日別アーカイブ: 2008-12-15

百箇日

今日12月15日は、父が亡くなってちょうど百箇日となる。
「早いもので…」ということになるのだろうが、父が亡くなったのがつい先日のことのように思えて、実感があまり沸いていない、というのが正直なところである。
一昨日、百箇日法要を執り行い、父の兄妹夫婦が勢揃いした(母方の親戚は諸般の事情により全員欠席)。
弘前に来るのはお葬式以来となる遠方の兄妹もいて、改めて悲しみを感じていたようだ。
うちの妹もお葬式以来こちらになかなか来ることができなかったので、あと2週間もすれば年末年始の休暇に突入し、帰省するにもかかわらず、「父の法事だから」と都合をつけて来てくれた。

何故か一昨日は、読経の間中、父との思い出がいろいろ去来し、涙をこらえていた。忌明けや四十九日の時は寂しさばかりが頭をよぎりながらも、特にこみ上げるものがなかったのに、父の兄妹夫婦が揃った姿を見た途端、本来10人いなければならないはずの兄妹夫婦が、9人しかいないことを改めて見て、何か胸にポッカリと穴が開いたような、そんな感覚に突如襲われたのだ。

読経が響く間ずっと思い出していたのは、何度か父と二人で行った釣りのことだった。釣りは、父と僕を繋ぐ唯一の道楽だったような気がする。
恐らく10年近く前のことだっただろうか。父の実家のある村の山奥へ行き、30センチ以上の真鯉を何匹も釣り上げたこと。竿を置いたまま二人で小便をして戻ってきたら、竿の上を蛇が這っていたこと。それを見て二人で腰を抜かしそうになったこと。釣れた鯉を、よせばいいのに家まで持ってきて、家族みんなから怒られたこと…。鰺ヶ沢町にいる父の友人に誘われ、父にとって初体験となった鯛釣りで爆釣、二人だけでも合計20匹の鯛を釣り上げたこと。友人や父の兄にそれを振る舞い、驚かれたこと…。今年の7月、同じ友人に誘われ、ヒラメ釣りに行くも見事に空かされたこと。そして、今思えば、あの時も父の元気がなかったこと…。船主から「9月末にもう一度!」と誘われ、父は「うん、うん」と片言で返事をしていたのに、その約束も果たせなくなってしまったこと等々…。楽しかったこと、楽しくなかったこと、いろんな思い出が蘇ってきた。
その時その時の、父の一挙手一投足が頭をよぎり、涙をこらえるのに本当に必死だった。

お寺での法要を終え、みんなが家にやってきた。
父は普段から家を空けることが多い人だったので、親戚は父を目当てにやってくる、というよりは、家を目当てにやってくる感じだった。しかし、父という「蝶番」が居なくなった今、恐らく父方の兄妹とは付き合い方が若干変わりそうな気がしたし、これからは何となく、少しだけ距離の離れた関係になるような気がした。そして勝手な解釈ではあるが、兄妹間の関係も、父の存在がなくなったことにより、少しずつ変わるような気がする(それはいい意味でも悪い意味でも)。

思えば、兄妹夫婦が揃うことなど滅多にあることではなく、兄妹が一堂に揃うことは、幼い頃に養子に貰われた父が一番望んでいたことだろうし、今後も節目節目で父が「蝶番」の役割を果たしてくれることだろう。

百箇日を迎えたとはいえ、根強く残る父への想いがそんなに簡単に払拭されるはずはない。
正直、百箇日ともなると、所詮家族だけの区切りになるのだろう、と思っていた。
しかし、昨日になって仏前に手を合わせるだけのためにやってきた2名のお客さんをはじめ、この日に合わせて供花や供物をわざわざ送ってきて下さった方がいることを考えると、父の存在は、僕たち家族が思っていた以上に大きなものであったのだと、確信している。

葬式や節目節目の法要の時は、いつも晴れていたのに、この日は大粒の雪が降っていた。
父の大粒の涙が、雪に変わったのだろうか。
ようやく父も、旅立つことができたのかも知れない。