8月14日に、弘前市の「津軽弘前屋台村かだれ横丁」にて、「We Love Hirosaki 同窓会~弘前に仲間を作ろう~」というイベントが行われました。私も参加してきましたので、1週間空きましたが、遅ればせながら簡単にレポートしたいと思います。
まずは地元紙の掲載記事から。
東奥日報
陸奥新報
当初は、高校の同期の連中に「帰省する人がいるなら、ちょっと飲もうかな?」と声かけしたところ、8名の面々(ただし、県外からの帰省者は1名のみ)から賛同の意思がありました。
当初は15日に開催する予定だったのですが、諸般の事情で14日開催としたところ、これまた同期の関係者から連絡が入り、前述の企画に参加してくれないか、と言われたのがきっかけでした。
正直、こういう小さな飲み会を企画すると参加してくれるいつもの同じ顔ぶれが多数を占めていましたので、ちょっと志向や空気を変えるという意味ではいいかも、と思い気軽にOK。ところが、開催主旨などを確認しているうちに、これはちょっと早まったかな…と思ってしまった、というのが実のところでした。
とはいえ「やっぱりやめます」と後に引くわけにも行かず、結局そのまま当日を迎え、午後6時前に会場に足を運んだところ、既に何名かの同期の面々が顔を揃えていました。
この日はこの企画に、県外在住者が3名、弘前市在住者と勤務者(他県から転勤してきた方を含む)が15名の計18名が参加しましたが、このうち我々同期の面々が10名いたことを今だから明かしましょう。
(一人足りませんが、10人集まったのはホントです。)
ちなみにこの企画は、7月に東京の四谷三丁目にある「りんごの花」というところで、首都圏在住で20代から30代を中心とした弘前市出身者が多数集まり、地元の話や思い出話に花を咲かせ、非常に盛り上がったという伏線があり、今度は弘前で「同窓会」をやろう!というものでした。
今回集まったのは20代から40代と年齢層が若干幅広くなりました。…というか、我々が平均年齢を高くしていたことは否めないわけでして、ハイ…。
確か「ワゲモノ」の集まりだったハズなのに、オッサンオバサンが占拠して申し訳ありません…。
いや、何せ当初は同期の面々で飲む、という話だったのが、趣旨が変わったことを当日になって知った、というメンバーが大半だったため、どこかよそよそしくもあり、ぎこちなくもありました。でも、弘前に対する大なり小なりの思いを抱くメンバーが集まるべくして集まった、といってもよかったのではないでしょうか。
進行を務めるNさんからのご指名で急遽ワタクシが乾杯の音頭を取らなければならなくなりましたが、まあ、これもこの会のためと思い、一応それなりに丁寧な挨拶をした、つもり。
参加者全員の自己紹介の後で、談笑が始まり、たまたま隣の席に居合わせた中学時代の同期生と会話を交わすのですが、どこかぎこちない。そりゃそうだ、約30年ぶりに会ってみると、当時の面影も感じられないし、「知らないヨソの兄ちゃん」ぐらいにしか見えなかったんだから…(今思えばちょっと申し訳ないことをしたな、と)。
宴が進むと、どうしたら弘前の移住定住が進むか、ということで、「弘前の良いところについて語ろう」という座談会がスタート。
僕は挨拶や自己紹介をしましたので何か意見を述べるといったお鉢が回ることもなく、皆さんの意見をジョッキ片手に色々聞いていたのですが、聞いているうちに、何か「違和感」というか「奥歯に物の挟まったような感じ」を覚えてしまいました。
その感覚が何だったのかを、これから明らかにしようと思います。
まず、主催者側が思うところと我々同期生の思うところのミスマッチがあったとともに、我々の開催主旨に対するミスリードがあったかも知れません。主旨を伝えぬまま、同期のみんなに「会場変更」だけを伝えて参加してしまったことについて、関係各位に対し、この場を借りてお詫びします。
そして今回のイベント、初対面の人も多かった一方で、我々同期の面々が半数以上を占めていました。特にそのオッサン連中に「この場で腹を割って本心を語る」という空気が流れていなかったのは事実でしょう。(まあ、いきなりということもあってこれは致し方ないのかも知れませんが。)
他方、他の参加者の方々(特に県外から弘前にやって来た方)も、居合わせた参加者の心証を悪くしたくないという思いがあったのか、当たり障りのないこと、つまり本音とまでは行かない話に終始したように思えました。これが、一番の違和感というか居心地の悪さでした。
県外から仕事でやってきた人が、弘前の良さを聞かれて「ねぷたがあったり、さくらが綺麗だったり…。」
…うん、それって誰でも知ってると思うんだ。でも、それを聞いて弘前に「行ってみようかな」とは思っても、「住んでみようかな」とは多分思いが及ばないワケで。
「じゃあ弘前に来るに当たって逆に不安だったことは?」という問いには「店が夜まで空いているのか、遊ぶところがあるのか…。」
そう、まさにこれですよね。若い人ならなおさら、こういう部分がクリアにならないと、移住定住しようなんて考えないんじゃないでしょうか。
例えば一度も青森にやって来たことがない人が、「青森勤務を命ずる」と辞令が下ったときに、どう感じるか。
…多分「嗚呼、俺って左遷されたのかな。」と思ってしまうのではないでしょうか。
もっともワタクシ、その「左遷の地」で44年間生活していますので、全然そんなことはないと思っているんですけどね。
で、話が進む間に疑問点をポンポンとFacebookにぶつけてみたわけです。
まずは1発目、同期会のFacebookページに投下した疑問。
「一平会(同期会の名称)に顔を出すって、敷居が高いんですかね?地元民だけで楽しんでいるつもりはないんですが…。」
これ、参加者が少なかったことを嘆いているのではなく、半ば自嘲的な投稿。
その中にあった返信のコメントが的を射ていました。
「(敷居は)高くないが、久々に出るのは緊張感あるんでないの?」
なるほど確かに卒業して四半世紀過ぎて、いきなり「やあ久しぶり!」と顔を出すことにはちょっと抵抗があるのかも。もっとも、25歳の頃から始まったこの会、かれこれ20年が経つわけで、卒業してからだと四半世紀以上顔を合わせていない面々も多数いるからなあ…。
そして、この伏線にあるのが何だろうかと飲みながらずっと考えていて、その約1時間30分後に、対象者限定で投下した二つ目の疑問と感想。
「今日飲みながら思ったこと。
地元に帰りたいと思う人も躊躇するぐらい、弘前そのものの敷居が高い。
自尊心、アシフパリ、モツケの精神がその敷居を下げない。
多分、地元愛を強調すればするほど、地元を離れた人たちは近づくのが辛いんじゃないかな。
酔っ払いの戯言でした。」
どうやら相当危うい投稿に見えたようでして、数名の方からコメントではなくメッセージまで頂く始末。
まあ、あのイベントに参加している間は、あくまで「一般ピープル」としてその場にいたつもりなので、本音をぶつけた方がいいかなとか思った次第。何せほら、所詮は酔っ払いの戯言ですから。
そしてこれが多分、僕が感じた居心地の悪さ、違和感だったんだろうと。
この日、主催者の方々は本当に一生懸命でした。Mさん然り、市役所の関係者然り。だからこそ、集客に悩んだりどう盛り上げようかといろいろ苦心されている、その顔には出さない痛みが、何か見ていて辛くなってきまして…。参加者がなかなか集まらなかったのも事実だったようですが、それは「敷居が高い」とかそういうことじゃなくて、「その場に行くことが緊張する。」というか「見ず知らずの人達と飲みながらちょっと真面目な話をする」ことに、少なからぬ抵抗を覚えたからなのではないか、と。
そして、実は地元の方たちが「弘前愛」を強調すればするほど、地元以外の方々、特に弘前を一度離れた人にしてみれば、「自分だってこんなに弘前が好きなのに…。」という自尊心を傷付けられているんじゃないかって、ふと思ったわけです。
地元を盛り上げるために現在も、色んな取組や活動がされています。(まあ、私もその活動に参画している一人なのかも知れません。)
他方、地元の外にいる出身者からすると、そのことが地元に貢献できていないという罪悪感、というかそこに参画できないことへの疎外感、そんなものを生み出している、ということはないでしょうか。そして、そのことが逆に地元への足を遠くさせている、なんてことに…。
同期会の話にちょっと振り子を戻すと、ほとんど地元開催の同期会を、2度ほど東京で開催したことがあるのですが、曜日に関わらず在京のメンバーが時間を割いて集まってくれて、とても盛り上がりました。この時ばかりは皆さん「津軽弁」で会話。3年間一度も同じクラスになったことのない面々ですら、旧知の友のように普通に会話が弾み、まるでそこだけが高校時代に戻ったような不思議な空間でした。
でも恐らく、彼らの中で今後弘前市はもとより青森県にUターン、移住する人は相当少ないんだと思います。(その後、一人だけ青森県内に戻ってきましたが。)
我々の年代になると「年老いた親を地元に残している」という現実問題がのしかかってきます。
もちろんそういったことも一つの契機となるのかも知れませんが、改めて望郷の念を抱き始めている同期の輩が増え始めていることも感じています。
しかし、そのハードルとして重くのしかかるのが、
(1)今の生活水準を落としてまで弘前市や青森県に住むメリットはあるか。
(2)そもそも生活基盤を構築するため、働くところがあるのか。
(3)生活していく上で、「リアルな人との繋がり」はあるか。
という点ではなかろうか、と。
人口減少社会の到来は、少なくとも青森県においては既に始まっているのが現状です。間もなく、青森県の人口が130万人を切る日がやってくることでしょう。
青森県内の人口減少をどのようにして食い止めるかは、切実な問題となりつつあります。県内への移住や定住促進も、その問題を少しでも長引かせる(解決することは、日本全体の人口減少が始まっている中、海外からの移住を推進しない限りは無理でしょう)ためのツールの一つ。青森県での「田舎(地方)暮らし」を推進するためにも、他にはない「優位性」をアピールする必要がありますが、その「優位性」は、「青森県」というだけで抱かれてしまうネガティヴな印象、強いて言うならば「劣位性」を遥かに越えるものでなければなりません。しかしながら、その他にはない「優位性」が何なのかを、まだ見いだせていないのが現状なんだと思います。(実際その「優位性」が何なのかは、ワタクシにもわかりません。)
もっとも、移住定住UターンIターンJターンは、あくまで個人の問題。たまに見かけますが、その場しのぎではないにせよ、一時金やら何やら(例えば移住奨励金とか住居の無償貸与)を誘い水にすることだけは、本気でそういうことを考えている方々の新しい門出に当たり、麻薬をぶち込むようなものなので、これは絶対に止めた方がいいと思った次第です。
話があちこち飛んですいませんが、最後に。
今回の企画では、参加者からアンケートを募っていました。東京でも同じアンケートを募っていたのかな?にしても、そこから何かを分析するには多分母体数が少な過ぎると思います。例えば、各校が地元や県外で開催する同窓会で、全く同じアンケートを集めてみるとか…それだけでも世代別の傾向はある程度得られるわけですし、何か今後のヒントが得られるのではないかと、個人的には思ったところです。
あ、そうそう。久しぶりにこの会で「いもくじ」やりました。出たのは「子」でしたが、メクテアッタヨ!