日別アーカイブ: 2015-07-30

奥羽本線全線開通110年

今年は、青森~秋田~山形~福島を結ぶ奥羽本線が全線開通して110年なんだそうです。
ちょうど半年後に生誕45年を迎える私、今は弘前から青森への通勤のため、かれこれ通算で13年以上奥羽本線を利用していますが、奥羽本線にまつわる思い出は幼い頃からたくさんあります。

東北新幹線新青森駅開業に合わせ、沿線自治体からは奥羽本線の青森~弘前間を全線複線化しろと望む声がますます強く上がりましたが、結局それも叶わぬまま、田舎のローカル線にちょっと毛の生えた路線、みたいな感じでしょうか、青森に支社がないからだ!とか言われていましたけど(秋田と盛岡に支社があり、県内の路線の管轄が異なっていた)、何と言ってもね、今でも特急ですら最高速度が95キロに制限されてますからね。

さて、僕が利用している弘前駅は、僕が生まれてから2度建て替えられました。物心ついた頃の駅舎は、今のような自動券売機ではなく、有人販売だった時代。駅舎の中を鳩が飛び、行商と思しき人達が大きな荷物を背負ってホームを行き交う、そんな光景が当たり前だった頃。駅前に降り立つと、眼前にスケベな映画館があったのも特徴的と言えば特徴的。

母親の実家が秋田県の合川町(現・北秋田市)にあり、弘前からだと奥羽本線で鷹ノ巣に向かい、そこから阿仁合線(現・秋田内陸縦貫鉄道)に乗り換えるという鉄路の旅。幼かった頃は、赤い機関車(ED75 700系)に牽引された8両ぐらいの長大な客車の列が午後4時30分過ぎに出発して、その後阿仁合線への乗り換えを経て合川駅に午後7時頃到着するというのんびり旅。そりゃそうです、大館駅で荷物の積み降ろし等のために20分ぐらい停車したり、途中駅で列車交換のために停車したりが当たり前でしたから。あの頃はまだ大館駅のホームでで手売りの駅弁が売られていましたし(もちろん大館名物の「鶏めし弁当」です)、多分大館から盛岡に向かう花輪線を走っていたのかな、蒸気機関車が停まっていたことも、朧気ながら記憶に残っています。
ちなみに、奥羽本線の駅は鷹ノ巣で、秋田内陸縦貫鉄道の駅は鷹巣。知ってました?

この頃は本当に汽車(当時はまだ電車ではありませんでした)が大好きで、何せ母の実家のすぐ背後を阿仁合線が走っているというシチュエーションだったため、踏切の警報機が鳴る音が聞こえようものならすぐに2階に駆け上がり、やってくる3~4両編成の気動車や、ディーゼル機関車(DE10)に引っ張られながら進む、切り出した杉が積まれた貨物列車に心をときめかせていたものでした。

初めて母の実家に一人で向かったのは、小学1年生の時。弘前駅の有人窓口に背伸びしながら「合川まで子ども一枚」と言って硬券を手にしたのが、最初の一人旅でした。全く恐怖心はなく、むしろ一人で汽車に乗って母の実家に行くことができるという楽しみに溢れかえっていました。16時40分頃に弘前を出発する、院内行き(のちのダイヤ改正で酒田行き)の汽車に乗り込みます。…そうそう、あの頃は弘前から大館や秋田といったところじゃなく、酒田(山形県)や前述の院内(秋田県)などに向かう、長距離の鈍行列車が普通に走っていた時代。

茶色や青色の客車(オハとかスハとか書かれてましたね)の手動ドアを開け車内に入り、誰もいないボックス席に腰掛けます。茶色い客車は裸電球みたいな丸い電球、青い客車は長い蛍光灯だったかな?(個人的には茶色い客車の香りが好きでした。)
今の時代では信じられないことかも知れませんが、老若男女、色んな方が興味深そうに声を掛けてきました。
「どこから来たの?どこへ行くの?お父さんお母さんは?え!一人で行くの?」
…今思えば、迷子か何かと間違われていたのかも知れませんが、当の本人はつゆ知らず。冷凍みかんを頂いたり、お菓子を頂いたり、ガタンゴトンと揺られ、ニスの香りが漂う硬い木製のボックス席にちょこんと座り、車窓からの景色を眺めながら、母の実家へ向かうのが楽しくて楽しくて仕方がなかったのでした。

あまりに楽しくてデッキの方に向かおうとしたら、車掌さんに怒られたこともありました。そりゃそうだ、手動のドアが開いたままの状態で走っているんだから、危なくて仕方がない。これも今なら考えられないことですが。

まあ、そんな感じで鷹ノ巣に到着するのが午後6時30分頃。大体2時間近く要していたんですね。更にここで阿仁合線に乗り換え、3駅先が合川。
阿仁合線の乗車時間は20分ぐらいでしょうか、合川駅に到着すると、祖母や従姉が待っていました。今となっては無人の閑散とした駅になってしまいましたが、当時は売店もあったそれなりに活気のある駅だったんですけどね。

そして、たまに乗ることのできた帰りの「急行」が楽しみで仕方なかったのです。秋田からは「むつ」、上野からだと「津軽」や「きたぐに」が運行されていた時代。さらに、金沢と青森を結ぶ「しらゆき」、山形と青森を結ぶ「こまくさ」…6~7両のディーゼル気動車に、グリーン車まで連結されていた時代ですよ。嗚呼、懐かしい。

で、何が楽しみだったかというと、車内販売のアイスクリーム。ちょっと高額ではありましたが、1度その味を知ってしまってからはもう大変。たまに妹と二人で母の実家に遊びに行ったこともありましたが、帰りの「急行」で頬ばるアイスクリーム、ホント美味しかった。
最近は新幹線でしか車内販売の姿を見なくなりましたが(津軽海峡線の特急でも車内販売はありますけどね)、あの時食べたアイスクリーム、もう一度食べたいなあ。

9月にはイベント列車も運行されるとか。でも、まだ結構走っているのを見かける国鉄色の特急型車両の運行ですって。どうせなら新旧客車を連ねた長大な「汽車」を運行してもらった方が楽しいのに、とか思ったり。

しかし現実的な話をすると、青森と福島を結ぶ奥羽本線は、山形新幹線の開業によって線路の規格(幅)が異なるレールが敷かれたため、一本の鉄路では結ばれていないわけで。だから、秋田~新庄と青森~湯沢で区間を区切って運行されるんだそうです。新庄~福島は山形新幹線が走っているということで無理なのね…何か切ないわ。

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全線開通110年のラッピングされた車両にたまたま乗り込んで、懐古的かつ感傷的な気分にちょっと浸っていたという、今朝の出来事でした。

このラッピング電車の運行をはじめ、奥羽本線全線開通110年を記念した色んな企画も始まっているみたいです。