今の職場に配属となってから4年と4か月が経過。
この間、僕のカレンダーは、事故と災害、そしてコロナによって塗り潰された、といっても過言ではないだろう。
…そんな黒歴史(笑)の一部を振り返ってみた。
2017年8月。自衛隊ヘリが竜飛崎沖に墜落。北海道マラソン出場のため札幌入りし、支度を整えていた時に第一報が飛び込んだ。
担当としてなす術もなく、ひとまず大会へ出場。走っている最中も、事故のことばかり頭を過ったこの時に叩き出した3時間7分台が、今の僕のベストタイムとなった。笑えない話だ。
翌年2月。シジミやワカサギで知られる小川原湖に、米軍戦闘機が燃料タンクを投棄。第一報を受けたのは僕だったが、職場内の初動が明らかにおかしかったことだけは、未だに記憶として残っている。
その年の9月、北海道胆振東部地震が発生。本県に応援本部が立ち上がり、各県との調整に追われる中、震度7を観測した厚真町を支援することとなった。
実際に厚真町へ赴き、現地調整本部の運営に携わったことが懐かしい。
年号が平成から令和へと変わった翌年の10月、相次いで台風が上陸、千曲川が氾濫した長野市では北陸新幹線が水没するというショッキングな画が流れたことは記憶に新しい。
幸いにして本県では被害が発生しなかった。しかし、またしても応援本部が立ち上がり、宮城県角田市へ県として支援を行うことに。宮城県庁での調整業務は、応援本部と現地との板挟みとなった。
そして昨年、本県でも新型コロナウイルスの感染者が確認された直後の4月、職場内で3度目の座席移動。
明けても暮れてもコロナ、コロナの日々。
対策を打ち出さないと叩かれ、打ち出すとまた叩かれ、内から外からの様々な声に戦意喪失しかけた日が何度あったことか。
不幸中の幸いだったのは、大きな災害がなかったこと。
まあでも、これは単なる偶然であり、運が良かっただけのことだ。
…そう思いながら迎えた2021年。
相変わらずコロナに振り回される中、いきなり4月には漁船が不発弾を引き揚げ、八戸港で爆破処理が行われるという事案が発生。
予期せぬ事態のほとぼりも冷めぬまま迎えた8月、とうとうそれは起きてしまった。