月別アーカイブ: 2008年9月

ついさっきの出来事


職場から青森駅まで歩いて向かう途中、信号待ちをしていたら隣にやたらとデカい男が並んだ。
浴衣姿の珍奇なその男は、何と高見盛だった!!

話しかけようとしたら、先に気付いたオバちゃんが「高見盛さんですよね?」と言いたげにヤツの方を凝視しているのに、何と無視しやがった。
大した成績も残していないのにふてぶてしい態度!!

端で見てガッカリだよ。あれじゃ相撲ファンも嫌気が差すだろうに。


無題


今朝、中学からの幼馴染みでもあり、いつもの飲み仲間でもあるFのご母堂が58歳の若さで亡くなったことを知った。
先日、我が家で父が亡くなった時に、いの一番に駆けつけてくれたのが、このFだった。
Fとは中学~大学までずっと同窓だったのだが、同じクラスになったことは一度もなく、また、中学・高校時代も特に仲が良かった訳ではなかった。
彼と急接近したのは大学の合格発表の日で、僕が合格発表で自分の番号を掲示板に確認してから帰路に就こうとした時に、Fとバッタリ出くわし、半ば強引に腕を掴まれて再び掲示板の前に立ったのだが、彼の番号がなかった、といういわく付きのエピソードから始まっている。
1年の浪人生活を経た彼と、再び合格発表の日にキャンパスで再会、またしても腕を掴まれ掲示板を見に行ったら、何と番号がなかった…ということがあった。
結局その後、彼は補欠合格という形で大学入学を果たしたのだが、お祝いの電話を入れると、お母さんが「ごめんなさいね。ホントに。これからもよろしくね。」と泣きそうな声で訴えてきた事が、未だ記憶に残っている。
その後、バイト先で彼と再び一緒になり、それはそれは深い付き合いが本格的に始まったのだった。

あれから早いもので20年近くの月日が流れた。お互い紆余曲折を経て、彼は2児の父親となった。
何かにつけてケンカを繰り返すF親子は同居別居を繰り返していたのだが、お母様と直接お目に掛かる機会は年に1度あるかないかだった。お母様と最後に会話を交わしたのは、彼の実家に電話したらお母様が出て「Fは今、奥さんの実家で生活しているんですよ…。」と寂しく語っていた時だっただろうか。
お母様の体調不良を機にF一家は再び実家での同居を始めるのだが、ここ数年は本当に体調が思わしくなかったらしく、先日Fが弔問に来た時に、お母様が長期にわたり入院していることを知った。

あれから約3週間。
まさかお別れの日がこんなに早くやってくるとは思いもせず、愕然としている。

ついこの間の飲みの席では「そろそろ喪主になるヤツも出てくるのかなぁ。」なんて笑い飛ばしていたが、それが現実となり、しかも立て続けに二人となると、もはや笑うどころの話ではなくなった。

こちらもまだ喪中の身であるため、何かとバタバタしていることもあり、直接彼に会って話を聞くことはできていない。彼は僕のために駆けつけてくれたのに、僕は彼のために何もしてやることができず、実に空虚な気持ちが渦巻いている。

今はただ、安らかにお眠り下さい。
合掌


肩の荷が下りたこと、一つ


ここ連日、コメントしづらい投稿ばかりで申し訳ないな、と思いつつ、どうしても一つ一つ気持ちの整理をしていかなければならないため、何とかご容赦願いたい。

大学時代からの畏友で、今も同じ職業に就いているH氏(むつ市在住)も、夕方わざわざ僕の所を訪ねてくれたのだが、僕の顔を見るなり「何と声を掛けていいか浮かんでこない」とのこと。いや、あまり気を遣わないで下さい(笑)。

という訳で今夜も引き続き気持ちの整理。
母と思い出話をしていて意見が一致したことが一つあった。
それは、もう選挙のたびにやきもきしなくてもいい、そして今後、政治に一切関わらなくてもいいということだった。

昨日腰掛けてみた議場での父の椅子は、何かむず痒さを覚えるような、実に座り心地の悪いものだった。敢えて言わせて頂くが、今の弘前市議会から市政を巡る建設的な話は一つでも出ているのだろうか?

僕としても立場上、父がローカル議員であること、政治に携わる人間であることを公言することはどうしても憚らざるを得なかった訳だが、父がいなくなった以上、もはやそれを隠し通す必要もなくなった。
僕の職場でも、父が政治に携わる人間であることをを知っていたのはごく一部の人たちだったのだが、あれだけローカル紙で大々的に取り上げられてしまっては、こちらとしても隠し続けることは無理だった。

確か今まで、父が市議会議員を務めていたことをこのブログで話したことは、ほとんどなかったと記憶しているが、それ以外にも、県議選に出馬して落選したことや、実は市議3期のうち任期を全うしたことが一度もないなど、父を巡る選挙や政治にまつわるエピソードは事欠かない。

出る杭は打たれるというが、父は決して出る杭ではなかった、と思う。
しかし、猪突猛進の性格ゆえ、正義漢を振りかざすと悪者扱いされ、泥仕合に巻き込まれ、足を引っ張られ、叩かれ続けた父の議員生活は、端で見ていて正直、うんざりだった。

という訳で、そういったしがらみから解き放たれただけでも、僕たちにとって大きな肩の荷が一つ下りたといってもいいだろう。

ただ、周囲が何だかんだ言っても、父は政治に携わることにこだわり続け、そして命を賭けていたのだと思う。

ろくに任期も全うできなかった父は、議員としては失格だったかも知れないが、少なくとも僕は、父が最後の最後まで「政治屋」ではなく、「政治家」であることを貫き通したと思っている。

藤田隆司議員は昨日の追悼演説で、「議員がそれぞれ市政発展のために尽力することを誓う。」といった類の言葉を口にしていた。その言葉を信じたい反面、今の状況で本当にそれができるのか、今度はこちらが監視する番だと思っている。