月別アーカイブ: 2014年7月

シュシコツショウガイ


ランニングを始めて7年。これまでも何度か故障者リスト入りしたことがあったが、今回ばかりは泣きが入りました…。

異変は前から薄々感じていた。走るときに時々足の甲に痛みを感じていたのだが、今思えばそれは、足の裏をかばってのことだったのだろう。まあ、本人はきっと、シューレースを締めすぎたのだろう、と暢気に構えていたのだが…。
その症状が現れたのは、確か今月16日だったと思う。沖縄旅行での10マイル走×2日から中3日、研修所に足を運んだ僕は、その日の研修終了後の自主トレを敢行した。青森市東部にある浅虫温泉までの、往復約20キロ弱。平均するとキロ4分35秒ぐらいで走っていたので、ほぼ大会に出ているときと同じようなペースで走っていたことになる。
走っているときも何となく感じていたのだが、走り終えた後、足の甲にじんわりと痛みが走る。心なしか足裏も痛いような、痛くないような。
シューレースを締めすぎたかな。いつものことだろうから数日すれば治るだろう、と甘く考えたのがそもそもの間違いの始まりだった。
19日はいつもの朝練、そして20日は弘前市を流れる川の河川敷を下流に向かってひたすら走り、往復約19キロ。この頃になると、足の甲と裏の痛みがだいぶ強く感じられるようになった。

その時もさほど気にはしていなかったのだが、また足の甲が痛くなったり、足裏の先の方が痛くなったりを交互に繰り返すようになり、心なしか右足だけむくんでいるようになった。イヤ、心なしではなく、間違いなくむくみ始めていた。
ここまで痛みが引かないのも、これまでにはない症状だ。
足底筋膜炎にしては、説明がつかない部位の痛み。頭をよぎる不吉な予感。

「これはひょっとして、疲労骨折では?…あるいは、痛風?」

冷感湿布を貼付し、腫れと痛みが治まるのをひたすら念じる。
26日朝練。足の痛みはまだ残っているが、走れないというほどではない。結局10キロを走ったが、7キロ付近で、右足をかばっていたことが災いしたのか、ふくらはぎに軽い肉離れのような感覚を覚えた。

27日になると、いよいよ歩くのもままならないほどの状態となり、空き時間を確保できた28日の午後に、とうとう弘前駅前にある整形外科へと駆け込んだ。ちなみに整形外科を訪れるのは、約35年ぶり、小学3年の時にアスレチックから落下して、脊柱を圧迫骨折して入院して以来のことだ。ちなみにその時の骨はまだ少し歪んでいて、今でも寒くなると時々疼く。ついでにいえば、あと少し損傷部位がずれていれば、今頃僕は、走るところか歩くことすらままならない生活を送っていたことになる。なので、今こうやって歩き、そして走れる強運に感謝しているのだ。

閑話休題。
この病院の先生は、(僭越ながら)ランニング仲間でもある。なので、症状を伝えたら、痛みの部位をピンポイントで当てた。そしてそれは、レントゲン写真にもハッキリと現れていた。

診断は、「種子骨障害」。痛風でも疲労骨折でも、なかった。
でも、シュシコツショウガイ?初めて聞く名前だ。

足の裏側にある骨が、ランニングなどの過度の負担やシューズを替えたときに起こしやすい障害らしい。
支えとなる種子骨は二つなのだけど、僕の場合、レントゲンに種子骨と思しき造影が三つ見える。
0728レントゲン(1)
「元々三つの人も人もいるし、もしかしたら以前、割れた(骨折した)のかも知れないし…。でも、白くなっているところを見ると、仮に割れた(骨折した)としても今じゃないですね。」

むむむ…。これも思い当たるフシがないわけじゃない。もしかしたら、疲労骨折を起こしたまま走り続けていたのか?そんなはずはないと思うのだが…。

「とりあえず種子骨に負担がかからないよう、土踏まずのアーチを支えるサポーターを出しておきましょう。鎮痛剤も、必要?」
「できれば、お願いします…。」

シューズを替えた、走り方を変えた、無理して走った、色々要因はあるだろう。でも全ては、僕自身がやらかし、そして悪化させたことなのだ。
先のことが頭をよぎる。ちなみに、今後出場を予定している大会は、ざっと次のとおりだ。12月を除いては、全てエントリーを終えている。

8/3 日本海メロンマラソン(ハーフ)
8/31 北海道マラソン(フル・公認)
9/15 (レースの予定あり)
9/21 田沢湖マラソン(フル・公認)
9/28 つがる地球村マラソン(10K)
10/5 弘前白神アップルマラソン(フル)
12/7 NAHAマラソン(フル)(仮エントリー)

このうち8/3の日本海メロンマラソンについては、次の日曜日の話であり、今の具合を見る限りでは、もはや出走を諦めるしかないだろう。
問題はその次、8/31の北海道マラソンだ。何に使うというわけではないが、陸連公認コースを一つでもいいから走ってみたいと思っていたが、当初の目標であったサブ3.5どころか、出走すらも怪しくなってきた。
先生は僕に「走るな」とはいわなかったが、今の状況では走れるはずがない。
0729施術後(1)
とりあえずサポーターを巻いたら歩行する上ではかなり楽になったが、当然しばらく練習もお休みしなければならないだろう。これを良薬と考え、休息(休足)に励むか、焦ってすぐに練習を再開するか、あるいはとことん自堕落の道を進むか…。
0729施術後(2)
ご覧頂くとわかるとおり、左足と比べると右足が全体的にむくんでおりまして、炎症を起こしている影響なのだそうで…。
今回ばかりはホント、何でもっと早く診察してもらわなかったんだろうと、猛烈に凹んでおります…。


「カウンセリングマインド研修」のこと。


先日、「カウンセリングマインド研修」なるものを受講してきた。
決して義務的な研修ではなく、「選択研修」と呼ばれる複数の研修のメニューの中から、たまたま目についた内容だったので、自ら希望して受講してきた、というものだ。

実は、なぜこの研修が目につき、そして受講を希望したのか、その背景が全く思い出せない。まあ、ひょっとしたら職場環境をはじめとした色んな人間関係に関する悩み(それも口外できぬような悩み)をどこかで感じていたのかも知れないし、たまたまその時の気分というか状態が、その研修を受講したいという思いを駆り立てたのだろう。

カウンセリングマインド。
恐らく「カウンセリング」という言葉一つだけで、身構えるだけの要素があるような気がする。
何となく精神的な部分での何かを探ろうとする、そんなイメージを持っているのは僕だけだろうか。
実際この研修を受けてみて、そこまでディープな話題ではないにせよ、講師の方が実際に経験された具体的な内容等を伺い、どこか身構えようとする自分がいることを幾度か感じた。

とはいえ、何でこの研修を受講しようと思ったのか思い出せぬまま講義に臨んだため、むしろどちらかと言えばクリアな、例えて言うならばまな板の上の鯉にも似たような気分で傾聴することとなった。
「カウンセリングマインド」という言葉は、そういう形で人との関わりを持とうとする人たちの心構えや思考のことを指す和製英語なのだそうで。

実際、研修内容というのはどちらかと言えば心理学っぽい感じの内容。大学時代、全く興味を持たなかった(持てなかった)分野の内容だ。もう大学を出てからかれこれ20年が過ぎたが、馬齢を重ねたり色んな喜怒哀楽を経験したことで、心境の変化があったらしい。

いきなりクレヨンで絵を描いてみたり、たまたま隣同士になった方に些細なお悩み相談をしてみたり。

そんな感じで2日間、それなりに濃厚な内容を受講してきた。
講義の内容はあまり触れないでおくが(別に寝ていて聞いていなかった、ということではないので念のため)、相手の気持ちを探るということは、ひょっとしたらとても失礼なことかも知れないし、傷口に塩を盛ることにもなるかも知れない。でも、相手の気持ちを少しでも理解することで、それまで流れることのなかった澱みが流れ出すかも知れないし、それがお互いにとってプラスを生むかも知れない。
仕事はもちろん、私生活でも生かされそうな、そんな内容だった。

最後に。
僕はどちらかと言えば「自己肯定他人否定型」の人間らしいです(笑)。


嵐を呼ぶ夫婦、再び…


初めて沖縄本島を訪れた時は、到着したその日に梅雨入り。
2度目も天気はパッとせず、3度目にはとうとう台風の直撃を受け、滞在中一度もホテルから出して貰えなかった。
その後、何とかこの流れを変えようと久米島への渡航、連日快晴で真っ黒に日焼けして帰ってきた。
翌年、もう一度久米島に行こうと思ったら、またしても台風の歓迎を受けることが確実だったため、羽田空港で渡航を諦めた、ということもあった。

うちら夫婦が沖縄を訪れる時は、必ず天気が悪くなる。
…やがて、親戚から「嵐を呼ぶ夫婦」と笑われるようになり、我々も開き直って自他共に認める「嵐を呼ぶ夫婦」を自称するようになった。

気がつくと既に10回以上沖縄を訪れているが、9月中~下旬の訪問から7月上旬の訪問に切り替えてから、何となく滞在中の天気が良くなった気がする。
どうやらこの切り替えが功を奏したらしい。

…と思ったのも一昨年まで。

昨年は台風7号が先島諸島に接近する時期に訪れる羽目となり、結果としてほとんど雨には当たらなかったものの、楽しみにしていた早朝ランで強風に晒されるという目に遭った。

今年はというと…既に5月の時点で7月9日から12日までの日程を組んでいたのに、まず出鼻を挫いたのが仕事絡みの会議。
どうしても出席しなければならない会議、ということで、妻を先に沖縄本島に向かわせ、僕は会議終了後に別便で沖縄入りすることとした。
これによって、宿泊先の変更や予約便の変更など、余計な出費も伴うこととなり、実はかなり憤慨していたことを今だから明かそう。

さらに、直前に発生した非常に大型の台風8号の接近。台風では初となる特別警報の発令、各地で発生した土砂崩れ、停電、浸水被害、風速50mを越える暴風など、もはや目も当てられないような状況となっていた。

嵐を呼ぶ夫婦の復活を告げるファンファーレが頭の中を渦巻いていた。
不幸中の幸いだったのは、沖縄本島への台風の最接近が前日だったこと。少なくとも、航空機の遅延はあっても欠航はないだろう。どうやら、妻も僕も何とか無事に沖縄本島に行くことはできそうだ。

…ところが、会議の休憩中に妻から目を疑うようなメールが届いた。

「11時前に羽田を出発した飛行機、羽田に引き返しました。」

…え?何で?何が起きたんだ?朝の便は沖縄那覇空港に着陸していたのに?
血眼になってJALのホームページで運行状況を確認すると、妻の乗った便だけ「引き返し」の文字が。13時30分に沖縄那覇空港に着陸するはずなのに、12時08分に着陸している。
「使用機材点検のため、羽田空港に引き返します。」

何てこった!台風じゃなくて、そっちかよ!
もう、こうなると笑うしかない。

結局妻は、僕が搭乗する予定の便に変更を済ませ、結局二人で沖縄入りすることとなったのだった…。

どうやらこれが今回の厄払いだったらしく、滞在期間中は一度も雨に当たらなかった。
結果としてまともに晴れたのは沖縄を発つ最終日(12日)だけだったし、波が高く海もあまり綺麗じゃなくて泳ぐこともできなかったけど、曇り空の合間から時折覗き込む日差しは、短時間で僕らの肌をジリジリと焼いたらしい。

今回宿泊した浜比嘉島のリゾートホテルも、思った以上に静閑で居心地が良かった。ただ、台風の影響はかなりあったらしく、屋根の瓦が一部剥げ落ち、木々も根こそぎ折れていた。

ある意味これがやりたくてこのホテルを選んだ、という早朝の海中道路ランニング、往復でちょうど10マイルの距離は、身体の老廃物と前日のオリオンビール、そして泡盛を全て排出するぐらい汗をびっしょりと掻くこととなった(結果的に、出発前と後の体重がほとんど変わっていなかったのは奇跡的だった)。

3軒だけではあったけれど、那覇市内にある沖縄そばの店、そして食堂と、どちらかといえば地元民が利用する率の高そうな店を訪問できたのも、今回はよかった。

台風8号の爪痕は各所で見受けられたけれど、僕らが移動する中での影響はほとんどなかった。(地元の方たちには申し訳ないが)それだけで充分だった。

あとは何も言いません。写真だけ載せておきます。

20140709-12 OKINAWA
(↑↑画像をクリックすると、flickrのアルバムに飛びます。)

帰宅したら、NAHAマラソンの案内が届いていた。
地元紙によると、既に3万人を越える申込みがあり、今年は抽選になるそうだ。
30回を記念する大会。冬の沖縄、挑戦してみようか考えてます。

NAHAマラソン