2016年4月に発生した熊本地震から、今年で10年という節目を迎えた。
同じ地域で短期間に震度7を2度も観測するという、観測史上でも極めて異例かつ大きな災害だった。直接的な被害にとどまることなく、その後の避難生活や体調悪化などによる「災害関連死」も多数を占めたことも一つの特徴として取り上げられ、避難時における生活環境の確保がクローズアップされた。
僕が支援に入った益城町をはじめ被災地では、道路をはじめとするインフラ整備や住宅再建が進み、見た目の復興は着実に進んできた。一方で、ここでもやはり「記憶の風化」という課題が浮き彫りになっているようだ。十年ひと昔。長いようであっという間の10年という月日は、時間軸においては微妙な距離感にあるのだと感じる。
現地での経験が教えてくれたもの
発災から約2か月後、被災地の益城町で支援業務に携わった経験を以前このブログに投稿した。僕にとっては、初めての本格的な被災地支援だった。なるべく文字で伝えたいことを自分なりに整理したつもりであったが、被災地の現実は、やはり現地に足を下ろしてみないとわからないものだ。

避難所で目の当たりにした、日常を奪われた人々の暮らしと、少しでも前に進もうとする姿。 そんな被災者の方々と日々接しているうちに、僕の琴線は大きく揺さぶられた。
現地では、目に見える被害だけでなく「生活基盤そのものが揺らぐ」印象を受けた。
その日を境に、それまで当たり前だった生活環境が失われ、地域のつながりが断絶される。
被災者にとって熊本地震は、生きている中での単なる一つの出来事ではなく、人生に暗く長い影を落とす出来事だったのは言うまでもない。
そして、現地に滞在して強く感じたのは、烏滸がましくも「支援する側もまた学ばされる」ということ。災害は決して他人事ではなく、いつどこで誰の身に起きてもおかしくない現実であることを突き付けられた。
10年という時間で学んだこと
10年が経ち、被災地の復興は進んだ。しかしそれは、次に備えるための単なる通過点でもある。
熊本では今も、地震の経験を活かした防災の取り組みが続いている。だが一方で、「備えをしていない」「意識が薄れている」といった声もあるらしく、災害の記憶をどう継承するかが大きな課題となっているようだ。
災害は、忘れた頃にやってくる。だからこそ、「自分事として考える」ことが何より重要だということは、拙稿でも幾度か取り上げた。あのとき何が起きたのかを振り返り、自分ならどう行動するのか。日頃から考え続けることが、この先違う形でやってくるかも知れない被害を減らす唯一の方法だろう。
熊本への想いを少しだけ
熊本市には友人や知人がいる。地震のニュースを見ながら、無事を祈るしかなかったあの日の記憶は、今も忘れることができないし、現地に足を運び、最終日の熊本空港で知人と会うことができた時は、本当に嬉しかった。
あれから10年が経ち、実は熊本を再訪するという「約束」が未だ果たされていない。
益城町はどうなっただろう。熊本市はどうだ?
復興した街を自分の目で見て、そこに暮らす人たちの「今」を感じたいと強く思い始めているのは、昨年、三陸沿岸部を数度にわたって再訪したことも一つの契機だろう。

もう一つ。
「熊本マラソン」への出走は密かな目標となっている。
復興した街を走ることは、自分自身の記憶をつなぐ行為になるのではないかと思う。そして、街の風景や人の温かさに触れながら走ることで、熊本という土地をより深く理解できる気がする。 走ることで応援を。そんな関わり方もあっていいのではないだろうか。
完走した暁には、太平燕や熊本ラーメンを思う存分堪能してみたいし。
最後に
熊本地震から10年。
人間という生き物は、時間の経過とともに都合の悪いことは忘れてしまうが、絶対に忘れないこともある。
約10年前、熊本の地で触れたさまざまな教訓と、人と人とのつながりの大切さ。
熊本に赴き、被災地支援を行ったことは、間違いなく今の自分の礎となっている。
災害は、前触れもなくいつも突然やってくる。
だからこそ「あの時」を、これからの「いつか」に活かしていくことを考える。
それが、熊本地震発生から10年という節目にできる、自分なりのささやかな向き合い方なのかも知れない。
















