Monthly Archives: 9月 2013

久渡寺こどもの森自転車道の状況がかなり酷かった件

先日、台風18号の影響で弘前市を襲った大雨については、報道でも結構取り上げられていたようだが、とりわけ一部の地域における冠水被害が酷く、リンゴ農家が今年の収穫を諦めざるを得ないような惨状が大きく報じられていた。

ラン仲間であるK子さんが、直後に弘前市の土淵川に沿って設けられた久渡寺こどもの森自転車道をランニングしていたところ、一部区間がかなり酷い状況になっている、ということを呟いていた。

久渡寺こどもの森自転車道と言えば、僕のお気に入りのランニングコースの一つ。自宅からだと折り返し地点である久渡寺駐車場までの約10キロ緩く上り(ただし、最後はかなりきつい上りだが)、帰りは緩く下るという往復約20キロのコース。たまに遭遇する蛇さえいなければ、かなり気持ちよく走れるコースだ。

来週の大会前の最後のジョギングを兼ねて、どれぐらいの状況なのかこの目で確かめたい(ついでに言えば、今月の走行距離を少しでも200キロに近づけたい)と思い、往路は県道新寺町久渡寺線をひたすら上り、帰りは自転車道を通って下るコースを走ってみたのだが、その惨状に閉口するしかなかった。
ちなみに今日の走行ルートはこんな感じ。
20130927

自転車道に入ったのが約8キロ地点。そこから約1キロ進んだあたりで、異変があった。

ちなみにこんな感じでバリケードが置かれているんだけど、これだと通っていいのかダメなのか、よくわからない。
久渡寺こどもの森自転車道

すぐに異変。川の横に設置された柵がなくなり、舗装が根こそぎ剥がれている。
久渡寺こどもの森自転車道

リンゴ畑も、護岸からえぐられている。これは酷い…。

久渡寺こどもの森自転車道

リンゴ畑には大量の土砂。

久渡寺こどもの森自転車道

程なく、川の水量が増していることに気付く。よく見ると、土砂が堆積して川の流れが完全に変わっている。

久渡寺こどもの森自転車道

まだ若いリンゴの木が、根こそぎ持って行かれたらしい…。

久渡寺こどもの森自転車道

更に先に進むと、パワーショベルが一台。そしてその先は、何と山が崩れて完全に道が塞がれていた…。

久渡寺こどもの森自転車道

やむなく来た道を折り返し、迂回した、という次第。

気分が萎えたので、その足でりんご公園に向かったが、結局気分はあまり晴れなかった。
まあ、今月の走行距離があとちょっとで200キロに届かなかった、というのも一つの要因かも知れないけど(ウソ)。

実はこんな場所が弘前市内に点在しているらしく、それを考えると、この間の台風18号の被害がいかに甚大だったか…。しかしこれだと、復旧までにはしばらく時間が掛かりそうな気配。年内、雪の降る前の復旧は無理かもな…。

「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」サザンオールスターズ宮城公演に行ってきました。

無期限活動休止から5年ぶりに復活したサザン。横浜の日産スタジアムで「サザンオールスターズ」の屋号を預かって以来、僕にとって2度目となる、サザン。

日産スタジアムを皮切りに始まった全国5ヶ所の野外スタジアムでの公演の最終日ということもあり、チケットはさぞ争奪戦になるのだろうと思っていたら、意外なほどあっさりと入手することができた。
ただし、これまでと全く異なっていたのが、購入したチケットは、席の番号が記されたチケットではなく「座席引換券」だったこと、そして入場の際には、身分証明書の提示が必要なことだった。おそらく高騰するオークション販売を警戒してのことなのだろう。まあ、それでも出品されていたチケットはあったけれど(ご丁寧に身分証明書付で)。
聞いた話では、初日の横浜スタジアムでは、入場の際の身分確認に混乱を来たし、開演が50分押したとか…。
何より最終公演の宮城スタジアムは、アクセスの悪さで有名な場所。気合を入れていかないと…と、いつになく綿密な計画を立てた。

会場までの交通手段はいくつかある。自家用車で会場の駐車場まで行く方法、各所から出発するシャトルバスを利用する方法、そして、JR利府駅からタクシーを利用する、という方法。
これまで隣接するセキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ21)で、ほかのアーティスト(桑田佳祐個人を含む)の公演を何度か見たことがあるが、ほとんどは、仙台駅東口から出発するシャトルバスを利用した。

ところが今回、仙台駅東口から出発するシャトルバスのチケットが早々に売り切れたため、やむなく地下鉄の泉中央駅から出発するシャトルバスを利用することにした。
実は仙台駅東口発のシャトルバスチケット、あるにはあったのだけど、乗車時間が定められていて、16時から17時までの乗車分しか販売されていなかったのだ。この日の開演時間は17時。しかも、WOWOWで生中継されることを考えても、そんなに時間が押して始まるとは考えにくい。一方で、仙台駅東口を16時台に出発するバスに乗ったとしても、17時までに確実に到着する確信はなかった。むしろ、17時過ぎに到着するほうが確信が持てた。

ということで今回は、多少面倒ではあるけれども、仙台駅から地下鉄で泉中央駅に向かい、そこから約30分で到着するというシャトルバスを利用することにした。
思った以上に早く仙台市内のホテルに到着した妻と僕は、事前にチェックインを済ませ、移動を開始。まだ早いとは思ったが、こういう時の行動は早いに越したことはないと、珍しく妻も早めの行動に賛同してくれた。
仙台駅から15分ほどで泉中央駅に到着。仙台駅前東口は既にバスを待つ長蛇の列ができていたが、こちらはそれほど人影が多いわけではない。ただ、バスの出発場所がわからない。とりあえず明らかにサザンのコンサートに向かうと思しき格好をした人の後ろをついていく。歩道橋を上り、てくてく進んでいくと、同じ方向に向かってたくさんの人が歩いていることに気づく。遠くにはベガルタ仙台のホームスタジアムであるユアテックスタジアムが見える。そしてその眼下には…。

無数の人が列をなしている姿。何だよ、東口で見た光景と変わらないじゃないか…。

とはいえ僕らの持っているチケットは15時台に乗車可能なバスのチケット。時計はまだ14時10分。あの列に並ぶには、あまりにも早すぎる。
近くをぶらつきながら少しだけ時間を潰し、14時30分過ぎにスタジアムへ向かうと…。

先ほど見かけた列はさらに人が増えており、折り返した5重の列が出来上がっていた。
一方、「当日のチケットの販売はない」と聞いていたはずだったが、「立席のみ」の当日券が500円増しで販売されていて、こちらも長蛇の列が出来上がっていた。
前の人が不安そうに聞く。「すいません、14時台のチケットなんですが、もうすぐ15時で間に合わないんですけど。」「ああ、大丈夫です。混雑しておりますので、時間が過ぎても問題ありません。」
後ろで聞いていた僕は思った。この時間は単なる目安に過ぎず、別に15時台のチケットを持って13時台のバスに乗車しても、きっと何も言われないんだろうな、と。

見たところ、圧倒的にチケットを事前購入した列に並ぶ人の数が多く、当日券である立席の列はそれほどではないのだが、進むスピードを見ると、当日券を手にしたほうが進みが速い。最初気のせいかと思ったが、それは気のせいではなく、紛れもない事実だった。

ふと見ると、たくさんの人を乗せたバスの横には、「仙台市営バス」と書かれている。何と泉中央駅からのシャトルバスは、いわゆる路線バスの車両を使っているのだ。列に並んでからちょうど1時間でようやく乗車できたが、座席の数は25名程度。これに対し、立席の乗客は40名近く乗り込んでくる。なるほどこれでは立席の列の進みが速いわけだと納得。

予定では30分程度で会場に到着とのことであったが、会場に近づくにつれ、数少ない前売の駐車券を購入した一般車両や、あてもなく駐車場(空き地)を探す一般車両が増えてきて、入り口手前は大混雑。それでも、45分ほどで無事に会場近くのバス乗降場に到着した。

僕らのチケットには、ゲートが「W」であることが記されている。席は抽選とは言いながら、ある程度の位置は決まっていることになる。ちなみに、スタジアムのゲートは他に「E」と「N」がある。そちらに向かう人の数が圧倒的に多い。しかも「W」ゲートはバスの乗り場から一番遠方にある。先般のサッカー日本代表の国際試合の際に、試合終了後のバス乗り場がシャレにならないほど混雑し、仙台駅東口に24時近くになってようやく到着した人がいたことを聞いており、これはさらに作戦を練らなければならない、と妻と話しながら会場入り口に向かった。

10分ぐらい歩いて、他の会場では50分ぐらい待たされたと聞いていた身分チェックのための入場ゲートの付近にようやく到着。
多少の列はできているが、思ったほどではない。むしろ、会場外に設けられた飲食ブースやトイレに並ぶ列のほうがすごい。既にスタジアム内からは、何が起きているのかわからないが、歓声が聞こえてくる。
入場引換券と身分証明書を手に、列に並ぶ。2分もせずに、係員のチェックがあった。しかし、身分証明書と入場引換券をちゃんと持っていることを確認したぐらいで、例えば身分証明書の写真と同一人物なのかという確認は、ハッキリ言ってほとんど行われなかったといっていいだろう。
パソコンに入場引換券のバーコードを読み込ませ、座席番号が手渡される。

…最初から期待はしていなかったが、想定通り、ステージから最奥部のスタンド席だった。

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やっとのことで座席に着くと、時計のようなリストバンドが座席にガムテープで貼り付けられている。どうやらコンサートの最中に使うものらしい。程なく、テストを行うので、リストバンドのスイッチを入れて欲しいというアナウンスが流れる。スイッチをオンにしておくと、突然光を放ち始めた。赤、白、緑、黄色、青。会場からは一斉に「おお!」という歓声が上がる。

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時計を見ると、開演15分前。しかし、見たところグラウンド(アリーナ)席もスタンド席も、まだ空席が目立つ。こりゃしばらく始まらないな…と腹をくくる。
灼熱とはかけ離れた寒さ。時折吹く秋風が、半袖では耐えられないぐらい冷たい。その間も会場内では、グラウンド席もスタンド席もウェーブが沸き起こっている。
定刻の17時。会場はかなり人で埋まったが、まだ空席が見える。焦ってグラウンド内を走っている人たちが何だか蟻のように見える。

17時10分。だいぶ会場の席が埋まった。会場内は注意喚起のアナウンスが流れる。いよいよ開演が近づいた。自然と手拍子が沸き起こる。
そして、17時15分、いよいよメンバーが姿を現し、会場が大歓声に包まれた。

…あとは、WOWOWで放映されたとおりなので、内容は割愛(笑)。屋号は、無事にお返ししました。

初日となった横浜・日産スタジアムの公演では、1曲目に「海」を演奏したらしいが、2日目以降は「Ya Ya (あの時代を忘れない)」に変わったらしい。アンコール1曲目の「青葉城恋唄」は、もちろん宮城のみでの演奏。
サザンのコンサートは基本的に、大カラオケ大会だと考えて臨んだほうがいい。大概の人は、桑田佳祐の歌に合わせて口ずさんでいる。ちなみに僕の隣の人は、最初からずーっと大声で歌い続けていた。正直僕は、あんたの歌を聞きに来たんじゃないんだ、と辟易していたけれど。

だんだん周囲が闇に包まれていく。空に立ち込めた灰色の雲が、光と音を跳ね返しているようだ。
みんなが知っている曲、オールドファンを唸らせる曲、新旧織り交ぜながら演奏は続く。相変わらずMCは、会場の爆笑を誘う。

「涙の海で抱かれたい ~SEA OF LOVE~」の演奏が終わると、スクリーンには被災地の画像が現れた。陸前高田の一本松。「もう一度あなたに逢いたい」の文字。次の曲が何なのかをすぐに悟った。

画面が消え、一瞬真っ暗闇になったその次の瞬間、会場内にいた観客が腕につけていたリストバンドが、一斉に緑色の光を放った。歓声と感嘆の声が入り混じる中、新曲「蛍」の演奏が始まった。

…ふと、5年前のことを思い出す。横浜の日産スタジアムで観た「最初で最後の」サザンオールスターズ。帰宅すると父が、「どんだったば。(どうだった?)」と珍しく感想を求めてきた。「…ああ、ながながオモフェがったよ。(面白かったよ)」
…父親と息子にはありがちな、気のない会話。

それから約2週間後、父は何も言わず、この世に別れを告げた…。

…感傷に浸る中、隣の客の歌声が相変わらずうるさい。これ見よがしに左耳を覆い、ステージに向ける。あなたの歌は聞きたくないんだというアピールをすると、それに気づいたのか、歌声がぴたりと止んだ。

緑色に光るリストバンドとステージを眺めながら、あの日のこと、5年前のことを思い出していた。思わず僕は、腕のリストバンドを見つめながら、涙を流していた。誰にも悟られまいと思ったが、隣の人にも、妻にもその姿を見られた。隣の人は完全に閉口していた。妻も、涙を流していた。

…サザンオールスターズは復活したが、父が復活することは、もうない。

忸怩たる思いで過ごしたあの頃のことが僕の胸を締め付けてくる。しかし、会場内を埋め尽くした緑色の光を見つめながら、心が少しずつ洗われていくのがわかる。

来てよかった。この会場に来られて、本当によかった。

後にも先にも涙を流したのはこの時だけだった。この後は畳み掛けるような「ハイライト」が続く。こうなれば、閉口した隣の人にもお構いなしで歌えや踊れの大騒ぎ。

アンコールが終わり、花火が打ち上げられる。しかし、スタンドの屋根が邪魔をして、まるで花火が見えない。

煙と火薬の臭いに咽びながら、いち早くスタジアムの外に出ようと、妻の手を握る。
会場出口に向かう人波を掻き分け、一番遠い「W」のゲートからバスの出発場所を目指す。珍しく妻が走る。おそらく500人以上の人たちをごぼう抜きしたのではないだろうか。

それでも、「N」や「E」のゲートから出てきた人たちより早く着けるはずもなく、既にバス乗り場には長蛇の列が出来上がっていた。これぞまさに「W」の悲劇。

思った以上に列はスムーズに流れ、15分程度で例のバスに乗車することができた。座席に座ると、相変わらず立席客は容赦なく詰め込まれる。

泉中央駅までの帰りは、懸念していたほどの渋滞には巻き込まれなかった。むしろ、往路よりはるかに順調だった。きっと地下鉄は大混雑だろう…と思ったが、どうやら泉中央駅周辺に車を停めた人や、この界隈からの観客も多かったらしく、思った以上に地下鉄は空いていた。

15分後、地下鉄仙台駅に到着。バスが会場を出てからちょうど1時間が経過していた。東口に向かう連絡通路の向こうからは、会場で見かけたTシャツやタオルを身に着けた人たちが歩いてくる。どうやら東口にも続々とバスが到着しているらしい。連絡通路を抜けてから、軽く夕食を摂る。軽く…といっても要するにビールを飲みたいがために、軽くなっただけだけれど。

店を出たのが23時頃。依然として東口には、シャトルバスが続々と到着し、疲労の表情を浮かべた観客がひっきりなしに降りてくる。そう考えると、泉中央駅からのシャトルバスは、(多少高くついたが)結果として正しい選択だったのかも知れない。
…この日の模様はちゃんと録画していたので、帰宅後、断片的にではあるが、その模様を鑑賞。結局、同じ場面で涙ぐんでしまった。
この曲、ちょっとヤバいです。しばらく涙腺を刺激されそうです。

サザン、宮城で復活ツアー完走 35万人動員
(ORICON STYLE 2013年09月23日 04時00分配信)

今夏5年ぶりに復活したサザンオールスターズが22日、宮城スタジアムで野外スタジアムツアー最終公演を行い、全国5ヶ所9公演を完走した。ボーカル桑田佳祐にとって宮城公演は、東日本大震災から半年後の2011年9月、闘病後初となる復帰ステージを行ってから3年連続。アンコールでは同所にちなんで「青葉城恋唄」のカバーを披露するなど、全33曲の圧巻のパフォーマンスで5万人を熱狂させた。

一昨年9月の「宮城ライブ」、昨年9月の桑田ソロツアー初日同様、今回はサザンとして、宮城のファンを縁日の雰囲気で「おもてなし」。サザンとともに全国を回ってきた無数の提灯が宮城に戻って会場を灯し、東北各地から集まった35もの出店が並び、大賑わいをみせた。

ライブは名曲「Ya Ya(あの時代を忘れない)」(82年)からスタートし、アンコール最後の「希望の轍」(90年)まで33曲もの新旧ヒット曲を惜しみなく披露。本編終盤で新曲「蛍」(8月発売)の演奏が始まると、先月31日に桑田の故郷、神奈川・茅ヶ崎で行われた公演同様、観客の一人ひとりに配布された遠隔操作で光る「胸熱リストバンド」が一斉に点灯し、幻想的な雰囲気に包まれた。

本編終了後には「このライブツアーのファイナルを祝して『胸熱リストバンド』で一緒に人文字を作りましょう!」との案内がスクリーンに流れた。観客が腕をあげ「サザン」「(ハートマーク)」「東北」の文字と記号がきれいに浮かび上がると、5万人から感嘆の声があがった。

8月10日の横浜・日産スタジアム公演を皮切りにスタートした本ツアーは、全国5ヶ所9公演でトータル35万人を動員。サザンの復活に沸いた“熱い”夏が終わった。

WOWOWでは、本ツアーを凝縮した特番を11月23日午後7時半から放送する。

■サザンオールスターズ SUPER SUMMER LIVE 2013
『灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!』セットリスト
01.Ya Ya (あの時代を忘れない)
02.My Foreplay Music
03.勝手にシンドバッド
04.YOU
05.愛する女性とのすれ違い
06.涙のキッス
07.夏をあきらめて
08.タバコ・ロードにセクシーばあちゃん
09.Moon Light Lover
10.さよならベイビー
11.愛の言霊 ~Spiritual Message~
12.人生の散歩道
13.栄光の男
14.ラチエン通りのシスター
15.NEVER FALL IN LOVE AGAIN
16.神の島遥か国
17.慕情
18.太陽は罪な奴
19.Bye Bye My Love(U are the one)
20.真夏の果実
21.LOVE AFFAIR ~秘密のデート~
22.涙の海で抱かれたい ~SEA OF LOVE~
23.蛍
24.ピースとハイライト
25.マチルダBABY
26.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)
27.みんなのうた
28.マンピーのG★SPOT
【アンコール】
29.青葉城恋唄
30.ロックンロール・スーパーマン ~Rock’n Roll Superman~
31.HOTEL PACIFIC
32.いとしのエリー
33.希望の轍

じいちゃんとの思い出

昭和50年9月。僕があと数か月で5歳の誕生日を迎えようとしていた時に、じいちゃんが亡くなった。じいちゃんが65歳になる1週間前のことだった。

妹はまだ生後9か月。じいちゃんとの思い出は、当たり前のことながら記憶にないという。
第一報を受けた母は妹を背負い、僕の手を引いて弘前市から合川町(現在の北秋田市)に向かった。道中の記憶はあまり定かではないが、確か国鉄鷹ノ巣駅から合川町までタクシーを飛ばしたような記憶がある。そして、じいちゃんの待つ実家に駆けつけ、じいちゃんと対面を果たした母は、ただただ泣き叫んでいたことを覚えている。

じいちゃんとの対面。
冷たくなったじいちゃんは眼鏡を外し、布団に横になっていた。黄疸を発症したらしく、顔が黄色みを帯びていた。
そのことが僕にとっては不思議でならず、興味本位で何度もじいちゃんの顔を見に行こうとしたのだけれど、親戚からやんわりと制されたことをうっすらと記憶している。

棺の蓋を閉める時、母は激しく慟哭し、そして抵抗した。
…そんな、じいちゃんを見送ったときの断片的な記憶は、35年以上経った今も、色濃く僕の脳の中に焼き付いている。

理髪店を営んでいたじいちゃんは手先が器用で、絵が書くのが上手だった。煙草の空き箱で傘を作るのが上手だった。なので、僕の中ではじいちゃんはいつも煙草を吸っていたような記憶があったのだが、母にいわせると「じいちゃんは煙草を吸わなかった」そうなので、僕が誰かの姿とじいちゃんの姿をオーバーラップさせていたらしい。

あ、ちなみに煙草の空き箱で作った傘って、知らないって方はこちらをご参考まで。

デイリーポータルZ

僕はじいちゃんが60歳の時に生まれた、じいちゃんにとって初の男孫。
だから、外孫ではあったけれど、物凄く可愛がられたことを覚えている。
髪の薄かったじいちゃんは、出かける時は決まってベレー帽を被っていた。数少ないじいちゃんと一緒の写真には、ベレー帽姿のじいちゃんがいる。

当時はまだ町もそれなりに栄えていて、お店もたくさんあったのだけど、「何か買ってやる」と連れて行かれた、今で言うショッピングモールのようなところで、おもちゃではなく隣の売場で売られていた「青いももひき」を買ってくれたことは、僕の中で決して消えることのない記憶として残っている(そしてそれは、じいちゃんを知らない妹に対しても強烈な印象を残しているらしい)。
もう一つは、僕のうちの近所に今でもある味噌醤油の醸造店で、コーヒー味のガムを購入し、それを一枚だけこっそりくれたこと。
いつも「いただきます」ではなく「いたまーす」といって御飯を食べ始めていたこと。(どうして「いたます」なの?と聞いたら、「いただきます」だと長いから。と、じいちゃんは答えた。)

たった4年間、それも本当にわずかな時間しか一緒にいられなかったけれど、僕に強烈な印象を残してこの世を去ったじいちゃん。

自分が精神的なバランスをちょっと崩して体調不良になったときに、いわゆる「カミさま」みたいな人に僕のことを見てもらったら、「いつも後ろにおじいちゃんがいるね。」と言われ、号泣したことを思い出した。つまり、じいちゃんは僕の「守護霊」ってワケだ。

…そうそう。自分の結婚式で昔の写真をスライドにするというベタな企画があって、古いアルバムを引っ張り出し、まだ首が据わったばかりの妹を抱くじいちゃんと、その横に座る僕の写真を見つけた時、その写真の裏側に、それまで誰一人として気づかなかった「大きく育てよ」というじいちゃんからのメッセージが書かれてあって、みんなで号泣したことも思い出しましたよ。ええ。

じいちゃんが亡くなってから38年。仮に生きていれば104歳だけど、僕の記憶の中ではじいちゃんは今も生き続けている。

9月18日。今日は、そんな優しかったじいちゃんの命日なのであります。

合掌

「第28回田沢湖マラソン」20キロ走って来ました!

2013年9月15日(日)。今季4レース目は、秋田県仙北市で行われた「第28回田沢湖マラソン」。
フルマラソンのデビュー戦は、10月のアップルマラソンで、と決めていたので、今回も20キロコースにエントリー。
ちなみに田沢湖マラソンはフルマラソン、20キロ、10キロが陸連公認コースとなっていたのだけれど、8月の大雨被害でフルマラソンのコースが一部変更された結果、フルマラソンのみが公認コースから除外となってしまった。

この大会は、それぞれのコースのスタート地点が異なっており、10時に一斉にスタートする。そして、それぞれのコースを走り終えて、同じ地点にゴールする。
ちなみにフルマラソンの制限時間は5時間となっており、午後3時には田沢湖の時計回りのみの通行が認められている一部区間の片側1車線の通行制限が解除されることとなる。

今回の大会は、弘前公園RCのメンバーも多数参加することになっていた。僕が把握しているだけで、フルが5名、20キロ5名、10キロが2名エントリー。
弘前からはTさんが手配した10人乗りのワゴンに便乗して向かうことが決まっていたのだが、僕は一人、大会の前日に弘前公園RCの朝練を終えたあと、僕は一足先に秋田県入りすることにしていた。

今年のお盆に手向くことができなかったので、この日に合わせて、命日の近い祖父と、昨年亡くなった祖母の墓参りのため、北秋田市に向かうことにしていたのだ。

大会前日の時点での天気予報は「曇りのち雨」。実は雨の中での大会はもちろん、練習においても雨の中を走ったことがほとんどなかったため、一抹の不安が頭をよぎる。

午後3時過ぎに北秋田市内に入り、まずは祖父母の墓に向かう。
お盆に来られなかったことの非礼を詫びて、まずは最初の目的完了。

続いて母の実家へ出向き、今晩お世話になる挨拶を済ませ、次の目的地へ向かう。

…温泉。
腰の具合は走っているうちは忘れてしまうのだが、2時間近く車を運転してきたら、何かやっぱり腰のあたりが怠くなったので、温泉に行って養生しよう、という算段だ。

軽トラをはじめ、半数以上の車に高齢運転者マークが貼られている車の並んだ駐車場の端っこに車を停めて、温泉へ。40代前半の僕は、確実に洗い場の平均年齢を下げている。
約1時間、じっくりと足腰を温め、途中、明朝の食物飲物を買い込んで母の実家へ。

午後6時。従姉が作ってくれたきりたんぽに舌鼓を打つ。比内地鶏の脂が強くて明日腹を壊されても困る、という配慮から、だいぶ脂を抜いてくれたらしい。嗚呼、きりたんぽの旨味が…。でも、きりたんぽが米を原料にして作られていることを考えると、ちょうどいいカーボローディングになったかも知れない。まあ、所詮20キロなのであまり必要ないけど。

20時30分には就寝。就寝前に、事前に入手していたコースの高低差をのグラフを見て色々思案する。全体的には起伏があまりなく、比較的平坦なコースなのだが、15キロ前後に、急に壁のような急坂が待ち受けているらしく、そこを一気に下ると、その後も細々とした起伏が待ち受けている。

2週間前の「啄木の里ふれあいマラソン」で経験した後半の急激なペースダウンが頭をよぎる。
その時のレース展開は、前半抑えて後半に余力を残すことをイメージしていたのだが、ダラダラと続いた前半の上り坂が堪え、後半には余力など残っていなかった。
あの時に比べれば、乗り越えなければならない壁は一つしかない。
あとは…事前に下見をするか。
北秋田から田沢湖へ向かうルートは一つしかないが、湖畔に出てから左折すれば程なくスタート会場へ、右折すれば15キロ程度はコースの下見ができることになる。

よし。少し早めに出て、下見をしよう。

翌朝4時に起床。田沢湖まで自分の車で向かったことはなかったが、1時間30分ぐらいで着く、という話を従姉から聞いたので、午前4時30分過ぎに出発すれば、まあ、6時30分頃には到着するだろう。多少駐車場が混雑していても、何とかなるだろう、と考えた。

寝静まる母の実家の仏壇に静かに手を合わせ、出発。
途中コンビニや道の駅に立ち寄って5分弱の休憩を取りながら、6時過ぎ、田沢湖畔に出た。予定通り車を右折させ、遠回りにはなるが、コースの下見をしてみた。しばらく平坦な道が続き、10キロあたりの地点で「たつこ像」を左に目視。
道路に掲示されている距離表示の看板は全てフルマラソン用の看板なので、42.195キロから逆算していけば、自ずと残り何キロだということがわかる。
そして、35キロ付近を過ぎたあたり、車が右カーブをすると、突如その「壁」が現れた。

1400ccの車のエンジンが唸りを上げる。左カーブを曲がってもダラダラと上りが続く。左にカーブミラーを見たと思ったら、そこから急に下り坂。前回の反省を踏まえながら、その坂を下る途中で色々作戦を考える。
6時40分頃、スタート地点付近に到着し、弘前公園RCのメンバーと無事合流。7時前に受付を済ませ、事前にメンバーがテントを張っていた場所に戻る。未明2時に出発した8名(1名は急用のため不参加となってしまったとのこと)もさることながら、僕もかなり眠気が襲ってきた。
出発まであと3時間。実は事前に車で一部コースの下見を済ませてきたことを告げると、興味深そうにどんなコースなのか聞かれた。
あの坂を上手に説明するには、言葉を選ぶ必要があると思ったが、結局「うーん…凄いです。」としか答えられなかった。

昨晩のうちに購入しておいたクリームパンを口に運び、昨日の朝練後にK先生から頂いた痛み止めを3錠服用する。気になっていた腰の痛みはほとんど感じなくなっていたが、万が一に備えての対策だ。そして、テントの横に停めた自分の車(Tさんの配慮で、まるで特等席のような場所に駐車することができたのです)の中で軽い休息を取る。

9時過ぎに県外メンバーのYさんとOさんらが合流し、出発前の記念撮影(一足先に10キロのスタート地点に移動を開始していたK君は、この時恐らく遊覧船の中だった)。

そして、9時30分過ぎに20キロのスタート地点に移動を開始。この頃、やや雨脚が本降りっぽくなってきた。
20キロコースには、男女合わせて2172名(うち男子は1746名)がエントリー。うち陸連登録者は68名。
僕とO先生は陸連登録者ということで、スタート位置は最前列。周囲を見ると、いかにも「走り屋」といった顔つきの人たちがズラリと並んでいる。徐々に高まる緊張感。隣にいたO先生とも会話がほとんどなくなる。
やがてスタート5分前のアナウンス。
時計をセットし、スタート前に初めて空を見つめながら手を合わせた。
ジイちゃん、バアちゃん、オトン、頼む。ヤバそうになったら、背中を押してくれ…。

スタート1分前。試しに今日はちょっと突っ込んでみよう。

バーン。号砲一発と同時に、猛牛のように選手がスタートする。打ち上げ花火が鳴り響く。
ドンッ!いきなり肩口を押される。こういうレースには必ず一人二人いる、猪突猛進型の選手。うわっ…と思った瞬間、後ろから怒号が聞こえた。

「ちょっと!そこの黄色いシャツのおじさん!危ないだろう!!」

そう叫びながら僕の横を猛スピードで駆け抜けていく緑色のノースリーブの…
…ん!?同じチームのSさんじゃないですか!!

そう、大声で怒りをぶちまけていたのはSさんだったのだ。
Sさんは出発前、「1時間30分切り」を宣言していたけれど、黄色いシャツを追いかけながら凄い勢いで飛び出し、あっという間に視界から消えてしまった。

僕はと言えば、周囲のペースに多少呑まれつつも、決して突っ込み気味ではなく、かといって抑え気味でもなく、最初の1キロを4分21秒で入った。まあまあのペースと言っていいだろう。前半はほぼ平坦なので、これぐらいのペースか、もう少し上げても大丈夫かも知れない。雨はといえば、スタート時点の時に小降りとなって、ほとんど気にならない。湿度は若干高めだが、日が照っているわけでもないし、かなり走りやすい感じだ。
その後の5キロを大体4分25秒ペースで走り抜けた。

ほんの僅かに起伏があるものの、タイムに大きな影響を与えるものではない。あとは、例の急坂をどう攻めるかだが、その時は全く考えないようにしていた。

たつこ像をバックに選手を撮影しようと、カメラマンが陣取っている。思わず手を挙げる。未だそんな余裕がある、ということだ。10キロを44分ちょっとで通過。ここを過ぎたあたりで多少ペースが落ちたような気がしたが、これは想定の範囲内。ハーフより1.1キロ短い20キロなので、1時間30分を切れれば最高だが、せめて1時間31分以内にまとめたいと考えていた。しかし、このペースでは恐らく33分台ぐらいのゴールになるな、と想定していた。

給水所はとにかく全部つぶす。並んでいるスポーツドリンクは、必ず口にする。スポンジも、取る。
基本中の基本と思い、これは難なく全てこなせたのだが、スポンジを手にして、首筋から背中、大腿部に当てていた時に、気づいた。
シューズの中が、ビショビショじゃないですか…。

時折雨が本降りになったこともあって、気にしないようにしていたのだが、靴の中がチャポンチャポンと音を立てはじめる。なるほど気持ちいいものではないな、と。これもレースで初めて経験したことだった。

走りながらギュッとシャツの裾を握ってみると、じわっと水が溢れてくる。いや、水も汗も雨も混じっているのだろう。もういい。気にするの、やめた。

やがて「フル35キロ」の看板が見えてくる。ペースは4分30秒を超えていたので、前半の貯金はかなり食いつぶしたことになる。
そして、右にカーブするといよいよ例の坂が現れた。いきなりペースが落ちたのがわかる。でも、辛いのは僕だけじゃない。周囲で走っている人も、10キロを走った人も、これからフルマラソンで走る人も、みんなこの坂は辛いんだ…。
そう考えたら、足がスッと軽くなった。ふと、Oさんが以前送ってくれた「辛くなったら足を見ろ」というメッセージを思い出す。
まだ大丈夫だ、絶対行ける。
何だか不思議な力が沸いてきて、坂を登ることに対する苦痛が抜けた。もう、前は見えていない。足下ばかりを見ている。スピードが上がったような気がする。さっきまで僕を意気揚々と追い抜いて行った人たちの息が上がって、まるで地を這うような足どりになっている。
その横を、まるで何事もないように走り続ける僕。
下り坂は、抑えながらもややスピードを上げる。以前までの僕だったら、ここで萎えていたのに、この日は何かが違っていた。

..結局急坂のある13~15キロの区間を、平均4分50秒弱で駆け抜けた。
まるでギアを入れ替えたかのように、ここから徐々にスピードを上げる。これまでのハーフマラソンの大会では、あり得なかったことだ。
多少の起伏はあるが、全く気にならない。むしろ、まるで何か目に見えぬ力に押されているかのように、どんどんスピードが上がっていく。
残り2キロの看板。時計を見ると、1時間21分。4分半のペースで行けば、1時間30分に届く!
ふと前を見ると、かなり前を走る緑色のノースリーブ姿のランナーが見えた。
Sさん?…Sさんだ!

グッと足に力が入る。追いつきそうだけど追いつけない。でも、確実に差は縮まっている。
残り1キロ。やっとSさんの背中がハッキリ見えた。残り500m。Sさんの横にスッと並ぶ。僕に気付いたSさんがペースを上げる。僕も負けじとペースを上げる。
最後は地力の差でSさんのゴールシーンを見てから僕もゴール。
タイムは、1時間29分50秒!1時間30分を切れた!!

残りの数百メートルで勝負に乗ってくれたSさんと、ガッチリ握手。
その後、続々と他のメンバーもゴールし、お互いの健闘をたたえる。

田沢湖マラソン完走証

田沢湖マラソン完走証

陸連登録者では68名中32位。ただし、68名中24名が関東学院大の選手だったことを差し引くと、かなり好成績ではなかったか、と(自画自賛すいません)。
何よりも、初めて自分のレース展開に満足できたこと。これが一番大きかった。

気負っていたつもりはなかったし、自分としては結構楽しめた。
実際走っている途中でカメラを向けられたポイントでは、かなりの確率で手を挙げて、薄気味悪い卑屈な笑顔を浮かべていたのだから(たつこ像の前の写真が楽しみです。笑)。

これがまぐれだったと言われないように、3週間後のアップルマラソンまで体調と走力の管理を怠らないようにしないと。
そして今回、時折強い雨が降りしきる中、フルマラソンを完走した同志のゴールシーンを見て感涙しつつ、ハッキリとした一つの目標が芽生えた。
完走?それは当たり前。初フルマラソン挑戦だけど、4時間を切ってみたいです!そして願わくば、3時間45分前後でゴールしてみたいです!

田沢湖マラソンのレース展開

田沢湖マラソンのレース展開

僕がフルマラソンに挑戦する理由

最近ランニングのネタばかりですいません。
釣りにも行きたいんですが、週末は専ら走ることに没頭しているので、もうしばらくご辛抱ください。


僕にとって初めてのフルマラソン挑戦、10月6日のアップルマラソンまで約3週間。
既にご存じの方もおられるが、どうも先日の32キロが災いしたらしく、背中というか腰に抱えていた爆弾が小さく爆発を起こした。
水曜日は歩くのも辛いぐらいだったのが、木曜日には大分緩和され(慢性的なものなので、温湿布を貼ったのが幸いしたらしい)、金曜日にはほぼ直立歩行ができる状態(爆)まで回復したので、現在は7割方の回復、といったところだろうか。

明後日15日には秋田県田沢湖での20キロマラソンにエントリーしており、フルマラソンの前にレース感覚を磨く最後の大会と位置づけているので、天候がパッとしないようだけれど、何とか出られないものかと考えている(というか、もう出るって腹は決まっているんですが)。

さて、アップルマラソンにエントリーするのはこれが5度目。これまで10キロを3度、ハーフを1度走って、今回がフル初挑戦。
実は、前回ハーフを走り終えた後に一つ思い出したことがあって、いつかフルにも挑戦してみたいという気持ちを、その時から朧気ながら抱くようになった。

その思いを抱かせたのは、昨年、ハーフマラソンを走り終えた後、5年前に亡くなった父のことを思い出してからだった。


父は以前、弘前市の体育協会の評議員を務めていたこともあり、毎年アップルマラソンの手伝いにも借り出されていた。
僕がまだ走ることに興味を持っていなかった頃の話だ。
アップルマラソン当日の朝。支給された衣服に着替える父。
「今日はどっち方面?」
「ん?…今日、目屋だジャ。折り返しの辺りで、監視ダド。終わった後、アブさん〈当時西目屋村、ちょうど折り返し地点のすぐ近くに在住していた父の友人)のところサ寄ってくるジャ…。」

フルマラソンの折り返しとなる西目屋村は、父の生まれ故郷。小学校4年か5年の頃、ボーイスカウトの夜間歩行訓練で、弘前市某所から西目屋村にある目屋ダムまでの約25キロを、夜な夜な7時間ほど掛けて歩いたことがあるが、そんな機会が二度も訪れるわけがなく、後にも先にも西目屋村まで自分の足で訪れたことはその1回だけだった。

その夜、役目を終えた父は、アブさんのところでたらふく飲んだのか、すっかり酔っ払って帰宅。
そんな父が、ポツリと呟いた。

「ヨグアッタラダドゴマデ、ハッケデクルヤナ。(訳:よくあんなところまで走ってこれるよな。)」
「んだな…。」

気のない返事をしたことぐらいしか記憶がないのだが、その父がこの世を去って以来、もう一度この足で再び西目屋村を訪れてみたい、そんなことを思うようになった。

そして今回、意を決してというか満を持してというか、いよいよその西目屋村を目指すことになる。
既に練習で一度だけ西目屋村まで走っているけれど、本番で走ると、その思いとはきっと全然違うんだろうな、と思う。

当たり前のことだけれど、折り返し地点に父の姿を見かけることはもうない。そして2年前に亡くなったアブさんの姿も、もうない。でも、西目屋村まで自分の足でハッケデやって来たバカ息子の姿を、父はアブさんと二人でビールを飲みながら、どこかからニヤニヤしながら見てくれているはずだ。
そしてきっと、目があった瞬間、どこか照れくさそうに「おう。」と声を掛けてくれるはずだ。

父はセリヌンティウス僕はメロス。
だから僕は走らなければならないし、意地でも走ってやろうという気が日に日に高まりつつある。

今回、僕がフルマラソンにエントリーするに当たって、たくさんの仲間が背中を押してくれた。でも、昨年ハーフマラソンを完走し、父のことをふと思い出した時点で、実はもう僕の意思は固まっていたのかも知れない。父への弔い。そして、アブさんへの弔い。二人に対する思い。
だから僕は、アップルマラソンの大会エントリーが始まったその日の朝、何の迷いもなくフルマラソンへのエントリーを終えた。


未だ見ぬ35キロの壁。そしてその向こうに何があるのか。42.195キロの先に、何が待ち構えているのか。
いよいよ3週間後にその答が明らかになることを思うと、今から武者震いが止まらない。

…いや、正直ビビって震えているだけですが。