月別アーカイブ: 2011年10月

ノーマイカーデー

青森県では、地球温暖化の原因となる自動車(乗用)からの二酸化炭素(CO2)排出量が、自動車保有台数の増加やライフスタイルの変化などを背景に、1990年度比で約7割も増加しています。
また、過度に自動車を利用することは、交通渋滞や事故の増加など、様々な問題を引き起こす要因にもなります。
地球温暖化の防止やこうした問題の解決には、県民一人ひとりの取組・行動の積み重ねが必要不可欠です。
そこで、青森県では、過度に自動車に依存したライフスタイルを見直し、マイカー通勤から、公共交通機関や徒歩、自転車など環境に優しい通勤手段へ転換するきっかけづくりのため、県内全域を対象とした「県下一斉ノーマイカーデー」を実施します。

…ということで、今週はノーマイカーデーの実施期間。通勤時にマイカー利用を極力避けて、公共交通機関や自分の足で通勤しようよ、という趣旨で、県が今年から提唱をはじめたものだ。

僕自身、通勤時は、自家用車か自転車のいずれかを利用して自宅から弘前駅まで向かう。弘前駅の近くにはタダで車を停められる場所があって(といっても空き地や公共スペースに勝手に停めているのではなく、母が営んでいる事業所の一角に停めさせて貰っているのです)、自転車での通勤が困難な雨天時などに限って自家用車で通勤している。

自宅から弘前駅までは距離にして2.5キロ程度しかないので、その気になれば歩いて通勤することもできるのかも知れないが、帰りならまだしも、朝の貴重な時間を割いてまで徒歩で通勤しようと考えたことは、一度もない。

冬期間に関しては、さすがに自転車通勤ができないので、自家用車で前述の場所を目指すか、あるいは妻の車に同乗するか。今年は何となく、妻と通勤に向かう機会が増えそうな気がする。帰りは徒歩でも何とかなるわけだから。

ただこのノーマイカーデー、趣旨には大いに賛同できるけれど、正直言ってこの時期の自転車は結構辛いものがある。
しかも今週は雨の日も多いみたいで、明日は自転車だとちょっと厳しそうな感じ。早くも2日目にしてマイカー出動の予感。

まあ、期間中1日だけでも、ということだから今日の自転車通勤をもってノルマ達成だし、別にやらないからといって罰則を科せられるワケじゃないから、そんなに深刻な問題ではないんですが…。

できることならばもう少し早い時期に実施するとともに、わずか1週間とか、たった1日とか、そんなセコい期間ではなく、長い期間にわたって実施した方がいいと思うんだけどな。

昼休みとケータイ電話

「昼休み、コーヒーを一杯飲んだ後に約15分間昼寝すると、午後からスッキリ爽快な気分で仕事をすることができます。」
昔、テレビか何かでそんなことを言っていた。
コーヒーが嫌いな人がコーヒーを飲んだところで爽快な気分になれるわけがないし、昼寝だって15分が適当な時間なのかどうかは、個人によって異なると思う。
かくいう私、最近までは1時間の昼休みのうち、約30分もの時間を昼寝に充てていた。そして、30分寝てみてスッキリするかどうかは、その日の体調や気分で全然違う。
しかしよく考えてみると、朝8時10分に職場に着いてから、早い時であれば18時頃までの約10時間近く、トイレや何かで席を立つことはあっても、ほぼずっと同じ部屋に閉じ籠もって仕事をしている、ということになる。
職場にいると、息苦しいと感じることがしばしばあるのに、よく四六時中籠もっていられるものだ。しかも、昼休みの貴重な時間とはいえ、果たして惰眠を貪り続けていいのだろうか…。
そんな時にふと思い立ったのが、散歩だった。
マラソン大会も終わり、気の抜ける時期。惰眠を貪るよりはいいかな、ということで、昼休みの時間を利用して歩き始めたのはマラソン大会が終わった翌々日。
最初は筋肉をほぐすのが目的で、ある程度落ち着いたらやめようと思ったのだけど、青森市内をいろいろ散策していると、新しい発見があったりしてこれがまた面白い。
真夏の炎天下であれば、わざわざ散歩に行こうなんていう気にはならないだろうし、それは厳冬の吹雪舞う季節も一緒。裏を返せば、今の季節がちょうど散歩には適している、ということだろうか。
で、いつしか昼の散策の途中、3年以上使っている愛用のケータイ(SO905iCS)で風景をパシャリと画像に収めるのが日課になっていった。
最初は青森県観光物産館アスパムに始まり(10月6日)、
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青函連絡船八甲田丸(10月7日)
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青森港周辺のいわゆるベイエリア(10月11日)
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職場の隣にある1ケタ国道の終点とそのモニュメント(10月12日)
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通勤途中でいつも目にしていた看板(10月13日)
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鉄道の日の青森駅構内(10月14日)
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下から見上げた青森ベイブリッジ(10月17日)
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紅葉の進む街路樹(10月18日)
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空を見上げると白鳥の飛来する姿(10月19日)
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…とまあ、毎日いろんな発見があって実に面白い。たかだかケータイでもこれだけの画像が撮影できるのだから、僕のSO905iCSへの信頼度は実は相当厚い。とはいえ最近は電池の持ちも悪くなってきたし(2日に1日は充電しなければならない状態)、そろそろ機種交換も考え始めていたのも事実なのだが…。
そんな矢先、今日の散歩の途中で大事件が発生。
ネタを探しつつ昼の散歩に勤しんでいた途中で公衆トイレに立ち寄った。
普段は絶対にケースに入れて持ち運んでいるはずのケータイを、なぜかその時に限って手に握っていたため、ケータイを洗面台の横に置いて手を洗っていたところ、悲劇は起きた。
ハンカチを取り忘れた事に気づき、ポケットを漁ろうとしたその時、左手がケータイをはじいた。哀れケータイは滑り台よろしく洗面台に滑り込み。何とその瞬間、ケータイに反応した自動の蛇口からジャーッと出水、ケータイが水没するという、バラエティ番組のオチでもあり得ないようなハプニング。
あまりに衝撃すぎる光景に、ただただ可笑しさと悲しさが渦巻く中、慌ててケータイを救い出すも、まともに水を被ってしまったために既に虫の息。しかも慌てて洗面台に手を突っ込んだ瞬間、再び自動蛇口が反応するという不運っぷり。
半べそかきながらショップに向かったところ、何とか電話帳は拾い出すことができたが、画面は完全に真っ黒。動いてはいるようなのだが、ボタンが全く反応しなかった。
3年以上仲良くしてきたケータイとの突然の別れがやってきたことを確信した瞬間だった。
正直、スマホへの機種変更も頭をよぎったが、3年以上愛用してきた機種を手放すのは結構勇気がいることだ。
運良く補償を付けていたので、4,725円(ポイント対応で負担0円になった)で同機種と交換できる事を知り、時間がなかったこともあり「それでいいです!」と返答。しかし、明日夜からは四十男にして初めてのピンク携帯を所有することが決定。何でも、同機種だとピンクしか在庫がないんだそうな…。
ということで来週からは、林家ペーを目指そうと思います。皆さんお楽しみに。

来年はハーフかしら?

そういえば、先日のアップルマラソンで何で今回も10キロ走ったかという、他の人にとってはどうでもいいような理由があったことをふと思い出しました。結論から言えば、名前が載るような記録を残したかったからという、実に短絡的な目的があったからでした。

そもそも生まれて初めて10キロを走ったのが、29歳の時。30歳を目前に何か記念に残るものを、ということで友人3人とアップルマラソンにエントリーしたのが最初でした。タイムは確か46分台だったと記憶しています。

友人が1時間近く掛かってゼエゼエとゴールするのを迎えると、友人からは「お前、早いな!」と言われ、すっかり調子に乗ってしまいました。何せ運動はまるで不得手だった僕が、初めて友人を越えることができたわけですから、そりゃ有頂天になるってものです。

で、調子に乗ったまま、実は30歳を迎えた時も一人でアップルマラソンの10キロにエントリーまでは良かったのですが、大会直前に風邪をひいてしまい、結局出走停止に。それ以来、走ることからはしばらく遠ざかってしまいました。ちなみにその間はずっと堤防からの夜釣りに没頭していたという…。

そうそう、あの頃の大会は弘前市運動公園が主会場でした。やがて市町村合併の前後にコースが変更され、家のすぐ近所がスタート地点となりました。

大会当日に犬と散歩をしていたところ、県外からやって来た人でしょうか、道に迷ったらしく「すいません、マラソン大会のスタートはどこですか!?」と尋ねられ、一緒にスタート地点まで走って向かったこともありました(笑)。「頑張って下さい!」と声を掛けてはみたものの、その頃は自分から走ろうという気は起きませんでした。

やがて変化が生じたのが、加齢とともに明らかになった体脂肪の存在。もちろん原因は、酒。「このままだと成人病まっしぐらですよ。」と脅され、久しぶりに走ってみる事にしました。最初は3キロが精一杯。やがて5キロぐらいまでは何とか走れるようになり、迎えた翌年の人間ドック。

「内蔵の周りの脂肪が綺麗に取れてますね!」

成人病予備軍入隊の危機から脱した僕は、継続は力なりということを身をもって知らされることとなり、その後もずっと走ることにしました。

やがて39歳を迎え、その頃には何とか10キロを走る事ができる状態になっていました。久しぶりに大会に出てみようかな、と思ったのが春。試しにエントリーしたのは7月上旬に行われるAOMORIマラソン。当日はうだるような暑さと湿気で、10名以上が救急搬送されるという最悪のコンディションの中、10キロを45分04秒で完走。
たかが4秒、されど4秒。スタートのゴチャゴチャに巻き込まれていなければ、絶対45分切っていたのに…。これでちょっと火が付いてしまいました。

こうなったら、絶対アップルマラソンで45分切ってやる!と。
で、昨年10月のアップルマラソンでようやく45分の壁を切った、という次第(44分27秒でゴール)。

ただ、昨年の10キロは18~39歳の部でのエントリー。タイム的には満足したものの、学生や自衛官が上位を占めた順位だけを見ると、種目別で64位、総合で104位と、何だか微妙な感じの結果となってしまいました。39歳だから仕方ない、と思う一方で、自分でも素直に喜べないというか、何か腑に落ちないところもあり、40歳になる今年、改めて10キロを走って、この際「掲示板」に名前を載せてやる、という実に単純な思いでエントリーしたのが10キロを走った理由。
ね?かなりバカでしょ。

DSC_24250001.JPG結果は前にお知らせしたとおりですが、一応(しょうもない)目的は果たせた(新聞には名前は出ませんでしたが、Web東奥に名前が掲示されました)ので、これで10キロは区切りを付けようかな、と思っています。

かといってこれで走ることを辞めるつもりは毛頭なく、この先も走るつもりではいますが、5キロだと物足りないし、10マイルレースなんていうのもまずほとんどあり得ないので、あとはハーフに切り替えるしかないのかな、とか思ったり。

うーん、来年はどうしようかしらん。

どうですか。仕事の時より数十倍真剣な顔をしています(笑)。
自分とは思えないぐらい素晴らしい写真を何枚も頂きました。吉田さん、私みたいなのを被写体にして下さり、本当にありがとうございました。

Only The Good Die Young.

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アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。
8月にCEOを退き、表舞台から姿を消して約1か月ちょっと。
明らかに痩せ細り、体調が思わしくなさそうな雰囲気は、画面等を通じても明らかであったが、とうとうこの日が来てしまった。
折しも、iPhone 4S(「For Steve」とは素晴らしい愛称だと思う。)発表の翌日に知らされた訃報は、某国営放送の昼のニュースでも2番目(ちなみにトップニュースはあの国会議員の裁判が始まったとかいう、僕にとってはもはやどうでもいいニュースだった。)に取り上げられた。いかに彼が世界に与えた影響が大きかったかを窺い知ることができるニュースだった。
各界の著名人からもスティーブ氏の死を悼む声が相次いで寄せられており、その多くが彼の功績を讃え、そして賛辞を送るものばかり。彼を惜しむ声はTwitterがパンクする程だったというのだから、単なる一企業のCEOという枠に収まることなく、彼がいかに世界の人々から慕われていたかがわかる。
かくいう僕もこんな記事を投稿するぐらいなのだから、きっと今日一日だけでスティーブ氏を悼む声はどれだけ寄せられることになるのか、想像がつかない。でも、今日は何だか投稿せずにはいられなかった。
そもそも僕が一番最初に触れたパソコンはApple社製のものだった。ちょうどその頃発売されたプリンスのCD-ROMをどうしても試してみたくて、そのために安月給をはたいて15万円弱のオールインワン型のデスクトップパソコンを購入したのが今から17年前。機種はMacintosh Performa 550だった。
今思えば最初に購入したパソコンとしてはかなり弱体だったかも知れないが、とにかくそのCD-ROMさえ遊べればいい、そういう思いだけで購入した。いや、正確には先にCD-ROMを購入して、その後にパソコンを購入したのだ。
仕事に就いて2年目、その頃の職場ではまだワープロが主流で、パソコンを使いこなす人などあまりいなかったのも事実だ。もっぱら雑誌の付録のCD-ROMでカスタマイズするのが楽しみとなっていたが、今は亡きクラリスワークスを始め、いろんなソフトに触れながら、この機種でパソコンの基礎を身に付けていった。
そんな中、次に目を付けたのが、職場内で個人の方が所有していたColor ClassicⅡ
起動する気配もなくオブジェ化していたその機種は、まるで狛犬のように机上に鎮座していた。そのスタイルにすっかり一目惚れした僕は、その方と交渉し、8万円で購入。
今となっては考えられないが、私物ながら職場で活躍するパソコンの一つとなった。
あとで知った事だが、実はPerforma550とカラクラのスペックがほとんど同じだということに驚愕し、そうか、これは日産のマーチのエンジンを搭載したパイクカーと同じ事か、と納得してみたり(ちなみにその頃僕の乗っていた車は日産のラシーンだった)。
そしてこの頃、ちょうどクロックアップやメモリ増設の改造が流行っていて、僕も上京の折に触れては秋葉原のジャンク屋巡りをしたものだったが、いかんせん技術力が乏しかったため、結局改造するまでには至らなかった。
そしてこの頃になると、ワープロからパソコンへのシフトが本格化し、職場でもWindowsマシンが配置されるようになったこともあり、気がつくとPerformaもカラクラも、お役ご免となっていた。
続いて我が家にやってきたのがiMac(グレープ)。
妻がゼロワンショップに勤務していた事もあって、今でこそ当たり前となったアウトレット(初期交換品)を安価で購入することができた。そして、我が家で初めてインターネットに接続されたのも、このiMacだった。
群雄割拠というか朝令暮改というか、まるで使い捨てのごとく次から次へと新機種が発表され、1年前のパソコンなどあっという間に旧型スペックへと押しのけられ(それは今も変わらないが)、やがてWindowsの席巻により、とうとう我が家にもWindowsの機種が投入されることとなった。
それでも一途なAppleラブを密かに思い続けていた僕は、直後に発表されたiPodにターゲットをシフト。やがてチューイングガムの形をしたiPod shuffleに始まり、現行の機種(iPod touch 3rd)で確か5台目のiPodとなる。
…とまあこんな感じで初めてMacintoshのパソコンを購入して以来、ずっとApple社の製品にはお世話になっているわけだが、これらを全て手がけてきたスティーブ氏の功績というのは本当に凄いんだな、というのを改めて思い知らされる。
そうか、今思えばマック、マックと言っているが、あれはMacintoshの略だったんだな(笑)。
閑話休題。
56歳という若さでの逝去はまだまだ早すぎる、ということはきっと僕だけが思っていることではないだろう。
もちろん僕の手の届くようなところにいる人ではなかったが、何だかいつも機知に富んで、融通が利いて、それでいて何でも相談に乗ってくれる、格好いいお兄さんを失った、そんな喪失感に駆られている。
彼の訃報に接した直後から、なぜかビリー・ジョエルの「Only The Good Die Young」が頭を駆け巡っている。

若死にするのは善人だけ。何だか醒めた邦題だが、でも本当にその通りだと思う。
彼の死を機に、iPhone 4sは思いがけないヒット商品になるような気がする。何せ「For Steve」なので、追悼の意も込めて飛躍的に販売数が伸びるような気がしてならない(でもごめん、でもやっぱり僕の選択肢にはまだiPhoneはないのです)。
Appleの失ったものは余りに大きいかも知れないし、そういう意味では激動の時代が待ち受けているのかも知れない。でも、貴方の功績は、きっと忘れられることなく永遠に語り継がれることだろう。
マイケル・ジャクソンがKING OF POPならば、スティーブ・ジョブズ、貴方は間違いなくKING OF MACだ。
今までいろんな感動と衝撃を、ありがとうございました。
Rest in Peace.

第9回 弘前・白神アップルマラソン走ってきました。

昨年は30代最後の記念に、今年は40代最初の記念に10キロ走ってきました。
朝6時に起床し、外に出ると、今期初めて吐く息が白いことに気付きました。しかも、岩木山のてっぺんが白くなっています。ゲゲッ!雪が降ったのか…。
ただ、天気予報が今回はいい方向に外れてくれましたっ!
ところどころに雲が見えますが、きれいに青空が広がっています。これは期待したいなぁ。
普段通りの朝を過ごし、9時頃にスタート地点近くに到着すると、既に凄い人が。ちょうどフルマラソンのスタート時間だったらしく、拍手がスタート地点から沸き起こってきました。僕はといえばまだウォーミングアップも始めていない状況で、急いで荷物預かり所に向かい、向かいにある弘前公園へと急ぎます。…と、その時まるで示し合わせたとおり雨がザーっと。おいおい、頼むよ~。
もう、日頃の行いの悪さが祟ってしまいました。実のところ、雨が降っている中で走ったことがほとんどないため、正直どういう風にコンディションを整えたらよいのかもわからず。とにかく筋肉をほぐすことだけを考えていました。いやぁ、フルマラソンの選手たち、大丈夫かなぁ。
9時15分頃、スタート地点付近へと進みます。知る人の姿はほとんどなく、逆にいい緊張感の中でずっと身体をほぐしていました。程なく9時20分、小学生・一般の3キロがスタートし、いよいよ10キロスタートの準備が始まります。
今年は堂々と、「目標タイム40分以内」よりちょっと後ろの方に位置を取りました。
ん?あれは…。歩道を見ると、どうやら夜勤明けで消防署を出てきたらしい幼なじみの畏友Kの姿。思わず駆け寄り、「おはよう!K!」
突然現れた僕に一瞬たじろぐK(笑)。「おーっ!10キロ、行く!?」「あいっ!行ってきます!」と思わず敬礼。
よし!行こう!
気がつくと雨は上がりつつありました。
「スタート1分前。」
否応なしに高まる緊張感。
「バンッ!」
号砲とともに、ドドドッと選手が駆け出します。ペースを崩さないように。周囲の流れに引っ張られないように。そのことばかり考えて走り出しました。道路はまだ雨が残っており、追い抜く選手の水しぶきもちょっと気になるところ。まあ、そのうちばらけ始めるまで我慢我慢…。気がつくと1キロ地点を通過。タイムは4分25秒。まぁ、想定内のタイム。あとはこのペースを守り続けること。
岩木川に架かる茜橋を過ぎると、強い向かい風が吹いてきます。うぉ!結構きついかも。しかし、1キロは何とか4分30秒を切るペースを保ったまま、4キロ地点を通過。すると先方から、白バイに先導されたトップの選手が。確か昨年もこの辺ですれ違ったなぁ。ただ、何となく違うのは、昨年はもう少し周りに人がいたような気がするのですが、今年は周りにあまり人がいない…。ということでペースメイカーになりそうな人を見つけられないまま、悶々と走るしかありませんでした。
折り返しを過ぎ、ここで給水。ただしガバッと飲むことはせず、一口手に取って口の中をゆすぐ程度。全然暑くないんでね。
このあたりから10キロレース用のキロ表示が消え、フルとハーフの表示を頼りに走るしかありません。相変わらず反対側にはたくさんの人がどんどん走ってきます。が、折り返しを終えたこちらはかなりまばらになっています。やがてラップを刻むのも忘れ、口からはヨダレが、そして風邪の名残で鼻水が。とても人に見せられた顔ではありません。
そういえば何か気になっているのが、さっきから抜きつ抜かれつで走っているおじさん。この人、相当余裕があるのか声援に応えるわ、9時50分にスタートしたハーフの選手に声を掛けるわ、一体どんだけ体力が残っているんでしょう。気がついたらそのおじさんは僕のペースメイカーになっていました。再び茜橋を渡り、応援の多いゾーンへ突入。
どこかの保育園の先生たちでしょうか、赤いぼんぼりを手に声援を送ってくれます。おじさんに続き、僕も軽く左手を挙げて応援に応えました。ん?僕も余裕がある?いやいや、もはやイッパイイッパイ。
そして最後の難関、城西大橋に差し掛かった時、昨年に続き今年もスイッチオン。併走していたおじさん、そして前を走る人たちを颯爽?と抜き去り、坂を登り切るといよいよ限界。あと700メートル。タイムは?もうわからないっす!
やがてゴールのある追手門広場に差し掛かり、電光掲示板が見えてきました。
…おお!44分切った!
思わず手をたたきながらゴール!
へたるようにその場に立ち止まり、今年も記録更新できたことに感謝。結局雨には大して当たらなかったことも幸いしましたが、決してコンディションの良くない中、我ながらよく頑張りました。
じんわりと喜びを噛みしめながら、リンゴを頂きました。
今年の記録です。
種目順位は27位、総合では87位。どれぐらいのキャンセルがあったのかはわかりませんが、10キロのエントリー数が男女合わせて1200人を超えていたことを考えると、この順位は上出来でしょう!
でも、もう10キロはいいかなぁ。来年はハーフか3キロ仮装にしようかな…(ウソ)。