月別アーカイブ: 2014年5月

「日々是好日 津軽富士」の裏話

5月14日。青森県内で発刊されている「東奥日報」夕刊。
「日々是好日 津軽富士」という月1回の連載企画の第2回目に、僕の顔写真入りの記事が掲載された。

7年前から始めているランニングと、これに岩木山のことを絡めたエピソードが掲載された、というものだ。

まず一つお断りしておかなければならないことがある。皆さんからメールやお電話などをいただき、僕自身が反響の大きさに非常に驚いているところであるが、あの記事は、僕が執筆したものではない。
取材に応じた僕の口述を、そのまま記者の方に拾って頂いただけの話であるので、ご了解頂きたい。

4月28日。
それは、「弘前公園ランニングクラブ」のFacebookページに、東奥日報のK記者の方からメッセージが届いていることに気づいたことから始まった。

すぐに代表のTさんに、Facebookページにメッセージが届いていることについて、確認依頼のメッセージを送ったところ、この件に関しては僕とOさんで対応して欲しいということになり、ひとまず僕が窓口となってK記者に連絡をすることとなった。

K記者に対し、とりあえずこの件に関する仮の窓口が私になりました、みたいなメッセージを送信すると、程なくK記者から電話で連絡があった。

「日々是好日 津軽富士」という月1回の連載記事を掲載していること、来月は「弘前公園と岩木山」をテーマにすること、記事は5月14日に掲載予定であること、そして、その内容に関して弘前公園ランニングクラブの方からお話しを伺いたい、とのこと。

具体的には、ランニングを始めたきっかけ、走っている時に何を考えているか、走っている時の岩木山はどんな風に見えているか、岩木山とランニングにまつわるエピソードなどを伺い、それを記事としてまとめたい、というものだった。

しかし電話でお話を聞いていくうちに、一つ大きな問題が発生。
取材はクラブの方どなたか1名にお願いしたい、というのだ。

はて、これはちょっと困った。
クラブの宣伝も兼ねて何人かで座談するのかと思ったら、ライフヒストリーにも似たお話を伺いたい、ということなのだ。

再度T代表、Oさん、そしてSさんも含め協議したところ、せっかくだから記者の方に実際の練習風景を見に来てもらった方がいいのではないか、という意見もあったが、結局「じゃあ、後はよろしくね」とあっさり僕が取材を受けることが決まってしまった。

しかしながら、すぐにゴールデンウィーク突入のため、取材日は極めて限られている。

ズルズルと先延ばしするのもどうかと思い、K記者に連絡を取り、30日夕方から取材に応じる約束をしてしまった。

何も準備するものはいらない、エピソードだけ教えて欲しい、その中でまた色々なお話が聞けるかも知れないし、とのこと。
さて、何を話そうか、と思っていたが、話すならば「あの事」しかないな、と腹を括った。

30日夕方、待ち合わせ場所となった職場近くの喫茶店に向かうと、既にK記者が席を暖めていた。

挨拶もそこそこに、ICレコーダーが目の前に置かれ、取材が始まった。
なるべく記事にまとめやすいよう、質問には丁寧に答えたつもりだった。しかし、時が進むにつれ色んなことを話しているうちに、自ら触れてはならないタブーに触れてしまったというか、「パンドラの箱」を開けてしまったような気分に苛まれていた。

…なぜ僕は走り始めるようになったのだろう。
…なぜ岩木山のことをしょっちゅう気にするようになったのだろう。
…なぜ僕は、今も走っているのだろう。

結局のところ僕が今も走り続けているのは、大なり小なり「あの事」、つまり父を失ったことが影響していたということを再認識することとなった。
そう、だからこそアップルマラソンをフルマラソン初挑戦の場にしたのだ。(詳細は過去の記事「42歳の、初経験」を参照頂きたい。)

記者からの質問に、何か自己分析でもしているような気分になりながら、なるべくわかりやすく、記事にまとめやすいようにお話しをさせて頂いた、つもりだ。

取材時間は約1時間30分。幾つかどうしてもお話ししておきたかったことを言い忘れたような気がしたが、とりあえず「弘前公園ランニングクラブ」のことは多少は宣伝できたはずだ。

あ、そうそう。なぜ「弘前公園ランニングクラブ」に声を掛けて頂いたのですか?
逆にK記者に質問してみた。

「実は私、4月26日早朝に弘前公園を訪れて、岩木山の写真を撮影したのですが(その時の写真が記事に使われている)、その際に弘前公園の周りをジョギングされている方をたくさん見かけまして。ピンク色のTシャツを着て走っている方もおられました。調べてみたらそれがどうやら「弘前公園ランニングクラブ」の方だということがわかり、弘前公園の周りを走ることや、走っている時に岩木山がどう見えるかについて聞いてみよう、と思って取材をお願いしたのです。」

そうですか。今日はありがとうございました。

「こちらこそ素敵なお話しを聞かせて頂き、ありがとうございました。あ、そうそう。写真写真…」

その場でバシャバシャと顔写真を撮られる。これも新聞に掲載されるという。最初は構えていたが、徐々に表情が和らいだようで、記者からOKを頂いた。

取材を終えた後の清々しさは、なんだろう。
どうやら僕が触れたのはタブーでもなく、「パンドラの箱」を開けたわけでもなかったようだ。
あまり触れたくない、他人に触れて欲しくない過去から逃げていただけだったらしい。

K記者との別れ際、僕の目はなぜかちょっとだけ潤んでいた。

12日。再びK記者から取材した内容について確認のメッセージが送信されてきた。
幾つか修正をしなければならない箇所があり、それをお伝えすると、程なくゲラ(原稿)が仕上がったとPDFが送信されてきた。

電車の中で、送信されたゲラを読む。
岩木山の写真の横に、「天国の父重ねて走る」という大きな文字が掲載されている。
僕にしては珍しく笑った顔が採用されていた。

内容を一読して驚いた。
僕が伝えたいと思っていた内容が、自分で話した言葉のまま、こちらの思った通りの順番、構成で記事となっていたのだ。
そのゲラを、電車の中で何度も何度も読み返す。
そう、僕は自分の中でこのことを反芻し、そして、誰かにこのことを伝えたかったんだ。
色んな思いが胸に去来し、電車の中なのに落涙しそうになる。

自分のことなのに、とてもいい記事だと思った。

ただし家族には、13日の晩になって「明日の夕刊に名前が載るかも知れない」とだけ伝えた。具体的な内容は伏せたにせよ、父とのことをまたほじくり返したことで、家族の反感を買うのではないかという気持ちがあったからだ。

14日は、朝から上京しなければならない用事があった。
自宅に戻るのは21時過ぎなので、家族は既に夕刊に目を通した後だろうし、きっと誰かが記事に気づいて電話を掛けてくるはずだ。

東京での会議を終えた16時頃、Facebookの僕のタイムライン上に、代表のTさんが夕刊の記事を投稿してくれた。そこから、波を打ったように立て続けに同じ記事の写真が投稿され(結局4人の方がタグ付け、投稿等をして下さいました。ありがとうございました。)、メールやらメッセージやらコメントやらが続々と寄せられた。

帰りの新幹線の中で投稿された記事に目を凝らす。
ゲラの段階から多少手直しが入っていたが、ほぼそのままの内容だった。

21時40分過ぎ、帰宅。
家の人たちの反応をそっと窺うが、何もない。
敢えてこちらからも何も言わなかった。
家族なんだから多分何も言わずともわかりあえることもある。
家族なんだから、これでいいと思った。

しかし、後日妹や母から聞いた話では、やはりそれなりに電話があったらしい。
中には、「お前だから書けた内容だ。」と絶賛する人もいたそうだ。(まあ、僕が書いたわけではないのだけど。)
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(こんなお葉書を下さったのは、某S先生。ありがとうございます。)

今年の9月、父の七回忌を迎える。
まだ4か月も先の話だが、ちょっとだけいい報告ができたかも知れない。

「オトン、これでもいいべ。」

-父の遺影が、ニグラニグラと笑っているように見えた。

20140514

4年ぶりの東京出張(ただし日帰り)

只今、新青森から弘前に向かう奥羽本線の普通電車の中にいます。
今日の出張の顛末、往路の模様をまとめました。
——
お国からの召集で急遽決まった出張。
日程だけが示されたまま、何のための召集なのか全く伝わって来ないため、半ギレでお国に「どうなってるんですか!」と楯突いたところ、翌日になって慌てて開催通知と会議資料が送られてきた。

所詮その程度の会議なのだろうと腹を括ったが、実のところそんなに暇ではなく、昔ならば何となく「楽しみ」ですらあった出張が、その日が近づくにつれ日に日に面倒くさく感じるようになった。
14日朝、普段通りに起床し、いつも通りに出勤の支度を進める。
普段と違うことといえば、今日の通勤が青森駅までではなく一つ手前の新青森駅での乗り換えを伴うこと、電車の乗車時間が40分ではなく3時間40分だということだろうか。

いつもより早めに家を出ることができたので、予定していた電車より1本早い電車に乗車することにした。

久しぶりの上京なのだから、少しだけ東京の様子を見てみたいし、とか思ったり。(本当は昼食に並ぶのが嫌なので、早めに東京駅に着いてさっさと昼食を済ませてしまおう、という魂胆だった。)

以下、Facebookの投稿を時系列に。

おはようございました。
4年ぶりの東京出張がこんなに面倒くさく感じるとは思いませんでした。
唯一の楽しみは、昼ご飯どうするかなあ…ぐらいですかね。

今日の夕方、私事でちょっとだけ周囲をお騒がせするかも知れませんが、恐らくその頃、当の本人は青森県内におりませんのでご了承くださいませ。

では、行ってきます。

これが今日最初の投稿で、次の投稿が新幹線乗車直後。

久しぶりに幅の広い座席です(新幹線の3列シートの真ん中B席は、A,C席よりちょっと幅が広いのです。)
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窓側も通路側も満席。どうやら最後の1,2席だったらしく、確かにかなり乗車率が高かった。こりゃ運がいいぞ…。

しかし。そんなうまく事が進むはずもなく、出発直後にハプニング発生。

無糖のコーヒーだと思い込んで飲んだコーヒーが微糖だった時の口の中の気持ち悪さは、何にも代えがたい。なう

そして盛岡駅から送り込まれた刺客。

そしてお約束とばかり隣に座った貴婦人から漂う香りがあまりにも高貴過ぎて、庶民の僕の鼻をねじ曲げている。なう

もうこうなると次に何が起こるのかが半分楽しみで、車内で惰眠を貪るのがもったいなくなる。
やがて新幹線は仙台駅に到着。

高貴な香りの貴婦人は仙台駅で下車しました。
続いての刺客は、自分の席を見つけられない、タバコと仁丹の臭いが入り交じったジイさんです。
しかし、なぜ彼らはいつも、電車の行き先と到着時刻が書かれたグシャグシャの手書きメモを持っているのだう…。

初めて乗った「はやぶさ」。確かこの辺りは時速300キロで走行しているはずだけと、隣の老人がポケットから出し入れしては眺める、手書きの汚いメモ書きが気になって仕方がなく…。
いよいよヤバいと思い、こんなお願いをしてはみたものの…。

新幹線の三列シートのB席ながら、A席横のコンセントを拝借。
しばらく会議資料に集中するので、話しかけないでください(笑)

どうやらネタ振りと思われたらしく、全く相手にされぬまま東京駅に到着。
せめて昼飯だけはちゃんと食べようと、在京の同級生から情報をゲットし、東京駅地下のラーメンストリートでタンメンを求めて。

友達から情報を仕入れ、早めの昼食。野菜を食いたい気分だったので、ちょうどよかった。
Eくん、サンキュー!

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でも、せっかく久しぶりに東京駅に来たんだし、あそこも見たいじゃないですか。

青森県から来た田舎者です。
あ、弘前って知ってますか。
「ヒロマエ」でねっすよ、「ヒロサキ」です。

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といった感じで、久しぶりの東京をちょっとだけ堪能させていただいた次第。

あ、会議の内容?
すいません、正直呼ばれてまで会議を開くような内容じゃなかったです(爆)。

ちなみに帰りの新幹線では、これ以外に350缶一本とハイサワー空けました。ごめんなさい。

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八戸の海は、青かった。 - 八戸うみねこマラソン

初めてエントリーした「八戸うみねこマラソン全国大会」。
全国大会を名乗るだけあって、県内だけではなく県外(遠くは長崎県)からの参加者も多いと聞いた。
僕が所属している弘前公園RCでは、同日に仙台市で開催される「仙台国際ハーフマラソン」にエントリーしている人も多く、どちらの大会に出場するか頭を悩ませる人も多いらしい。
僕は、昨年諸般の事情でエントリーできなかった八戸市の大会にエントリーすることを結構早い段階から決めていて、これを「GW3連戦」を締めくくる最後のレースにしようと決めていた。

結果的に20名以上のメンバーが八戸の大会にエントリーしたので、(昨年に引き続き)バスをチャーターし、まとまって会場に向かうことになった。

5月11日早朝5時。弘前市役所前には6名のメンバーが集まっていた。程なく大型バスが到着し、荷物を抱えてバスに乗り込む。
この先、弘前駅前、郊外のショッピングセンター、そして道の駅ひろさきにて他のメンバーをピックアップして、東北道~八戸道経由で八戸市を目指す。

いわば、「大人の遠足」みたいなものだ。

こちらから乗車予定だったメンバー全員が揃い、バスは高速道へと進む。車内は、思った以上に静かだ。そりゃそうだ、恐らく早朝4時前後に起床して、八戸に向かう準備や荷物の最終確認をしていたはず、眠気が襲ってこないワケがない。

…気がつくと僕も、1時間ぐらいうたた寝をしていたようだ。

7時過ぎに八戸道から一般道へ。本八戸駅で最後のメンバー(急遽東京から夜行バスで駆けつけたYSD氏)をピックアップして、一路会場へ向かう。

予想どおり渋滞に巻き込まれ、しかも大型バスを貸し切って会場入りするのは我々ぐらいだったようで、駐車場の整理に当たっていた方たちもどこに駐車スペースを確保するか腐心されたようだ。(係員のご配慮に感謝します。ありがとうございました。)

結局8時過ぎに無事会場入り、ゼッケンナンバーやTシャツの他、協賛企業からのお土産(ちくわやウィンナーなど、食料品が多かったのは嬉しかった!)を受け取り、各自がスタートに向けた準備に取りかかる。

ハーフマラソンのスタートは10時。9時を過ぎた頃には、北西から穏やかな風が吹いているが、日差しがジリジリと照りつけている。恐らく既に20度近くあるのではないだろうか。昨年はヤマセの影響もあってか、寒くて仕方がなかった、ということだったが、今日は一転して暑さとの戦いになりそうだ。

近くにある建物に、同期のM氏と一緒にトイレを借りに行く。
建物から出た時、僕らが着ているTシャツを見て、見ず知らずのおばさん2人が声を掛けてきた。

「弘前の方ですよね?いつも皆さんから元気を頂いております。ありがとうございます!」
「とんでもないです。こちらこそありがとうございます。」

…はて、誰だっけ?…いや、知らない方々だ。
このTシャツを着ているだけで弘前の人だとわかった。恐らく弘前公園RCのFacebookページでもご覧になっているのだろう。
知らず知らずのうちに知名度が高くなっていたことに、ちょっと驚きを隠せなかった。

9時30分頃に各自がバスを後にして、おもむろにスタート地点を目指す。
どれぐらいの人がエントリーしているのかはわからないが、目標タイム別での区分けもなく、かなり緩い感じでスタート地点に人が集まっている。ただ、5日前に走った花巻ハーフマラソンとは人の数が圧倒的に違う。

連戦による疲労感はそれほどでもなかったが、右足首の辺りにちょっと違和感があるような、ないような。
…ま、毎回走り始めるとそれも忘れてしまうので、気にしないようにしよう。

10時号砲。走り始めと同時に、暑さを感じる。給水をしっかり抑えないと、脱水症状に陥ることも懸念される。

入りの1キロは4分29秒。決して速くない人たちも相当数前に並んでいたため、思ったよりペースは上がっていないが、いきなり飛ばしてしまうよりは、この方がよかったのかも知れない。
事前に聞いた話では、5キロぐらいまでは漁港内の道を右へ左へ迷路のように走り回り、八戸市水産科学館マリエントを過ぎた6キロ付近でループ状の坂を一気に駆け上がると、その後海岸線に出た後は、折り返しまで結構アップダウンが続くらしい。しかしそれよりも、折り返して戻ってきた後の15キロ辺りからゴールまで続く、平坦な漁港内の道路が、相当堪えるらしい。

3キロ通過。13分40秒ぐらいだった。この辺りまではほとんど団子状態でランナーが走っており、前のランナーを追い越すために右へ左へ進路を変えなければならず、無駄に距離を稼いでいることにちょっと憤りを感じていた。

やがて正面にうみねこの生息地である蕪島が見えてくると、最初の給水所があった。
確か給水ポイントが5か所しかないため、しっかり給水しないといけない、そのことばかり考えていたのだが、何せ給水に慣れていない人たち(恐らくレース経験が少ない人たち)もたくさん走っていたため、ペースダウンを余儀なくされる。何とかコップを手にしたものの、自分の思い通りに給水ができたのは、結局1か所だけだった。

…やがてマリエントが右手に見え始める。スタッフと思しき人たちが、何やら大声で選手に声援を送っているが、あまり耳に入ってこない。
この時点でキロ何分のペースで走っているか、ほとんど意識していなかった。ラップを刻む音が時計から聞こえても、時計には目もくれず、淡々と前に脚を運ぶ。ループ状の坂を上りきると、再び上り坂が待ち受ける。この二つの坂で脚に来た人も少なからずいたようだ。

鮫角灯台を通り過ぎると、左手に海岸線が見えてくる。この一帯は昨年5月、三陸復興国立公園に指定された地域だ。
7キロ過ぎの2か所目の給水所。たまたま前を走っていた大柄な男性が、紙コップを掴んだ途端、ピタリと脚を止めた。
そのまま通り過ぎるとばかり思っていたので、思いきり後ろからぶつかりそうになり、思わず声を荒げてしまった。
紙コップを片手に追い抜いた背後から「す、すいません。」と声が聞こえた。

…いかんいかん。もっと心に余裕を持って走らないと。

聞いていたとおり細かなアップダウンが続いているが、約17年ぶりに見た海岸線の美しさに見とれながら走っていたので、さほど気にはならなかった。

久慈へ向かう八戸線の列車が駆け抜けていく。列車は数回汽笛を鳴らし、車内からはたくさんの人が我々に向かって手を振っている。何だかその光景が微笑ましくもあり、嬉しくもあり…。

やがて9キロ付近で、結局この日女子ハーフマラソンの部で7位入賞を果たしたB嬢に追いつき、並走しながら二言三言会話を交わす。ふと時計に目をやると、4分30秒のペースで走っている。
お互いの健闘を誓いながら、B嬢の前に出た。更にその前には、YSD氏の姿が。実はスタート時点からYSD氏の背中は見えていたのだが、9キロを過ぎた辺りからその背中が徐々に大きくなっていることを確信した。

「ああ、多分追いつくな…。」

白バイに先導されたトップの選手とすれ違い、しばらくすると同じ「No Apple,No Life」のシャツを着たメンバー数名ともすれ違う。言葉を交わすこともなく、互いにサムアップ。

やがて折り返し地点が近づく。この手前でYSD氏の背後にピタリとついた。折り返すと、仲間たちが続々とやってくる。無言のままサムアップを続ける。

程なく現れた第3給水所では、YSD氏の前を走っていたランナーが給水にもたつき、YSD氏もそれに巻き込まれた。
まただ…と思いつつ、スッとYSD氏の前に出た。

しかしここでのペースアップはせず、アップダウンの流れに身を任せる。向かい風が追い風に変わり、今度は右手に太平洋の青い海原が広がっている。岩に打ち付ける波しぶきが実に豪快だ。

この間、何人かの人に追い抜かれたのは覚えているが、何人を追い抜いたかはわからない。折り返し後の復路に入ってから僕を追い抜いたのは10名前後しかいなかったはずだ。

今日のレースは最低でもイーブン、あわよくばネガティヴスプリット、そして、ゴール前で心折れずにしっかりペースアップをすること。これを目標にしていたが、今のところ順調に走れている気がする。暑いことに変わりはないが、喉の渇きもないし、脚の痛みも気にならない。

再びループ状の坂を下ったところから、いよいよペースアップを開始。
…ところが程なく、後発の10キロマラソンの折り返し地点で、10キロを走る人たちの波に揉まれることとなった。ペースアップしようにも、まるでスタート地点を彷彿させるぐらいの人、人、人で、思うようにペースが上がらないのがわかる。(実際、上げかけたペースがまた元に戻っていたようだ。)
しかしこの時点でどれぐらいのタイムで走っているのかは、全くわからなかったし、知ろうとも思わなかった。むしろ、時計を意識することで変に緊張するのを避けたかったのだ。

結局、スタート時と同じく右へ左へと進路を変えなければならなくなり、またしても距離もタイムもロスをしていることにイライラが募る。更に、急に路面が荒れている臨港道路(これがまたホントに酷い凸凹だった)に差し掛かった時に、右足底に水ぶくれができていることを確信、急に足裏から痛みがジンジンと伝わってくる。

それでも何とかモチベーションだけは維持したまま、ひたすら走り続ける。
モチベーションを維持できているのは、周囲を走る10キロマラソンの人たちを追い抜いているということ。そして、その中に紛れているA,Bから始まるゼッケンナンバーの人たち(ハーフマラソンを走る人たち)を追い抜いているということ。

僕を追い抜いていく人は、一人もいなくなった。あとは前を走っている人たちをひたすら抜いて抜いて抜きまくる。
気分はすっかり高速ランナーだった。(前述のとおり実際はほとんどペースが上がっていなかったのだけど。)

ようやくスタート地点のゲートが見えてきた。しかしゴールはそこから更に向こうにある。
沿道で応援する人の数が急に増えているのがわかる。道幅も一気に広くなり、ようやく雑踏を抜け出した、そんな気分になる。
この辺りを走っている10キロランナー(恐らく記録よりも完走を目指している方の方が多かったのではないだろうか)を、難なくひょいひょいと抜き去る。それがまた、妙に気持ちいいのだ。
左手前方に、一緒にバスに乗ってきたSさんが「マカナエさん、ラストラスト!」と叫ぶ姿を確認。Sさんも同じハーフを走っていたが、相当前を走っていたので、きっと入賞なんかしちゃったんではないだろうか…。
そんなことを思いながら左手を軽く上げ、いよいよラストスパート。
ゴールラインが見える。
右側にはタイムを示す電光掲示板が見え、ここでようやく95分台でゴールすることがわかった。

1時間35分29秒。

5日前の花巻ハーフマラソンで出したPBには1分20秒及ばなかったが、この暑さの中でよく心折れずに走り切りました!と、自分を称える。(いや、誰もいなかったんです。称えてくれる人が。笑)
そもそもこのレースではPBを出すことを目標としていなかったので、むしろこれだけのタイムでゴールできたことに驚きすら覚えた。

スタートからしばらく続いた団子状態、給水所でのトラブル、そして16キロ付近からしばらく続いた平坦な道での雑踏…。タイムが伸びなかったことを言い訳するための要素はたくさんあるが、なによりも、GW3連戦と銘打って出た4/29山田記念、5/6花巻ハーフ、そして今回と、いずれも36分台、34分台、35分台とコンスタントにタイムをまとめたこと、いずれのレースもネガティヴスプリットで走れたことは、ちょっと自信になったかも知れない。しかも後半の2レースは、2年前に初めてハーフマラソンを走った時のPBを越えている。

まあ、何度も言ってますけどね、僕の目標はハーフマラソンで記録を伸ばすことじゃなくて、昨年より進化することなので。

…ということで5月の大会はこれでおしまい。
次回は6月8日、五所川原市の「走れメロスマラソン」です!

(この後も喜怒哀楽色んなことのあった「大人の遠足」ですが、珍道中の内容は割愛します。許してケロ。)

20140511八戸うみねこ

#1403 - 第2回イーハトーブ花巻ハーフマラソン

昨年9月、第1回大会が行われた岩手県花巻市の「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」。
わずか8か月というインターバルを経て、今年は5月6日、よりによってゴールデンウィークの最終日に開催された。
花巻市で開催されるマラソン大会といえば、10月に「イーハトーブレディース駅伝」という女性限定の大会があるのだが、それとは一線を画した大会ということになる。

花巻市は、父の一番下の妹(つまり叔母)が嫁いだ先であり、忘れることのできない父とのエピソードがある街。その花巻市で行われる大会ならば、是非とも一度走ってみたい、いや、走らなければならないという妙な使命感に駆られ、エントリー開始早々に申込みをした。

今年の目標は、過去の自分より進化を遂げること。
僕にとって「走る」という行為は、健康診断の数値を改善することを目的とした手段の一つだった。
しかし今となっては、その目的が違う数値の改善(タイムの更新)という方向になりつつあることを否定するつもりはない。(まあ、結果として健康診断の数値も改善されているということでヨシとしよう。)

ただ、その「走る」という行為を継続する中で(気づいたら6年以上走り続けている)、大会に出ても結果に進化が見られず頭打ちになっていることに、何となく目標を見失いつつあるのかな、と考えるようになったのだ。

4月29日には大館市の「山田記念ロードレース」(ハーフマラソン)、そして1週間空けてこの「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」(ハーフマラソン)、更に5日後(5月11日)には八戸市の「うみねこマラソン」(ハーフマラソン)と3連戦が続く。
ここ数年は春のオーバーワークが祟って怪我をするということが続いていただけに、さすがにムリはできないと思いつつ、一昨年の10月、「弘前白神アップルマラソン」で初めてハーフマラソンを走った際に記録した1時間36分12秒、この記録を更新できぬままダラダラと大会に出続けることに対する疑問というのが、ふつふつと沸き起こっていたのも事実だった。

その中で、花巻市で行われる大会にエントリーする機会を得た時点で、僕は一つの明確な目標を定めた。

「この大会で、自己ベスト(PB)を更新する。」

昨年4月、僕が各地で行われているマラソン大会で、ハーフマラソンに出場していることを知り、誰よりも驚きを隠さなかった叔母。
僕の運動音痴っぷりを知っているだけに、趣味の延長でチンタラ走っていると思ったようだ。
その叔母に僕の走りを見てもらう、いわば叔母を見返す絶好の機会だとも考えた。

山田記念ロードレースは2014年の初戦なので、自分の現状、走力を確認する。その上で、花巻ハーフでPBを狙う(八戸は状況次第ということで…笑)。こんなことを考えるようになった。
目標は、最低でも96分を切ること。願わくば95分を切ること。
その過程で僕は突然顎髭を伸ばしはじめ、PB更新するまでこの髭を剃らない、と決めた。

PB更新=髭を剃る。僕の中ではPBを更新する!と宣言するより、髭を剃る!と宣言した方が、少しは気が楽になるかな、と思っただけのことだった。(この髭がまた全く不評だったけれど。)

5月5日。先に届いていたゼッケンナンバー「#1403」を鞄に忍ばせ、いざ、花巻へ向かった。
盛岡までの高速バスのチケットを購入した時、ふとチケットの番号を見ると「3401」。何の因果か偶然か、ゼッケンナンバーと配列の異なる同じ数字が並んでいた。

ヨーデル号チケット
(右に記載された発券の整理番号が「3401」)

はて、これは何かの暗示なのかな…。
バスに乗りながら数字の並べ替えを始めてみる。
1043…3014…4013…0143…。
ん?0134!?…01時間34分!

よし、明日は思い切って94分台を狙ってみよう!実にくだらないこじつけではあるが、そんな数字の巡り合わせに宿命のような感覚を覚えた。

…盛岡到着後、迎えに来てくれた叔母夫婦の車に同乗し、一路花巻へ。
「コースの下見、しておいた方がいいんじゃない?」
そう言ってくれた叔母の厚意に甘え、ハーフマラソンのコースを下見。(実際レースが始まった後、下見しておいて本当によかったと思いました…。)

その日は叔母夫婦との談笑もそこそこに、翌朝の準備を済ませ、22時前に就寝。

花巻ハーフゼッケンナンバー
(#1403はどうやら、ハーフマラソン40代の部で3番目に早いエントリーだったらしい。)

5月6日レース当日。
夜に降った小雨は晴れ上がり、幾分冷たい風が吹いている。天気はまずまず良さそうな感じだ。
8時15分頃、叔父の車でスタート地点である日居城野陸上競技場に到着。

花巻ハーフ出走前
(実はかなり緊張しています。)

何とも例えようのない妙な緊張感に苛まれつつ、ウォーミングアップを兼ねてトラックを半周したあたりで、同じ弘前公園RCのNさんとSさんに声を掛けられた。

僕はもちろん、NさんもSさんも今日のレースに向けた目標タイムを持っている。
あとはそれに向けて、ひたすら走り続けるしかない。
誰に勝つ、負けるじゃなく、ここでのライバルは自分自身なのだ。
走っている時は孤独だ。でも、こうやって仲間がいる、決して独りじゃないという安心感が、さっきまでの緊張感を一気に和らげた。

8時50分、いよいよ号砲が鳴らされ、ハーフマラソンにエントリーした750人ほどのランナーが陸上競技場を飛び出した。
頭の中に思い描いていたのは、ここ最近の常套作戦である、前半抑えて後半ペースアップのイメージ。
特に7キロを過ぎた辺りから10キロ過ぎの折り返し、そして14キロまでは何ともイヤらしい起伏が続くので、ひたすら脚を温存しつつ我慢をするという作戦。そして、13.5キロ付近の給水を過ぎた後の下りでペースを上げ、そのまま一気呵成に直線を駆け抜けるという作戦。

…入りの1キロが4分20秒。ちょっと想定していたよりも速いが、それほど苦しさは感じない。既に他のメンバー二人は、僕の遙か先を走っている。しかし、ここで無理にスピードを上げず、中盤の起伏を考え、若干ペースを抑えた。
この日は予想以上に北西からの風が強く、日差しが強い割には気温がそれほど上昇していなかった。
結果、3キロから折り返しまでの往路はずっと向かい風となり、かなり苦戦を強いられることとなった。

3キロからダラダラと続いた直線も、7キロ付近で右折。いよいよここから細かいアップダウンが続く。

程なく現れた第3給水所。
この日、某団体のボランティアに駆り出された叔母の姿をロックオン。明らかに僕がやってくるのを待ち構えている表情だ。
走りながら「おい!」と声を掛け、叔母が手に持つスポーツドリンクをしっかりと受け取った。背後から「頑張ってー!」という叔母の声が聞こえた。

これで充分。もう、これだけでもこの大会に出た目的を果たした。
そう思いながら歩を進める。前を走る他のメンバーの足取りも全く衰えない。
10キロ過ぎの折り返し。Sさん、そしてNさんと擦れ違う。若干ではあるが差が縮まっていたようだ。
そして、13キロ付近でSさんの背中に追いついた。

折り返した後の第5給水所に、再び叔母の姿を発見。
他の方から水を受け取り、叔母とハイタッチ。
「余裕なんじゃない~?」と笑顔で声を掛けてくる。いや、正直言って余裕なんてまるでない。

しかしここから何かスイッチが入ったように一気にペースを上げ、Sさんの横に並ぶ(実は給水所で叔母が僕に掛けた声を聞いて、前を走っていたSさんが僕が背後についていたことに気づいたらしい)。
14キロの交差点を左折すると、再びほぼ平坦(実際は緩い下りになっているようだ)な道が続く。1キロを4分10秒前後でしばらく走り続ける。先方にNさんの背中が見えるが、なかなか追いつけない。

16キロ付近で時計を確認。1時間10分を越えていた。頭の中で逆算を始める。残り6キロをキロ4分半のペースで走ると、27分。1時間37分になる。しかしそんなうまく足運びが進むわけがない。
…ということは、全然間に合わないじゃないか!!なぜだ!!!

…実はここで大きな勘違いをしていたことにお気づきの方もおられるだろう。
16キロ過ぎなので、残りは5キロ。僕はこれを残り6キロだと思い込んで一生懸命逆算していたのだ。

勘違いに気づいていない僕は、もはや夢潰えたかのような気分。しかしながら、ここで脚を止めるわけにはいかない。

18キロ付近の最後の給水所。ボランティアの高校生たちが手に手に紙コップを持って、ランナーに手渡そうとしている。スポーツドリンクのブースで「いらない」の意思表示をして、水のブースで一人の男子高校生を指さし、しっかりと紙コップを受け取る。左折すれば、もうすぐゴールが近づいてくる。

しかしここで再び向かい風が僕の走りを遮る。

とにかくここでのペースダウンを最小限に食い止めないと、95分どころか100分すらも危ういかも知れない(この時点でスタートから何分経過したのかは、わからなかったというか、時計を見る自信がなくなっていた)。

残り2キロの表示が見える。あと2キロもあるのかと思うと、心が折れそうになる。
「…そう、そうやって最後は自分自身に妥協して手を抜いて、あとで後悔するんだよな。」
脳と心が小声で囁いてくる。

いや、今日は絶対折れない。自分の進化を自分自身に見せつけてやる!
20キロ地点でNさんが僕の存在に気づいたらしく、ペースを上げたのがわかった。僕も必死にそれに食らいつこうとするが、どうやら余力僅かだったようで、まるでペースが上がらず、Nさんの背中が遠くなっていく。

ゴール地点の陸上競技場が見えてきた。今どれぐらいのタイムなんだろう?自分が身につけていた時計のことも忘れ、必死にゴールゲートを目指す。先行していたNさんがゴールする姿が見える。

「…最後ぐらいは笑ってゴールしようよ。」
脳と心が再び囁く。必死の形相の中に自然と笑みがこぼれ、両手が上に伸びる。

遂にゴール!
と同時に、ハッと自分の時計に目をやる。
1時間34分12秒で、一時停止ボタンに指がかかった。

ここで自分が誤った計算をしていたことに初めて気がついた。何とも言えぬ苦笑いを浮かべながら思わずガッツポーズ。PBを2分更新して、目標クリア!!(正式タイムは1時間34分08秒。)
何と、バスの車内でぼんやりと考えていた「#1403」の並び替えが、これでピッタリとはまった。

立ちはだかる95分の壁に何度も何度も押し返されたが、初めてハーフマラソンを走ってから、2年越しでようやくその壁を越えた。

花巻ハーフゴール後
(やっと髭を剃れるという安堵の表情です。)

たかが2分、されど2分。
10キロメートルでタイムを1分縮めるということは、1キロメートルで6秒縮めるということ。100メートルで0.6秒縮めることがどれだけ大変なことかおわかりであれば、この2分という差がどれだけの重みを持つか、ご理解頂けるだろうか…。

前半抑えて後半上げる展開、前回のレースに続いて今回もこれを実践できたことが大きかった。
しかも、先週よりペースを上げても、何とか持ちこたえられた。
ただ、風の影響があったとはいえ、後半のムラのある走りは、まだまだ改善の余地ありといったところだろうか。
次のレースも4日後に控えているが、この大会に的を絞っていた手前、今はちょっと次のレースでどうのこうの、という展開が頭に浮かんでこない。
まあ、せめてコンスタントに95分を切れるような脚を作りたいんだけど、当面の目標はそこではないので…。

ということで、遠くから応援して下さった皆さんに心から感謝申し上げます。
そして、レースの間僕を引っ張ってくれた弘前公園RCのNさんとSさん、本当にありがとうございました!

20140506花巻ハーフ
(風の影響が結構あったとはいえ、このムラを何とかしないと…。)