日別アーカイブ: 2009-06-19

太宰治 生誕100年の日


きょう太宰生誕100年 輝き今も
(東奥日報)

太宰治が金木村(当時。現・五所川原市)に生まれてから、19日で100年を迎えた。版を重ねて読み継がれる作品は、時に底なしの苦悩の告白として、またはユーモアあふれる筋立てにより、多くの人々に、生きる力を得るための手かがりを与えてきた。節目を記念した行事は引きも切らず、青森県が生んだ文豪に注がれる人々のまなざしは熱い。

19日の生誕祭は、生家・斜陽館のある五所川原市で開かれ、新たに制作された銅像が披露される。太宰が後半生を過ごした東京・三鷹市の禅林寺では、同じく生誕100年を迎えた盟友・今官一(弘前市出身)が命名した桜桃忌が行われる。

20日以降も青森県内では、記念フォーラムや「太宰治検定」、走れメロスマラソンなど多彩なイベントが続く。20日から県内上映開始の「斜陽」をはじめ、「ヴィヨンの妻」「パンドラの匣」「人間失格」と、節目とはいえ4作品も映画が公開される作家は、おいそれとはいない。太宰は日本を代表する作家の一人であり、青森県の大きな「財産」である。

今日は太宰治が生まれてちょうど100年の節目の日である。
太宰治といえば、ご存じの通り女たらしで何度も心中に失敗したあげく、39歳という若さで入水自殺により亡くなった。決して褒められるような生き様とは言い難いが、彼の遺した文学は、今もなお色褪せることなく読み継がれている。

僕が太宰治の作品に触れたのは中高生の頃のみだったと記憶している。
どうも斜に構えたというか、(僕もそうだけれど)天の邪鬼な視線で物事を見ているというか、そういうのがあまり好きになれないのだ。

ただ、太宰はわずか3年しか弘前に居なかったのに、意外と弘前びいきである。「津軽」では、以下のような記述があり、太宰が弘前を賞賛する一端が伺える。

太宰に言わせると弘前市は「津軽人の魂の拠りどころ」なのだそうだ。まあこれは、津軽地方が北は竜飛岬から南は碇ヶ関まで幅広いエリアであることを考えると、異を唱える人は多いような気がする。少なくとも津軽人にとっては、自分が生まれ育った地こそが、津軽の中心だと考える人が多い。
ただ、「青森市を特にきらつてゐるわけではない」が、「青森県の県庁を、弘前市ではなく青森市に持つて行かざるを得なかつたところに、青森県の不幸があつたとさへ私は思つてゐる」と言わしめるあたり、弘前市への思い入れの強さが伺える。

弘前には「どこを捜してもみつからぬ特異の見事な伝統がある筈」だというが、どうやらそれは、太宰亡き今となっても見つかっていないようだ。

太宰生誕100年という節目に、僕の年齢も太宰が命を絶った年代と重なってきた。そういう彼の生き様にも何となく同調できないところがあって、今まで何となく避けて来た太宰文学だが、確かPDAの中に電子書籍としていくつか作品が残っていたはずだ。
今はどういう風に響いてくるのか、久しぶりに作品に触れてみようと思う。