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スピード&メンタルトレーニング(後篇) – 第6回走れメロスマラソン【五所川原市】 #ランニング #ハーフマラソン

前篇から続く】
膠着状態が続いた中盤を端折り、レースは一気に後半へと進みます。(というか、中盤の記憶があまりないのです。)

6キロ過ぎから何となくまとまった5名の集団は、互いに引っ張り、引っ張られながら既に約10キロを一緒に走っていました。一度バラバラになりかけていた17キロの給水地点、またここでグループが団子状態になります。
スポンジを一つ手にしたところ、二つ取ってしまいました。ちょうど前にSくんがいたので、横にスッと出ておもむろに「はい」と手を差し出すと、驚いたような表情で「お!どうも…。」

ここでギアを一つ入れ直し、Sくんの前に。6キロ付近からずっと僕が後ろについてきていたとは思っていなかったらしく、小声で「すげえな…」と呟く声が聞こえました。いや、凄くないんです。ここまで来られたのは、あなたのおかげなのですよ。

例のランナーは相変わらず一人だけ賑やかというか、うるさいランを続けていましたが、この給水でピタリと後ろにつかれることとなりました。申し訳ないけれど、背後でホントうるさい。こうなると彼に惑わされることなく自分の気持ちを保つためのメンタルトレーニングをしているような状況。しかし、さすがに我慢できなくなり、わざと左右へ大きくぶれた後にペースを落とし、白糠町ランナーと並走する彼を前へと送り出します。

最後の難関、18キロから西へと進む2キロ弱の直線は、周囲に何もなく、誰もいない試練の区間。予想通り強い向かい風となり、何度も心折れそうになりながら前に進むことだけを考えます。先行しているのは彼を含む3人。食らいつこうにも脚が前に出ず、徐々に距離を離されていくのがわかります。しかし、ここで心折れては今までの走りが全て無になります。もう一度気合いを入れ直し、我慢我慢、耐えろ耐えろと口にしながら、金木町内へと右折しました。
一気に声援を送る人の数が増えるこの通りで、先行していた3人から、彼がまたズルズルと落ちてきました。

しかしここまで来たら、一緒に走ってきたという連帯感のようなものが芽生えていました。毎回スルーと決めている20キロの給水所で横に並んだ時、彼にハッパを掛けます。

「さあ、あと1キロ!頑張れ頑張れ!まだ行けるだろ!」
「はぁ、はぁ…キツい!」
「さあ、行くぞほら!」

何だか彼のペーサーをやっているような気分になってきました。
…しかし、それなりに余裕を持ってペースを上げながら先行する僕(と思っていたのは間違いで、実は全然ペースが上がっていなかった)に必死に食らいつくも、とうとう脚が売り切れたらしく、背後から聞こえてくる「はぁ、はぁ、キツい!」というその声がどんどん小さくなっていきました。
こちらはラストスパートとばかりにゴールの金木小学校へ向けての最後の力走。間もなく、今回残念ながらDNSとなったSさん、そしてKさんの姿が視界に飛び込み、思わずサングラスを外して笑顔に。

「また自己新更新、行けるんじゃないですか!」
「残り100メートル!ガンバガンバ!」

一つ一つの声援を最後の励みにしながら、ゴールへ。電光掲示板には01:25の文字が飛び込んできました。

(撮影は高校時代の同級生、Nちゃん)

「おおお!1時間25分台!ベスト更新だ!」
思わず笑みがこぼれます。
両手を掲げながら、ゴール!

1時間25分49秒。つい先日、5月14日に仙台で弾き出した自己ベストから2分以上の短縮!


ドリンクを手に駆け寄ってきたのは、毎年度運営のお手伝いをしている高校時代の同級生だったNちゃん。
「凄い凄い!お疲れさま!」
「ありがとう!」と思わず握手。
「…あ、すぐ後ろからSも来るから!」

ふと振り返ると、例のランナーがゴール。
詰め寄って「あのさ…」と苦言を呈する前に、先方が疲労困憊の表情で近づいて来ました。思わず「お疲れさま。ナイスラン!」と言葉が飛び出しました。
だって、抜きつ抜かれつここまで一緒に走ってきた同志だから…。

「はぁ、はぁ…最後、声を掛けてくれてありがとうございました!オレ、実は5年ぶり2回目のハーフで、走れるか不安で不安で…皆さんについたおかげで、ここまで来ることができました。本当にありがとうございました!」

それを聞いて納得。苦言が喉の奥へと引っ込んで行きました。
ポンポンと肩を叩きながら、
「いい走りだったよ!ホントお疲れさま!」
と一言。
…しかし、2度目のハーフマラソンでこのタイム。どんだけポテンシャル高いんでしょう。

その直後にSくんがゴール。
途中まで引っ張ってくれたお礼を短く伝え、握手を交わします。

完走証を受け取り、荷物受け取り場所の体育館へと向かっていた時に、今度はSくんの兄、Kさんと遭遇。

「お疲れさまでした!」
「お疲れさま!随分速かったんじゃない?」
「はい、おかげさまで25分台…。」
「おお!凄い!…でもさ、やっぱり距離短くなかった?
「…え?」

GPS時計を改めて見ると、今走ってきたところの距離表示は20.8キロ。ハーフマラソンには300メートル足りていません。
何だ、これじゃあ25分台も糠喜びじゃないか…。
とはいえ、今後の一つの目安になることは紛れもない事実なので、これはこれで喜びを噛み締めようと思います。

苦しむような暑さに見舞われた前回とは打って変わって今回、曇り空という気候にも恵まれて(個人的には)非常に走りやすかったです。
何よりも、18キロまでは4分10秒を切るペースでほぼ一定に走ることができたことが収穫。
しかしその一方で、18キロから風の影響とはいえ一気にペースダウンしたのは猛反省しなければならない点。
うむ…心が折れかけたのは事実だったし。

途中に新たに設けられた折り返しは、何とも中途半端な感じがあったのも事実。結局昨年から100メートル程度距離が伸びただけでした。まあ、これはまた今後何らかの形で解消されていくことでしょう。でも、病み上がりだった昨年の記録から10分タイムを縮め、これまでのこのコースの持ちタイムから、距離が少し伸びても5分タイムを縮めたことは、それなりに評価してもいいですよね。
ただ、これに満足することなく、また明確な目標を打ち立てることもできそうです。その目標が何なのかは、今は心に留めておきたいと思います。

…あ、そうそう。ちょっとグロいお話を。
実はスタート前から、左足の指にチクチクと突き刺すような痛みが走っていたんです。

走り終えて靴を脱いだらビックリ!
何とソックスに血糊がベットリ!
何事かとユックリ靴下を脱ぐと…
何と、左脚中指に薬指の爪がザックリ刺さっていたのでした..。
とほほ…これじゃ痛いワケだ…。

今回の教訓。
足の指の爪は、事前にこまめにチェックしましょう。

※走っている時の写真を撮影して下さったYさん、Nちゃんに感謝します。本当にありがとうございました!

【終わり】

スピード&メンタルトレーニング(前篇) – 第6回走れメロスマラソン【五所川原市】 #ランニング #ハーフマラソン

大会後の戦況などを記したブログは、毎回毎回長尺になります。原稿用紙に換算すると10枚以上は当たり前で(今回もそれぐらいのボリュームがあります)、読んで下さっている皆さんに申し訳ないぐらい長くなることもあります。「何でこんなに長いんだ。」と言われることもありますが、自分にとっては「振り返り」であり、次に繋げるための「反省」そして「トレース」の作業なのです。

「よくそんなに細かいことを覚えているね。」とも言われますが、走りながら常に意識して記憶しているわけではなく、トピックスとしてバッと頭に浮かんでくるものです。よって、時々誤った内容を投稿していることもあるようなので、「それは違うよ。」ということは指摘して頂ければありがたいな、と思ったり。

でも、「読みごたえあるよ」とか「いつも楽しみにしてます」とか言われると、嬉しいものでつい調子に乗ってしまいます。
ということで今回またしても長くなってしまったため、1度だと長過ぎるので2度に分けてお届けします。(ちなみに今日の分だけで原稿用紙換算だと7枚と半分、3000字超です。すいません。)

それでは、「走れメロスマラソン」走行記、前半スタートです。
(あ、「いいね!」は読み終えた後でお願いしますね。笑)


平成29年5月28日、五所川原市の天気は曇り。西寄りの風が比較的強く吹いていました。これから走るのは、五所川原市から旧金木町まで北上する約21キロのワンウェイコース。事前に風向きを見ながら、入りの5キロは追い風になっても、6キロから左折後の8キロ付近まで、そして18キロから金木町内へと右折するまでの約2キロ近く、強い風に押し返されそうだな、とレース展望をイメージしていました。

このコースはこれまで、ハーフマラソンを謳うには距離が足りていないことで知られていて、一時期は正直に「距離が足りません」とPRしていました。
しかし今回はそれを解消すべく、7キロ付近に距離調整のための盲腸線みたいな折り返しポイントが設置されていて、これで距離の問題が解決した、と言っていたのですが…。

レース時、ここ数年は5本指ソックスを愛用していたところ、今回は思うところがあって足袋型のソックスを装着。これも一つの実験です。シューズは最近、ハーフ専用にしているadidasのtakumi sen。もちろん、足裏にはたくさんのワセリンを塗って。

そして午前9時、いよいよスタート。比較的前の方に並んでいたので、スムーズな走り出し。ちなみにこの日の設定は、次のとおり。

・1キロ4分15秒で入り、3キロ毎に2秒程度のビルドアップ
・ラスト1キロは1キロ4分切るぐらいまで余力を残す
・設定タイムは1時間30分。「安定の90分切り」は、最低限のノルマ

ところが、いつものことながら走り出して早々にペースが上がっていることをすぐに悟りました。スタート前に言葉を交わした、オレンジ色のTシャツを着た高校時代の同級生であり現在同業者のSくんが、更にペースを上げて僕の横をすり抜けていきました。Sくんの先方には、いつもの赤頭巾を身に纏ったSくんのお兄さん、Kさんの姿が。
おやおや、これはいきなり兄弟対決か?とまるで傍観者のように二人の姿を眺めながらのスタートとなりました。

ちなみにこの日、スタートからゴールまで1度も時計を見ないで走る、ということにも挑戦。
後で確認したところ、4分5秒前後で最初の1キロを通過したようです。この時点で、当初予定していたビルドアップではなく、ペース走に変更。今日はスピード練習にしようっと。(←意志が弱いんです。)

さて、500mを過ぎた辺りでゲストランナーの福士加代子さんと一瞬だけ並走。「うげぇ…この坂を越えて行くのかぁ」と呟いていました。
「はい、行ってきます!」

その「うげぇ」な坂、このコースで最大の高低差となるJR五能線の跨線橋を越え、進路を東寄りへと進めます。この辺りからは予想通りの追い風で、スイスイと脚が進んで行きます。上半身と下半身の連動を意識しつつ、呼吸はかなり安定しており、脈もそれほど上がっていない感じ。いや、これは追い風のおかげか。

(Yさん撮影。前傾姿勢になっていないし。)

程なく、先行したSくん、そしてKさんを相次いで捉え、先へ先へと進みます。
5キロを過ぎ、進路を北側へと向けた時、やはり西寄りの風が左側から吹き付けるのがわかりました。そして6キロ地点で左折する直前、背後から「のんべ~!」と声を掛けてきたのは、先ほど僕が捉えたSくん。

スタート前、彼は「今日は90分切りを目指す」と話していましたし、サブ3に最も近いであろう彼の安定した走りは、普段からジムで見ているので、「あ、これはちょうどいいな。」と思い、先行を許した後は、彼の背中を見ながら走ることにしました。

更にSくんの前には、先週フルマラソンを走り終えたばかりのNさんの姿。フルの翌週とはいえ安定した走りっぷりはさすがです。知らぬ間に、西から吹き付ける強い風を避けるべく、一直線になって走る一団というか、5~6人のグループが出来上がっていました。先頭を走るのはオレンジ色のTシャツのSくん、その背後に北海道・白糠町の赤いTシャツを身に纏うランナー、そして僕と同じ「No Apple,No Life」のTシャツを着ているNさん、その他3名。
その中に、ちょっと異質な人が一人。何度も周囲のランナーに目配せしたり背後にピタリとくっついては後ろを振り返ったり、更にはやたらと時計を気にしつつ、まだ3分の1しか進んでいないのに既に「ハァ!」「キツい!」と何度も口に出しながら、脚やらどこやらを叩きながら走る、実に落ち着きのない男性ランナー。一目見て「こいつ、絶対レース慣れしていないな。」というのがわかりました。

そのランナーに惑わされないよう少し距離を置きながら、8キロ過ぎでNさんに追いつきます。やはり先週の疲労も残っているのでしょうか、Nさんはかなり呼吸が荒くなっていました。「一緒に行きましょう」とNさんに一言声をかけつつ、先行するSくんと赤い白糠町ランナーの背中を追いかけます。

ところが、我々の前にその不慣れなランナーがチョロチョロと走っており、前に出たと思ったら後ろに下がったり、気合い入れなのかずっと声を発したりと、全く落ち着きのない走りをしているのが目について仕方がないのです。
どうやらこのグループの中で先行する誰かについていこうという作戦なのか、それとも全くのノープランなのか…(恐らく後者)。

その彼に気を取られているうちに、距離表示を何度も見逃していたらしく、気付いたら12キロまで来ていました。Nさんの前に出た後も、相変わらず西からの強い風が吹いていますが、北寄りの風でないことがせめてもの救いです。
給水の間隔がとても短いことも気になるところでした。しかし、ひとまずこの辺りからはほとんどの給水でスポーツドリンクを手にしていました。

いつしか5人のグループになったグループは相変わらず安定したペースで、白糠町ランナーとSくん、そしてもう一人のランナーが交互に先行、その背後に不慣れなランナーが例の如く右往左往、僕はそこからちょっと距離を置いて彼らを見ながら走るという展開。

そのランナーのことをいちいち気にしていてはキリがないだろうと割り切りつつも、16キロを過ぎた辺り、残り5キロを切った辺りから、落ち着きのないその走りっぷりにだんだんイライラが募ってきました。いい加減もう、早く脱落してくれないかな(苦笑)。

さて、このランナーは一体どこまでこの調子で頑張るつもりなのか…しかしこの後、意外な展開に…。

【後篇へ続く】

反射材装着のススメ #ジョギング #ランニング #自分の身は自分で守ろう

先日、岩手県奥州市で初めて開催された「奥州きらめきマラソン」は、5月にも関わらず最高気温が32度に達し、単なる暑さとの戦いというより、阿鼻叫喚の地獄絵図に近いような凄まじい大会になったようです。
熱中症の症状で20人近くが救急車で搬送されたほか、搬送とまでは行かなくとも、頭痛や嘔吐といった明らかな熱中症の症状が見受けられた人も多数いたとのこと。
日よけのキャップを身につける、水分をこまめに取るなど、暑さ対策はいろいろ言われていますが、いくら対策を講じてもどうにもならないこともあります。だって、気温32度の中を走るって、ちょっと尋常ではないな、と。
もし今回の大会が初のフルマラソンだったという方々には、あまりにも酷すぎる大会だったかも知れません。
皆さん、本当にお疲れさまでした…。

閑話休題。
最近は日没の時間が遅くなってきていることもあり、仕事が終わった後でナイトランに勤しむ人も増えています。
弘前駅から自宅に車で戻るまでの間は距離にして2.5キロ程度しかないのですが、先日、20時30分頃に自宅まで車を走らせていたら、自宅に着くまでの間に7名ものランナーを見かけました。(知り合いはいませんでしたが。)
ところが、自分の身を守るための反射材(リフレクター)を身につけている人は、このうちたった1人しかいませんでした。
歩行者、ランナー、自転車問わず、反射材の重要性は以前から言われてきていることで、特に最近であればウェアやシューズにあらかじめリフレクターが埋め込まれているものも少なくありません。
しかし、先日私が見かけた多くのランナーのウェアやシューズにリフレクターは埋め込まれておらず、皆さんライトの類いも手にしていませんでした。かといって、決して街灯がたくさんあるような場所を走っているわけでもなく、中には片側に歩道があるにも関わらず、わざわざ街灯のない、反対側の車線をジョギングしている方もいました。

走っている本人からすると、自分から車両が見えるから大丈夫だろう、と思っているのかも知れません。しかし、車を運転している方ならおわかり頂けると思いますが、運転する側からすると、意外と近くまで行かないとランナーに気がつかないものなのです。
ましてそのランナーが、きっと大丈夫だろうという過信で脇道から突然飛び出してきたところに遭遇したら…。なんてことを考えただけでもゾッとします。実際、車の運転中にランナーに遭遇してヒヤリとした方、少なくないのではないでしょうか。(自転車の無灯火も然りではありますが。)

「自分は大丈夫」という勝手な思い込みほど怖いものはありません。自分の身を守る行動を取らずに事故に遭う、ということは、自身が被害者になりうるということである一方、関係のない人を加害者にしてしまう可能性がある、ということにもなります。
そして、仮に一人のランナーがこういうトラブルや事故に巻き込まれた時、昨今の世の中であれば決まってこういう方向に進んでいくものです。

「ライトも反射材もつけずに走るなんて言語道断。事故に遭って当然。全国津々浦々、夜のジョギングは禁止すべきだ!迷惑極まりないだけだ!」

…なんてね。

たがが反射材、されど反射材。
暗い中で自分の存在を明らかにする、相手に知らしめるという点で、夜に公道を走る方は、絶対に装着した方がいいです。

…というか、是非とも装着しましょうよ、反射材。

夜に走るあなたのファッションなんて、ハッキリ言ってどうでもいいんです。むしろ、あなたの存在そのものを気付かせることの方が大事なんです。この際、反射材の装着はナイトランに勤しむランナーの義務…というよりも当然の常識にしたいぐらい。LEDライトを持って走るよりも、視認性が高まるかも知れません。

個人的には、100円ショップで販売しているリフレクター(一番汎用性が高いと思ったのは、Se○iaで販売しているヤツ)で充分身を守れると思っています。ちなみに私、これを通勤用のカバンにも装着しています。

1,000円も2,000円もする高価なものじゃないんです。2個パックで税込108円なんです。2つ購入しても216円。350ミリリットルの缶ビール一本我慢すれば、買えるじゃないですか。足首に巻くのも良し、手首に巻くのも良し、ウェストポーチのベルトに巻き付けるのも良し。別にこれじゃなくてもいいんです。それこそオシャレなヤツを身につけても構わないんです。
重いものじゃないし、走る上ではそんなに支障になるものではないはず。

何を言うか、と思われるかも知れませんが、ランニングやジョギングを楽しむ同志が被害者になるのは、本意ではありません。更に、貰い事故のように全く関係ない人を加害者にしてしまうのは、もっと本意ではありません。

なのでしつこいようですが、もう一度言います。

自分が被害者とならないよう、そして、関係のない人を加害者に巻き込まないよう、ナイトランの際は、是非とも反射材の装着を絶対にお勧めします!というか、夜走りたいんだったら反射材付けろ!他人を巻き込むな!以上!

鉄道にまつわる思い出話(その2・今となっては笑い話?)

(甥っ子に友情出演してもらいました。画像は全く関係ありません。)

いつもいつも投稿の内容が凡長で本当にどうもすいません。といいつつ今日もまた長いです。お時間がありましたら、是非お付き合いください。鉄道にまつわる思い出話の第2弾、今回の話は一生忘れることはないでしょう。というか、個人的には一生涯封印しようと思っていたお話です。…あ、第3弾はないと思います。


東北新幹線が盛岡~大宮間で暫定開業したのが昭和57年6月。
実はその数ヶ月前、僕はいち早く東北新幹線に乗車する機会を得ていました。
当時国鉄に勤めていた伯父が「東北新幹線の試乗会が盛岡で行われるよ。」と教えてくれたのです。

しかし、その試乗会に参加するには条件がありました。400字詰め原稿用紙で3枚分、まさに今日、こうやって投稿しているような「自分と鉄道にまつわる話」を作文にして送り、その入選者の親子のみが試乗会に参加できる、というものでした。

ピカピカの東北新幹線に乗車できる!それも、開業前に誰よりも早く乗車できる!

当時小学5年だった僕、千載一遇の機会とはまさにこのこととばかり、苦手な作文を必死になって書いた記憶があります。書いた内容は、弘南鉄道大鰐線で運行されている車両が、かつて国電や首都圏の私鉄などで走っていた車両で、それを間近に見ることができる環境に住んでいて良かったなあ、といった内容でした。

今思えば、国鉄ではなく私鉄を題材にするという内容でよく入選したものだなあ、とも思いましたが、ひょっとしたら応募数が思ったほど多くなかったのかも知れません。(もっとも、試乗会はたくさんの人でごった返していましたが。)
ちなみに入選した作文は後日青森駅に張り出されたらしいのですが、それは自分の目で見ていません。

ところでこの試乗会、かなり前に入選と試乗会招待の知らせが届いていたにも関わらず、その朗報が知らされるまでには、相当のタイムラグがありました。というのも、親子参加での試乗会だったのに、一緒に行く予定だった母が仕事の都合でどうしても行けなくなり、僕一人を盛岡まで送り出すことに躊躇していたのです。
入選していたという知らせを初めて聞いた時、僕は天にも昇るような気分で大喜び。しかしながら母はなお、僕を盛岡まで送り出すことにゴーサインを出してくれませんでした。
いやいや、こちらは既に北秋田市まで何度も一人で訪れている経験者。「絶対に大丈夫だから!」と何度も何度も父母に懇願し、ようやく盛岡行きの了承を得ることができました。

★★★★★
試乗会当日朝の6時過ぎ、弘前駅から青森経由の急行で盛岡へ。(当初、大館(花輪線)を経由して盛岡に向かうの急行「よねしろ」に乗車したと思いましたが、青森経由の急行でした。ただ、列車名が出てきません。)

前日から興奮気味で夜も寝付けませんでしたが、車上の人になると、更にその気分は高揚することとなりました。母が握ってくれたおにぎりを口にしながら、およそ4時間かけて盛岡駅に到着、いよいよ試乗会の受付となる東北新幹線の改札前へ。新幹線乗り場は工事が全て終わっておらず、養生が施されたままの状態になっている箇所もたくさん見受けられました。長い階段で新幹線ホームに向かうと、200系と呼ばれるクリーム色に緑色の帯を配した新幹線の車両が停車していました。その車両を目の当たりにし、思わず息を呑みます。車両をバックにカメラ撮影する親子で溢れる中、僕は一人で事前に示された号車の前に並びました。

いよいよドアが開き、車内へ。まだシートにビニールシートが掛けられたままの車内は、真新しい香りが漂っていました。窓側の席はいち早く他の親子が陣取る形に。致し方なく、C列の座席にちょこんと座りましたが、小さな窓の向こうに流れる景色を眺めつつ、そのスピードに驚き、周りの人たちと一緒に歓声を上げていました。新幹線は一ノ関を過ぎたところで一旦停車、進行方向を変えて再び盛岡駅へと戻ってきました。乗車時間は1時間半程度でしたが、新聞やテレビなどマスコミが大勢ホームで待ち構える中、他の参加者とともに意気揚々と新幹線から降り立ち、試乗会は終わりました。ちなみに参加者への試乗記念のお土産は、新幹線のレールを切った文鎮でした。

みどりの窓口に向かい、時刻表で時間をチェック。青森まで特急「はつかり」で向かうと、その後すぐに寝台特急「日本海」の乗り継ぎがあるのを確認しました。
弘前への乗車券と特急券を購入し、妹へのお土産も購入(カラフルなぬいぐるみを買った記憶があります)。これで帰る準備は整いました。
夕方16時過ぎに特急「はつかり」に乗車、一路青森へ。さすがに中で何をしていたのかは記憶がありませんが、とにかく一刻も早くこの興奮を家の人たちに伝えたい…その思いばかりが募っていました。

18時30分頃に青森駅に到着。奥羽本線のホームへと向かいます。既に大阪行の寝台特急「日本海」は入線しており、乗車すればいいだけだったのですが、間もなく旅を終える安堵からでしょうか、無性にお腹が空いてきました。
ホームにある売店へと近づくと、肉まんの香りが漂ってきました。

妹のお土産に結構お金を使ってしまったため、所持金は既に1,000円もありませんでしたが、弘前駅には家族が迎えに来ることになっていましたし、切符も既に購入済み。

「すいません、肉まん2つください。」
1個50円の肉まん2つを購入し、ホーム反対側に停車する普通列車を横目に、意気揚々と「日本海」に乗車すると、程なくドアが閉まり、出発。

「はて…この切符で乗車できたっけ?まあ、いいか。」

実はここで大きなミスを犯していたことに、僕はその時気付いていませんでした。

乗車しているのは寝台特急ですので、自由席はありません。にもかかわらず僕は、自由席特急券、それも盛岡駅から弘前駅までの通しの特急券を持ったまま乗車してしまったのです。(盛岡駅のみどりの窓口の駅員も、指摘してくれればいいものを…。)
正しくは、盛岡から弘前までの通しの乗車券の他、(1)はつかり(盛岡→青森)の自由席特急券、(2)日本海(青森→弘前)の寝台特急券を購入していなければなりませんでした。

そもそも座る席がないので、デッキに立ったまま肉まんを貪ります。ガタンゴトンと車両が揺れる音を聞きながら、一抹の不安がよぎり始めていました。

…とその時。

車掌がデッキに立つ僕の姿を見つけ、近づいてきました。

「僕、どうした?切符見せて貰えるかな?」

見ると、大阪車掌区の車掌さん。おどおどしながら切符を見せると…。

「あー…僕、この切符じゃ乗れないんだよね。」
「えっ!」

頭の中が真っ白になると同時に時間がピタリと止まり、思わず手にしていた肉まんの袋と妹へのお土産の袋を落としそうになりました。

「うん、750円。追加の特急券、750円になります。」
「…は、はい!」

財布から、残り僅かとなった小銭を取り出します。

あ、あれ???
な、ない…………………(絶句)

ポケットを探っても、財布の隅をほじくっても、出てきたのは720円。あと30円足りないのです。

ふと、手にしていた肉まんの袋に目が行きました。

「1個、50円…。」

嗚呼、肉まんを1つだけにしていたら…。後悔先に立たずとは、まさにこのこと。

「…あれ?お金持ってないの?あらま…。うん、じゃ、しょうがない。ちょっと一緒に来てもらおかね。」

ガタンゴトンと響いていたはずの音が一切聞こえなくなりました。
無賃乗車で警察に突き出されるんだろうか。それとも…。
考えているだけでガクガクブルブルと足が震えてきました。

連れて行かれたのは、最後尾の車掌室。新幹線はもとより、まさか寝台特急の車掌室にまで入ることになるなんて…。

車掌室の小さな補助椅子に座らされたまま、静かに、まるで走馬燈のように今日一日の出来事が頭の中を駆け抜け、ゆっくりと時間が過ぎていきます。嗚呼、帰りたくない!色んな意味で!!!

…やがて「日本海」は弘前駅に到着。僕はその時点で、先の見えない恐怖と自分の犯した「事の大きさ」に怯え、泣きじゃくっていました。「絶対に大丈夫だから!」と両親に虚勢を張ってしまったことへの後ろめたさ。何をやっているんだ、オラは!

そして車掌が、警察官ではなく駅員に僕を引き渡します。

「この子、寝台券のお金足りんのですわ。駅で親御さん、待っとるそうです。ほな、よろしくお願いしますー。」

何事もなかったかのように特急「日本海」が弘前駅のホームから離れていきました。大きな初老の駅員に引き渡された僕は、すっかり犯人のような気分。その駅員に肩を抱かれ、すっかりうなだれたまま、この日の朝、意気揚々と出発した時と同じ跨線橋の階段を意気消沈しながら上り、改札口へ。視線の先には、なかなか列車から降りてこない僕を、父母と妹が心配そうに見ている姿が目に飛び込んできました。

とその時!

「このボンズ(坊主)の親、いだがー?」

改札口で大きな声で叫ぶ駅員の声に、その場に居合わせた皆さんが振り向きます。泣きながらすっかり萎縮し、うなだれている僕はもう、そこにいるのが恥ずかしくて恥ずかしくて…。

迎えに来ていた父母が、何事かと真っ赤な顔をしながら慌てて駆けつけます。

「おう、このボンズの親だが?ボンズ、寝台券のお金足りなくてさ。…んだな、半分でいいじゃ。320円だな。」

「は、はい!」と慌てて財布を取り出そうとする父母。その前に、僕は手にしていた小銭から320円を取り出し、駅員に渡しました。

「す、すいませんでした!」
3人揃って駅員に頭を下げ、妹の手を引き、慌てて駅を出るマカナエ一家。

車に乗り込むなり、叱責。

「何やってるんだか。やっぱり一人で行かせなきゃよかった…。」と両親には呆れられ、お土産を手にした妹は喜色満面。

「…でも、320円でいいんだったら、最初から払ったのにね。」

母は憤慨していましたが、僕は駅員さんに心の中で感謝していました。狼狽する我々を見かねた駅員さんが、機転を利かせてくれたのです。

家に向かう車の中で泣きながら残りの肉まん1つを頬張りつつ、これから肉まんを買う時は、絶対1つだけにしよう、と心に決めたのでした。

そして、この事件がきっかけとなり、実は未だにコンビニで「肉まん2つ」と注文できないトラウマに苛まれていることは、秘密です。

(この画像も全く関係ありません。…すいません。)

複雑な心境渦巻く自己ベスト更新 - 第27回仙台国際ハーフマラソン

素直に喜べない自己ベスト更新。喜び3分の1、悔しさ3分の1、その他3分の1。
何だろう、この釈然としないモヤモヤ感は。結果的に、うまく丸め込んだ感じが自分自身への憤りになっているのかな。
イケるんじゃないか、やれるんじゃないか、いや、イケるはずだ、やれるはずだと言い聞かせた花巻からの3週間。
やるにはやった、結果、それなりにイケた。
…でも、それじゃ足りないんですよ。I can get no satisfactionなのですよ。46歳にして、再びもがき苦しむことになるとは。

ジャパン・ツアー2017の2戦目の会場は、2017年5月14日(日)の仙台市。仙台国際ハーフマラソンは、初めての出場。
朝6時、弘前駅を出発する普通列車に乗り込み、新青森駅で乗り換え。6時49分発のはやぶさ8号に乗車し、8時55分仙台着。
仙台に降り立ち東口に向かうと、パッと傘の花が開いているのが目に飛び込んで来ました。
「やはり雨か…。」
事前の天気予報は曇りだったり雨だったり、バラバラ。それだけ予想しづらい天気だったということ。
暑いよりはマシだ、とはいうものの、正直、雨の中で走るのは好きじゃありません…というよりもハッキリ言って嫌い。僕だけじゃない、皆さん一緒だとは思うのですが。ただ、肌寒さを感じるほどの寒さではなく、体温を奪う風がそれほど強くなかったのがせめてもの救い、といったところでしょうか。

せめて少しでも身体を温めないと、と会場までの1.6キロを荷物を背負ったままジョグ。その間も、無言の静かな小雨が降り続いていました。
初めて出場する大会とはいえ、この大会に関しては毎年テレビ中継されており、何となくコースのイメージは掴めます。ある程度であれば仙台の中心市街地の地図を頭に思い描くことができる、というのも利点かも知れません。とはいえ、いつもの如くコースマップと高低差は一通り事前に頭の中に叩き込んでおきました。
陸連登録の特権、ということで、今回はAブロックからのスタート。(Bの人が紛れ込んでいたことに走りながら気付いたけど、うちら陸連登録料を払っているんだよね。その中に紛れ込むなんて、無賃乗車みたいなもんじゃない?見るからに走り慣れない、後述するSを背負った人の中ですら代走と思しき人も見かけたし。お前ら、ホントふざけんじゃねえよ、とかなり憤慨。)
Aブロックの前には、先頭を争うエリートランナー、高速ランナーが揃ったSブロックがあります。雨に濡れるのはイヤだな、と思いながらも、9時45分までには各ブロックに整列するよう求められていたので、仕方なくAブロックへ向かうと、ゲストランナーの谷川真理さんと会いました。
出場するメンバーのうち数名がピンクのNo Apple,No LifeのTシャツを着ていたので、すぐに我々に気付いた谷川さん。
「今日は弘前から何名ぐらいエントリーしているの?」
「10名に満たないぐらいですね。」
「あれ?Tキャプテンは?」
「今日は不参加です。あ、Yさんは札幌に行ったようで…。」
「あ、そうなんだ!良かった(笑)。」

谷川さんから激励(?)の言葉を頂いてAブロックへ向かうと、既に大勢の選手が陣取っており、我々はAブロックのかなり後方に位置を取ることとなりました。…そうなんだよね、スタート前からレースは始まっているんだよね。
我々のすぐ背後には、ゲストランナーの人たちが揃ったブロックが。ふと見ると、かつて瀬古利彦さんや谷口浩美さんと名勝負を繰り広げた中山竹通さん、お笑いタレントの小島よしおさんらが顔を揃えています。その中でもひときわ異彩を放っていたのが、センダイガールズプロレスリングのカサンドラ宮城さん。
程なく、「小島よしお vs カサンドラ宮城」の「場外戦」が始まり、会場は笑いの入り交じったちょっと異様な雰囲気に。

そんな雰囲気の中、スタートゲートまでの距離を見ると、ざっと30秒のロスは見積もった方がいいのかな、なんてことを他のメンバーと話しながら、気がつくとスタート1分前のアナウンス。依然として小雨が降り続く状況の中、「絶好のマラソン日和(by 高橋尚子)」の10時05分、奥山仙台市長の号砲とともにいよいよレースが始まりました。
スタート時の混雑が結構凄い、という情報を事前に聞いていましたが、実際走ってみると、結構どころじゃなくてかなり凄い…。号砲から約25秒後にスタートラインを踏んだまではよかったものの、その後自分のペースで前に進もうにもなかなか進むことができず、手持ちの時計で確認したところ、最初の1キロは4分50秒!(stravaでは4分48秒)
いくら何でも遅すぎるでしょ、とペースを上げようとしても、道幅が狭くなったり、道路に溜まった雨水を避けようとした人が突然進路を塞いだりで、思うように前に進むことができません。スタート直後から足を取られて(引っかけられて?)転倒する人を2人も見かけるなど、これはなかなか厳しいレースになりそうだな、ということを考えましたが、後で言い訳するための邪念になるだけなので、すぐに振り払いました。

ちなみにこの日のレース展望(目標)は、次のような感じ。
・タイムは最低でも90分切り。あわよくば87分台のPB狙い
・前回の花巻で前半突っ込みすぎた結果、後半の失速に繋がったので、今回はムラのない走りを心がける。
・上半身、下半身の連動を意識する。
・無理に歩幅を広げるのではなく、前へ前へと推進する、というイメージ。
・跳ねるのではなく、スライドするといった感じ。

スタート時での混雑は2キロほど続くこととなり、結果、この区間だけでもかなりムラのある走りをすることに…。
JR線のガードをくぐり、仙台駅の西側に出てようやく自分のペースに持ち込むことができました。設定タイムは1キロ4分7~8秒でしたが、3キロ以降は時計に視線を送ることを止めたので、概ね設定通りのペースで最後まで走っていたことを知ったのは、ゴールした後のことでした。
沿道の声援はひっきりなしに聞こえて来ます。特に青葉通、定禅寺通は結構観客の数が多かったような。もっとも、この辺りは木や枝葉から容赦なく滴り落ちる雨が大変でした。しかし、雨の影響もあって声援を送る人の数は例年より少なかったそうです。
5キロ地点の手前、広瀬川に架かる大橋に向かって一気に下り、その後6キロ地点に向けて上り基調となります。
大橋の手前の下り、大きなストライドで颯爽と僕の横を駆け抜けていく一人のランナー。速いなあ、と思ってチラッと見たら、何と中山竹通さん!またとないチャンスとばかりに食らいつき、併走を開始します。他のランナーが中山さんに「キロ4分ぐらいですか?速いですね!」と話しかけると、「いやぁ、ダテに40年も走っていませんから。」と笑う中山さん。僕も一緒になってハハハ、と笑いますが、こっちは話しかけることができないぐらいイッパイイッパイ。なのに、12歳年上の中山さん、ちょっと余裕過ぎるんですけど。
一瞬、このまま中山さんをペーサーに見立てて走ろうか?そんなことも頭をよぎりましたが、それは今日のレース展望にないメニュー。ここはもう一度ギアを入れ直し、5キロを通過して上り坂に入ったところで再び中山さんの前に出ました。ちなみに5キロ通過は21分30秒。

程なくようやくコースの最高地点を通過。ここからしばらくは、限りなく平坦に近い緩~い下り基調になります。
広瀬川を再び渡り、仙台市中心部へ。川を渡った最初の交差点で左折しようとした時、川内優輝選手をはじめとする一団(あとでわかったのは、この一団が先頭集団ではなかったということ)が9キロ地点へと向かうのが見えました。やがて、最初の折り返しとなる定禅寺通では、依然として小雨が降る中で老若男女がランナーに向けて様々な応援を続けています。何かその姿を見ていたら胸が熱くなり、すずめ踊りの一団へは、思わずこちらから拍手を送ってしまいました。本当にありがとうございました。
10キロ通過は42分15秒。あれ?これって想定の範囲だったっけ?
10キロを過ぎてしばらくすると、コースの真ん中に仁王立ちする人が。ん?誰だあれ?と思ったら、スペシャルアンバサダーの高橋尚子さん。駆け抜けるランナー一人一人とハイタッチをしています。もちろん僕もハイタッチを交わしながら、「ありがとうございます!」とお礼を伝えます。大体こういう「イベント」があると直後にハイペースに陥る、という傾向があるのですが、まだ中間地点。フォームは乱れていないか、ペースを崩していないか確認しながら気持ちを引き締め直して先へと進んでいきます。

再び仙台駅東側のゾーンへ。相変わらず小雨が降り続いていますが、沿道の声援は途切れません。その声援に応える、というわけではないものの、上半身と下半身を意識して、無駄に跳ねることもなく、しっかりと走っている感じ。
ゴールとなる陸上競技場の外周をぐるりと一周して、スタート地点へと戻ってきました。2度目の折り返しを終えたエリートランナーの皆さんが、ゴールとなる陸上競技場に向けて続々と進んでいくのが見えてきました。その中に、川内優輝選手の姿を再び捉えました。
こちらはまだ15キロ地点。電光掲示板は1時間2分台を指していました。ゴール時間を逆算しながらスタート時に右折した交差点を左折し、最後の折り返しに向かいます。もう、タイムのことは考えないって決めていたはずなのに。
その時、目の前に突如現れたのは、貨物駅近くの跨線橋。
「あ、そうだった…。この橋の存在をすっかり忘れてた…。」
結構な長さの緩い上り勾配で、最後、20キロ地点を迎える跨線橋でもあります。一瞬気持ちが萎えかけますが、ここで垂らしては元も子もないと、他人には見せられないような表情で上りきり、進路を東方向へと進めます。この辺りでは、向かい風が時折吹いてきます。失速した花巻のことが一瞬頭をよぎりますが、大丈夫、今日のペースは安定しているはずだという妙な自信がありました。

17.6キロの折り返し直前、前を走っているのは恐らく同じ弘前公園RCのA先生の姿だったと思ったのですが、確信を持てぬまま、視界の幅を狭めてひたすら前へ前へと突き進みます。花巻で失速した15キロ以降、後からやってくるランナーの後塵を拝する、ということになりましたが、今日は違っていました。
17.6キロ、最後の折り返し。雨脚が少し強くなってきました。結局「曇り」の天気予報は完全に外れ。いよいよ残り3,500メートル、ゴールまでのカウントダウンがスタート。ラストスパートは跨線橋を越えた20キロからだ…。
結局、A先生にどこかで追いつき追い抜いたらしいのですが(19キロ付近だったらしい)、その記憶もなく、いよいよ最後の難関、貨物駅近くの跨線橋へ。
脚も心も切らさぬまま、ラストスパートとばかりに下りでペースを上げ、先行するランナーを抜き去ります(もちろん、僕を抜き去るランナーも多数)。
陸上競技場のトラックで出せる力を振り絞れ、とばかりにペースを上げ、最後の直線へ。ふと見ると、電光掲示板が01:27:48…49…50と秒を刻んでいます。

「うわっ!」

恐らくこのレース最速でゴールに飛び込むも、速報タイムは1時間28分02秒。あわよくばの87分台へわずか3秒及ばず…。
いや、一応自己ベストを更新したんですよ…たった19秒ですけど。ネットタイム(実際にスタートラインを踏んでからゴールするまでの時間)では、87分台なんですよ。

ゴールした直後にいつもの如くコースに向かって一礼したあと、フィニッシャーズタオルを受取り、出口へ向かうと、学生たちのハイタッチが待ち受けていました。飲料を受け取ったあと、スタッフやボランティアの皆さんに対して、自然と「ありがとうございました。お世話になりました。」という言葉が口から溢れて来ました。
雨の中のレースで荒んだ気分の中、一筋の光明とでもいえばいいのでしょうか。
一人一人に「雨の中、本当にありがとうございました。」と握手したいぐらい、感謝の気持ちでいっぱいでした。

「ハーフマラソンでの90分切りを当たり前にする」という当面の目標は、昨年10月から今レースで3連続達成ということになりましたので、目標はクリアした、と言ってもいいのかな。でも、1時間28分21秒、25秒、そして今回の02秒。何だか記録が良くも悪くもまとまってきたなあ、という感じ。
あとで結果を見ると、5キロ毎のタイムはかなり綺麗に刻んでいます。ハーフマラソンの大会でこれほど綺麗にタイムをまとめたことは、ないはずです。ほぼ一定のペースを最後まで崩すことなく、しっかりと走りきった感じ。なので、やろうと思ったことはやり切った、と評価してもいいでしょう。20キロからゴールまでは4分19秒、恐らく4分を切るペースで走っていたのかな?ただ、これだけ綺麗にタイムをまとめたということは、裏を返すと今回「も」勝負はしていなかった、ということに。

結局のところ、この結果に全然満足できていないということは、もう少し頑張れるはずだという自分への驕りか、はたまた単なる勘違いか…。何かやりきれないというか虚しいというか、何だろう、自己ベストを更新したとはいうものの素直に喜べないこの複雑な感情。この日の天気同様、スッキリとした晴れやかな気分になれないという。

いずれにせよ今季2戦目、まだ自分の力を全部出し切ったとは思っていない、というかまだ出し切る時期ではないと思っているので、自分を信じてこれを弾みに次へと繋げていきたいと思います。
今回の大会運営に携わったスタッフそしてボランティアの皆さん、更には沿道で声援を送ってくださった皆さん、本当にお世話になりました。
練習にお付き合い頂いた皆さんにも、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
そして、一緒に雨の仙台を駆け抜けた皆さん、お疲れさまでした。

…どうやら仙台に落とし物をしてしまったようなので、また拾いに来ないとなあ。

(ゴール直後に受け取ったフィニッシャーズタオルは、速攻で汗拭きならぬ雨拭きに変わりました。助かりました。Tシャツは、昨年までのものと比べるとかなり良くなったと評判のようですが、この色合い、最近の大会ではちょっと多過ぎかも。)