日別アーカイブ: 2012-04-18

亡父の誕生日

今日4月18日は、4年前に亡くなった父の誕生日である。
生きていれば今年65歳になった父。
65歳になった父というのを見てみたかった、というのが今の率直な気持ちだ。

思えば父が誕生日を迎えようとも、家族が取り立てて何かお祝いをしたという記憶がまるでなく、せいぜい大好きだったキリンラガービールを多めに冷蔵庫に冷やしてみるとか、その程度のお祝いしかしなかったように思う。

しかし父亡き今、喪失してみて初めて気づくことがあったり、二度と戻らないものを執拗に求めてみたり、過去をずっと振り返ってみたり、そんなことを延々と繰り返しているような気がする。

事実、生前の頃の父と、遺影となった父を比較してみると、圧倒的に後者の方が尊重されている。

実は父が亡くなる直前、僕は父のことを相当蔑ろにしたような気がして、そのことは未だに僕の中で懺悔として残っている(そして多分僕は、一生そのことを後悔し、懺悔し続けるであろう)。

父に対する懺悔として今できることといえば、残された家族で支え合いながら、この世知辛い世の中を、何とか生きている姿を示すことぐらいだろうか。

ふと、昨年の今頃のことを思い出した。
昨年は、「今僕ができる精一杯の」こととして岩手県宮古市へ災害応援に向かい、その途中で父の誕生日を迎え、そして、改めて家族の絆というか、命の重みというか、そういったことをひしひしと感じていたんだった…。

僕と震災の被害に遭われた方々では、置かれていた環境がまるっきり異なる。
そして、震災で突然家や家族を失った方々の喪失感というのは計り知れないと思う。
でも、突然父を失った、という点においては、何となく家族を突然失ったという喪失感を共有することができるのではないか、なんてことをふと思ってみたり…。

父の仏前に、大好きだったキリンラガービールを供える。
ささやかながら乾杯。いや、献杯。

貴方の遺志は、僕の中で、静かに脈々と滾らせていきます。これも、僕が今できることの一つです。

父さん、誕生日おめでとう。