毎週土曜日の早朝5時、弘前市内やその周辺地域から弘前市役所前にランナーが集合、弘前公園ランニングクラブの練習が行われている。(ランナーのレベルは千差万別で、自由気ままにただ走る、会費も何もない、緩ーい集まりですので、興味のある方、たまたま弘前市にいらした方も、是非いらして下さい。)
20日(土)の練習は、田沢湖マラソンを翌日に控えていたので、僕は軽めの調整にとどめた。
2度目のフルマラソンにして辛酸を舐めることとなった北海道マラソンから中2週。既に足は完全に回復していたが、この間、相変わらず自分に妥協してばかりの練習で、距離も質も全然足りていないことだけが気がかりだった。
北海道マラソンは、自分にとって初の陸連公認大会ということで、どこか気合ばかりが空回りして、ちょっと意識過剰になりすぎていたな、と感じたところだった。
田沢湖マラソンは昨年20キロにエントリー、90分を切るという(自分の中では)好走のできた大会。
そんなこともあって、ひょっとしたら記録を狙えるのではないか、という密かな期待を抱いていた。
弘前公園RCの朝練の時には「3時間40分以内」を公言したけれど、もちろん今年の目標であるサブ3.5(3時間30分以内でのゴール)を達成できれば、というのが本望だった。
いろんなことに過敏になりすぎた北海道マラソンの時とは違い、いつも通りの日々を過ごしながら、徐々にカフェインを抜いていったり、アルコールを抜いていったり。でも、極端な食事制限はしなかった。
この日の夕方から北秋田市にある母の実家に移動。従姉が秋田名物の「きりたんぽ」を用意してくれていた。
前回も頂いたこの名物で、僕は好走できたと信じていた。比内地鶏から出る脂がちょっと気になるところではあったが、カーボローディングを取り入れるのであれば、絶好の食事だと思ったからだ。
結局2杯おかわりして、21時過ぎに就寝。
大会当日。北秋田市から田沢湖を目指す。
途中で立ち寄った「道の駅あに」では、気温が6度前後まで下がっていた。でも、いい天気に恵まれそうだ。
車で約1時間40分、6時前に田沢湖畔に到着。車で仮眠を取る。
昨年もそうだったが、6時頃には受付(ゴール地点)に近い場所の駐車場からどんどん車で埋まっていく。(早朝6時なのに、ちょっとした渋滞も起こる。)
しかも、帰路は15時頃まで時計回りの一方通行となるため、駐車場所を間違えると、とんでもない遠回りを強いられる。実は、レース後の復路は八幡平経由で鹿角八幡平ICから東北自動車道に乗るつもりだったのだが、駐車場所の選択を誤ったため、結局往路と同じルートを辿ることとなり、国道105号を北上、北秋田市から国道7号に抜ける道を走らざるを得なかった。会場から離れた臨時駐車場に車を停めてシャトルバスを利用するという選択肢もあるけれど、万が一忘れ物をしてしまった場合やその他のことを考えると、やはりゴールに近い場所に停めるのが賢明なのかと思ってしまった。
さて、この日のスタートは10時。時間はたっぷりあるのだが、意外とあれやこれやとやっていると、あっという間に時間は過ぎるものだ。念には念を入れてトイレには3度足を運び、北海道マラソンで失速の原因の一つとなった足裏にしっかりとワセリンを塗り込む。受付開始時刻の7時には、ゼッケンナンバーとTシャツを受け取る。今年のTシャツは、コースの高低図が描かれている。昨年物議を醸した「一心不Running」の文字もなく、ちょっとセンスがいいぞ。
豆大福を3つ、バナナを1本、肉まんとピザまんを1つずつ貪りながら、OS-1を500ミリリットル飲み干す。受付を済ませた後に改めて見たゴール地点にはどれぐらいで帰って来られるだろうか、我々はこれから田沢湖周辺を駆けずり回るというのに、この秋田犬はずっと檻の中でかわいそうだな、なんてことを思いながら。
9時40分。スタート地点へ移動。この日弘前公園RCからエントリーしていたのはフルマラソンに8名、20キロに1名であったが、フルマラソンにエントリーしていた2名が怪我やその他の事情でDNSとなった。
もちろんスタートできなかった人たちの思いを胸に秘めていたが、僕は、先日緊急手術をした我が家の老犬、モモのことを考えていた。14歳になってなお手術に耐えたモモの姿に、どこか感化されたところがあったらしく、ヤツが頑張ったのに自分で頑張らないでどうする、と一人で勝手に鼓舞していた。
そして僕だけではなく、他のメンバーも何か内に秘めた闘志を燃やしている空気が、何となく感じられた。
田沢湖マラソンは、全種目がそれぞれ異なる場所から10時に一斉にスタートとなる。
僕らは陸連登録していたため、ほぼ最前列に近い場所からスタートとなった。
午前10時。気温16度湿度55%風速0という絶好のコンディションの中、スタートの号砲とともに勢いよく飛び出していったのは、A先生とYさんだった。スタート直後は、長い下り坂となる。もちろんまだ始まったばかり、ここで他のランナーのペースに巻き込まれてはならない。
それでも、最初の1キロは4分ちょうどで入っていた。
Tキャプテンや、岩木山ヒルクライムの実行委員長であるKさんから言われた言葉やアドバイスをふと思い出す。
「最初から飛ばさなきゃ、ダメだ。」「考えるな、感じろ。」
直前にNさんからアドバイスがあったとおり、35キロまでは、キロ4分30秒から50秒で走る、自分のペースを刻む作戦だった。35キロ過ぎに現れる急激なアップダウンを考えると、それまでの貯金がサブ3.5を達成できるかどうかの鍵を握ると考えたからだ。
途中若干のムラはあったが、20キロまではほぼ順調にペースを刻んでいた。ずっと前を走っていたYさんを捕捉したのは、14キロ辺りだったろうか。(Yさん、今日は自分でもペースが速い、行けるところまでこの調子で行こうかと思っている、と言っていたような、いなかったような。)
北海道マラソンでは見つけられなかったペースメーカー的存在も、今回は早い段階から見つけることができたし(実はYさんもその一人だった。Aさんは、結局最後まで姿を見つけることができなかったけど。)、思い通り…いや、それ以上のレース展開、といっても過言ではなかった。
田沢湖駅周辺の中心部を駆け抜け、田沢湖畔に出た後の残り20キロは、田沢湖をぐるりと一周する。
ハーフの通過タイムは1時間37分を切っていた。予定よりも6分も早く通過している。
いや、でもあの35キロの後に現れる激坂を考えると、これでもまだ足りないかも知れないと思ったが、ここで焦ってはならないと努めて自分のペースを保っていた。
24キロ過ぎから、少しペースが落ちたのが分かった。ペースメーカー的存在のペースが落ちてきたのだ。申し訳ないがその方には心の中で別れを告げ、次の新しいペースメーカーを探さないと、と走り続けるも、なかなか格好のペースメーカーが見つからない。(実際この頃から走りに少しずつ迷いが生じ始める。)
30キロ通過。ふと時計を見る。2時間20分30秒。残り12キロと考えると、サブ3.5の達成はほぼ確実になりそうだ。
…いや、これってひょっとしたら3時間10分台も狙える?
しかし、世の中そんなに甘く事が進むはずがない。
好事魔多しとは、まさにこのことを言うのだろう。
変な欲を出した途端、今思うと明らかに走りにブレが生じ始めていた。
そして現れた35キロ過ぎの上り坂。Tキャプテンから「小股でしっかりと。」と言われていたのに、大股のまま上りに差し掛かってしまった。結果、100メートルほど進んだところで、走っている足が止まった。
嗚呼、またやってしまった。先週の岩木山ヒルクライムランや北海道マラソンでの反省が、まるで役に立っていないじゃないか…。結局しばらく歩いたまま、先を目指す。
坂道がようやくなだらかになり、再び走り始める。そして、下り坂。僕の横を凄い勢いで駆けていく人たち。
もしもし、そんな勢いで走っていたら、この後の細かなアップダウンで堪えますよ…。
しばらく下っていると、先に37.5キロのスポンジポイントが見えてみた。やっと下り坂も終わる…と思ったその時。
ピキーン!!
うぐっ!うえっ!?ぐわっ!?な、なに?
何と、突如左足が攣ったのだ!
うわっ!何じゃこりゃ!
と思ったら右足も痙攣!
歩くとか走るとか、そういう問題ではない。前に進むどころか、立っていることもままならない状態なのだ。
初めての経験に、どう対処してよいか分からず、その場に立ち止まり、半分パニック状態になる。落ち着け、まずは落ち着け!
脇を通り過ぎるランナーが「ガンバ!」「ファイト!」と声を掛けてくれるが、答える余裕などまるでない。声を掛けるより、手を貸してくれ!と思ったが、みんなが勝負師。そんな人がいるはずもなく。
坂道の途中だったこともあり、後ろ向きになってみたり、色々やってみるが、両足は攣ったまま。ヤバい…と思い、一度その場にへたり込み、脚をゆっくり伸ばす。
初めて「リタイア」の文字が頭をよぎる。
あともう少しでゴールなのに?サブ3.5も狙えるのに?
今回の大会に参加できなかったOさんやN先生の顔が浮かぶ。
これでリタイアでは、顔向けできないぞ…。
落ち着け、まずは落ち着こう。必死に自分をなだめながら、ゆっくりと呼吸を整える。
…大した時間ではなかったようだが、自分の中ではその場に10分以上いたような気分だった。
静かに立ち上がり、再び歩き出す。とりあえず、あのスポンジコーナーまで行こう。
何とか37.5キロ地点に到着。ふと、軽トラの荷台にコールドスプレーを発見し、「すいません借ります!」と有無も言わさず両足に噴射。これで一気に落ち着きを取り戻した。
ひとまず何とかなりそうな感じだ。恐る恐る時計を見る。3時間を少し回っている。残り約5キロ弱、キロ6分を切るペースで進めば、サブ3.5は達成できそうだ。
ここからは完全に気力だけで走っていた。途中何度か脚が攣りそうになって歩いたが、周りの風景とか声援とか、全然目にも耳にも入ってこなかった。文字通り、無心。(逆に、この辺りで撮影されていた画像を早く見たいと思う。)
そしていよいよ42キロを通過。残り200メートルを切り、下りの砂場とゴールゲートが見え始める。時計はもう、見えていない。
「ノリノリ!ラスト!行ける行ける!」
ふと左側を見ると、先着していたA先生と、20キロを走り終えたS先生の姿。ハッと我に返り、二人の声援に手を挙げて応えながら、最後の疾走。電光掲示板には3時間28分の文字が…。
やった!と叫びながらガッツポーズをかざし、ゴール!
3時間28分51秒、サブ3.5達成!
足が攣ったダメージもあったらしく、膝がガクガクしてきちんと歩けない。足裏に痛みはないが、右足の親指に、水ぶくれか血豆ができていることだろう。
這うような気分でA先生とS先生のもとに辿り着く。
「やりました…!ありがとうございました!」
まだ足がガクガク震えている。脚が攣りそうな感じも残っている。
その姿に見かねたS先生が、芍薬甘草湯を渡してくれた。
沸き上がる達成感と満足感と悔しさと腹立たしさ。
色んなものが交錯して、胸の中で攪拌が始まった。
その途端に、何かがグッとこみ上げてきた。
嬉しいのか悔しいのかもわからない。わからないんだけど、目からポロポロと涙が溢れてきた。
僕はその場で、人目も憚らず涙を流した。
その後他のメンバーも続々とゴールし、スタートから4時間10分後には、全員完走を果たした。
結果として、A先生と僕は念願のサブ3.5、OくんとNさんはサブ4達成で、それぞれ自己ベストを更新となった。
今回は、非常に走りやすい気候に恵まれたということもあっただろう。
それを差し引いても、これまで出場したフルマラソン3大会連続でサブ4を達成し、更に今回、途中アクシデントに見舞われながらもサブ3.5を達成できたことは、僕にとってちょっとした自信になった。(でも、身体に塩が無数にへばりついているのを見ると、相当汗もかいていたらしい。足が攣った原因の一つとして、水分不足を指摘されたけど、多分塩も足りてなかった。)
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次は中1週でいよいよ「弘前・白神アップルマラソン」が行われる。
ダメージはそれほどでもないので、また頑張ろうという気にもなっているが、埼玉県の公務員ランナーのようにストイックになる必要もないかな、と思い、地元の大会を盛り上げる、参加した方々に楽しんで頂く、というスタイルで今回は走ろうかな、と考えている。
今年最大の目標を達成したことで、僕なりの恩返し、おもてなしをしようかと。
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改めて振り返ると、正直、ひょっとしたらもう少し行けるのではないか、と思ったのも事実。今年最大の目標であった公認大会でのサブ3.5は達成したが、結果にもレース展開にも満足はしていない。ネガティヴスプリットが決められなかったし、昨年は難なく登った坂で脚が止まったし、下り坂では脚が攣ったし。
まあでも、反省の中に自分なりに色々得たものも多い、実りある大会だった。
敢えて一つだけ言うとするならば、マラソンは無欲で臨むのが好結果を残すかも知れない。
昨年生まれて初めてフルマラソンを走った時の弘前・白神アップルマラソンは、完走することしか考えてなくて、欲なんか出す余裕がなかったのに、最初の大会でかなりいいタイムで完走したがため、変に欲を出すようになってしまったのが、多分最大の敗因。
今回然り北海道然りで、下手に欲を出すと、ガツンとやられますな。特に後半の色気、欲は禁物。とことん禁欲ランナーに徹するべきだと、強く思った次第。
とはいえ人間だもの、欲を封じて何かに徹するって、簡単なことじゃない。辛い時だからこそ気を紛らわすために色気や欲のことも考えるだろうし…。
一番いいのは、多分何も考えず無心になることなのかも。実際今回は、ラスト2キロから完全に無心になり、ひたすらゴールを目指していたわけで…。でも、毎回そんなうまくいくはずもなく、己の中にある欲を断ち、自分に打ち勝つって難しい。そう考えると、マラソンって本当に奥が深いスポーツですね。