぐしすぎました。

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号砲が鳴って慌ててスタートする始末。緊張感なさ過ぎでしょ(笑)。
さてここからは、今回走らなかったクラブの他のメンバーがたくさん走っている姿を撮影してくれたので、そちらをご覧頂きながらレース展開を。(撮影してくれたDくん、Sさん、Oくん、ありがとう!)

スタート直後。ペースを全く上げていません。

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スタートから400メートル地点。談笑していますが、この時点でまだ足に不安を抱えながら走っています。

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最初の1キロ。坂を登り切りました。足の不安が徐々に取れ始め、余裕を醸し出し始めています。

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2キロ。いよいよ調子に乗っています。

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上って下って11キロ過ぎ。まだ笑ってます。

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17.5キロ付近。このあたりが一番きつかった!(そして、この直後に実は歩きました。)

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19キロ。難所を乗り越え、100分切りできるんじゃないかと欲を出し始めています。

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最後の周回。さすがに必死です。

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そしてゴール!完走証をもらってニタニタしています

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タイムは…1時間38分04秒!ホントに100分切ったよ!

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実は、あれだけ天気に不安があったのに、走っている途中は一度も雨に当たりませんでした。しかも太陽は雲に隠れたままで、風もそんなに強くありませんでした。要するに、不幸中の幸いで、走りやすい気候に変わったんですね。これが、好タイムを弾き出した一番の理由です。
今回は、体幹をかなり意識して走りました。脚の不安はずっとありましたが、逆に注意深く色んなところを意識しながら走れたのも好走に繋がったのかも知れません。

ちなみに5キロ毎のタイムを見ると…。

5km 25:20 10km 50:57 15km 1:12:58 20km 1:36:16

1キロ毎のラップでは、最後の下り(19-20km)で4’03″/kmと一番ペースが上がっていました。ネガティヴスプリットも達成!でも、脚の調子も完全ではなかったし、最後の最後で歩いてしまったので、BPには及ばず80点ぐらいかな。

走り終えたあとも、脚に痛みはありませんでした。
が、ここで油断は禁物。しっかりケアをして、次に繋げていこうと思います。

ご心配をおかけした皆さん、本当に申し訳ありませんでした。今回は思いがけずコースのPB更新となりましたが、走り始めるまでとても不安だったことだけは事実ですから!そういう意味では、万全ではなかった状態の中、このコースでこのタイムを出したということは、僕にももう少し可能性があるのかもね!

最後に。コース部一同の皆さま、ご丁寧にありがとうございます。ご心配なく。私たちは、こういうコースを走られることに喜びを感じています。

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あわてない。あせらない。あきらめない。

ランニングの話。
月間走行距離は極力気にしないようにしているのだが、JogNoteやNike+で先達の皆さんがどんどん距離を伸ばしていく姿を目の当たりにすると、正直ちょっと焦る。
晩夏から始まる大きな大会のことを考えると、6月7月は非常に重要な時期。この間の調整がうまくいくかどうかによって、モチベーションを含めた走りの内容に大きな影響が出てくるということを、昨年悟った。

今月に入ってから、昨年まで一切やっていなかった練習方法を取り入れるようになった。所詮は市民ランナーの端くれ、別に何を目指しているというわけではないが、昨年より進化を遂げたい、初めてフルマラソンを走った42歳、そして初めて3時間半を切って走りきった43歳の自分に更なる磨きをかけていきたい、という思いが燻っているからだ。そしてそれは、タイムを縮めたいのはもちろんのこと、走り終えた後に少しでも満足を得られるような走り、つまり漫然と走るのではなくちゃんとPDSAサイクルで次に繋げられるような走りをしたい、という思いに変わりつつある。

6月上旬は仕事の関係で満足に走ることができなかったが、中旬に入り、まるで羽でも生えたかのように、そしてそれは、何かを取り戻すかのような勢いで練習を再開した。
出張先での朝ラン、そして、初めての帰宅ラン。
だが、こうした積み重ねにより、とうとう右脚が大きな悲鳴を上げた。

18日から徐々に痛みを感じるようになり、19日には歩くことにも支障が出るほどの痛みが右脚のくるぶし周辺で断続的に続いた。20日は土曜日ということでクラブの練習日であったが、早朝4時に目が覚めたものの痛みが引かず練習を回避。その日の朝に、慌てて病院に駆け込んだ。これほどの痛みがあるということは、まさか疲労骨折?
イヤな予感が頭をよぎったが、診断の結果、アキレス腱の周囲に炎症を起こしていることがわかった。

思い当たるフシはたくさんあった。
まだそれほど履き慣れない、それも重い革靴で出張したこと、その革靴を履いて月曜火曜だけで1日2万歩以上歩いていたこと、さらに、出張時の朝ランの際に履いたシューズも、実はおろしたてのシューズだったこと、そして極めつけは、疲れも抜けきっていない出張の翌日、帰宅ランと称して3kg以上の荷物を背負って12キロ近くを走ったこと。

これら一つ一つの積み重ねにより、右脚への負担をどんどん重ねていったのだろう。しかもあろうことか、出張後も走り終えた後も、何一つ脚のケアをしていなかった。

結局18日から今日まで、走れない日が続いている。痛み止めと貼り薬を処方してもらったが、完治にはほど遠いといった感じだろうか。28日には上りと下りしかない平川市の「たけのこマラソン」にもエントリーしているが、昨年のように軽やかな足取りで21キロを走りきる自信は、ない。

走ることがままならない中でのささやかな抵抗、というわけではないが、職場にこんなものを持ち込んだ。

バランスディスク

さすがにバランスボールに座って業務をこなすのはあまりなので、バランスディスクを椅子に敷いて座り始めた。
職場の皆さんはこの奇妙なクッションを訝しげに見ていた。最初は「私、痔持ちなんです」と誤魔化そうと思ったけれど、すぐに目的がバレたらしい。まあでも、今のところお咎めはないので、こっそりひっそりと日々インナーマッスルの強化に努めようと思う。

あわてない。あせらない。あきらめない。
何度もこの言葉を頭の中で復唱しているうちに、走ることに対する欲が出てきたというか、あきらめがつかなくなった。28日のたけのこマラソン、ゆっくりでも構わないので、何とか走れないものかと考えるようになってしまったのだ。ううむ。
いや、ここまで来たら、DNFも視野に入れつつ走るしかないのではないかと考えはじめている。

泣いても笑っても大会は2日後。ま、どうなるのかは見てのお楽しみということで。

「第10回 古都ひろさき花火の集い」で、初めての花火撮影

妹が結婚することになったのを機に、少しでも結婚式でいい写真を撮ってやろうじゃないかという兄としての配慮から(ホントかよ)、初めて一眼レフカメラを購入したのが3年前。

カメラに関する知識は何もなく、絞りとかシャッター速度とか聞いたことはあるけれど興味なし。要するに写真なんて自分の感性とタイミングで映し出されるものなのだ、と割り切っていたし、使いこなせるかどうかもわからないのに、高いカメラを購入してもね…という考えもあって、初心者は初心者らしくハイスペックなものは求めず、とにかく安価なカメラを探した。

結果として手中に収めることとなったのは、キヤノンのeos Kiss X50という廉価版のモデルで、しかもアウトレット品を購入したこともあって、実はレンズ込みの本体価格で3万円ぐらいしかしないカメラだったということを、今だから明かそう。

ただ、全自動で撮影するのも芸がないということで、フラッシュの自動発光をさせないように設定してみたり、「クリエイティブ全自動」という機能を駆使してみたり、人物や風景をたくさん撮影してきた。
とりわけ、僕が所属する「弘前公園ランニングクラブ」の場で活躍することとなり、いろんな大会はもちろん、宴席でも相当シャッターを切った。
結果、ランニングクラブの中にはカメラ好きが集まってカメラ部が密かに結成された。しかし、僕は初心者に縮れ毛が1本生えた程度のレベルなので、もうちょっといろんなものを撮影する機会を得なければならないかも知れない。
実は未だに不得手にしているのが、仲間達が走る姿を撮影することなのだけど、これも経験を積んで慣れていくことに尽きるのだろう。

さて、そんな初心者に縮れ毛が1本生えた程度のレベルなのに、揃える機器だけはイッチョ前。
三脚はもちろんのこと、同梱されていたレンズを下取りに出して単焦点レンズを購入してみたり、Amazonで見つけたタムロンの18-200ミリレンズを購入してみたり(だって、安かったんだもん)、挙げ句の果てにはリモートスイッチを購入してみたり。

さて、ここまで揃えても撮影するのはうちの愛犬か愛すべき酔っぱらいどもといった感じだったのだけれど、リモートスイッチを購入したのにはワケがあった。
沖縄の星空を撮影してみたいと思ったからだ。
しかしながら、その後2度訪れた沖縄では曇天(台風接近のときもあった)だったり、強風だったり、逆に月明かりが強すぎて星が全く見えなかったりと、結果的に星空撮影に至ったことは現時点で一度もなし。裏を返せば、リモートスイッチの出番は一度もなかったというわけだ。

ところが、ひょんなことからその機会は突然訪れた。

弘前市で行われる「第10回 古都ひろさき花火の集い」の桟敷席の券を頂いたのだ。実はこれまでの9回、この花火大会には一度も足を運んだことがなく、家の向こうに広がる雑木林の奥から聞こえる打ち上げの音と、時々辛うじて見える花火の形を見た程度だった。ちなみにこの花火大会、東北の夏の先陣を切って行われる大会なのだとか。

せっかく券を頂いた以上は、行くしかないでしょう!ということで、妹家族と母とともに、初めて花火の打上げ会場を訪れた。

低めに三脚を設置し、カメラをセット。シャッターを切るリモートスイッチをセットし、シャッタースピードは当然BULBに設定。これでスイッチを押し続けている間、シャッターは開放される。
レンズのフォーカスモードをAFからMFに切り替え、無限大(∞)に上げた。カメラ側の設定としては、ISOを100、絞り値をF10、ホワイトバランスは白熱電球に設定。
そして、レンズを覗き込みながらではなく、画面を見ながら撮影に臨むということで、ライブビュー表示に切り替え。ちなみにここまでは、完全にインターネットで得た情報の受け売り。
あとは、実際に上がる花火を見ながら微調整していけばいいだろう。

そして、まだ明るい中で小さな花火の打ち上げがスタート。
打ち上げのタイミングや、花火の位置を目視しながら、シャッターの開放時間やレンズの方向を色々試してみる。
まあ、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるということで、手当たり次第に撮影してみるか…。
片手にビール、片手にリモートスイッチを握りながら、次から次へと打ち上げられる花火に感嘆の声を上げる。どれぐらいの高さなのか、どういった拡がりを見せるのかわからないまま(この時点で、というかプログラムは最初に目を通した程度で、あとは全然見ていませんでした)、ひたすら勘に頼ってリモートスイッチを押し続ける。最初の頃は露出しすぎて白くならないかとシャッターの開放時間を短めにしていたけど、だんだん慣れてくると、長めに開放できるようになったし、三脚の微調整をする余裕すら生まれてきた。
いやあ、これ面白いわ~!
ということで、この日撮影した80枚以上の画像から、比較的良く写っていると思われる5枚だけをチョイス。

花火2 花火1 花火3 花嵐桜組 タヒチアンダンス
で、こうやって見ると真っ暗になる前に撮影した花火の方が、個人的にはいい感じかな、と。暗くなってからは、絞り値をもう少し上げるか、露出を調整すればよかったかな。

しかし、最初は「寒くなったら途中で帰る。」とか言っていたのに、結局最後の演目が終わるまでいましたよ、ええ。
初めて花火を撮影してみましたが、どうでしょう?
ということで来年は是非、ランニングクラブの写真部で撮影に行きましょう!もちろんビール持参でね。

青物横丁駅

この駅を訪れたのは大学3年の時。某有名企業の最終面接のためだった。地元弘前、そして仙台での面接は順調だったのに、最終面接で僕は大きなポカをやらかした。
不採用を確信した。
この日の午後、僕は公務員試験の対策本を購入した。翌日から、本気で勉強を始めた。
この駅を訪れていなければ多分、今の自分はいなかったかも知れない。
#blog (from Instagram)

【走れメロスマラソン】己の中の暴君ディオニス王をやっつけました。

五所川原市で行われた第4回「走れメロスマラソン」に出場。
五所川原市の立佞武多の館の前を出発し、「走れメロス」の作者、太宰治の故郷でもある五所川原市金木(旧金木町)を目指すハーフマラソンコース。昨年は体調が万全ではないことを仲間に隠して強行出場した結果、完走したあとが大変だったこの大会。
ハーフマラソン参戦4年目となる2015年、ホントは今季3レース目となるはずだったけれど、諸般の事情で2レース目の大会。約1ヶ月間実戦からは離れていたが、いろんな意味でいい休養となった。
5月の月間走行距離は大会出場前までで約140キロ。GWにほとんど走り込みができなかったことを考えれば、僕としてはまあ、平均的な走行距離なのだろうと割り切っていた。
さて大会当日の5月31日日曜日。金曜日からめまぐるしく天気予報が変わるという状況の中、奥羽線と五能線で五所川原へ向かった。五所川原から3つ手前の板柳駅を過ぎた当たりから、車窓に雨粒がこぼれ落ちているのが見えた。
五所川原駅に降り立つと、雨脚は更に増し、しかも強い西からの風が吹き始めた。風はある程度覚悟していたものの、スタート時まで何とか雨だけでも上がってくれないかと、空を睨んだ。

睨みが効いたのか、開会式の時間になると徐々に雨脚が弱くなっていた。
スタート前にクラブのメンバーで集合写真。ゲストランナーの谷川真理さんにも、輪の中に加わっていただいた。
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9時前に、スタート地点に並び始める。公認コースではないため、陸連登録の前列整列などはなく、持ち時間による整列となった。最初は素直に「1時間30分~2時間」の輪の中にいたが、思うところがあってもう一つ前のブロックに並び直した。
Facebookでも表明したが、闇雲にPB(Private Best=自己記録)を目指すのではなく、むしろBP(Best Performance=最高の走り)を目指すことに重きを置くことにしたので、今日はどういった走りをするか、どういったレース展開に持ち込むか、というイメージを密かに描いていた。
雨は止んだが西風が強い。周囲のメンバーも、どういう走りに持ち込もうか、悩んでいるようだった。
正直、左脚にまだ多少の違和感が残っていたし、四十肩の痛みも全く取れていない。事実、出走直前に姿勢を崩し、左肩に激痛が走り悶絶していたことを、今だから明かそう。ということで、まだ本調子ではなかったが、自分を試す絶好の機会だと思った。心の準備はそれ相応にできていた。ということで僕が勝手に決めた今日のレース展望は次のとおり。

・キロ4分20秒(3キロ13分)のペースで刻む。(3キロ13分×7=21キロ91分)
・できればネガティヴスプリット(後半タイムを上げる走り)で。
・上半身を意識する(特に腕の振り)
・吹き付ける風は気にしない。向かい風も方向が変われば追い風になる。
・最初から慌てない。途中で焦らない。最後まで諦めない。

気がつくとスタート10秒前、あっという間に号砲が鳴らされ、いよいよ約21キロの旅がスタートした。
スタート直後は周囲にも流されるため(これは想定通り)、最初の1キロを4分5秒程度で駆け抜けたが、すぐに落ち着きを取り戻し、キロ4分20秒前後のペースに落ち着かせた。
程なく、ゴールする最後まで牽引してもらうこととなったTキャプテンと、並走するゲストランナー谷川真理さんのグループと合流。谷川さんとも言葉を交わす。

「今日はどれぐらいで走るの?」
「キロ4分20秒で考えてます。って今、速すぎですよね?」
「うん、速いよ!で、どこまで行ける?」
「いや、15キロぐらいまでは頑張ります…。」
「その後は?」
「へたれちゃうかも知れません(苦笑)」
「このコースって、折り返しとかあるんだっけ?」
「いや、ないです。ワンウェイです。風が結構大変だと思いますよ。」
「ふーん…そうなんだ。今、完全に追い風だもんね。」

そんな会話を谷川さんやTキャプテン、そして合流してきたSさん(2週間後に100キロマラソン出走予定)と交わしながら3キロを通過。
…ふと、「救護」のゼッケンを背負ったTキャプテンが前に出たのがわかった。でも、焦って追うことはしない。Tキャプテンの走力が爆発的に伸びたことを知っているから、無理にここで追ってしまうと返り討ちに遭うのがオチなのだ。
徐々に離れていくTキャプテンの背中を追いながら、Sさんと並走を続ける。徐々に口数が減り、呼吸が荒くなり始める。会話がなくなっていくのがわかる。
一部コースが変更となり、新しいコースを駆け抜けている。
沿道の大半は田んぼかため池といった状況の中、新しいコースでは集落の中を走るため、沿道の声援がそれなりにあるのだが、「あらあら、ホントにご苦労様です。」とみんなに声をかけるおばあちゃんとか、一つ一つ耳に届いてくる声援が面白い。

給水は約3キロ毎に設けられている。水、スポドリの他、スポンジも数カ所。
残り5キロを除いてほぼ全ての給水所を潰す。でも、実はこれが…。(この話はまた後半で。)
一定のペースを刻んでいたつもりではあったが、風の影響は結構大きかったらしく、あとで確認したら、かなりペースの上げ下げが激しかった。特に、西に向かって走る5キロ過ぎから8キロ手前、そして17キロ過ぎから19キロ過ぎまでが、かなり風の影響を受けていた。(次のテーマはこれかもね。)

10キロを過ぎる。ふと時計に目をやると、44分を切るぐらいのタイム。調子は悪くない。程なく中間地点のマーク。…ん?10キロから中間地点までの間が狭すぎるんじゃないか?Sさんは相変わらず僕の後ろを並走しているようだが、どこで仕掛けられるか内心ビクビクで、後ろを振り返ることができなかった。

13キロ付近でようやく「救護」の背中が見えてきた。Tキャプテンに追いついたのだ。この頃から、時計に目をやるのをやめた。肩の痛みも足の違和感も、忘れていた。そして程なく、サブ3ランナーのSさんの姿を捉える。どうやら足の痛みを再発したらしい。
「無理しちゃダメですよ!」「そうですよ!」
「おう!頑張れ!」
「うわ!のんべ、いたのか!」
「笑」

14キロ付近では、膝に故障を抱えていたNさんを捉える。
「ここで無理しちゃダメだ!」「まだこれから先は長いんだから!」
「あざっす!」

Tキャプテンがつぶやく。
「あれ?前走っているのって、NさんとAさんじゃねえ?」

同じピンク色のTシャツを着たランナーが二人。確かにNさんとAさんだ。「絶倫絶命」の黄色いシャツを着たKさんの姿も見える。
15キロの給水ポイント。ここでTキャプテンがグッと前に出た。というか、ものすごい勢いで給水して立ち去ったのだ。キャプテンの給水の巧さは、昨年のメロスマラソンの模様がニュースで放映されたときに見ていただけに、それを目の当たりにして、食らいつくというかペースを上げようにも、Tキャプテンの瞬発力が遙かに上回っていた。
あとになって話になったのは、Tキャプテンはこの給水で仕掛けたらしく、給水でのロスタイムが結果としてTキャプテンとの14秒の差に繋がっていったことは間違いなかった。確かに僕の場合、給水ポイントの手前でペースがダウンする。この給水をいかにスマートに行うか。これも一つの課題だな、と話を聞いて思った。ただ漫然と勢いだけで走っているだけではなく、マラソンとは奥が深いスポーツなのだ。


そして18キロ過ぎ。強烈な向かい風が吹き付ける中、AさんとNさん、更にはKさんも巻き込んでの駆け引きが始まった。先行するNさん。それを追い越すTキャプテンと僕。地力に勝るNさんが僕らを抜き返す。Kさんの背中、そしてAさんの背中を相次いで捉える。Nさんはまるであざ笑うかのようにペースを落とさず走り続ける。

19キロ手前、誰もいない沿道で、そんな駆け引きの模様を見ながら声援を送っていたのは、Bさん。
その駆け引きの中に自分がいるのが何か楽しくて、風は強く辛いんだけど、思わず笑ってしまった。
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(19キロ手前を駆け抜けるTキャプテンと私。なぜか笑っています。)

右折すると、風の影響がなくなった。と同時に、僕のペースも一気に加速した。AさんとKさんをここで引き離し、ひたすら前進あるのみ。残り1,200メートル。残り600メートルでNさんの背中に追いつく。(どうやらこの時、Nさんの足にも異変が起きていたらしく…。)

気がついたら約21キロの旅もそろそろおしまい。終わってみると、何かあっという間だった。左側には「弘前公園RC」の幟を掲げるSさんらの姿が見える。サングラスを外し、笑顔でゴール。先着したばかりのTキャプテンと握手を交わす。
直後にコースに向かい、キャップを脱いで深々と頭を下げた。

我々がゴールして程なく、ゲストランナー谷川真理さんもゴール。もちろん彼女が本気で走れば、こんなものではないのだろうけれど、やはり速い!
…で、実はこのあと谷川さんから色々とお話しを聞かせていただいたのだが、どうも「救護」のゼッケンと「キロ4分20秒」を豪語した輩達の背中をマークしていたらしく…。(要するに我々がペースランナーになっていたらしい。)

その後もゴールに続々とやってきたクラブのメンバーと、お互いの健闘を称え握手を交わす。
決して好条件とは言えない中、心折れずに最後まで走り切れたことができた。自分の思い通りのレース展開に持ち込むことができたという点においては、多分、昨年そして今年の中で一番の走り(BP)ができたのではないかと思う。当たり前のことなのかも知れないけれど、記録を追わずとも、自分の走りがちゃんとできれば、結果はあとからついてくるのだ。(まあ、その「自分の走り」をする、というのが一番大変ではありますが。)

1時間30分46秒は、自己ベスト。約2分短縮した。ただし、皆さんがおっしゃるとおり、距離が400~500メートル足りないと思われます。
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(僕より14秒先にゴール、ともに自己ベストを更新したTキャプテンと。)

他の選手が続々とゴールする頃には、青空が広がり始めていた。
さあ、ここまで来れば次の目標は決まった。給水、腕振り、雨風にも動じない精神力の鍛錬、そして、47秒…。(1キロ当たりで2.3秒縮めれば、何とかなるんだけどね…。その2.3秒がね…。)

あとは、距離の件だけを次回までに何とかご検討いただければと思う。
帰りは芦野公園駅から津軽鉄道に乗って五所川原まで。この列車の名称が「走れメロス」号だったというのも、また洒落ているよね。

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