月別アーカイブ: 2013年11月

「彼女」のこと

彼女は、派手な色の衣装が好きだった。

どこで売っているのかもわからないような、赤や黄色そして緑といった派手な色の衣装を、季節に合わせて衣替えをするのが大好きだった。でも、なぜか彼女はいつも同じ色の衣装を身に纏っていた。

…僕は、そんな彼女のことが好きだった。

秋も深まったある日のこと。彼女がぽつりと呟いた。

「もういい加減、この衣装にも飽きてきたわね。というかこの色、私には似合わないわよね…。」

その頃の彼女は、くすんだ赤色の衣装を身に纏うようになっていた。お世辞にも年相応とは言えないような、どこかどんよりとした色の衣装だった。

「…そ、そんなことないよ。似合っているよ。」

僕は慌てふためきつつも、苦し紛れに言った。

「ふふ…。自分でもわかってるから、いいのよ。気を遣わなくても。」

冷たい秋風の吹く中、彼女はそっと僕に微笑んだ。

翌週は台風がやってきたり、かと思えば初雪が降ったりと、散々な天気だった。彼女に会う時間も作れぬまま、イライラが募るばかりだった。

ようやく時間を作って彼女に会いに行くと、なぜか彼女は全裸で僕を迎えた。

一糸まとわぬその身体に目を向けると、年齢よりもずっと老けこんでいて、全身に皺が寄っていた。何となくたるんでいるような、そして色白というよりはむしろ、どす黒いような感じだった。

目のやり場に困った僕は、ただただ彼女から目を背けるしかなかった。

「やめろ!頼むから何か身に纏ってくれ!見ているこっちが恥ずかしいじゃないか。」

「あら、別にいいじゃない。私に似合う衣装なんて、もうないんだから。身体だってどす黒くてしわしわで、誰も見向きなんてしてくれない。だったら、裸になろうが何だろうが、あなたにも誰にも関係ないじゃない!」

吐き捨てるように言い放つ彼女。

「いや、でも…。」

困惑する僕に対し、彼女は次の言葉を制するようにピシャリと言い放った。

「うるさいわね!…でも、ありがとうね。今に見てて!私、貴方かビックリするぐらい美しくなってみせるから。ダイエットもするし、ひょっとしたら整形だってするかも知れない。…とにかく絶対に、貴方の、いや、みんなの注目を浴びるような姿に生まれ変わるわ!だから…だから、しばらく会うのはやめましょう…。」

その日から、彼女と会うことをやめた。

…その年の冬はとても寒く、雪が多かった。雪が降るたびに、全裸の彼女のことを思い出した。

彼女のことは結局、一度たりとも忘れることができなかった。でも、いつかまた再会できるという、確信めいたものが僕の中でずっと燻っていた。

…そんな彼女と再会したのは、4月末のことだった。

「あら、お久しぶりね。」

…その姿に僕は、思わず息を飲んだ。

彼女は、醜い全裸を晒していた晩秋の姿とは、まったく異なる姿に生まれ変わっていた。

淡いピンク色の衣装を纏い、僕だけではなく、そばを通る人たち皆が、驚嘆の声を上げていた。

「何と美しい…。」「綺麗ね…。」

彼女の名は、「さくら」。


来春も弘前公園に行くと、冬期間の剪定を経て、美しい花を誇らしげに身に纏う「彼女」たちと出会うことができます。

春が来るのが待ち遠しい。

国際標準化機構、「恥ずかしさ」の国際規格策定に本格着手

【11月20日20時00分配信】

(一部地域では記事が重複します。)
国際標準化機構(ISO)は、スイスのジュネーブにある本部で定例の委員会を開催し、「恥ずかしさ」の国際的な標準となる国際規格の策定に向けた検討を始めることを決定した。

ISOではこれまでも、フィルムの感度や環境マネジメントなど、さまざまな国際標準を定めてきた。
一方で、人間の感性や感触に踏み込んだ国際標準は、痛みの標準単位となる「ハナゲ(hanage)」、その場が凍り付くような発言の後の静けさの標準単位「カエレ(kaere)」、快楽の標準単位「アハン(ahan)」などが国際基準として適当か議論されたが、いずれも策定までには至らず、今回も最終的な合意形成までに及ぶかは不透明だ。

「恥ずかしさ」の単位については14年前にも一度、策定に向けた検討が行われている。
当時は、見知らぬ人の前でおイナリさんを露出してしまったときの恥ずかしさを「1ポロイナリ」とする国際規格を検討、補助単位としてブルマー着用時にパンツがはみ出してしまったときの「ハミパン」の策定も検討されたが、委員の間から「単位が大きすぎる」との声が上がったほか、異論を唱えた国連女性の地位委員会から「ハミチチ」が対案として提出され、更なる対抗基準として、当時世間のお父さんの間で密かに人気を博していた「ドキッ!女性たらけの水泳大会」でのお約束シーン「ポロチクビ」を推す声が上がるなど議論は迷走、結局「イナリ」と「チチ」の溝が埋まらぬまま委員会は紛糾、規格の策定が見送られた経緯がある。

ISOの関係者は「インターネットの普及や情報化社会の急激な発展により、社会情勢は日々大きく変化している。時代に合った国際社会からの要請に応えるのが、我々の責務だ」と、再度検討が決まった新たな国際規格の策定に自信を見せる。

また、委員の一人は「近日中に幾つかの基準案が委員会に示されることになるだろう」と、既に具体的な検討に着手するという見通しを示す。今後は「恥ずかしさ」の基準をどこに置くかが焦点となるが、当紙が独自に入手した情報によると、水着のインナーと誤って母親の下着を持参した時、鍵をかけ忘れた和式トイレのドアを開けられた時、公衆の面前でクシャミをした際に一緒に放屁してしまった時、それぞれの「恥ずかしさ」の度合いについて分析を行うことが検討されている模様。しかし、この他にも複数の規格案が候補として取りざたされており、委員会での調整は難航を極めそうだ。

定例記者会見で羽田官房長官は、閉め忘れた自分の社会の窓に気づかぬまま「恥を忘れつつある全世界の人間にとって、羞恥心を今一度見直す良いきっかけとなる」と、前面の恥ずかしい姿を気にすることもなく全面的な支持を表明。委員会の動向を見守る姿勢を強調しながらも、国際規格の早期策定に期待感をにじませた。

【青森中央学院大学特別公開講座】『自治体の広聴広報戦略を考える』~SNSが拓く未来の自治~

行政側から住民に対して発信される情報は、ここ最近かなり内容が変わってきている気がする。いや、内容は変わっていないのかも知れないけれど、文字ばかり羅列されたいかにも事務的で機械的な情報発信から、画像やデザインにも凝った、視覚に訴えるような情報発信。
これまでの紙媒体のみによるものから、動画やSNSの活用といったものまで手を広げるようになり、発信媒体も多種多様化している。

そんな中、市のWebサイトをFacebookページへと移行してしまった佐賀県武雄市。図書館の管理運営をレンタル大手の「TSUTAYA」に任せ、中にスターバックスまで設置してしまったという奇抜な「市立図書館」を持ったことでも有名。同じ行政機関の間からは「一目置かれた自治体」として注目を浴び続けている。

そんな武雄市では、何と市役所の組織として「つながる部 フェイスブック・シティ課」なるセクションを設置している。どこまでが真面目で、どこからが不真面目なのかはわからないが、当の本人たちは至極マジメに取り組んでいるらしい。

そのフェイスブック・シティ課を取り仕切る課長の山田恭輔さんが、ご縁あって青森中央学院大学において特別公開講座を行うというので、これまたFacebook上でのひょんなことがきっかけで約20年ぶりに再会することとなった、同じ行政職の新採用研修を受けた同志、平川市役所の齊藤さんに誘われ、青森中央学院大学まで出掛けた。
僕自身、これまで業務としての広聴や広報に一度も携わったことはないけれど、例えばこうやってブログなんかを利用して(大して中身のない)情報発信をするに当たっても参考になるんじゃないか、なんてことを思ったからだ。(←この時点で本来の開催趣旨からずれています。)

以下、Facebookのイベントページより抜粋。

開催日時:11月16日(土) 15:00~18:00
開催場所:青森中央学院大学 712教室
対象  :一般(地方議員、自治体職員等) 100名程度

開催趣旨:
行政と住民とのコミュニケーション手法として注目されているのが、ツイッターやフェイスブックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービズ)です。
佐賀県の武雄市では、市のホームページを全面的にフェイスブックに移行し、市民との双方向のコミュニケーションを行うほか、フェイスブック上に「FB良品」という通信販売サイトを市が自ら立ち上げ、市内の事業者の特産品などの販売を応援しています。そうした武雄市のSNSを活用した全国最先端の実践の中心的な役割を担う「つながる部フェイスブック・シテイ課」の山田恭輔課長に青森にいらしていただき、その取り組みを紹介してもらうとともに、青森県内の自治体でのその応用の可能性を考えていきます。

≪基調講演≫
『フェイスブックが未来の自治を拓く ~武雄市つながる部フェイスブック・シテイ課の実践~』
山田 恭輔 武雄市つながる部フェイスブック・シテイ課長
1968年佐賀県江北町生まれ。1991年九州大学卒業。
1992年佐賀県庁入庁。在職中、早稲田大学大学院公共経営研究科
で学び、2006年修了。2008年衆議院議員逢坂誠二
(元ニセコ町長)秘書。2009年武雄市入庁、現在に至る。

≪パネルディスカッション≫
『自治体の広聴広報戦略を考える』
パネリスト
宮下 順一郎 むつ市長
五十嵐 雅幸 弘前市財務部長 (前広聴広報課長)
山田 恭輔 武雄市つながる部フェイスブック・シテイ課長
コーディネーター
佐藤 淳 青森中央学院大学経営法学部 専任講師

会場となる712教室の扉を開けると、各地において行政に携わる方々はもちろん、地方議員の方々、そして一般の方まで多種多様な顔ぶれが集まっていた。

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今回の講演を開催する場を設けた青森中央学院大学経営法学部の佐藤淳専任講師から、今日の講師を務める山田さんの簡単な略歴が紹介された後、いよいよ講演が始まった。
以下、残したメモとともに、備忘録として。

○「つかみ」が、凄い。

冒頭、聴講者の緊張を解き、場を和ませるアイスブレイクは、聴講者の「うさうさ」脳診断。
身体を動かし、頭を動かし、笑いを取る。まさにツカミが完璧。「うさうさ」脳診断は以前テレビで観たことがあったけれど、実際やってみると、これだけで一気に話に引き込まれる。
ちなみに私、「うう脳でした」。

○「講演内容」も、凄い。

たった1時間なのに、広聴広報だけではなく、「カイゼン」にも繋がりそうな重要なキーワードがたくさん。

ネーミングを変えるだけの情報発信が、インパクトを与える(→注目が集まる)
情報発信の一方通行から、キャッチボールへ
公私一体(公私混同ではない)
失敗を隠さず公表する→失敗したことは責められても、公表したことを責められることはない。
漫然と情報発信することではなく、そのボリュームが大事
(投稿数、投稿の時間帯など、いわば戦略的な情報発信ということか)
できない理由を考えるのではなく、どうすればできるかを考える。
・それはできないという「思い込み」
・それはしてはいけないという「思い違い」
・それをしたくないという「思い上がり」

まちづくりを支える3つの「シップ」
・リーダーシップ
・フォロワーシップ
・メンバーシップ
→これらがお互いに補完し合う。

そして、「まじめにふざけて仕事する」
この言葉が、ガツンと胸に響きました。

○講演の「資料」が、更に凄い。

約1時間でのスライド数が100枚以上!
行政にありがちな、作成した者の満足度しか高めることのできない、文字ばかりが羅列したプレゼン資料ではなく、脳と視覚を刺激するインパクトのある資料。文字のみだったり、画像のみだったり。あの内容では、強烈なインパクトとして残るので、当日コピーして配付する必要がない(これも行政にありがちな意味のないプロジェクターへの投影。紙に印刷するんだったら投影する必要ないのに、とか思ったり。)
→これだけでも、何となく話を聞いている、聞かされているのではなく、文字通り聴講しようという姿勢に変わる。

…といった感じで、1時間の講演プラス30分間の質疑応答なのに、凄く濃厚なお話を伺うことができた。文字通りあっという間の内容。

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講演慣れしている、という言い方は失礼かも知れないが、山田さんのソフトで滑らかな語り口を聞いていて、いつも歯切れが悪く噛みまくりの僕は、是非とも山田さんにあやかりたいと思ったのであった。
諸般の事情で後半のパネルディスカッションの前に退席したが、パネルディスカッションも盛り上がりを見せたとか。

「まじめにふざけて仕事する」。
これって多分、オンタイムもオフタイムも同じことを求められているのかな、と思ったり。その切り替えが上手くできる人間って、絶対懐が深い人物だと思うんです。

…でも、これがまたできそうで、なかなかできないんですよね。僕ももう少しまともな発信ができるよう、頑張ります。…あ、違うか。

市街地の中の「限界集落」

隣に住む一人暮らしの男性が、亡くなった。80歳と聞いて驚いた。とても80歳には見えないぐらいピンとしていて、若々しさがあるオジさんだった。

今年の夏頃にガンが見つかり、抗がん剤投与を始めたと聞いていた。「酒もタバコもとっくの昔にやめたのに。」と嘆いていたという。外に出ては庭いじりや色んなことをしていたオジさん。昔はいかにも頑固親父といった感じで、口を利くのも憚られるぐらい、他人を寄せ付けないオーラを発していた。まるで社交性がなく、見かけてもほとんど挨拶すら交わすこともなかったそのオジさんが僕に声を掛けてくるようになったのは、僕の父が亡くなってしばらくしてからのことだった。

冬になると、自宅前の広い駐車場の敷地(車4台を駐車することができるため、お隣の蕎麦屋に貸していた)を一人で雪かきしていたオジさん。

「いやあ、今日も随分積もったなあ!」

寝坊した僕が外に出て雪かきを始めると、必ず声を掛けてくれたオジさん。
時には、うちの敷地の一部まで雪かきしてくれていたこともあり、平日の早朝に除雪車が去った後、家の前に残された雪をどける際に、せめてものお礼とばかりに、オジさんの敷地の前に置かれた雪をちょっとだけ寄せていた。

今年の春、まだ雪が残っていた頃のこと。

「ちょっと、入ってお茶でも飲んでイガネガ。さあさあ…」

道路端の駐車スペースの雪を片付けていた僕に、オジさんが突然声を掛けてきた。
これまで、幾度となく母が「隣のオジさんに声掛けられて、お茶を何杯も飲んできた…。」と苦笑いしていたことがあったが、まさか僕が声を掛けられるとは思わなかった。

独り暮らしの寂しさということもあったのだろう、招かれるがままにオジさんの家に上がり込み、湯飲みから溢れんばかりに注がれたお茶と大胆にカットされた羊羹、そして自宅裏で採れたブドウで作ったというジュースをごちそうになった。もっとも、ジュースは既にかなり熟成が進んでいて、ワインになりかけていたんだけど…。

ご自身の話、遠方に住む息子さんの話、そしてお孫さんの話…オジさんの話は尽きなかった。多分、僕が「そろそろ…」と言わなければ、オジさんはずっと語り続けていただろう。それだけ人恋しく、誰かと会話をしたかっただけなのかも知れないが、なぜ僕を招き入れたのかは、結局聞くことができなかった。

季節は過ぎ、秋頃から、夜になってもオジさんの家の明かりが消えたままの日が多くなった。
母がオジさんから直接聞いたところでは「数日間検査入院していた」「抗がん剤の治療をしていた」と、体調が思わしくなかったようだ。

あれほど庭いじりが好きだったオジさんの姿をあまり見かけなくなり、たまにこちらから「こんにちは」と声を掛けても、後ろを向いたまま「ああ、どうも…。」と、こちらを避けるようになったオジさん。

先週金曜日(8日)のあたりから、またオジさんの家の明かりが消えた。
そしてその明かりは、二度とつくことはなかった。

…遠方に住む息子さんとともに、無言の帰宅をするまでは。

オジさんは、自宅でひっそりと息を引き取っていた。
いわゆる、孤独死だった。

「抗がん剤の治療に来るはずの患者さんが姿を見せない」という一報が病院から関係機関に寄せられ、オジさんの家には救急や警察の車両などが駆けつけたそうだ。

僕がオジさんの自宅に明かりが灯っていないと気づいた金曜日から5日後、水曜日昼前の出来事だった。

うちでは「また電気ついてないね。入院したのかな。」という話になったが、何となくイヤな予感がしていた。
あの几帳面なオジさんの家の風除室に、無造作に長靴が置かれていたことが、妙に気になったのだ。ついでに言えば、何となく誰かがいるような、気配のようなものを感じていたのだ。

なので、水曜日の昼過ぎに、母から訃報を聞いたとき僕は、思わず「やっぱり!」と口走ってしまった。そしてあの時、次の行動を起こせなかった自分を責めた。オジさんが、自宅で亡くなっていたなんて…。
鈍器で頭を殴られた後に鳩尾に打撃を食らったような、そんな激しい心の痛み。

気になったあの時、呼び鈴を押していたら、家の中へ声を掛けていたら、ひょっとしたらオジさんの異変にいち早く気づけたかも知れないのに。 そうしたらオジさんは助かったかも知れないのに…。

…しかしこれまでも、こちらからの好意をやんわりと拒絶し、そして社交的な付き合いを拒み続けてきたオジさんにとって、僕らがオジさんの聖域(自宅)にずけずけと乗り込むことは、オジさんのプライドが絶対に許さなかったことだろう。今更「たられば」の話をしても、キリがないのだ。

実は先週金曜日の頃から、僕はひどく落ち着かなかった。心も体調も万全ではなく、文字通り心身ともにスッキリしない日が続いた。しかし、オジさんが自宅で見つかり、無言の帰宅をした後は、不思議とまた落ち着きを取り戻しつつある。

今思えば、あれはオジさんからのサインだったのかも知れない。

オジさんは今日、息子さん一家の手によって、ひっそりと荼毘に付されたという。
最後までオジさんらしさを貫き通した旅立ちだと思った。

合掌

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…また、町内から一人いなくなった。

ふと、町内を見渡してみる。
お年寄りだけではない。若い人たちもどんどんいなくなっている。
向こう三軒両隣と言われていたのは過去の話、近所同士のコミュニケーションも薄くなり、すっかり町内が高齢化しかけていることに気がつく。少なくともうちの両隣の家は、まさに今、もぬけの殻になろうとしている(実際、うちから信号までの間にある2軒の家は、今、誰も住んでいない)。

ここ10年の間に、我が家を含む近所のほぼ毎戸で誰かが亡くなった。しかし、誰かが引っ越してきた、帰ってきた、という話を聞いたことがない。
幼かった頃に一緒に遊んだ近所の子どもたちは皆いなくなり、そして今後も、恐らくこの町内に戻ってくることはないだろう。つまり、僕が馬齢を重ねていくにつれ、この町内からは確実に人が減っていくのだ。
かつて溜まり場だった駄菓子屋、小売店、文具店、遊び場にあった遊具も、今は昔。
…店は消え、遊ぶところもなくなった。

高齢者ばかりが生活する町。
一時期、地方、とりわけ中山間部に存在する「限界集落」がクローズアップされたことがあったが、それと同じような状況が、今まさに市街地でもひっそりと始まっているのだ。「限界集落」のみならず、急加速する「限界市街地」の拡がり。

高齢者同士が手を取り合い、見回り隊を結成し、お互いの生存を確認し合うという時代。

やがて町内には、主(あるじ)を失い廃墟となった家が増え、荒廃した土地が拡がり、目も向けたくないような光景が広がるかも知れない。恐らく、久しぶりに自分の生まれ故郷(町内)を見た人たちは皆、きっとビックリするはずだ。
…既に始まっている地方でのドーナッツ化現象が、ごくごく身近な範囲で起こり始めていることに気づいたら、何か背筋がゾッとするような思いがした。

冬将軍、トラブルを謝罪 「降雪機の老朽化が原因」

【11月13日12時00分配信】

11月11日から続いた強い冬型の気圧配置の影響で、季節外れの寒波に襲われた北日本。青森市では12日午後9時現在で積雪が38センチに達し、この季節としては32年ぶりとなる大雪に見舞われた。

11月11日の天気図

13日午後からは寒気が抜け、冬型は次第に緩む見込みとなっているが、市街地では慢性的な渋滞の発生や交通機関が乱れるなど、市民生活に大きな影響を与えている。予期せぬ雪かきに追われた住民の間からは「いくら何でも早すぎる」といった不満の声や「これでは今年の冬を乗り切る自信がない」といった悲鳴の声が上がるなど、冬将軍への批判が相次いだ。

これを受けて急遽ロシアから冬将軍が来日、同日午前11時から羽田空港において、強い冬型の気圧配置に関する緊急記者会見を開いた。

会見場に姿を現した将軍は冒頭、今回の強い冬型の気圧配置により各地の市民生活に大きな支障を与えたことを陳謝した。また、今回の季節外れの寒波が降雪機の不具合によってもたらされたものであるが、降雪機の老朽化がそもそもの原因であることを明らかにした。

一方で、降雪機の運転から修理までを将軍一人で行うなど、降雪機のずさんな管理の実態も明らかになった。

将軍によると、11月初旬に今季の降雪機の設定を行った際、前年の降雪量を入力するプログラムに不具合が発生し、今月の降雪量の水準が、今年1月の降雪量を基準とする設定から切り替わらなくなっていたという。しかし将軍は、1月と11月の誤りに気づかず試運転を開始し、冬型の気圧配置が強まったことに気づいたのは11日の夕方になってからだったという。

現在はプログラムの不具合を応急処置したため、徐々に冬型の気圧配置は弱まっているが、除雪機は既に32年にわたって世界各地に降雪をもたらしており、耐用年数を大幅に経過していることから、「いつ故障してもおかしくない」状態だったという。

会見で将軍は、みぞれのような大粒の涙を流しながら「32年前に購入した降雪機も既に耐用年数を大幅に経過しているが、なかなか新たな降雪機を購入できないのが実情」と釈明。「今回の突然の寒波で、北日本の皆様に多大なるご心配とご迷惑をおかけしたことを改めてお詫びしたい」と陳謝した。

また、「32年前の強い冬型はどのように発生したのか」という記者からの質問に対しては「当時はまだ機械の操作に不慣れだったため、冬型のプログラムの設定を誤った」と、人為的ミスがあったことを正式に認めた。

しかしその一方で「地球温暖化によって猛暑にばかり注目が集まるようになり、冬将軍としての意地を見せつけたかった」などと強気の発言も。自らの辞任については「毎年、冬らしい冬を送り続けるのが私の使命。今後各国の関係機関とも相談しながら、降雪機の更新も念頭に、適切な冬の管理と運営に努めたい」と早期辞任を否定するとともに、今年も例年どおりの冬がやってくることを暗に示した格好となった。

記者からは、今冬の雪の見通しや今後の去就などに関する質問が相次いだが、将軍は突如荒れ始め、「寒い!その質問、寒すぎる!」などと暴言を繰り返したため、急遽会見は打ち切りとなった。

その後も将軍は大荒れ、突然本紙記者に「お前、三大将軍を知っているか?」と逆質問、記者が戸惑いを隠せずにいると「いいか、俺様と北の将軍様、そして将軍KYワカマツだ!ガッテム!」と意味不明なことを言い放ち、カメラのレンズも凍り付くような氷点下42度以下の冷酷な笑みを浮かべながら、偏西風に乗って会見場を後にした。

この会見について気象庁に問い合わせたところ、「将軍が緊急会見を行うことは一切聞いていなかった。担当者が不在のためコメントできない」と困惑顔だった。

また、国土交通省の関係者は「日本のみならず世界全体に大きな影響を及ぼす重要な地位であり、それだけの重責も担っている。降雪機のトラブルのみを理由にするのはいかがなものか」と将軍の会見に冷ややかな反応。降雪機の更新については「それだけの予算を確保するメドすらも立っていないし、そもそも日本だけに雪を降らせているわけではないのに。どこの将軍も傍若無人な振る舞いは今に始まったことではない」と呆れた様子だった。

-このニュースはフィクションです。