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奥羽本線全線開通110年


今年は、青森~秋田~山形~福島を結ぶ奥羽本線が全線開通して110年なんだそうです。
ちょうど半年後に生誕45年を迎える私、今は弘前から青森への通勤のため、かれこれ通算で13年以上奥羽本線を利用していますが、奥羽本線にまつわる思い出は幼い頃からたくさんあります。

東北新幹線新青森駅開業に合わせ、沿線自治体からは奥羽本線の青森~弘前間を全線複線化しろと望む声がますます強く上がりましたが、結局それも叶わぬまま、田舎のローカル線にちょっと毛の生えた路線、みたいな感じでしょうか、青森に支社がないからだ!とか言われていましたけど(秋田と盛岡に支社があり、県内の路線の管轄が異なっていた)、何と言ってもね、今でも特急ですら最高速度が95キロに制限されてますからね。

さて、僕が利用している弘前駅は、僕が生まれてから2度建て替えられました。物心ついた頃の駅舎は、今のような自動券売機ではなく、有人販売だった時代。駅舎の中を鳩が飛び、行商と思しき人達が大きな荷物を背負ってホームを行き交う、そんな光景が当たり前だった頃。駅前に降り立つと、眼前にスケベな映画館があったのも特徴的と言えば特徴的。

母親の実家が秋田県の合川町(現・北秋田市)にあり、弘前からだと奥羽本線で鷹ノ巣に向かい、そこから阿仁合線(現・秋田内陸縦貫鉄道)に乗り換えるという鉄路の旅。幼かった頃は、赤い機関車(ED75 700系)に牽引された8両ぐらいの長大な客車の列が午後4時30分過ぎに出発して、その後阿仁合線への乗り換えを経て合川駅に午後7時頃到着するというのんびり旅。そりゃそうです、大館駅で荷物の積み降ろし等のために20分ぐらい停車したり、途中駅で列車交換のために停車したりが当たり前でしたから。あの頃はまだ大館駅のホームでで手売りの駅弁が売られていましたし(もちろん大館名物の「鶏めし弁当」です)、多分大館から盛岡に向かう花輪線を走っていたのかな、蒸気機関車が停まっていたことも、朧気ながら記憶に残っています。
ちなみに、奥羽本線の駅は鷹ノ巣で、秋田内陸縦貫鉄道の駅は鷹巣。知ってました?

この頃は本当に汽車(当時はまだ電車ではありませんでした)が大好きで、何せ母の実家のすぐ背後を阿仁合線が走っているというシチュエーションだったため、踏切の警報機が鳴る音が聞こえようものならすぐに2階に駆け上がり、やってくる3~4両編成の気動車や、ディーゼル機関車(DE10)に引っ張られながら進む、切り出した杉が積まれた貨物列車に心をときめかせていたものでした。

初めて母の実家に一人で向かったのは、小学1年生の時。弘前駅の有人窓口に背伸びしながら「合川まで子ども一枚」と言って硬券を手にしたのが、最初の一人旅でした。全く恐怖心はなく、むしろ一人で汽車に乗って母の実家に行くことができるという楽しみに溢れかえっていました。16時40分頃に弘前を出発する、院内行き(のちのダイヤ改正で酒田行き)の汽車に乗り込みます。…そうそう、あの頃は弘前から大館や秋田といったところじゃなく、酒田(山形県)や前述の院内(秋田県)などに向かう、長距離の鈍行列車が普通に走っていた時代。

茶色や青色の客車(オハとかスハとか書かれてましたね)の手動ドアを開け車内に入り、誰もいないボックス席に腰掛けます。茶色い客車は裸電球みたいな丸い電球、青い客車は長い蛍光灯だったかな?(個人的には茶色い客車の香りが好きでした。)
今の時代では信じられないことかも知れませんが、老若男女、色んな方が興味深そうに声を掛けてきました。
「どこから来たの?どこへ行くの?お父さんお母さんは?え!一人で行くの?」
…今思えば、迷子か何かと間違われていたのかも知れませんが、当の本人はつゆ知らず。冷凍みかんを頂いたり、お菓子を頂いたり、ガタンゴトンと揺られ、ニスの香りが漂う硬い木製のボックス席にちょこんと座り、車窓からの景色を眺めながら、母の実家へ向かうのが楽しくて楽しくて仕方がなかったのでした。

あまりに楽しくてデッキの方に向かおうとしたら、車掌さんに怒られたこともありました。そりゃそうだ、手動のドアが開いたままの状態で走っているんだから、危なくて仕方がない。これも今なら考えられないことですが。

まあ、そんな感じで鷹ノ巣に到着するのが午後6時30分頃。大体2時間近く要していたんですね。更にここで阿仁合線に乗り換え、3駅先が合川。
阿仁合線の乗車時間は20分ぐらいでしょうか、合川駅に到着すると、祖母や従姉が待っていました。今となっては無人の閑散とした駅になってしまいましたが、当時は売店もあったそれなりに活気のある駅だったんですけどね。

そして、たまに乗ることのできた帰りの「急行」が楽しみで仕方なかったのです。秋田からは「むつ」、上野からだと「津軽」や「きたぐに」が運行されていた時代。さらに、金沢と青森を結ぶ「しらゆき」、山形と青森を結ぶ「こまくさ」…6~7両のディーゼル気動車に、グリーン車まで連結されていた時代ですよ。嗚呼、懐かしい。

で、何が楽しみだったかというと、車内販売のアイスクリーム。ちょっと高額ではありましたが、1度その味を知ってしまってからはもう大変。たまに妹と二人で母の実家に遊びに行ったこともありましたが、帰りの「急行」で頬ばるアイスクリーム、ホント美味しかった。
最近は新幹線でしか車内販売の姿を見なくなりましたが(津軽海峡線の特急でも車内販売はありますけどね)、あの時食べたアイスクリーム、もう一度食べたいなあ。

9月にはイベント列車も運行されるとか。でも、まだ結構走っているのを見かける国鉄色の特急型車両の運行ですって。どうせなら新旧客車を連ねた長大な「汽車」を運行してもらった方が楽しいのに、とか思ったり。

しかし現実的な話をすると、青森と福島を結ぶ奥羽本線は、山形新幹線の開業によって線路の規格(幅)が異なるレールが敷かれたため、一本の鉄路では結ばれていないわけで。だから、秋田~新庄と青森~湯沢で区間を区切って運行されるんだそうです。新庄~福島は山形新幹線が走っているということで無理なのね…何か切ないわ。

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全線開通110年のラッピングされた車両にたまたま乗り込んで、懐古的かつ感傷的な気分にちょっと浸っていたという、今朝の出来事でした。

このラッピング電車の運行をはじめ、奥羽本線全線開通110年を記念した色んな企画も始まっているみたいです。


今年は4時間30分でペースセッター


皆さん、最近ときめいていますか。感激の涙、流していますか。

今月の走行距離が、200キロを超えました。これまでかれこれ7年ぐらいチビリチビリと走っていますが、大会なしの練習だけで月間200キロを走破したのは、実は今月が初めてです。
さて、「第13回弘前・白神アップルマラソン」の開催(2015年10月4日(日))まであと2か月ちょっととなりました。

2年前までは、この大会にここまで積極的に関与することになるなんて想像すらできなかったのですが、昨年フルマラソン4時間のペースセッターを請け負ったのに続いて、今年もペースセッターをやることになりそうです。

タイトル通り、今年の設定タイムは4時間30分。13時30分頃のゴールを目指します。恐らく1キロを6分ちょっとで42.195キロ、ほぼペースを変えずにずーっと走ると思いますので、初めてフルマラソンに挑戦する人、サブ4.5を目指す人、集まってちょうだい!

…ん?待てよ、今年は4時間のペースセッターはいなくなったの?
まあまあ、そんなに焦らずに。近々詳細が明らかになると思います。しかし、陸連の公認コースでもないのに、ペースセッターが配置される大会って、そんなにないみたいですよ。まあ、秋から冬にかけて各地でフルマラソンの大会が続きますから、まずは足慣らしに非公認のコースでペースセッターのペースに合わせて走るというのもいかがでしょうか?

僕にとってこの大会は、色んな思いの詰まった大会。恩返ししなければならないんです。だからこそしっかりと、皆さんに感謝の気持ちをお伝えできるように頑張ります。

さあ、みんなでときめきましょう!感激の涙、流しましょう!エントリー、お待ちしております!

ランナーの中に、オラもちゃっかり写ってるよ!

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たすきと心を繋ぐリレーが始まった。


この4月から震災復興関連の部局に人事異動となったことは、多分たまたまではなく、僕にとっては必然的な異動だったのだろうと考えている。異動から既に4か月が経とうとしている中、相変わらず仕事の内容の全貌を掌握するまでには至っていないが、いろんな形で「復興」に携われていることに、個人的にはちょっとした喜びすら感じている。

さて、他の部局の友人から参加要請があった「未来(あした)への道1000km縦断リレー」。
何の躊躇もなく申込み、職場内の了解もすぐ得られた。いや、むしろ仕事の一環として行けばいいのではないか?他の同僚も参加しないか?そんな前向きな言葉が聞かれる職場に配属になったことに、心から感謝した。

東日本大震災から4年4か月。震災に対する意識の低下や風化が叫ばれつつある中、被災三県と呼ばれる東北地方の岩手、宮城、福島の各県をはじめ、隣接する青森県や茨城県など、まだまだ復興の道半ばという地域は多い。いや、むしろマイナスからスタートした復旧がようやく終わり、ゼロの位置から復興が始まる、というところも相当あるはずだ。

7月24日金曜日。そんな中で行われた「未来(あした)への道1000km縦断リレー」のグランドスタートのセレモニー。職場に隣接する青い森公園からスタートするということも、参加を後押ししてくれた要因の一つだ。

この日は折しも2020年東京五輪のちょうど5年前という記念すべき日だそうだ。セレモニーが始まり、アンバサダーであるシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん、元AKB48の秋元才加さん、長野パラ バイアスロン競技銀メダリストで青森県在住の野澤英二さん、車椅子バスケットボール選手の藤本怜央さん、三代目 J Soul BrothersのELLYさん、更にはELLYさんの弟でTHE RAMPAGE from EXILE TRIBEのパフォーマーLIKIYAさんもゲストランナーとして登場し、会場は黄色い声援が飛び交いました、とさ(仕方ないこととはいえ、実はこの時点で結構興醒めしていました。ハハハ)。
まあ、これから僅か1.4キロとはいえ、この方々と一緒に走るというだけでも凄いことだと思いませんか。興醒めしつつも、かなり気分が高揚していた、というわけだ。

…実は気分が高揚していたのには、もう一つ大きな理由があった。
今回、弘前公園ランニングクラブのメンバーにも声かけをしたところ、3名が参加してくれることとなった。そして、タスキを繋いだあとの青森第2区では、ランニング仲間のSさんファミリーが参加することが決まっていた。ということで、せっかくだから皆さんで集合写真を…と集まっていたところに、スタッフの方が申し訳なさそうに近づいてきた。
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「すいません…ファミリーの方ですか?」
「いや、全員がファミリーじゃないんですけど、仲間です。」
「あの…選手宣誓お願いできませんか?」

あまりの唐突なお願いに唖然とする一同。
「やる!やる!」とはしゃぐ子ども達。
「いやいやいや…」と拒絶する親御達。
ええい、仲裁じゃ。
「…わかりました。受けましょう。ただし、この全員で。」
「わかりました。ありがとうございます。」

いいんです。せっかくこういう場に居合わせてそういう機会を頂くだけでも、ラッキーと思わなきゃ。どうせ出るなら楽しもうよ!

…と軽い気持ちで引き受けたはいいのだが、セレモニーが進み、いざその時間が近づくと、皆無口に。
しかも運悪く、2区を走るSさんファミリー3名に招集がかかり、結局残された4人で宣誓しなければならなくなったことも、更に緊張感を高めていた。

ゲストランナーから一般ランナーへのタスキの受け渡しが終わり、いよいよ出番。出されたカンペを読めばいいだけだから…と軽い気持ちで受けてはみたものの、いざ壇上に上がると、緊張感がマックスに。

ひとまず言葉を噛むこともなく宣誓を終えたが、終わって周囲を見渡した途端、とんでもない場所に立っていることに改めて気づき、足がガクガク震えていたことを今だから明かそう。ちなみに、宣誓のセリフは一言も覚えてないっす。

集合写真の撮影など、諸々のセレモニーが終わり、スタート地点への移動が始まった。100名のふれあいランニング区間の参加者、恐らく半数以上のお目当ては、ELLYさん兄弟なのだろう。三村申吾青森県知事がスタートの号砲を打ち鳴らすと同時に、隊列がワッと崩れてランニングが始まった。
しかし、よくみると歩道を走っているギャラリーの方が速く前に進んでいる。つまり僕らは、歩くスピードかそれ以下のスピードで走っているのだ。
今回は青森県警の協力もあり、1.4キロ先の青森市立橋本小学校までの区間は交通規制が敷かれ、車道を横一杯使って走っている。しかし、前述の通りお目当てのゲストランナーに少しでも近づこうとしているのか、向かって左側が大行列をなし、逆に僕が走っている右側はかなり余裕があったため、気がついたらゲストランナーのすぐ背後を走っていた。(ちなみに前を走っていたのは車椅子のお二人。そのすぐ後ろを、恐らく東京都議会議員の方が走っていて、僕らはその後ろを走っていた。)

たかが1.4キロ、されど1.4キロ。ここから東京までの1000kmのリレー(実際は1200キロを超えるらしいが)が始まる。

15分もかけて走ったということは、ハッキリ言って歩くスピードよりも遅い。
にもかかわらず、ふれあいマラソン区間のゴール地点である青森市立橋本小学校に到着する頃には、気持ちいいほど汗が噴き出ていた。暑さだけではなく、何か胸にこみ上げた違う熱さのせいもあったかも知れない。

先方には、Sさんファミリーの姿が見えてきた。
1区の約100名はダラダラと走っていたが、2区は5名?7名?しかいないらしい。

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ゲストランナーからたすきを受け取る。この辺りの段取り、進行も実は結構グダグダで(というかマスコミ向けのパフォーマンスが多すぎて)、何度もたすきを受け渡していたのが印象的だった。

更に、よくみると100人のランナー以外の一般客も入り乱れていて、もはや収拾がつかないぐらいグチャグチャ。あれだとELLYさんもかわいそうだし、他のゲストランナーにも失礼だな、と思ってしまった。

まあでも、少なくともゲストランナーの皆さんは震災からの復興に対する同じ思いを持って走っていたと信じたいし、たすきを受けて走り出したSさんファミリーやその後たすきを受け取った自転車の方々も、きっと復興に対する何らかの思いを持ってこのイベントに参加しているのだろうと、受け止めた。(もちろん僕も。)

職場に戻り、沈思黙考。
今日一日で、かけがえのないとてもいい経験をさせてもらったと思う。さて、この先も僕は、震災の復興に向けて少しでもその一助となれるよう力を出すしかないね。頑張ろうっと……なーんて難しく考えるの、今日はやーめた。あー、楽しかった!

あ、そうそう。実は私、高橋尚子さんと握手してました。すいません。