青森県の職員になったのが1993年の4月。幾度となく転機は訪れたが、何事もなく今年度を終えると、勤続30年ということになる。
学生時代、自分はどういう人間になりたいのか、そしてどういう職について、どう生きていくべきなのか、全く考えたことがなかった。
学業そっちのけでバイトに明け暮れ、稼いだ金は飲み代かパチンコに化けるという、ダメ人間だった。結局、ギリギリの単位でなんとか卒業に漕ぎ着けたものの、そんな自分でも県職員になったのは、本当に運が良かったのだろう。
考えてみると、僕の人生はいつもギリギリのところで踏み留まる、そんなことの連続だったような気がする。もしかしたら…の岐路はたくさんあった。
(1)「生」「死」の岐路に立つ
小学3年の時、高さ約2.5メートルのアスレチックスの遊具から落下した。地面に背中を強打し、息ができなくなった。一瞬「死んだ」と思った。落ちた場所が平坦な「土」だったことは、不幸中の幸いだった。たまたま近くにいた人に助けられた。旅行先での出来事だったこともあり、病院に足を運んだのは2日後。今思えば、よくそこまで我慢していたものだ。腰椎の圧迫骨折と診断され、そのまま約1ヶ月半にわたり入院した。実は今でもレントゲンを撮ると、脊柱の1つが少しだけ歪んでいるし、冬になると時々その辺りが疼く。打ち所が悪ければ、命を落とすか、下半身不随になっていたことだろう。今、こうやって何の支障もなく生活を送られるのは、運が良かったか、誰かに助けられたとしか言いようがない。 続きを読む