先日このブログで「エレファントカシマシをいつか観たい」、と呟いていたのですが、記事を投稿したその日に全国ツアーの開催決定が公式HPで発表され、その中に、何と青森公演が含まれていました!(30周年を記念した全都道府県を回るツアーなのだそうです。)
さらなる驚きは、青森県の公演会場が「弘前市民会館」だということ!自宅からわずか1キロ離れたところで、念願のエレファントカシマシ公演を観ることができるなんて!(→ただしまだチケットは入手していません。)
今年は春先にあの人の公演があるし、久し振りのあの人の公演もあるとのこと、今から楽しみで仕方がありません。(→ただしまだチケットは入手していません。いずれも。)
前置きはさておき。自分大好きで負けず嫌いな皆さん、こんばんは。隣の芝生は今日も青いですか。うちの隣の庭は雪だらけです。まあ、うちも雪だらけですが。
津軽地方では「足フパリ」という、いわば「出る杭は打たれる」みたいな風潮がずーーーっと蔓延していると思っていたのですが、最近は世代交代が進んでいく中で、そういう風潮が徐々に後退しつつあるのかな、と思っています。もっとも、この「足フパリ」って、結局のところ妬み、やっかみの最たるもの。でも、妬み、やっかみから批判するのは簡単でも、対案は持ち合わせていない、というのがほとんど。だから、「足フパリ」をすればするほど自分の資質を曝け出す、人間性を疑われる、ということに気づいた人が多くなったということでしょうか。
おっと、ここまで話が全然まとまっていませんね。すいません。でも、今日は最後までこんな調子です。申し訳ない。
今日は我が社で職員向けの講習会があり、約2時間にわたってお話を聞いてきました。
演題は「ひとりじゃ円陣組めない」。講師は長野県塩尻市企画課シティプロモーション係長の山田崇さん。風貌からして「役所離れしている人だなあ」と思いましたが、帯びている熱、発せられる熱量が圧倒的に違いました。
講演が始まって比較的早い段階で、山田さんはこんなことを話されました。
「県の人たちが大勢いる中でこういうことを言うのは申し訳ないけれど、県の人たちよりも我々市町村単位の職員の方が住民に近い関係にある」と。
でも、その後でこういうことを続けました。
「何かをやりたいと思った時に、肩書きは不要。要するに、個人で何をやりたいか。そして、共感できる仲間と一緒に取り組めるか。」
身体の中が熱くなりました。汗がタラタラ流れ始めるのがわかりました。心の中を見透かされている、と思いました。まさに核心を突かれた気分でした。
職業柄、僕は県全体のことを見回して諸々を考えるのですが、地域それぞれの気候、風土、文化などは、同じ県内であっても異なります。その中で、画一的な何かを打って出たところで、それが成功するかどうかはわからないところがあると思います。
これまでも、朧気ながら「何かできないものか」と考えていましたが、一歩踏み出すかどうかは自分次第なんですね。
更に僕の場合、結局のところその「何か」が何なのか、一体どこの誰を相手にしたいのかが本当にぼやけた感じになっていて、思い描くだけではどうすることもできないということを痛感させられました。ただ漠然と「何とかしたい」と思っても「何ともなるはずがない」のです。当たり前ですよね。ところが、その当たり前、本当に根幹のところです。これが全くもって曖昧になっていたという。
例えば100人が集まった時、一人が「自分は○○したい!」とぶち上げた時に、100人全員が「そうだそうだ!」となった時には、その共感は無関心を生み出すことになりかねない、ということだそうです。でも、自分に置き換えて考えた時、僕はその場にいる100人全員が共感するようなことしか思考が及んでいないんじゃないか、と。
「誰を相手にするか」という時に、みんなが、住民が、市民が、という対象者を選んだ場合、無難で差し障りのない答えを導き出してシャンシャンで終わってしまう、という現実。要するに、「こういうのをやろうと思ったんですよ、検討したんですよ。皆さんのために。住民のために。市民のために。」というアリバイ作りみたいなもの。
内閣府が「先進的」と紹介する地方創生関連の事業のうち、当初の目標を達成したのがわずか4割に満たないという現実が、「絵に描いた餅」が餅にはならない、役人の考えたPDCAサイクルが円滑にサイクルすること自体が、奇跡に近いということを端的に表しています。きっとありますよね、身近なところにこんな似たような「失敗例」が…。
中心商店街を何とかしよう!というところから始まる街づくり一つを取ってみても、全員の意見を集約し、いわゆる(全員が仕方なく納得するような)落としどころを探していくと、結果的に最大公約数ばかりを拾うこととなり、どこもかしこも郊外型の大型ショッピングセンター(敢えて企業名は伏せます)ばかりが増えるという悪循環。
2016年2月、総務省統計局は平成27年国勢調査の人口速報集計結果を発表し、ここで日本の人口が減少に転じたことが明らかとなりました。この先急激な人口増加に転じる可能性は低く、当面は人口減少社会が続くと見込まれています。
今日講演して下さった山田さんは、自腹で地元商店街の空き家(それも1軒だけではない)を借りて、様々な取組を行っているそうです。そして、この取組からヒントを得た若者によって、他の地域でも同様の取組が広がりつつあるそうです。そういう事例紹介がありました。
空き家プロジェクト nanoda – Shiojiring シオジリング
しかし、ここに一つ気を付けなければならない落とし穴があると僕は思っています。
敢えて言うまでもありませんが、例えば他の地域で成功した例をそのままパクって自分の地域でもやってみようと思っても、前述の通り地域によって様々な背景があってのことなので、成功する例は限られてきます。
ただ正直言いますと、山田さんのお話を実際に聞きながら、弘前市内の中心市街地にある空き店舗のことをぼんやりと思い浮かべていて、ここで「nanoda」を模倣した「danzu(だんず)」なんていうことをやれたら、楽しそうだな…ということをつい考えてしまったわけです。
…例えば年1回、9月の歩行者天国の時でもいいので、昔あったお店やあの商品が若者の手によって蘇る!なんていうことがあったら、楽しそうじゃないですか。…いや、誰が楽しいか、ということが問題なのかも知れませんが、そこに参加した、関わった皆さんの中でWin-Winの関係が構築できたら素敵なことなんじゃないかな、と。
…とはいえ、さすがに最近はこういう(単なる模倣)事例もだいぶなくなってきたようですし、それぞれの地域で活躍される、さまざまな分野の方々がたくさんいます。餅は餅屋、というワケではないにせよ、人それぞれ得意とするところがあるはずなので、それをうまく活かしながら、色んなことをやれればいいのです。
…ところで、僕の得意とするところって、何なんだろうか?これを考え始めたら、完全に思考が止まりました。僕、これが得意です!と言えるものがないのですよ。嗚呼、ジ・エンド。
もはや今日の落としどころ、この先の展開が見えなくなってきたので、メモを取った講演の内容から一部だけ。( )内は、僕が感じたことです。
・ボランティアの義務化は、一種の「強制労働」。(御意。うちの社内でも「ボランティア募集」の案内が稀にあるけれど、上司が行くなら部下も行かなきゃ、みたいな風潮は何となく棄て切れてない気がするし。)
・公務員が元気なら、地域は絶対元気になる。(自ら率先して動く公務員がいるところは、確かに活力が違うと思います。東北まちづくりオフサイトミーティングのメンバーを見れば明らか。)
・若者を応援する大人を増やす。(これこそが本質なのかも。大人はちょっと動いて、あとは若者を応援するという姿勢。これから社会を担う若者に、さまざまなものを伝承する機会は多少なりとも必要。)
いきなり大きな打ち上げ花火に取りかかるのではなく、まずは線香花火から。小さなところからコツコツと。少しぐらい失敗しても命を取られるわけじゃない。小さなところでの失敗は修正、やり直しが利くから。
異論反論色々あるかも知れませんが、まずは自分の得意分野だとかやってみたいことを少しずつ口に出してみたいと思います。
ちなみに今日の講演では、一番最初に山田さんから40名前後いた参加者全員に対して「この講演を聞き終えた時に、どういう自分になっていたいか。」という質問がありました。これは誰にも見せることなく、自分のメモとして紙にとどめておいて下さい。と言われましたが、僕が書き記したメモを敢えてここに転記したいと思います。
今まで考えたこともなかったことを自由に発想できる自分。
さて、円陣を組むことのできる同志を求めて、もう一回エンジンを再始動しますかね…。