日別アーカイブ: 2022-01-29

2巡目の始まり

50代を迎えるに当たり、一体どんなことを思っていたのだろうと昨年の投稿を読み返してみたが、状況はさほど変わらず、むしろ社会情勢や周囲の環境は悪化の一途を辿っているように思える。
迷惑な感染症は仕事の手を遮り、社会の分断や軋轢を生み出し、人々の心をどんどん蝕み、そのことが、人々が内に秘めていた感情を一気に爆発させていることにも繋がっているような気がしてならない。

50歳を迎えて走った回数は数えるほど。まあ、走ることは本業ではないし仕方ない。

僕にとってはそのことが結構ショックで、平静を保つように努めてはいるものの、目に飛び込んでくる偏った情報、耳に飛び込んでくる根も葉もない噂や罵言の数々に、思わず全てから顔を背けたくなる。
決して自分のことを責めているわけではないのだろうが、いつしか何となく自分が責められているのではないかという疑心暗鬼が渦巻くようになり、ここ最近になって、しばらくSNSから距離を置く選択をした。

そういったこともあって、自分も相当メンタルが蝕まれていることを強く自覚することに…。
そんな穏やかでない状況の中で迎えた51歳の誕生日。

相変わらず気持ちは落ち着かないが、現状に抗うことなく、事実を素直に受け入れ、それに対してどう冷静に対処するか、自問自答を繰り返す。
2歩先あるいは3歩先を見据えて物事を思案する、社会を俯瞰するような、そういう心持ちを保てるようになりたいと痛切に思う。

このご時世にあって、ついつい我を失い、自制心を欠くこともあった。その都度自省しながらも、自責の念に駆られることだってしばしば。

それでも。

こんな自分にも手を差し伸べてくれる人はいる。
そのことに対して、ありがたい、と思える気持ちを忘れずにいたい。
自分の居場所があるだけありがたい。自分を必要としてくれるだけでもありがたい。
人から叩かれ続けた憎まれ口は忘却の彼方へ放り投げても、人の御恩は絶対に忘れちゃならない。
ここ数年、心が折れることも幾度となくあったが、もう少しだけ頑張ってみようかな、と思う。

法を犯すことは絶対に許されないが、時にはちょっとはみ出してみたり、時々脱線したり、少し弾けてみたり、そんな「役人らしくない」生き様があってもいいんじゃないか、と。

 

50代になって、全くといっていいほど素敵な気分になれていないけれど、素敵な気分になるかどうかは、自分の気持ち一つ。全てが思い通りに行くことほどつまらない人生はない。むしろ、適度な波乱があるぐらいの方が面白いのだろう。過度な波乱は勘弁して欲しいけれど。

さて、50代の2巡目が始まった。1巡目と同じ道は辿りたくないし、同じ轍は踏まないようにしないと。
どうせなら、人徳がある、そんなことを言われるような人物像を目指してみようかな。